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拝啓、私を見つけてくれた旦那様へ〜この幸せ、信じてもいいですか?〜
星乃マリア
異世界恋愛和風・中華
2024年10月29日
公開日
29,230文字
連載中
昔から皇帝に愛されていた縁結び神社の一人娘として生まれた八重桜紗和。異能にも恵まれ、幸せに暮らしていた。しかし、父親が再婚し継母と異母妹に虐げられるようになった。あるきっかけで、異母妹の琴葉と父親から暴力を受ける紗和。もうダメだと思った時、紗和の婚約者である華月千隼が八重桜家から紗和を助け出す。そのまま嫁ぐことになった紗和は、嫁ぎ先では知らない感情ばかり湧いてきて、戸惑うも幸せな結婚生活を送る。この幸せを信じて、旦那様の傍にいたいと願うようになったーー。

第1話 「運命」

 心の声が聞こえる。どこか優しくて柔らかな声。聞いていてとても心地よい。この声は、お父様でもなく、お母様でもない。誰か分からない人の声だけど。聞いていて、安心する。

『やっと見つけた、愛する人よ』

いつだったかそんな言葉が聞こえてきて。目を覚ました時には自分に“赤い糸”が見えていた。

 自分に幸せを願う権利なんてない。自分は幸せになってはいけない。

 そう思いながら毎日過ごしていた。家族からも愛されなくなり、大好きなお母様も亡くなった。この先の未来は真っ暗で何も見えなかったのに。どうして、貴方は私のことを見つけてくださったんですか?運命の赤い糸のその先にいたのは。私の政略結婚の相手であり、“冷酷無慈悲”と有名なあの御方でしたーー。


***


 ーーバシン!

 広い我が家のひとつの部屋に乾いた大きな音が響いた。その音と共に私の体は勢いよく転がり落ちる。 ジンジンと痛む頬を抑えながら何とか体を起こそうとするが、次はお腹に蹴りが入った。

「この出来損ないが!!」


 怒りに任せた蹴りがお腹に入り、私はたまらなくなって“うっ”と小さくうめき声をあげる。

 やめて!と叫びたかったけど、そんなことをしたら次はどんな暴力を振るわれるか分からない。そんな恐怖を感じながら、どうかこれ以上酷くなりませんように、と心の中で祈り、この嵐が過ぎ去るのをじっと待っていた。


「なんで大事なお客様の前であんな派手に転んだ!そのせいで笑われたでは無いか!恥をかかせるなとあれほど言ったのに、バカ娘!」


 などと暴言を吐きながら何度も何度も私の体に暴力が振るわれた。


 ……これはいつもの事。いつもの事なので、謝って大人しくしていればすぐ苦しみから解放される。


「申し訳ございません。申し訳、ございません……」


 思いのほか声が出なくて掠れた蚊の鳴くような声しか今の自分には出せなかった。それでもこの状況が少しでも良くなるならと何度も謝る。

 例え、それが“お父様”に届かない声だったとしても。


 「お前は琴葉の“引き立て役”なんだ!ちゃんと舞を成功させてこの家の役にたって見せろ!それがお前の使命だからな」


 言いながら興奮してきたのか、状況は良くなるどころか悪くなる一方だった。


 琴葉とは、私の異母妹のこと。実の母が幼い頃に亡くなり、お父様が再婚した相手との間にできた子供だった。琴葉は誰が見ても美人で可愛くて器量よし。異能にこそ恵まれなかったが、舞の才能はあり、八重桜神社の看板娘として活動していた。

 地味な容姿の私とは大違いで、お父様は琴葉のことを溺愛していた。そして私はいらない者として扱われ、この家の使用人として働いている。お義母さまも私のことを気に入らないのか物心着く前から嫌われていた。


 「……」


 「何とか言ったらどうだ。そうやって黙っていても分からないだろう!?ここまで育ててきてやったんだから、仕事くらいミスなくこなせ!」


 ードンッ!


 鈍い音が腹部に響く。何度も蹴られすぎて痛みは感じなくなった。感覚が無くなるほど、蹴られていたことにようやく気づく。頭の中が朦朧としてきて、意識が薄れていく。こんなふうに暴力を振るわれ、暴言を吐かれることには慣れていたけど。心は限界を迎えていた。

 何回……いや、何十回死にたいと思っただろう。この家から出ることも考えた。だけど、それは出来なかった。自分には縁談の話もないし、教養のない私はどこも雇って貰えない。

つまり、この家しか行くあてがないのだ。だから心が限界を迎えていてもこの家にすがるしか私には選択肢はなかった。


 「お父様ー?お客様がお呼びですよ。まだお姉様のお説教は終わらないのかしら?」


 どのくらいたっただろうか。この嵐が過ぎ去るのを小さくなりながら待っていると襖の向こうから琴葉の声が聞こえてくる。

 琴葉は、私がお父様に説教という名の暴力を振るわれていること知っているけど、止めようとはしなかった。この状況を楽しんでいる琴葉はこうなるように仕掛けたのだ。家族の誰にも逆らえない私は、琴葉の仕掛けにまんまと引っかかり、今この状況になっていた。


 「……今行く。今日はここまでだ。琴葉に感謝しろよ」


 「……は、い……」


 琴葉の声に怒りを沈めたのか、お父様は暴力を振るうことをやめ、静かにそう言ってこの部屋から出ていった。

 どんなことがあっても琴葉のことを1番に考えるお父様は、どういう状況でも機嫌の良い時の声で話、対応をする。余程琴葉に嫌われたくないのだろう。私はようやく暴力から解放され、あちこち痛む体を起こし、お父様に返事をした。

 お父様がこの部屋から出た後、力が尽きてしまいその場にドサッと倒れ込む。はぁ、はぁと荒い呼吸を何度も繰り返し酸素を体に取り入れようとする。


 「……みっともないわね。お姉様にはお似合いだけど」


 「こと、は……」


 荒い呼吸を繰り返していると琴葉が部屋に入ってくる。琴葉は床に倒れ込んでいる私を見るとニヤリ、と不敵な笑みを浮かべながら見下す。嫌味たっぷりにそう言うと、琴葉は軽く私に蹴りを入れた。


 「あんな大勢のお客様の前で転ぶお姉様がいけないのよ?お父様の怒らせることをしたからこうなったんだから」


 苦しむ私を見ながらほくそ笑む琴葉は、まるで悪魔のようだった。見た目はとても可愛くて天使のように美しいのに。私には、悪魔にしか見えなかった。


 「まぁ、お姉様は“治癒能力”が使えるからこの程度の怪我、すぐに治るわね。さっさと仕事に戻りなさい」


 何も言わない私につまらなくなったのか琴葉はそう言うと部屋から出て行った。上手く力が入らなくて部屋からなかなか出られない。ぼーっとしながら、襖を見つめていた。


***


 私、八重桜紗和(やえざくらさわ)は今年で19になる八重桜家の長女。家は八重桜神社と言って、昔から縁結びとして有名な神社だった。異能を使える家系で、昔から国から重宝される家。この家に産まれたものはだいたいが政略結婚で受け継いできた。


 お父様もこの政略結婚をさせられ、私が産まれた。当時お父様には惹かれていた女性がいたが家のしきたりに逆らうことができず、私のお母様と結婚した。そんな愛のない夫婦に見えたが私が産まれた頃は確かに愛が見えていた。お母様は他の異能の使える家系に産まれ、その力は莫大だったと聞かされていた。


 お父様は、『縁結び』『治癒能力』『予知夢』の3つの異能を受け継ぎ、有能な軍事として若い頃は仕事をしていたらしい。結婚を機に軍事の仕事を辞め、実家の神社を受け継いだ。私は、そんな2人の異能を半分ずつ受け継いだ。

 私が使える異能は『治癒能力』『読心能力』『縁結び』。主に縁結びの異能が一番力が強くこの異能を活かした神社の巫女として今は家で働いていた。お母様がいた頃はこの異能が芽生えたこともあり、私は確かにお父様に愛されていた。私のことを可愛がり、溺愛してくれていた。お母様も幸せそうに笑う。そんな幸せな家庭にいつの間にかなっていた。


 ……だけど。元々病弱だったお母様の容態が急変し私が3歳だった頃、この世を去った。物心着く前だったけどお母様を失って、悲しいという気持ちが押し寄せて当時はずっと泣いていた。お父様もしばらくは私の面倒を見てくれたりお母様のお墓にお参りしたりしていた。悲しくて仕方なかったけどお父様が愛してくれる。その事実があったからこそ私はお母様の“死”から立ち直ることができたんだと思う。幼いながらにそこまで考えていた。だけどお母様の死から数年たったある日。お父様が再婚相手のお義母さまを家に連れてきた。


 『紗和。これからこの人がお母さんになる人だ。仲良くしなさい』


 知らない人を見て戸惑う私にお父様がそう言ったのを覚えている。私は人見知りという性格もあってなかなかその女の人には懐けなかった。

 そうこうしている間にお父様とお義母さまに琴葉が生まれ、その時から私の人生が狂いだしたのだ。


 お父様は琴葉を溺愛し家の事を私に押し付けるようになり、元々苦手だったお義母さまからも避けられたり暴言を吐かれたりするようになった。愛する妻との子供の琴葉の方が余程可愛いと思っているのかいつしかお父様は私のことを後回しするようになる。そこから、私はこの家の使用人として働くことになった。


 幼い頃はまだこの状況を上手く理解出来ずただ働いていた。まだ、2人のことを信じて、“愛されている”と思い込もうとしていたから生きることができた。

 しかし、琴葉が大きくなるに連れて自分も成長し、立場がわかるようになると。いつの間にか生きる希望を失い、この家の繁盛のために利用されているんだとわかってしまった。2人からの愛はもう受けることが出来ない。琴葉からも嫌われ、避けられる。私の居場所は完全に失っていた。ただ奴隷のように働き、家族に尽くすだけ。私は、いったいなんのために生きているのだろう。

もう死にたい……何度もそう思った。でも死ぬ勇気もない私は、ただ息をして家族の思い通りに動いているだけだった。


 私の命は……いつ、尽きるのだろう。


***


 ある日のお昼時。


 昼食が終わり、食器の片付けをして庭の掃除をしていた。今は桜の季節で暖かな日差しがたっぷりと注がれる。空も晴れ渡り、天気がとても良い日だった。


 毎年この時期は庭にある大きな桜の木が満開に咲き誇り、花びらなどが庭に落ちている。その掃除をしないと、見栄えが悪いからとお父様に言われ、掃除をしていた。

 風がそよそよと吹き、私の傷んだ髪を揺らす。とても心地よい天気で落ち着くけど、私の体はあちこち痛かった。


 「……はぁ」


 痛む体を抑えながら思わずため息を漏らす。琴葉は私に治癒能力があるから大丈夫と言っていた。だけど、それは他の人になら使える異能の力で自分には効かない。自分で自分のことを治そうとするとかなりの力を消耗し、さらに体力が無くなってしまう。 


 お父様もこの治癒能力を持っているが“治してください”なんて言えるはずもなく、治りが遅いまま日々がすぎていく。下手に体力を消耗して家事や仕事が出来ないとなる方が私にとっては恐ろしいと思っていた。家事と仕事ができなければ家族から殺されると思うほど、私にとっては恐ろしいもの。自分はどうなってもいいから、とにかくこれ以上酷くならないように……と祈るばかりだった。


 「これでよし」


 痛む体を抑えながら何とか庭の仕事を終え、次の仕事に切り替える。庭仕事のあとは神社周りの掃除。   その後は……なんてやることを頭の中で整理していると、廊下を歩く琴葉が見えた。ドキッとした私は、琴葉に見つからないようにそっと存在感を消し、神社の方に回ろうとした。


 「あら、お姉様。怪我の具合はいかが?元気なら仕事を頼みたいのだけど」


 そんな努力も虚しく、あっさりと琴葉に見つかってしまった。私を見るとニヤリと笑う。正直無視して仕事をしたかったけど逆らうことの出来ない私は頭を下げた。


 「なんの御用でしょうか」


 「今日街に出かけるから、後で髪のセットを頼むわ。それと町外れにある郵便局に手紙を出してきて」


 淡々と用事を伝える琴葉はどこか楽しそうだ。今日は何も予定無かったはずだけど……女学校の友達と遊びに行くのかしら。用事を聴きながら少し機嫌の良い琴葉にほっと胸を撫で下ろす。町外れにある郵便局に行くのは億劫だけどこれで機嫌が良くならどこへだって行く。


 「かしこまりました」


  私は琴葉から手紙を受け取る。


 「じゃあお願いね」


 そんな私を見て満足したのか回れ右をして自分の部屋に向かう。用事を言われただけで、他には何も無かったことに安心した。琴葉だけは怒らせないようにしないと。そう思いながら私は髪のセットをしに琴葉の部屋に向かう。

 琴葉を怒らせたらお父様から何をされるか分からない。お義母さまにも言いつけられ、2人から暴言と暴力を受けることになるだろう。だから、琴葉の用事はなるべく優先して、思い通りになるようにと動いていた。


 「お父様。郵便局に用事がありますので行って参ります。すぐに戻ります」


 「……」


 琴葉の髪のセットを終わらせ、次の用事である郵便局へ行く為にお父様に一言声をかけた。書斎で書き物をしているせいか、私が話しかけても無視。何も返事はないけどこうして一言声をかけなければ後で何があるか分からない。数分襖の外で返事を待っていたが何も無かったので立ち去ろうとした。その時、お父様が書き物を終えた紙を封筒に入れ、私に差し出す。


 「これも郵便局へ持っていけ。今日までのものだから、忘れるなよ」


 「は、はい。かしこまりました」


 押し付けるように封筒を私に渡すと、そのまま部屋に戻りまた書き物を始めた。お父様と話したことに心臓が跳ね上がるほど緊張した。だけど、お父様はいつも通りで私の目なんか見ないで用事を押し付けた。いつも通りの事なんだけど、なんだか今日は妙に胸の奥が騒がしい。何か分からないけど、なんか起こりそうな予感がする。


 それがいいことか悪いことかはまだ分からない。自分には『予知能力』がないから未来のことは見えないけど、たまにこんなふうに漠然とした不安や予感が来ることはあった。それはきっとお父様が『予知夢』の異能を持っているからだろう。自分の中ではこういう不安はあまり当たったことがないが、変に胸騒ぎがしていた。

 そんな事を考えながら、私はお母様の形見である桜色の巾着に少しばかりの小銭と封筒を入れた。


 小銭は昔お父様に貰ったお小遣いをそのまま取っておいたもの。成長してからはもうお小遣いは貰ったことがない。だからこの小銭は使わないで大事に取っていた。


 「……よし」


 忘れ物がないか確認した後、私は巾着を握りしめながら外へ出た。相変わらず天気が良く、少しばかり気持ちが晴れる。早く用事を済まそうと急ぎ足で郵便局へ向かった。小さい頃から郵便局へは何度も行っているので慣れたもの。だけど、町外れにあるせいかそこは治安が悪くてひったくりやあまり良くない人がうじゃうじゃいる。だから私は用事をできるだけ早く済ませて、さっさと家に帰ることが多かった。今日もそのつもりで郵便局へ向かい、何事もありませんようにと祈りながら道を歩く。


 『あいつにしよう』


 もうすぐ郵便局に着く……というところで、ふと頭の中に“声”が流れ込んできた。最後の角を曲がり、郵便局が見えた時、嫌な雰囲気と共に恐ろしい男の声が聞こえた。


 ハッとして後ろを振り向くが誰もいない。勘違いだったのか?と思いながら前を向いたその瞬間。


 「きゃあ!!」


 後ろから思い切り突き飛ばされ、持っていた巾着が奪われてしまった。一瞬何が起こったか分からず、パニックになる私。倒れ込んだ私は痛む体をゆっくりと起こしながら、巾着を盗んだ人を目で追いかける。


 ……間違いない。


 頭の中に流れ込んだ声の主が盗んだんだ。確信した私は、目で追っていた男を捕まえようとする。だけどこの前の傷もあり体が思うように動かない。あの巾着にはお父様と琴葉に預かった手紙が入っているのに……絶対に無くす訳にはいかなかった。


 こんな時でも頭の中は冷静で、自分のことよりも家族の用事のことを考えていた。夕方ということもあり、周りに人はいない。自分でどうにかするしか無さそうだと判断した私は力を振り絞って起き上がる。なんで私の巾着が狙われたのか分からないけど、2人から預かった封筒は取り戻さないと、後で何をされるか分からない。未来の恐怖が勝ってしまい、自分の体の状況を忘れて男を何とか追いかけようとする。


 ……しかし。


 「いた……」


 あちこち痛む体ではどうすることも出来ないらしい。一歩足を踏み出しただけなのにそれと同時に全身に鋭く痛みが走る。今動かないといけないのに、思うように動かない。やっと起きることができたのにまた膝から崩れ落ちるようにその場に座り込む。どうしよう、どうしよう……。

 途端に頭の中はその言葉でいっぱいになる。動かない体ではどうすることもできず、その場にうずくまっていると。


 「大丈夫ですか?」


 横から別の男の人の声が聞こえて、顔をあげる。するとそこにはこの世のものとは思えないほど美しい顔立ちをした男が立っていた。

 艶のある長めの黒髪、細長い目、きめ細かい肌。その場に立っているだけなのにそこだけ雰囲気がガラッと変わり、圧倒されてしまう。


 思わぬ人物に息を呑んだ。あまりに突然の出来事すぎて、頭の中が混乱する。男の人に声をかけられたのは初めてで。思わず見つめてしまう。そんな彼は私に手を差し伸べながら、尋ねてきた。


 「何かお困りでしょうか?良ければお手伝いします」


 とても丁寧な言葉遣いで、そう聞いてきた。その言葉を聞いて意識を取り戻した私は、戸惑いながらも手を取る。


 「お、お見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ございません。じ、実は先程見知らぬ男に巾着をひったくられまして……」


 この人になら頼っても大丈夫かもしれない。出会って間もない彼に恐る恐る事情を話した。家族ですら信用出来ないのに、こんなことを出会って数秘の人に話してしまうなんて。

 私、どうしちゃったんだろう……。いつもは警戒心でほとんど家族以外には話さない私。だけどこの時ばかりは何故か安心しきって、話してしまった。


 「わかりました。では、ここで少しお待ちください。“必ず貴方の巾着を取り戻します”」


 私の話を聞いて、状況を理解した彼は私の手を取りながらそう言った。盗んだ男の情報をまだ伝えていないのにそう言い切った彼に不思議に思う。だけど、私は言われた通りにその場で大人しく待った。


 そんな私を見た後、彼は目を瞑るとぱんっ!と勢いよく手を叩いた。すると、何かを念じるように眉間にシワがよる。私は何が起こっているのか分からず、ただ行く末を見守っていた。しばらくすると彼の手の中に光が集まる。それは段々と膨らみ、見覚えのある巾着が中にはあった。


 「貴方の巾着はこれですか?」


 「は、はい。そうです!」


 どうしてそこに巾着があるのか分からないが間違いなくそれはさっき盗まれたばかりの私の巾着だった。


 「良かった。どうぞ」


 私が頷くと、巾着を渡してくれた。渡された巾着の中身を見て、茶色い封筒が2つあることを確認する。


 ……良かった……。


 その封筒を見て私は心の底から安心して、全身の力が抜けていくのを感じた。


 「困った時は人に頼るのも悪くないですよ」


 そんな私を見て少しだけ彼が口角をあげた。笑ったのか?と思い顔を見るが表情は変わらず、美しい顔があるのみだった。


 「はい。本当にありがとうございます。助かりました。何かお礼を……」


 「お礼は結構です。私の意思で貴方を助けたかっただけなので。それと、手紙を2つ、受け取っても良いですか?」


 「……え?」


 何かお礼をと思ったのだが、それはキッパリ断られてしまう。その変わりにと言わんばかりに巾着の中にある封筒を欲してきた。


 「その封筒、実は私宛てみたいだったので、直接受け取ります。大事なものを守ろうとしてくれて、ありがとうございました」


 「あ、ちょっ……!ひゃ!」


 封筒を握りしめると、彼はそう言って封筒を私から取る。あ、と思った時にはもう遅くて、気づいた時には彼はいなかった。

 強い風が一瞬だけ吹き荒れ、それが止んだ頃にはもう跡形もなく消え去っていた。取り残された私は、どうすることもできず、ただ立ち尽くすだけだった。


 『やっと見つけた、愛する人よ』


ぼーっとしていると、また頭の中に声が流れ込む。先程まで聞いていた声と全く同じで、彼がいないかと辺りを見渡す。……やっぱりいない。いったいあの方はどういうお方だろうか。盗まれた巾着を一瞬で取り戻し、私の封筒を持ち去って。更には何故か私の頭の中に声を流し込むなんて。読心能力がある私は、近くにいる人の心の声を無意識に読んでしまう時がある。だけどその場にいないのに私の頭の中に声が流れ込むなんて初めてだった。しかも“愛する人”?それはいったいどういうことだろうか。私にたくさんの疑問と不思議な体験を残してその日は終わった。家に帰って、封筒のことが気になったけど、しばらく経ってもお父様と琴葉からは何も言われない。そのことにほっとしつつ、少しの間彼のことを忘れて日々を過ごしていた。


***


 ……ここは、どこ?


 何も見えない暗闇の中で私は辺りを見渡す。だけどやっぱり周りには何も無くてただ真っ暗な空間が目の前に広がるだけだった。

 なんでこんな所にいるのか分からない。自分の部屋にいたはずなのにいつの間にかこんな暗闇にひとりでいた。助けを求めようと声を出そうとするが口が動かない。口だけじゃなくて体も動かない。視線だけ動かすことができる不思議な空間は、とても怖かった。周りに誰もいない、自分しかいないこの空間はまるで自分の世界を見ているようで、孤独を感じる。


 ……誰か、誰かいないの?


 心の中で必死にそう訴える。だけどやっぱり誰も居なくて。早くこの空間から抜け出したい。そんなふうに思い始めた時。

『やっと見つけた、愛する人よ』


 どこかで聞き覚えのあるような、優しい声が頭の中に流れ込む。


 その声に反応して後ろを振り向く。誰かいるの……?


 辺りを必死で見渡しているとまた、どこからか声が聞こえてきた。今度は、頭の中じゃなくてはっきりと自分の耳で声を聞きとった。


 「もう少しで迎えに行くよ」


 誰かいるわけでもないのに、声だけ聞こえて。恐怖を感じたけど、不思議と心の中では安心していた。その言葉は本当のことを言っているように聞こえて、安心する。誰が誰を迎えに行くのだろう。もしかして……なんて頭の中では冷静に考えていた。その声の主に触れたくてそっと手を伸ばそうとする。

待って……私を置いていかないで。


 そう思いながら次の瞬間、強い光に包まれ、気づいた時には自分の部屋にいた。


 「……夢?」


 私は、自分の部屋で寝落ちしてしまったらしく、机の上に突っ伏していた。不思議な夢にしばらく気持ちの整理が追いつかなくて。

 ハッとして窓の外を見ると、まだ日差しが出ていて、日中だということに気づく。こんな昼間から寝落ちしたのはいつぶりだろう。最近は仕事ばかりで日中は休む暇もなかったのに。心做しか体も軽くて、とても気分は良かった。


 私は体を起こし窓を開ける。すると優しい風が部屋の中に入り、とても暖かかった。深呼吸をして、新鮮な空気を体の中に取り入れる。


 「気持ちいい……あの夢はなんだったのかしら……」


 心地よい風を感じながらふと夢のことを思い出す。あんなはっきりとした夢を見たのは初めてだった。いつもなら夜寝ていてもあまり夢は見ない。

 ましてや昼寝程度の寝落ちなら尚更。あの声が、優しい声が夢から覚めても頭の中から離れなくて。何か起こりそうな予感がした。


 「おい、紗和。仕事の時間だ。いつまでのんびりしている。さっさと準備しろ」



「は、はい。今行きます!」


 部屋でぼーっと外を見ていたらお父様が急に現れて、私にそう言った。いつの間にお父様がいらっしゃったのかしら。私は慌てて頭を下げてから仕事の準備に取り掛かる。そういえば今日は午後から仕事の依頼が入っていたっけ。最近はあまり神社の依頼がないもんだからそのことをすっかり忘れていた。


 お父様に呼ばれて、まだ準備していないことをまた何か言われてしまうかも……と身構えたけどそんなことはなく私の部屋からすぐに去っていった。そんなお父様に驚きつつも、私は仕事のために白い巫女の衣装に着替え、髪を一つにまとめる。私は、深呼吸をしてから小物を持って部屋を出た。


 神社の方へ向かい、入口の所まで行くと既にお客様が中に入っている。琴葉も準備を終えていたみたいで、私を見るなりため息をつかれてしまった。

「遅いわ。今まで何をしていたのかしら。今日は午後から仕事の依頼があることわかっていたはずよね?」


 「も、申し訳ございません」


 「全く。異能が使えるからって最近緩みすぎじゃなくて?お姉様が遅くて、お母様はお怒りの様子よ?」


 ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべながら嫌味たっぷりにそう言い放つ琴葉。すぐに謝るけど、今日はあまり機嫌が良くないみたいで、許してくれそうには無かった。先程まで穏やかに過ごせていたのに、琴葉に会うだけで緊張してしまう。


 これから舞を踊らなきゃいけないのに、仕事に集中できるかしら……。


 いや、仕事に集中しなくてはいけない。もし、また失敗してしまったら今度こそお父様に殺されてしまうかもしれない。そこまでいかないとしてもこの家から追い出されたり……。


 「ま、せいぜい私の引き立て役として頑張んなさい。間違っても“お姉様が異能者”だということは言わないように。この八重桜神社の名が落ちてしまうから」


 「……は、い。わかっています」


 何も言わない私に、言葉でまくし立てる琴葉はまるで悪魔のようだった。見た目は美人でおしとやかで、白い巫女の衣装もよく似合っていて可愛らしいのに。その姿からは想像もできないほど圧をかける雰囲気を醸し出していた。


 「それでは、八重桜神社の伝統の舞をお楽しみください。皆様に良いご縁がありますように」


 入り口近くで琴葉にまくし立てられていると、中からお義母さまの声が聞こえた。その声が合図となり琴葉は黙り、中に入っていく。私は琴葉の後に続いた。


 中に入ると目の前にはお客様が座っている。久しぶりのこの光景に余計緊張が走り、心臓はドキドキしっぱなしだった。そんな私をよそに琴葉は自分の持ち場に立ち、冷静に前を見ている。そんな琴葉を見ながら私も持ち場にたった。


 「……美人やなぁ。ほれ、左の子。巫女の衣装もよぉ似合っとるわ」


 「そうですね。ここの噂は正直疑ってましたけど、この娘がやるならなんか信じられます」


 手前に座っている若者二人が何やらひそひそと話している。小さな声だが、私の目の前に座っているため内容がもろに聞こえてしまった。だけどそれはいつも言われていることとほとんど一緒。


 なので今更別に傷ついたりはしない。私も隣にいるけどまるで存在していないような、そんな扱いだった。ため息が出そうになるのを何とかこらえ、手に持っていた扇子を広げる。

 そして、一歩足を踏み出し、鈴の音とともに二人で舞い上がる。静かになった神社に響くのは鈴の音、風の音。


 とても綺麗に澄んだ空気をまといながら、私と琴葉は踊り続ける。


 八重桜神社の仕事は、私の異能を活かし、伝統の舞を踊りみんなの縁を結ぶことだった。昔から縁結び神社として有名だが、それは私の家系に受け継がれし『縁結び』の異能があり、多くの実績を残してきた。

 一番大きな仕事だとこの国の皇太子様の縁結びを依頼され、見事大成功に収めたこと。それにより噂が流れ、八重桜神社は縁結びとして有名になった。ただ、最近はそんな仕事が来ることなく、過ごしていた。たまに来る仕事といえばお見合い結婚の相手の見極め、一般の人の縁結びが多い。


 神社に来てもらい、私と琴葉が舞を踊る。琴葉は異能がほとんど使えないので、縁結びの見極めとかは私の仕事。ただ、琴葉に家を継いでもらいたい両親は私が異能を使えて、それで仕事をしているということは口止めされていた。


 そのため、私は常に地味な見た目、格好をし琴葉の“引き立て役”になるように言われている。琴葉が家を継いでも異能はないので、仕事がどうなるか分からない。そのことを知っている両親は琴葉に婿養子を欲しがっていることがわかった。私は、異能を使えるので他の家と政略結婚をしろと昔からお父様に言われてきた。


 ーシャン、シャン、シャン……。


 静かな空間に響く鈴の音はとても綺麗だった。私は集中力を高め、異能を発揮するためにお客様の指と心の声を読む。


 異能が発揮している間は、左手の小指から赤い糸が見え、それと同時に将来の相手の顔が浮かぶ。心の声ではどんな人が望ましいとか候補があれば相性が良い人を導き出す。それが私の仕事だった。たった数分で他人の運命の人を見極めるのだから、ものすごく集中する。舞を踊りながらなので余計に体に負担がかかる。でも、私は踊りきってこの家のために働かなければいけない。


 ……それが私の運命だから。


「……以上が、ことの詳細になります。本日は八重桜神社にお越しいただきありがとうございました。皆様に良いご縁があることを心からお祈りいたします」


 お客様に詳細を話した琴葉はにこやかに笑いながらそう言った。隣ではお義母さまも笑っている。


 「いやー、助かりました。これで将来は安泰です」


 儀式が終わると、お客様は笑顔でそう話し帰っていく。私は舞台袖で正座しながらその様子を伺っていた。何とか無事に踊り切り、詳細を2人に話した。私は舞を踊る時以外は表に姿を表さないようにしていた。


 なのでお客様と会話することはほとんどなく、報告はお義母さまか琴葉がする役割になっていた。大変な仕事だけどこうしてお客様の笑顔を見ていると疲れが吹き飛ぶ。この仕事をしていて唯一良かったと思える瞬間だ。


 「紗和。この後家族で街に出かけるから、家の事頼んだわ。夕飯はいらないから、お留守番よろしく」


 最後のお客様が外に出ると、それを見計らってお義母さまが私に言った。仕事が終わり、ほっとしているところだったので驚いて顔を上げた。


 「か、かしこまりました」


 「お母様。着物に着替えたいから少し手伝ってもらえるかしら」


 驚いたため、ほとんど無意識で答えてしまった。お義母さまに返事をしたあと琴葉が間に割り込んでくる。琴葉と話をしながら、2人はこの神社から出ていった。


“家族で街に出かけるから”。


 二人がでて行った後、不意にその言葉を考える。きっと私以外の3人で夕ご飯でも食べに出かけるのだろう。私も、一応家族なのにお義母さまからきっぱりと外されてしまった。こういうことは今まで何度かあったけど、今日の私は心に余裕が無かった。昼間から色んなことがありすぎて疲れていた。普段ならあまり考えないことを考えてしまう。


 家族のこと、仕事のこと、夢のこと。


 今の私にはいったい何があるのだろう。ただ毎日家のため、神社のために働いて、家族に逆らわないように生きて。もう、分からなくなってしまった。訳の分からない感情が溢れ出し、気づいたら涙が流れ落ちていた。普段滅多に泣かないから、泣いていることに驚いた。


 「……ふ、ヒック……」


 拭っても拭っても涙は止まらなくて、誰もいない空間に私の嗚咽が響く。ここまで心が限界だったなんて。自分の感情を今更理解して思い知った。心が限界を迎えていたとしても、私には行くあてがない。


 この家を出ようとしても路頭に迷うのが目に見えてわかっている。だからいつまでたってもこの家にすがっていた。頭の中ではもうこれ以上ここにはいられないとわかっているのに。自分の意思を持たず、今まで流れに身を任せて生きてきた。


 「誰か、助けて……」


 心が壊れる音が聞こえて、ほとんど無意識に呟いた。つぶやいたところで誰も私のことを必要としてくれないし、愛してくれる人なんていないのはわかっている。わかっているけど、今何故か無性にその相手を求めてしまっていた。涙が止まらず、しばらくひとりで泣いていると、いつの間にか日は傾き、風がサワサワと吹いていた。悲しいという感情をとうの昔に忘れていたと思ったのに。人の心って、なんて残酷なんだろう。


 『その言葉、ちゃんと届いた。もう少ししたら、迎えに行くと約束する。だから……待っていてくれ』


 泣き疲れて意識がぼんやりしてきた頃。不意に頭の中に聞き覚えのある優しい声が流れ込んできた。私ははっとして辺りを見渡すが誰かいる訳でもない。


 ……また、だ。


 この声の主はいったい誰なの?


 未だこの声の正体が分からなくて、頭の中が混乱する。だけど、この人の声で聞こえる言葉は信用出来ると思えていた。

 この前も“愛する人”なんて聞こえてきて、その当時は戸惑ったけど、今となっては心の中に深く残っている言葉のひとつ。

そして、今聞こえた言葉も……なんだか、信じられる気がした。誰が迎えに来るか分からないけど。信じて待てるような、そんな気持ちにさせてくれた。こんな私を迎えに行くと言ってくれているのだ。少しくらい、希望を持ってもいい……よね。

 『縁結び』の異能は、自分の未来のこともふとした瞬間にわかることがあるらしい。夢もあの時の出会いも、今の声も。きっと未来の私の運命の人を導いてくれる。そんなふうに思えた。さっきまで不安で悲しくて涙が止まらなかったけど、その声が聞こえた瞬間、涙は止まった。そして悲しい、不安だという感情も少しづつ薄れていく。

 不思議な感覚になったけど、私はまだまだ大丈夫。そう思えるようになった。気持ちが落ち着き、仕事を再開させようと立ち上がった時。左手の小指に何か小さな違和感を覚え、手を上げて見た。


 「……あら、これは……どういうことかしら……」


 自分の小指を見て驚いた。


 だってそこには……“赤い糸”が見えていたから。赤い糸は自分の小指にしっかりと巻き付けられていて、色濃く見えた。

 ここまで色濃く見えた赤い糸は初めてかもしれない。そんな綺麗で輝く赤い糸が自分の小指に見えるなんて……。

不思議に思いながらじっと赤い糸の行先を見つめる。だけど、少ししたところで赤い糸は途切れていて、しばらくするとだんだん薄くなりながら消えていった。私の運命の人を知るチャンスだったのに、結局なにも分からなかった。


 なんで今現れたのか分からないけど……もしかしたら私の頭の中に流れ込む声の主が……と考えたところで首を横に振る。もしそうだとしても、今の私にはあまり関係のない話。


 運命の人がわかったところで、あのお父様が快く私を手放すとは考えにくい。今、八重桜神社は不景気真っ只中。大きな仕事が舞い込み、それを成功させて名誉を回復させるまでは私が働かなけばいけない。


 もしくは、琴葉に良い縁談が来れば私は用済みになって自由に決断出来るかもしれない。それがなければ、私は今まで通りの生活を送ることになるだろう。


 「迎えに来るのはいいけど、家のことをまず何とかしないとね」


 ……なんて冗談っぽく笑って言ってみた。


 誰もいない空間に私の冗談が虚しく響いた。気合いを入れ直す。みんなが帰ってくる前に家の仕事を終わらせなくちゃ。そう思いながら私は神社を戸締りしてから後にする。自分の部屋に戻り、白い巫女の衣装からいつもの着物へと着替え、残りの仕事に取り掛かった。


 ***


 「お姉様!いい加減にしてちょうだい!なんで私のくしを壊したの!」


 ある日の朝。


 私はいつものように琴葉の髪の毛をセットしに部屋に行き、髪をとかしていた。すると、軽く髪をとかしただけなのに、なぜか琴葉の大切にしているくしが真っ二つに割れてしまった。


 パキッという音が部屋に響いた瞬間、琴葉の顔がみるみる青ざめていく。そして、怒りの声が部屋に響いた。何が起こったのかよく分からないまま琴葉に怒られ、私は土下座する。


 「も、申し訳ございません。申し訳ございません!」


 そんな私に怒りは収まることなく、怒鳴り続ける琴葉。冷静に誤っているように見えるけど内心焦りっぱなしで、どうしよう、どうしよう……となにも考えることが出来なかった。


 「いったいどうしてくれるの!このくしはお父様から買ってもらった大事なものなのに!こんなことしてただじゃ済ませないから!」


 真っ二つに折れたくしを私から奪い取ると、叫びながら私の体に蹴りを入れた。


 どすっという鈍い音が響き、土下座していた私は呆気なくその場に倒れ込む。久しぶりのこの感覚に理解が追いつかなくて、最初は何をされているのか分からなかった。


 だけど、蹴られる度に痛みが走るとようやく私は琴葉に暴力を振るわれているんだということに気づく。自分の体を守るように無意識に小さく丸め、なるべく抵抗しないように……と思いながら、琴葉を見上げた。


 「申し訳ございません。申し訳……うっ……」


 「謝って許される訳じゃないんだから!お父様に言いつけてやる!」


 「そ、それだけはおやめください……!」


 必死に謝るけど、琴葉には私の言葉なんてなにも届かない。何度も何度も私の体に蹴りを入れ、私の一番恐れていることを言い出した。


 思わず“やめてください”と言ってしまったけど、それは意味が無いと思い知らされた。琴葉からお父様に言いつけられたら今度こそ何をされるか分からない。琴葉と同じように暴力を振るうかもしれないし、家を追い出されたり、最悪の場合殺されてしまうかもしれない……。


 そのことを考えただけでゾッと背筋が凍る。お義母さまや琴葉から何をされても構わない。だけどお父様だけは……。恐怖で心の中がいっぱいになり、頭の中がぐちゃぐちゃになる。


 「やめてください、なんて生意気なことを言うんじゃないよ!そんなことを言う元気があるならお父様にお仕置をしてもらいます!」


 ……正直、ここまで怒った琴葉を見たのは初めてかもしれない。


 今までは怒っても暴力を振るったりはしなかった。


   余程大切なくしだったのだろうか……それとも最近何か気に食わないことでもあったのか……?


 と殴られながら頭の中では冷静に別のことを考えていた。そんな私を置いて、琴葉はお父様を呼びに部屋から出ていく。


 ……ああ、私の人生終わったな……。


 無意識にそんなことを思ってしまった。


 “迎えに行く”と言ってくれた頭の中で聞こえた声の主が現れるまでは頑張ろうと決めていたのに。私は、もうどうでも良くなった。

 自分にできることをして、見えない運命のことを信じて待っていたけど。私の人生はそう上手くいかない。理不尽なことで怒られ、謝っても許されない。


 私の体がボロボロになるまで殴り続ける。


 こんな惨めな人生を送るくらいなら、死んだ方が良かったのかな……。

 頭が回らなくて負の考えでいっぱいになる。自分ではもうどうすることもできず、ただ琴葉が帰ってくるまでぼんやりしていた。ふと視界に真っ二つに折れたくしが目に入る。


 昨日までは何ともなかったのに、本当に急にどうして割れてしまったのだろう。琴葉の髪が硬いわけでも、力を入れすぎた訳でもない。


 ……もしかして、また琴葉に嵌められた……?


 「おい!どういうことだ!お前、なんで琴葉の大切なものを壊した!」


 ぼんやり考えながら、くしを見ていたら、お父様が勢いよく部屋に入ってくる。私の心配なんて一切することなく、胸ぐらをつかみ、無理やり起こそうとした。力が入らず抵抗することもできない私はされるがまま。


 「ごめんなさい。お父様。お父様から買ってもらった大事なくしだったのに……」


 お父様の後ろにいた琴葉が泣きそうな声で謝る。先程まで泣きそうな様子や悲しそうな雰囲気はなかったのに。


 ……おそらく琴葉の演技だろう。


 私がもっと孤独になるように、もっと酷いお仕置を受けるようにと誘導するための、演技。私は、琴葉にこんなにも嫌われていた子か。


 「琴葉が謝ることは無い。全部紗和が悪い。人の大切なものを壊して……。琴葉には迷惑をかけるなとあれほど言ったのに忘れたのか!」


 琴葉には優しい声で話すのに。私のことになると心から憎しみを込めた声に変わる。自分で言っていて、また怒りが湧いたのか私のことを床に離すと、どこから持ってきたのか分からない木刀を私目掛けてめいいっぱい振り下ろす。


 ードス!ドス!


 足で蹴られる感覚とは違って、木刀が体の中に入り込み、奥にまで痛みが走る。木刀で殴られるのは初めてだった。


 「……い、た……や、めてください……」


 これ以上耐えきれない、と心の中で悟った私は、たまらず声を上げる。だけどそれはお父様に届くはずもなく、殴られ続けた。顔だけは守らなければ……と無意識に顔は手で多いながら守る。


 「辞めてと言える立場では無いことまだ理解していないようだな」


 「お姉様はまだ反省が足りないようね」


興奮している2人には私の声なんて届かない。このままじっとしていたら本当に殺されてしまう。私は本気でそう思ってしまった。たった小さなくしひとつが壊れただけでこんな扱いを受けるんだもの。本当に私の事なんてどうでもいいんだなとぼんやりと思った。


 「お父様。このまま神社の倉庫に閉じ込めてしまいましょうよ。今日は特に依頼とか来ていないんでしょう?」


 顔を守りながら、嵐が過ぎるのを待っていると突然琴葉が言い出した。まるで名案を思いついたかのようなわくわくした表情でお父様に言っている。


 「……それもそうだな。依頼が来なければお前の存在価値などない。今日はなにも予定がなくて良かったな」


 琴葉の言葉に頷くお父様。


 その会話を聞いて自分の顔が青ざめていくのがわかった。何せこの神社の倉庫は狭くて暗くて年中寒い。小さい頃から近寄ったことはないし、お母様から行くなとまで言われていた場所。

 さらに噂では幽霊や昔人間に殺された妖がでると言われていた。そんな怖い場所に閉じ込められる?暗くて狭い場所が苦手な私にとっては地獄でしかない。


 「お、お父様。それはや、辞めてください。どうか、倉庫だけは……」


 「うるさい!お前に拒否権はないわ!神社の倉庫で頭でも冷やしておけ!……反省するまで出てくるな!」


 琴葉のことになると制御が効かなくなるお父様。怒りに身を任せ、私を人殴りした後無理やり体を起こさせ、引っ張りあげる。


 「さぁ、お姉様。楽しい場所へ行きましょう。いったいどんなことが待っているのかしら?」


 お父様が自分の思い通りに動き、明らかに楽しんでいる琴葉。もうどうしようもない自体に私の心はすっかり折れてしまった。


 もう……なにもかもどうでもいい。自分の命などあってないようなもの。こんなことになるなら自ら命をたってしまえば良かった。早く……お母様の所へ行けば良かった。


 「行くぞ。外に声が漏れぬように口を閉じておけ」


 「……」


 なにもかもどうでも良くなった私は抵抗をやめ、口を固くとざす。私を引っ張り、琴葉の部屋を出ようとする。前にはお父様、後ろには琴葉。もう逃げ場はない。


 ……私、いったいどうなってしまうのだろう。


 不幸中の幸いというべきか、ここには何故かお義母さまがいなかった。ここでお義母さまも揃ってしまえばもっと大変なことになっていたかもしれない。


 なんて考えながら、流れに身を任せて廊下を進む。


 ードタドタ……。


 「お待ちください。ご主人に確認を取ってからと仰っているじゃないですか!勝手にあがられては困ります!」


 少し廊下を歩いたところで奥の方から複数人の足音とお義母さまの焦る声が聞こえた。その声を聞いて、お父様と琴葉は歩く足を止めた。


 「何かしら?」


 「さぁな。それよりも足音がこっちに向かってないか?」


 二人で顔を見合せながらつぶやく。ようやくこちらに人が向かっているのに気づいたのか、一気に顔が青ざめる2人。


 「おい、治癒能力で怪我を治せ!こんなところ他人に見られたら……というか、華子はなんで他人を家に入れている!私は少し見てくるから、こいつを見張ってろ」


 「わかったわ」


 他人にこんなところを見られたくないのは当たり前。お父様は状況を理解すると私に無理難題を言いつけ、琴葉に押し付ける。お義母さまの元へ行こうと急ぎ足で廊下の奥へと消えていく。


 その様子を見ながら、琴葉ははぁ、と深いため息をこぼした。


 「……とんでもない邪魔が入ったわね。お姉様、他の人に見つかる前にさっさと自分の怪我を治したらどう?私たちに恥をかかせないでちょうだい」


 「……」


 こんな時でも琴葉は自分の事ばかり考えている。お父様は世間の目を気にして、私たちを置いていった。


 確かに私は治癒能力を持っているけどそれで自分の怪我を治すのはほぼ不可能。小さな傷を治すだけでもかなりの体力を消耗するのに、こんなに怪我が酷くてはほとんど力は残らない。もし治ったとしても、私は寝たきりになってしまう。そのことはお父様も琴葉も分かりきっているはずなのに。


 「何とか言ったらどうなの?自分には使える異能があるんだから、早く使いなさいと言っているの!」


 「……む、りです……」


 なにも言わない私にイライラして、また床に投げ飛ばす。私は最後の力を振り絞って無理だと言った。もうどうなろうが現実は変わらない。


 「無理ですって!?邪魔者の癖に、この私に逆らうつもりかしら!?」


 私の言葉に怒りが最高潮に増して、力任せに私を殴ろうとした時。


 「琴葉!やめなさい!」


 反対の廊下から、お父様の声が飛んできた。琴葉はその声にはっとして振り下ろそうとした手を止め、声のした方をむく。私も吊られるようにして視線を動かした。


 「お父様?なんで止めるのかしら?お父様だって今まで……」


 「余計なことを言うな!いいから、黙りなさい!」


 様子がおかしいお父様に反論する琴葉だったが、一方的に怒鳴られ、言葉を濁す。


 「……これは、どういうことでしょうか?」


 声を荒らげるお父様の後ろから、静かな男の人の声が聞こえた。私は、その声を聞いてはっと顔を上げる。その声は、聞き覚えがあったから。


 いつも私の頭の中に流れ込んできて、この前助けてくれた優しい声。

 そんなことあるわけない……と視線を動かし声の聞こえた方を見る。


 「こ、これは……紗和が勝手に転んだだけで……」


 相当見られたくなかった人なのか、お父様は言い訳のような言葉を並べる。すると、声の主がお父様とお義母さまの間から、顔を出して私の方に近づいてくる。


 「……あ、あなたは……?」


 「勝手に転んだだけで、こんな風に怪我をしますかね?だいぶ重症に見えますが」


 ……変わらず話すがその声は怒っているように聞こえた。

 だけど私は、男の人を見て息を呑む。


 だって……あの時助けれくれた、優しい方だったから。郵便局で私の盗まれた巾着を返してくれて、助けてくれた優しい方。私の頭の中の声と今聞こえている声が一致して、気づいたら目から涙が溢れてきた。なんでここにいるの。


 なんで今貴方は私の目の前に……。


 「そ、それは……」


 「私は、あなた方のしたことをほぼ全て知っています。言い訳なんてみっともない。せっかく皇帝様があなた達に大きな仕事をお願いしようとしているのだ。期待を裏切らないでくれ」


 うろたえるお父様に鋭く言い放つ彼の目は。お父様のことを敵意むき出しで見ていた。あれほど美しい目で睨まれたら、きっと誰でも怯んでしまう。そう思うほど冷たい視線を送っていた。


 「大丈夫ですか?遅くなりました。迎えに来ましたよ、紗和」


 「……え?」


 私の名前を知らないはずなのに、優しい声で名前を呼ぶ。


 “迎えに来ましたよ”


 どこかで聞いた事のある言葉にはっとする。もしかして、貴方が私の……。

 そう思った時、左手の小指に違和感を感じた。違和感に気づいて小指を見ると前現れた赤い糸が巻き付けられており、その赤い糸は目の前の御方の小指と繋がっていた。


 「ちょっと。お父様、これはいったいどういうこと?なんでお姉様があの美しい方に抱かれているの?あの方はどなた?」


 恥ずかしいのか、怒っているのかわなわなと震えるお父様に構わず質問をぶつける。琴葉はかっこいい人や美しい人に一目惚れする傾向がある。

 それはお客様や街で出かけた時……などどこで何をしていようがころっと態度を変えてしまう。


 「このお方は……」


 「失礼。自己紹介が遅れました。私は華月千隼と申します。……八重桜紗和様の、婚約相手になります。以後、お見知り置きを」


 「こん、やく……?お姉様が……?」


 お父様が答えようとした時、それを遮って自分の自己紹介をした。その自己紹介を聞いて固まる琴葉。


 私も驚いた。

 自分に婚約の相手がいるなんて、お父様やお義母さまから聞いたことがなかったから。


 「お父様、本当なの?ねぇ、お父様!!」


 「ああ。本当だ。近々お前達に婚約相手を伝えようと思っていたが、まさかこんなことになるとは……」


 お父様に縋る琴葉はまだこの事実を受け入れられないようで。呆然と私と彼……華月様を見ていた。


 「さて、八重桜当主。このこと、皇帝様に話しても良いでしょうか?なぜ私の紗和がこんな目にあっているのか、話してもらいますよ」


「ま、待て!それは……それだけはやめてくれ!じゃないと……八重桜神社の名誉に傷が……!」


 意識が段々と薄れていく中、お父様の焦った声が聞こえてくる。他の人にこんな所を見られても、まだ八重桜神社の名誉のことを考えているのね……。


 本当に、私はお父様の娘なのかしら……。


 こんなことを考えたって無駄だとわかっている。でも、無意識に考えてしまった。もう、お父様から愛されることは無理なのだと、理解した瞬間だった。


 「……貴方は、この後に及んで自分の事ばかり。もう結構。紗和はこの前私のことろへ引き取ります。話し合いは後日という事で」


 ため息とともに溢れた言葉。まるで私の心の声を言ってくれたかのような、言葉。そのことに何故か嬉しいと思ってしまった。


 「華月様。どうか、お待ちを……!」


 「いや、待たぬ。もうお前たちは終わりだ。私を怒らせたこと、後悔するが良い」


 ……私は、そこで意識を手放した。


 痛む体で頑張って意識を保っていたが、急に力が抜けて、目を瞑る。すると体が軽くなり、宙に浮く感じがした。


 暖かな温もりを感じながら、助かった……と思ってしまった。この方が来てくれなかったら、私の命はなかったかもしれない。


 運命って本当にあったのね。


 ……疑って、ごめんなさい。


 過去に自分の運命を信じきれず、赤い糸を疑った。自分の能力で見えて、今までたくさんの縁を結んでいたけど、自分のこととなるとどうも信じきれなくて。

 でも、こうして今目の前に現れてくれた。“運命の人”は、私の赤い糸と繋がっていた。


 優しい声、優しい温もり。


 ……ありがとう、ございます。


 夢の中で、神様と自分の能力を信じてしまった。その日の夢は、とても心地よくて幸せで。なんだか暖かかった……。

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