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第6話 「心の声」

 千隼side


 紗和が寝ながらうなされることが多くなった。


 最初は朝方だけだったのに、最近は夜中見に行くと既にうなされている。きっと悪夢を見ているのだろうと思っていた。


 紗和は家族から虐待を受けていた。その傷はまだ癒えていないはず。あの八重桜家で起こっていた出来事や暴言の数々は計り知れない。


 ここに来て少しはマシな方になったと思ったのだが……。


 紗和の心に残っている傷は思ったよりも深く、深く染み込んでいるのかもしれない。


 「……千隼様。よろしいでしょうか?」


 「入れ」


 書斎で書類の仕事をしていると凪砂が扉をノックした。


 「千隼様宛にお手紙が届いていますが……差出人が、“八重桜家当主”でして、如何なさいますか?」


 私の声と共に中に入る凪砂。中に入るなり深刻そうな表情で用事を伝えてくる。


 ……八重桜当主から手紙?


 今更何の用だ。


 そう思いながらも手紙を見ない訳にはいかないだろう。


 「貸せ。相手にはしないが一応中身は読んでおく」


 「かしこまりました」


 八重桜当主と聞いて何一ついい思いはしない。私の大事な婚約者を痛めつけ、なおも自分のことしか考えられない奴だ。


 そんな当主がいったい何を送ったのだ。怒りを沈めながら凪砂から手紙を受け取り、ハサミで開け、乱暴に中身を取り出す。


 手紙を読み進めるうちに怒りが沸点にたどり着き、殺意を覚えた。


 「なんなんだ!この手紙は!紗和のことをいったいなんだと思ってるんだ!!」


 私の怒鳴る声が書斎に響く。


 誰もいない空間に、ビリビリという音が聞こえる。


 それは無意識に手紙を破り捨てる私の手によって聞こえたもの。はっと意識を戻した時には手紙は見るも無惨な姿になっていた。


 机の上にはビリビリに破かれた手紙が散らばっていた。

「……千隼様。叫び声が廊下まで聞こえてきましたよ」


 しばらく呆然としていると部屋から出て行ったはずの凪砂がいつの間にか中に入っていた。凪砂は呆れたようにため息を着くと私を見る。


 「いったい何が書かれてあったんですか。大事な手紙だったかもしれないのにこんなにビリビリに破いて。これでは御当主様に報告するのも大変ですよ?」


 私の無計画な行動に怒っているのか、凪砂は私を睨みながら言う。


 いつも温厚な凪砂が怒ると怖いと知っていたが……。


 まさか怒らせてしまうとは。


 確かに今回はやりすぎたかもしれない。でも、この手紙の内容は許せないものだった。


 「……手紙には、紗和を八重桜に戻して欲しいと書いてあった。婚約はなかったことにし、例の儀式の為に準備すると。悪い。そんなことが書かれていたもんだから、つい自分の感情に任せてしまった」


 これ以上凪砂を怒らせてはいけないと思った私は素直に謝る。だが、自分で手紙の内容を話しているうちにまた怒りが湧いてくる。


 八重桜は紗和のことをいらないモノ扱いしてきたはずだ。


 異能のことだって琴葉に全部信頼や功績を持っていかれた。紗和は八重桜に置いてはいけないのだ。


 それなのに今更紗和を返せと?


 自分の名誉の為に紗和を利用する?


 そんな事のために紗和は生きているんじゃない。まるで自分の物のように扱う八重桜当主のことが心底嫌いになった。


 ……いや、嫌いという言葉だけじゃ済まされない。殺したいと思うほどまで私の気持ちはいっていた。


 「……なるほど。これなら、千隼様が怒るのも無理ないですね。かしこまりました。手紙の内容は私から御当主様にお伝えします」


 「ああ、頼む」


 私の気持ちを察したのか凪砂はそっと目を伏せ、そう言った。正直この内容を自分の口から説明するとなると嫌な気分になる。きっと最後は怒りに任せた口調になるだろう。


 「いいですか、千隼様」


 「な、なんだ。急に」


 ひとつ深呼吸してからゆっくりと椅子に座り直す。


 すると、凪砂は突然話し出す。


 「決して、紗和様を手放してはいけません。手放してしまったら、これ以上いいご縁はありませんからね」


 凪砂の言葉に一瞬理解が追いつかなかった。凪砂がこんなに真面目に話すもんだから何事かと思ってしまう。だけど私は紗和を手放すつもりなんかさらさらない。


 ずっと私の傍にいてもらうつもりだ。


 「わかっている。手放す気など毛頭ないわ」


 「そうですか。なら安心しました。……それともうひとつ言いたいことが」


 「なんだ、まだ出て行かんのか?」


 私の言葉に安心したのか満足そうに頷く凪砂。でも、それだけでは話は終わらなかった。


 「例の“縁結びの儀”ですが主催が八重桜神社に決まりました。その中心を担うのが琴葉。八重桜当主、その奥方は裏方を担う予定だそうです」


 「……なぜそれを先に言わなかったのだ!」


 凪砂の言葉を聞いて驚いたのは言うまでもない。淡々と凪砂は話すが私はそれどころではなかった。


 「すみません。手紙のことで頭がいっぱいでしたので」


 謝るがあまり申し訳なさそうには見えない。その表情、なんか腹が立つ。本当に凪砂は適当だ。


 なんで今こんな手紙が八重桜家から届いたのか理解した。琴葉には異能がないから、紗和を戻させ、利用しようとしている。手紙にもそんなことは書いてあったような気がした。


 「詳しい話はまた後日。紗和様とお聞きなさってください。御当主様も話したがっていますので。では」


 必死で頭の中を整理していると、凪砂はお辞儀をして部屋から出ていく。


 ……ここ数分で色んなことが起こりすぎだ。


 少し頭を冷やそう。


 ……そう考えながら、私は無意識にお茶をいれていた。


 ***


 「だ、旦那様……本当に、私もついて行ってよろしいのでしょうか?」


 八重桜家から手紙が届いた数日後。


 私の隣には緊張で震えた紗和がいる。紗和は先日贈った巫女の衣装を身にまとっている。


 「大丈夫だ。ちゃんと許可は取っている。今日は私の婚約者として紹介するだけだからそんなに緊張するな」


 紗和を安心させるように何度も頭を優しく撫でる。


 「そ、そんなこと言われても無理ですよ……!だ、だって“皇帝様”の前で下手なことはできないです!」


 私の言葉では安心出来なかったようだ。紗和は勢いよく顔を上げながらそう訴える。


 ……まぁ、無理もないか。


 この国の最高位である皇帝様の前に出るとなると誰でも緊張するのは当たり前。私も最初はそうだったからな。紗和の必死な様子に思わず苦笑いする。


 「大丈夫だ。紗和は自己紹介したあと何もしなくていい。私が話を進める」


 皇帝様の部屋に向かう途中、紗和は何度も目を潤ませ、泣きそうになっている。


 どうしてこうなったのやら……と思いながら事の顛末を思い出した。きっかけは八重桜家から届いたあの手紙だ。手紙の内容を知った父上がしっかりと紗和のことを皇帝様に紹介しろと言ってきた。


 元々、結婚式やら婚約やらが終わる頃に行く予定だったが急遽予定変更。


 “縁結びの儀”が行われる前に行くことになった。何を思って言ったのか分からないが父上なりに何か考えがあるのだろう。私は大人しく指示に従い、こうして紗和と皇帝様の部屋に向かっている。


 「……ここが、皇帝様のお部屋だ。準備はいいか?紗和」


 なんだかんだしているうちに皇帝様の部屋にたどり着いた。目の前の豪華な扉の前に立ちすくむ紗和。ごくり、と喉を鳴らす音が聞こえた。


 「……だ、大丈夫です。覚悟が決まりました」


 覚悟を決めた紗和が私を見る。先程まで緊張しまくっていたのに。


 ……頼もしいな、私の婚約者は。


 ーコンコン。


 「失礼します。華月千隼です。八重桜紗和と共に結婚のご挨拶とご報告に参りました」


 ……隣に紗和がいるせいだろうか。


 いつも入り慣れているはずなのに。今日は扉を開ける前から緊張した。何とも言えないこの重苦しい空気。これに耐え切れるだろうか。


 「……入れ」


 扉をノックし、名乗ると部屋の奥からいつもの聞きなれた皇帝様の声が聞こえた。私と紗和は顔を見合わせ、ゆっくりと扉を開ける。


 「失礼します。皇帝様、父上から聞いていると思いますが、本日は結婚のご挨拶とご報告に参りました」


 「失礼します」


 中に入り、歩くと奥には畳の部屋が広がっている。手前は洋装のフローリング式の床だが奥は畳が数枚置かれている。そのさらに奥に皇帝様はいつもいらっしゃる。


 「……よく来たな、千隼。お前が婚約者を連れて挨拶に来るとは。世の中何が起こるかわからないもんじゃの」


 私の言葉に豪快に笑う皇帝様。畳の前には薄い布が垂れ下がっており、まだ顔は見えない。だが、今日は機嫌はいいみたいだ。


 「ほれ、そこにすわれ。立ち話もなんじゃからな」


 「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて座らせて頂きます」


 私が腰を下ろすと、紗和も同様に腰を下ろす。


 「では、千隼の婚約者の顔を見るとするかの……」


 私たちが座ったのを確認した皇帝様はゆっくりと薄い布をめくる。顕になった顔は髭が伸びており、若干白髪が混ざったどこにでもいる優しい顔をしている。


 だけど私は知っていた。


 このお方は、全然優しくない。国のためならどんな無惨な決断もするしどんな人でも容赦なく切り捨てる。そんな恐ろしい性格を持ち合わせた人だということを。


 「……お前が、八重桜紗和……なのか?」


 「は、はい。申し遅れました。この度、華月千隼様と婚約した八重桜紗和と申します。どうぞ、よろしくお願いいたします」


 皇帝様の声に威勢よく自己紹介する紗和。その姿を見て驚いたのは言うまでもない。


 もっとたどたどしく自己紹介すると思ってしまったのだが……。


 さすが八重桜神社を裏で支えていただけある。


 「八重桜、紗和……」


 「皇帝様?どうかなさいました?」


 紗和に関心していたら皇帝様が驚いたかのように動きを止めていた。更には紗和の名前を呼び、立ち上がろうとする。


 不思議に思った私は首を傾げた。


 いったいなんなんだ?


 紗和と皇帝様は初対面なはず。


 なのに……なぜ昔の知り合いと会ったかのような驚き方をしているんだ?


 「いや、なんでもない。少し昔の知り合いに似ていた気がしてな。私の勘違いだと思うが」


 私の声にはっと意識を取り戻した皇帝様。平静を装うようにして自分の座椅子に座り直した。


 だけどその動きはなんだかぎこちなくて、紗和のことを意識しているように見えた。


 「そうなんですか?そのような話は聞いたことありませんが……」


 「いやいや、気にするな。私の勘違いじゃ。ところで、八重桜紗和は、例の儀式のことについて千隼から聞いているか?」


 私の質問に対してあからさまに動揺する皇帝様。だけど見事に話をそらされ、話を聞くタイミングを逃してしまった。


 ……皇帝様は昔から逃げるのは上手い。


 今回も上手く避けられてしまった。


 「……いえ、何も聞いてないです。例の儀式というのはなんのことでしょうか?」


 紗和は皇帝様の質問に丁寧に答える。そういえば紗和にはまだ“縁結びの儀”について何も話していなかったな。


 この間の父上との話の時も曖昧になってしまった。


 あの日からなんだかんだあって話すことができなくて今日に至る。


 「なんだ、話していないのか」


 「申し訳ありません。話すタイミングがなかなか合わなくて。婚約もあり、忙しくしていたんで……」


 皇帝様はジロっと私を睨む。私はその視線から逃げるように言い訳を並べた。話した内容は全部事実だし嘘は無い。


 「全く。こんな大事な話を婚約者に話さないとは何事だ。八重桜紗和」


 「はい」


 皇帝様はため息をついたあと紗和と向き合う。名前を呼ばれた紗和は緊張したようにピシッと背筋を伸ばした。私はようやく視線から逃れることが出来、内心ほっとしていた。


 「“縁結びの儀”というのは知っているか?」


 「“縁結びの儀”……ですか?少しなら、聞いたことあります。昔、八重桜神社が皇帝様のご子息のご縁を結んだとか」


 思い出しながら話す紗和。


 紗和は私が説明しなくても儀式の内容は知っていたらしい。


 それはそうか。


 八重桜神社の娘として話を聞いていないわけがない。紗和はそこまで無知では無い。


 「そうだ。よく知っているな。そこでだ。その縁結びの儀が今年のどこかで行われることになったのは知ってるか?」


 紗和の説明に頷く皇帝様。


 間違ったことを言っていないとわかった紗和はほっと胸をなでおろしていた。


 「……それは知りませんでした。確か皇帝様のご子息は15歳になられるそうですね」


 私の横で繰り広げられる会話を聞きながら、紗和は琴葉の役割を聞いたらどんな反応をするのかソワソワと落ち着かなかった。


 きっと紗和はショックを受けるだろう。


 今までの八重桜神社の功績は紗和の力によって成り立ったものだ。


 それを全部義理の妹に持っていかれ、大役を任される。私だったら何をしでかすかわからない状況だ。


 ……紗和、お前はどうする?


 「そうなんだが、まだ婚約相手は決まっていない。そこで、今年は……八重桜神社の八重桜琴葉に“縁結びの儀”を頼もうと考えている。このことは知らなかったか?」


 ……とうとう、皇帝様が告げた。


 皇帝様の口から八重桜琴葉に縁結びの儀をお願いすることを。私はドキドキしながら紗和をそっと盗み見る。


 「……知りませんでした。琴葉が……」


 「やはりな。あの八重桜当主、娘にも話せと言ったのに、何も言わなかったか」


 明らかに紗和の声色が変わる。


 だけどそのことには気づかず、皇帝様は話を進めた。盗み見た紗和の表情は、無表情でいまいち感情がよく分からない。


 「紗和、大丈夫か?」


 たまらなくなった私は思わず声をかける。すると紗和は顔を上げた。泣いているかと思ったがそんなことはなくて少しほっとする。


 「大丈夫です。すみません。皇帝様の前で……」


 「まぁ、とにかく。今年の縁結びの儀は八重桜神社に任せたんだ。これからきっと忙しくなる。少なくとも八重桜紗和にも何か仕事はくるだろう」


 小さな声で話す紗和を遮るように、皇帝様は口を出す。その行動に内心苛立ちを募らせながら、ひとつ深呼吸をした。


 ここで問題を起こしても仕方ない。


 そう思いながら皇帝様の顔を見る。


 「皇帝様。そろそろ私たち、お暇してもよろしいでしょうか?紗和も疲れていますし、詳しい話は私からまた話します」


 これ以上紗和を疲れさせたくないと思った私は、無理やり話を切り上げた。


 そのことに驚いたのか紗和は私の顔を見ながら目を見開いている。普通の人間ならここで話を切り上げることはしない。


 私だからできることだ。


 「……わかった。今日はたくさん話をしてしまって申し訳ない。日取りや八重桜家から手紙が届いたら逐一報告する」


 「かしこまりました」


 私の言葉に一瞬眉を顰める皇帝様。だけど納得して今日の報告は終わることになった。紗和は終始話すことはなかったけど、帰り際にはちゃんと挨拶して部屋を後にする。


 廊下を歩いているあいだも紗和は黙ったまま。


 余程ショックだったのだろうか。いつもなら私の話を聞いたり、隣を歩いたりしてくれるのだが、今は違った。


 黙ったまま俯き、歩幅も心做しか小さいきがする。


 「……紗和、大丈夫か?済まなかった。紗和にちゃんと話してからここに来るべきだったな」


 紗和がここまで落ち込むとは思わなかった。だったらいっそ、皇帝様の言う通り、紗和に話してから来るべきだった。


 何も心構えなしじゃ、受け止めるにも大変だっだろう。


 「あっ……い、いえ!旦那様が謝る必要はありません!少し驚いただけで……。まぁ、こうなることはだいたい予想してましたから」


 私の言葉に慌てる紗和。笑顔を見せているが若干頬をひきつらせていた。


 「……紗和」


 「はい」


 自分たちの部屋の前に来て、私は紗和を呼ぶ。紗和は扉を開ける手を止め、私と向き合った。


 そんな紗和をまた愛おしいという感情に支配され、紗和を思い切り抱きしめる。


 「だ、旦那様!?」


 いきなり抱きしめられるとは思っていなかったのか腕の中で固まる紗和。小さな体は想像以上に柔らかくて暖かい。だけど、そんな体はまだまだ痩せている。傷もまだ治りきっていない。


 ……そんな紗和に、また悲しい思いをさせてしまった。


 「……紗和。私の前では無理して笑うな。私に甘えろ。私に……もっと身を委ねろ」


 たまらなくなりそういっていた。紗和はそんな私の言葉を聞いて、何を思ったのだろう。


 「ありがとうございます。でも、本当に大丈夫なので……」


 そんな私の願いも虚しく、紗和はゆっくりと私から離れた。やはり、固く閉ざした紗和の心は簡単には開かない。わかっていたが現実を突きつけられるとやるせない気持ちになる。


 いったいどうしたら紗和は私に甘えてくれるのだろうか。紗和の心の声を今、ものすごく聞きたい。


 心の声を聞けたらどれだけ幸せなのだろうか。


 「それでは、戻ります。今日はありがとうございました」


 「……紗和」


 紗和は私から逃げるように部屋の中へと入っていく。


 名前を呼び、引き留めようとしたがそれも虚しく、そのまま部屋に入ってしまった。閉められた扉を見ながら私は深いため息をついた。


 ……この調子だと、私が企んでいる計画に賛同してくれないだろうな。


 紗和はなぜ私があの巫女の衣装を贈ったのかまだ理解していないだろう。


 まぁ、話す時間がなくてそのまま渡しただけになったのは申し訳ないと思っている。


 まさか琴葉の大役を聞いてこんなにショックを受けるとは……。


 「千隼様。紗和様、どの様子でしたか?」


 廊下に突っ立っているといつの間にか凪砂が隣にいた。相変わらず気配を消すのが上手い。


 「やはりショックを受けていたな。まぁ、今までの功績は琴葉じゃなくて紗和によってできた功績。ショックを受けるのも当然だろう」


 「左様ですか。だから私はあれほど話しておけと言ったのに……千隼様が先延ばしにするから、こうなるのですよ」


 私の言葉にため息をつきながらそう言った。確かに凪砂からは散々縁結びの儀について話しておけと言われていた。


 だけど、私が話して紗和から嫌われてしまうのが一番怖くて話せなかった。もちろん、私が決めたことでは無いので責められないとわかっている。


 でも……ようやく、紗和をここまで助けることができたんだ。


 この関係を崩したくない。


 その想いが強かった。


 「すまない。今はひとりにしてもらえるか?考える時間が欲しい」


 「かしこまりました。では自分の部屋にいますので何かありましたら声をかけてください」


 色々なことがありすぎて考えがまとまらなくなってきた。このままだとまた無意識に怒りをぶつけてしまう。そう思った私はひとりになることにした。


 ***


 その日の夜。私は自室にこもり、仕事を進めていた。昼は皇帝様へ挨拶に行ったので仕事をする時間はあまり無かった。


 せめて書類のものの仕事だけでも終わらせようと手を進める。すっかり太陽が落ち、外は真っ暗になっていた。


 星が瞬き始める頃。


 私は、なにかの気配を感じた。


 ……なんだ、この気配は。


 まさか猛獣?それとも妖か?


 思わず身構えながら、凪砂のいる部屋へと向かう。


 「凪砂、いるか?」


 扉をノックし、声をかける。


 すると、数秘もしないうちに扉が開き、警戒した表情の凪砂が出てきた。


 「はい。……千隼様でしたか。もしや、この気配を感じました?」


 「ああ。お前も感じていたか」


 どうやら私が話す前に気配に気づいていたらしい。


 「この気配はなんでしょう?猛獣……いや、妖。そのような気配を感じますね」


 「私もそう思ったが……なにかいつもの邪悪な気配とは少し違う気もするな」


 辺りを見渡しながら話す凪砂と自分。ここまで強い気配を感じたのは久しぶりだった。


 凪砂と目を合わせ、気配の出処を探ることに。


 もしかしたらこの屋敷の中に何か危ない物がいるかもしれない。だとしたら、紗和やみんなが危険な目にあってしまう。そうなる前に何とかして方をつけなければ。


 「凪砂、お前の“蜃気楼”で気配の行方を追えないか?」


 気配が強いとはいえ、家の中からとなると探すのは困難になる。いかに迅速に、皆に気づかれないように動けるかが勝負になるからだ。


 凪砂の異能、“蜃気楼”なら気配を感じることが出来れば、その目的地まで誘導してくれるという異能。


 「かしこまりました。では、集中しますので、黙って私の後を着いてきてください」


 「わかった」


 私の提案をすんなりと受け入れた凪砂。蜃気楼を使っている時はかなりの集中力が必要らしく、異能を発揮している間は話しかけてはいけないという独自のルールがある。


 私は凪砂の後を黙ってついて行く。廊下を進み、何度も角を曲がる。


 周りの人間はこの気配に気づいていないのか、特に大きな混乱や事件とかはなくいつもの日常を過ごしていた。


 そんなことを考えながら、後をついて行くと凪砂はあるひとつの部屋の前に立ち止まった。


 「千隼様。どうやら、ここが気配の出処らしいです」


 凪砂はそう話しながら私を見た。その表情は驚いたような、疑っているような表情だった。


 私だって驚いた。


 だって、この部屋は……。


 「紗和!?」


 凪砂の説明も聞かずに目の前の扉を勢いよく開けた。私の最愛の人の名前を叫びながら。


 ここに来るまではあまり周りは見えていなかった。だけどここまで来てしまったら目を剃らせない。


 紗和に何かあったら……そう考えるだけで恐ろしい。


 私は無我夢中で紗和の元へ駆け寄る。


 「紗和、紗和!!おい、大丈夫か!?」


 「うっ……こと、は……申し訳……」


 部屋の真ん中で布団を敷いて寝ている紗和を抱き抱える。どうやら眠っているらしい紗和は寝言を言いながら、うっすらと涙を流していた。


 「……千隼様。この部屋、何かが来た形跡はありません。紗和様は寝ているだけでしょうか?」


 慌てる私を他所に凪砂は冷静に部屋を見渡していた。私は顔を上げその言葉につられるように部屋を見渡す。


 ……確かに何かがここを訪れた形跡はない。


 私が張った結界も壊れていない。


 ……だとしたら、この気配はいったいなんなんだ?


 「あ、……れ……。旦那、さま?」


 部屋を見渡していると紗和がゆっくりと体を起こした。泣きじゃくったような腫れぼったい目を擦りながら私の顔を見る。


 「風神さんも……?いったいどうしたんです?お仕事終わったんですか?」


 私たちの心配をよそに紗和は訳が分からない、と言わんばかりに交互に私たちを見た。


 そのいつもの紗和の様子にほっとした私は無意識に紗和をぎゅっと抱きしめる。


 「だ、旦那様!?」


 「良かった。紗和が、無事で……。大丈夫か?また悪い夢でも見ていたのか?」


 驚く紗和を無視して力強く抱きしめる。そこに凪砂がいるということも忘れて自分の世界に入り込んでしまった。


 「だ、大丈夫ですよ。それよりも……風神さんが見てます……」


 私の行動に驚きつつも答えてくれる紗和。だけどその声は恥ずかしそうで、消え入りそうなほど小さかった。


 「千隼様。目的を忘れていませんか?」


 紗和の無事に安心していると凪砂が割って入ってきた。わざとらしく咳をするとずいっと私の方に顔を寄せる。 


 「別によかろう。忘れている訳では無いわ。紗和の部屋から気配を感じて無事を確認したまでだ」


 凪砂の存在に若干イラつきながらも紗和から少し離れた。あとから恥ずかしいという感情が沸き上がる。この気持ちはいったいなんなんだろうか。


 「それならいいですけど……。それよりも、千隼様と紗和様の左手の小指にある“赤い糸”は何なんでしょうか?」


 「「赤い糸?」」


 凪砂は呆れたように私を見た後、何かに気づいたようで目線を私と紗和の方に向けた。


 それと同時に紗和と私の声が重なる。左手を見てみると確かに小指に赤い糸が巻き付けられていた。それは紗和も同じ。


 だけどこの赤い糸は前にも1度現れたことがある。


 だから別に驚きはしない。


 「これ、前にも見たことあるな。もしかして紗和の異能の力じゃないのか?」


 「た、たしかに私には縁結びの異能で赤い糸を見ることはできます」


 紗和はじっと赤い糸を見ながら答える。


 もしかしてさっきの気配はこの赤い糸からきていたものか?


 だったら納得がいく。


 「ほら。これは紗和の異能の力だ。私と凪砂はこの気配に気づいてここに来た。赤い糸に呼ばれてここにたどり着いたのではないか?」


 赤い糸から視線を外さない凪砂を見ながらそういった私。


 「……そう、でしょうか」


 「そうだ。ほら、こうして私の小指と紗和の小指にある赤い糸は結ばれているだろう?」


 この赤い糸はきっと紗和と結ばれている。そう信じて疑わない私は自信満々に答えた。


 だが……少し、嫌な予感が残ったのは胸の奥にしまい込んだ。


 だけどその嫌な予感は容赦なく私と紗和に降りかかる。


 「……旦那、様。赤い糸……切れ、てます」


 手を見せながら話していた私の後に続いたのは途切れ途切れに話す紗和の声だった。


 紗和は少し震えながら自分と私の指にある赤い糸を見て、顔を上げる。その表情はとても不安そうで今にも消えてしまいそうだった。


 「なぜ……なぜだ。なぜ、赤い糸が切れてる!?前のは切れていなかっただろう!?」


  紗和の話に混乱しながらも、赤い糸を見た。


 すると紗和の言う通り赤い糸は途中で切れていた。まるで私たちの仲を裂くかのように真ん中のあたりでぷつん、と切れていた。


 「千隼様、落ち着いてください。もしかしたらこの赤い糸が原因の気配だったのかもしれません。……今後、おふたり共気をつけて過ごさねばなりませんね」


 目の前の事実を受け止めきれない私だったが凪砂は冷静に状況を把握し、未来の予想までしていた。


 嫌な予感はまだ続くということか?


 「……わかりました。旦那様、ご迷惑おかけして申し訳ありません」


 凪砂の言葉に紗和は頷く。が、その表情はやっぱり不安そうで。申し訳なさそうに謝る彼女が見ていて痛々しかった。私は思わずまた強く抱きしめる。


 「大丈夫。大丈夫だからな、紗和」


 紗和を抱きしめながらそうつぶやくが、不安な気持ちは私も同じだった。その不安を脱ぐうかのように何度も何度も紗和の頭を撫でていた。

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