《紗和side》
ある日の昼下がり。
私は、自分の部屋で過ごしていると、突然旦那様が顔を出した。今日は仕事だと聞いていたのにどうしたのだろう。
不思議に思いながら私は部屋の襖を開けた。
「……旦那様。いったいどうされたんですか?今日はお仕事のはずじゃ……」
ようやく華月家での生活に慣れた今日この頃。家族の誰からも暴力を振るわれたり、暴言を吐かれたりしない穏やかな生活を楽しんでいた。
「いや、途中で終わらせてきた。今日はお前に見せたいものがあってな。ちょっといいか?」
私が襖を開けると嬉しそうに微笑む旦那様。そのまま襖を開けて、部屋に入ってきた。……大きな荷物を抱えながら。
「私は大丈夫ですけど……その荷物、どうしたんです?」
仕事を終わらせてきたという言葉に驚きながらも中に案内する。
「これか?これはお前宛に作らせた着物だ。どうだ。紗和によく似合っているだろう?」
「……え?着物、ですか?もう新しい着物は何着かいただきました。さすがにもう受け取れません……!」
旦那様は部屋に入るなり抱えていた大きな木箱を開けながら、中に入っていた着物を私に当てる。そのことにびっくりして、思わず受け取れないと拒否してしまった。
だってここに来てからもう新しい着物は数着貰っている状態だ。ここに来た当日も、その翌日に買い物に行った時にも貰った。さすがにもうこんなに貰うことはできない。
……申し訳なさ過ぎて、受け取ることはできない。
「何を言っているのだ。紗和が貰ってくれなければこの着物はどうなる。紗和のために特注で作らせたのだぞ?」
遠慮する私に、何故か怒る旦那様。
私はどうしたらいいか分からず、頭を抱えた。こうなると旦那様はどんな手を使ってでもこの着物は私に受け取らせるだろう。
「いや、もう充分私に似合う着物をいただきました。この着物はどうかこの家にいる女性の方に……」
「それは許さん。私が紗和に着て欲しくて買ったものだ。それに」
女性に譲って欲しい、とお願いしようとしたけど。速攻で却下されてしまった。
「これは『縁結びの義』で着てもらう為に作ってもらった。ほら、よく見てみろ。これは着物じゃなくて“巫女の衣装”だ。私も紗和につられて着物と言ってしまったが、これは列記とした“巫女の衣装”だ」
「……本当だ」
断ることに必死になりすぎて旦那様が持っている着物をちゃんと見ていなかった。
改めてよく見ると旦那様の手の中には確かに白い上着、赤い履き物があった。
「す、すみません。私……早とちりしてしまって……」
よく確認もせずに断ったり謝ったりすることは私の悪い癖。
今まではすぐにそうしなければ、琴葉に何をされるか分からなかったから……その癖が未だに抜けきれていない。
「全然構わん。それより、この衣装を着てみろ。大きさは前測ったから大丈夫だとは思うが……念の為確認させてくれ」
「は、はい。わかりました」
私が謝ると旦那様は微笑みながら衣装を私に渡してくる。巫女の衣装を着るのは久しぶりなので少し緊張した。
この衣装を見ると“舞”を成功させなきゃいけない、という圧力を感じてしまう。旦那様はそんな気はないとわかっていても、気持ちがまだ追いついていなくて。
衣装を受け取る手が少し震えてしまった。
「ど、どうでしょう……。大きさは大丈夫みたいです」
私が着替えている間、襖の外にいた旦那様。着替えが終わり、旦那様を呼ぼうと襖を開ける。
この姿を見せるのは初めてなので、どんな反応が来るのだろうかとビクビクしてしまった。
「……良く、似合っている」
旦那様は私に呼ばれ、振り向くと何故か驚いたように目を見開く。そしてゆっくりと似合うと言ってくれた。
「あ、ありがとうございます。ですが……なぜ旦那様はこちらを向いて下さらないのですか?」
旦那様に褒めて貰ってほっと胸を撫で下ろしたのもつかの間。似合っている、と言った後すぐにそっぽを向いてしまった。
なんでこっちを向いてくれないのだろう、と不思議に思って聞いたけど何も返事は返ってこない。
「あ、あの……」
「すまない。紗和が綺麗過ぎて私の心臓が持ちそうにない。しばらくそっとしておいてくれ」
「……ひぇ!?だ、旦那様!?」
旦那様の顔を覗き込もうとした瞬間、私の驚く言葉が返ってきて思わず変な声を出してしまった。
わ、私が綺麗……?
旦那様、いったい何を言ってらっしゃるのですか?
恥ずかしいやらなんやらで私も気持ちはぐちゃぐちゃ。巫女の衣装を着ただけでこんな話をするとは思わなかった。
「……こほん。御二方、お取り込み中申し訳ございません」
「きゃあああ!」
「居たのかよ、凪砂」
しばらく黙り込んでいると、隣から咳き込む音が聞こえた。ハッとして隣を振り向くとそこには風神さんが立っていた。
あまりにも存在感がなくて気づいたら隣にいた。驚いた私は屋敷に響き渡るような声で叫んでしまった。旦那様も驚いているのか後ずさりしながら風神さんを睨んでいる。
なんか……前ここに来た時にもこんなことあったような……。
風神さんっていったい何者なんだろう。気配を消すのが上手すぎる。
「申し訳ございません。ですが、御二方を呼んでこいと御当主様に言われたので。役目を果たしに来たまです」
驚く私と旦那様をよそに淡々と用事を話す風神さん。御当主様って……もしかして、旦那様のお父様のことかしら。
「なんだよ。もう呼ばれてるのか。もう少しゆっくりではだめなのか?」
「御当主様がお呼びです。千隼様、紗和様。ご一緒に行きましょう」
余程嫌なのだろうか。旦那様は眉根を潜め、風神さんに訴えている。だ
けどその訴えを風神さんはさらりと交わす。その2人のやり取りを見てなんだか心がほっこりと暖かくなった。
「……はぁ。紗和。来たばかりで申し訳ないが、父上に挨拶して貰えないか?紗和のことは多方知っている。異能のことも、家のことも。だから、緊張するな」
「異能のことも、家のことも……ですか?」
ため息をつきながら私の頭をぽんぽんと撫でる旦那様。一瞬何を言っているのか分からなくなったが、異能のこと、家のことと言われてはっと顔を上げた。
いずれ旦那様の家族の方に挨拶しないといけないと思っていたけど。
こんな急に来るとは思わなかった。
それに、私の異能のこと、家のことを知っているってどういうこと……?
まさか琴葉が異能持ちじゃないこと、私が家で使用人として働いていたことを知ってるってこと……?
「千隼様。紗和様が困っていらっしゃいます。ここではあまり話さない方がいいのでは?」
反応に困っていると風神さんが助け舟を出してくれた。その言葉を聞いて旦那様はしまった、という表情をした。
「す、すまん。それじゃあ行くか。紗和は特に何もしなくていいからな」
「あ、挨拶はさせてください!何もしないでいるなんて無礼ですから!」
風神さんの言葉を聞いて旦那様は慌てて私の手を握る。何もしなくていいと言われたけど挨拶はしないといけない。ほとんど無意識でそんなことを思って、口に出していた。
「そ、そうか。それなら挨拶は紗和に任せる。行くぞ凪砂」
「かしこまりました」
私の勢いに負けたのか、旦那様は驚いたあとに私の手を引っ張って行く。
風神さんは何故か私と旦那様のやり取りを見て笑いを堪えていた。
……もうこれ以上何かをするのはやめよう。
そう思いながら私は大人しく旦那様の後ろをついて行った。
「おおー、よく来たな、八重桜紗和よ。そんなに緊張しなくても良いからな」
「し、失礼します……」
旦那様の後ろをついて行き、あるひとつの部屋の中に入る。すると、私の顔を見るなり1人の男性が笑顔で出迎えてくれた。
「父上。あまり紗和を困らせないでください」
そんな男性を見ながら旦那様はため息をつきながらそう言った。このお方が旦那様のお父様。
なんだか思っていたよりも物腰柔らかくて優しそうな印象だ。旦那様のお父様だからきっと厳しい方なんだろうなと思っていたけど、予想外の人柄で。呆気に取られてしまった。
「すまんすまん。ほれ、そこに立ってないでそこのソファに座りなさい。今、お茶を持ってこさせるから」
「は、はい!失礼します……」
どうしたらいいか分からずその場でたっていたら、ソファに座るよう促された。目の前には大きなソファが向かいあわせに設置されている。
私は旦那様と一緒にゆっくりと腰を下ろした。
……そういえば、巫女の衣装から着物に着替えてこなかった。
この格好で来ても大丈夫だっただろうか。なんて、緊張を紛らわせようと別のことを考える。
「改めて、八重桜紗和さん。華月家へようこそ。この度はうちの息子の千隼と婚約をして下さり心から感謝しています」
私と旦那様が座るのを見届けると、御当主様は深々と頭を下げた。まさか御当主様が頭を下げるとは思っていなくて、驚いた私は慌てて手を振った。
「そ、そんな……頭をあげてください!」
「いやいや。千隼はね、縁談が来てもすぐに断るんだよ。その千隼が婚約を決めた。私はそれに驚いているし、全力で花嫁を守ろうとする姿に驚いた」
私の言葉にゆっくりと顔を上げながらそう話す御当主様。一瞬何を言っているのか理解出来なかったけど、旦那様の表情を見て何となく悟った。
「父上、あまり余計なことは話さないでください」
ムスッとした表情で旦那様は言っていた。だけど、旦那様の顔をよく見てみると微かに耳が赤くなっている。
この話は本当で、照れていらっしゃる?
「余計なこととはなんだ。これでも私はお前に関心しているんだぞ?」
「……紗和、父上の言うことはあまり気にしなくていいからな」
御当主様の言葉に耐えきれなくなったのか旦那様はコソッと私に耳打ちしてくる。その仕草がなんだか可愛くて、思わず笑ってしまった。
「わかりました。気にしないでおきます」
「なんで笑っている?何か変なこと言ったか?」
そんな私を見て不思議そうに首を傾げる旦那様。
ああ……なんだかいいな、こういう関係。
心の奥底で自然とそう思えた。この2人のやり取りを見て本当に親子なんだなと思った。私は家族でこういう話はしたことないから少し羨ましい。
「……2人の世界に入ってるところ、悪いが少し話をしてもいいかな?」
旦那様と顔を見合わせていると御当主様が遠慮がちに聞いてくる。その声に意識を戻し、慌てて前を向いた。
御当主様の前でなんということをしてしまったのだろう……!
初めての顔合わせなのに恥ずかしい。
「も、申し訳ありません!」
「別に謝る必要無いぞ、紗和」
謝る私をよそに旦那様は相変わらず態度を変えない。
「……まぁ、謝る必要はない。ただ、八重桜紗和に話があるだけだ。千隼、例の件は話しているのか?」
「いや、まだ何も話してないです。父上からご説明をお願いします」
慌てる私を見ながら御当主様は苦笑い。その後、真剣な表情になり旦那様と会話をしている。
……例の件、とはいったいなんだろう。
何を話しているのかさっぱり分からない。急に真面目な話になってまた緊張した。
「わかった。……八重桜紗和。君は、八重桜神社で巫女の仕事をしてきたそうだな?」
「……は、はい。そうですが……」
八重桜神社の言葉が出てきてビクッとした。最初からこんな話をされるとは思わなくて。ほとんど無意識に答えた。
「八重桜神社の評判といえば、君の義母妹の異能を使い、人々の縁を結ぶ。それが次々と成功し、八重桜神社は縁結び神社として名を挙げた」
御当主様は私を目を合わせながらゆっくりと言葉を紡いでいく。御当主様の言っていることは間違っていない。世間ではそう思われているのだから。
ただ……他の人から直接こういうことを聞くのはやはりいい気分では無い。
「しかし、事実は違う。八重桜琴葉には異能はなく、変わりに姉の紗和が異能もち。姉の異能の力は莫大で、失敗することはなかった。……これが、事実だろう?紗和」
話を聞きたくなくてぎゅっと目を瞑っていたけど。御当主様は話を続け、最後には私の名前を呼んだ。その優しい声に顔を上げる。
「今まで、辛かったな。よく頑張った。だが、ここに来ればもう安全だ。ようこそ、華月家へ」
驚く私を見ながら、微笑む御当主様。
何が起こったのか分からなくて固まってしまった。
だけど御当主様の言葉が心に深く沁みて、気づいた時には泣いていた。
「あ、れ……なんで、私……」
自然と流れ出る涙に戸惑う私。
こんなふうに人に歓迎されたことはない。心の底から、私を迎えてくれたことにとても安心して。自然と涙が溢れてしまった。
「紗和。もう大丈夫。大丈夫だからな」
旦那様はそう言って私を自分の方へと抱き寄せる。御当主様の前だというのにそんなのはお構い無しで。
涙が止まらない私の頭を優しく撫でてくれた。
「千隼が紗和と婚約したことは本当に驚いたが、大丈夫そうだな。これからも夫婦仲良くやっていくんだぞ」
そんな私たちを見て御当主様が優しく微笑む。和やかな雰囲気に包まれるこの部屋はとても暖かくて居心地が良かった。
なんて幸せな空間なのだろう。そう思わずにはいられなかった。
「……落ち着いたか?」
「は、はい。すみません、ありがとうございます」
涙が落ち着いた頃。
旦那様が私の顔を覗いてそう言った。久しぶりに流した涙は止まらなくてしばらく泣いてしまった。
どのくらい時間が経ったのか分からないが、その間も2人は何も言わず、ただ私を優しく見守っていた。
「謝らなくてもいい。紗和のことは全部受け止めるって誓う。だからもう自分のことは隠すな」
泣いたところを見られて、少し恥ずかしくなって俯いた私。
そんな私に旦那様は真面目に言い放った。
その言葉が胸の奥に響いて。
また涙が溢れそうになった。
「ありがとうございます」
私……旦那様の婚約者になれて良かった。心の底からそう思った。
「……今日はもっと別の話をしようかと思ったんだが……また日を改めるかの。なぁ、千隼」
「そうですね。紗和もきっと疲れてるでしょうし。そうしていただけると助かります」
涙をグッと堪えていると、そんな会話が聞こえた。思わず顔をあげて話を聞いてみるけどなんのことだかさっぱり分からない。
もっと別の話ってなんだろう。
今日は御当主様への挨拶だけじゃなかったの?
予想外の会話が聞こえてきて、不思議に思った。
「それじゃあ、紗和。部屋に戻ってゆっくりしよう」
「え、あ、あの……。別の話……今日しなくてもいいんですか?私なら大丈夫ですけど……」
あまりにもあっさりと引き下がる旦那様に思わず言ってしまった。私の手を引いて立ち上がろうとするのを止める。
「大丈夫だ。今日は疲れてるだろう?そこまで急ぎの話じゃないんだ。そうですよね?父上」
「ああ。今日は部屋に戻って休みなさい。この話は後日にしよう」
旦那様の言葉に頷く御当主様。
なんだろ……話の内容が気になってしまった。だけどその日は、戸惑う私を引っ張っていく旦那様の後ろをついて行くことしか出来なかった。
***
『お義姉様が婚約?有り得ないわ。お義姉様が華月家の花嫁として務まらないに決まってるわよ』
……やめて。
そんなの、私が1番よくわかっている。
わかってるから……。
暗闇の中、琴葉の嘲笑う声、私を貶す声。そんな声が聞こえてきて体は震え上がる。ここにはいないとわかっていてもどうしても考えてしまう。
琴葉からは、実家にいても旦那様の傍にいても逃げることは出来なかった。
『お前に婚約はまだ早かったようだな。婚約破棄して戻ってこい』
……お父様。
『さっさと使用人として八重桜に戻ってきなさいな。華月家の妻なんてあなたには荷が重いでしょう?』
……お義母さま。
ここに来ても家族全員から否定されていた。
お父様、お義母さま、琴葉の顔が頭から離れなくて。必死に忘れようとしていたのに。それも無駄な努力だったみたい。
「……和……さ、わ……紗和!」
私の名前を呼ぶ声が聞こえて。はっと目を開けた。
「大丈夫か。だいぶうなされていたぞ?」
目を開けると、そこには心配そうに隣に座る旦那様がいた。
「だ、んな様……すみません……」
横に旦那様がいることに驚きながらも無意識に謝る。
……私が見ていたのは夢……。
辺りを見渡すと自分は布団に寝ていて寝間着を着ていた。ゆっくりと体を起こし、窓の外を見る。
窓の外は朝日が登っているのか日差しがたっぷりと注がれている。
「謝るな。悪い夢でも見たんだろう?大丈夫だからな」
謝る私を抱き寄せ、いつものように頭を撫でてくれる。その優しく撫でる旦那様の手に安心して。夢で見た不安はあっという間に消し去った。
夢を見たのなんていつぶりだろう。
しかも家族の夢を見るなんて……。
と考えながら旦那様の腕の中におさまる。
「……大丈夫です。ありがとうございます。少し嫌な夢を見ただけなので」
名残惜しいと思いながらも私は旦那様の腕の中からゆっくりと離れる。悪い夢を見ただけなのにこんなに甘やかされていいのだろうか。
ふとそんなことを思う。
「嫌な夢を見たのだろう?そんな時くらい私に甘えたらどうだ。紗和がうなされている時いてもたってもいられなくなったぞ」
苦笑いを浮かべながら離れた私を見て、不機嫌そうな表情を見せる旦那様。私はその反応に驚く。
「……いい、んですか?私……旦那様に甘えるなんて……」
「言いに決まっているだろう?紗和は私の婚約者であり、大切な人なんだ。遠慮する必要はない」
不安に思いながら聞いたのに旦那様はあっさりとそう言ってのけた。
“大切な人”……。
誰かにそんなことを言ってもらったのは生まれて初めてで。とても、嬉しくなった。
「ありがとう、ございます……。ありがとうございます」
私、旦那様に甘えてもいいの?
私……旦那様に愛されてるの?
嬉しくなってそんな自惚れたことを考えてしまう。
「ほら、私の腕の中にこい。思い切り包み込んでやるから」
泣いてお礼を言う私。旦那様は、そんな恥ずかしいことを言いながら腕を広げて待っている。
前の私なら遠慮して絶対に飛び込むことはしなかった。だけど今の私は違う。旦那様に愛されている、と感じられた今は迷いなくその大きくて逞しい腕の中に飛び込めた。
旦那様の大きくて優しい腕の中で。
私は、幸せを噛み締めていた。