「お主を斬るのは少々勿体無い。しかし、敵に回られれば厄介な事この上ない。すまぬな」
「……え、ええと、私を殺すと利政様とのご関係も崩れるかも?」
時田は慌てて殺されないための理由を作る。
しかし、尾張の虎がそんな事に気付かない筈が無い。
「分かっておるわ。利政殿には敵に寝返ったと伝えておく。そうとあれば、利政殿も何も言えまい」
「……それは……何も言えませんね」
たかだか侍女一人の命と織田と斎藤の同盟。
天秤にかけられれば時田の生命はものすごく軽い。
それが分かっていた時田は考えを巡らせる。
(……この人、わざと失明した左目側から刀を当てた……反応出来なかった……この状況じゃなければ逃げ出す選択肢もあったんだけど……)
因みに、山口小次郎もついてきてはいたが、ここに入ることは許されていなかった。
ほんの数秒あれば、時田の生命は奪われる。
逃げ出す策は、思いつかなかった。
「……悪あがきはしないのか?」
「……この状況じゃ、何も出来ませんので。ただ……」
時田は首筋に刀を当てられながら続ける。
「私は、織田家を裏切ってはいません。それだけは確かです」
「……そうか。だが、やることは変わらん。さらばだ」
時田は目を瞑り、死を覚悟する。
しかし、遠くからドタドタという荒々しい足音が近づいてくる。
そして、荒々しく戸が開けられる。
「父上! お待ちを!」
「……信長か。何をしにきた?」
信長は時田の隣に座り、頭を下げる。
「時田は寝返ってなどおりませぬ! 竹千代は、某が……」
「それも知っている。お主が連れ回していたということもな。だが、いくら何でも姿が見えなかった。そして、時田が帰って来たら竹千代が現れた。不自然だとは思わぬか? お前も一枚噛んでいる事は予測がついているのだぞ」
「……仰る通り、一枚噛んでおります」
信長は顔を上げるとまっすぐに信秀を見つめる。
「全て正直にお話しましょう。実は、時田が父上にその指示をもらう前、既に竹千代と顔を合わせております。それも、すぐに仲良くなっておりました」
「……続けよ」
信秀は刀をしまう。
時田は取り敢えず生きながらえた事で安堵の息を漏らした。
「時田が父上から指示をもらった後、時田から相談を受け、竹千代に自分が広忠暗殺に向かった事を知らせないで欲しいと頼まれたのです。それで、城内での噂話すらも耳に入らぬよう、連れ回しておりました」
「……そうであったか」
しかし、信秀はまだ疑いの目を向けていた。
それを理解した信長は、すでに手を打っていた。
「証拠をお見せしましょう。入れ。好きにして良いぞ」
「ん?」
すると、その部屋に小さな男児が小刀を握りしめながら入ってくる。
涙を浮かべ、時田に対して憎しみの眼差しを向けていた。
「た、竹千代様……」
「……父上の仇!」
すると、竹千代が小刀の切っ先を時田に向けて走って来る。
しかし、時田は難無くそれをいなす。
竹千代の刀を持つ手を押さえ、竹千代に語りかける。
「お、落ち着いてください!」
「……安心して下さい」
すると、竹千代は信秀に聞こえないように小さな声で話す。
「これは、信長様の策です。良い演技でしょう?」
「あぁ……成る程」
その様子を見た信長は信秀に話しかける。
「これが証拠です。裏切っているのなら、このようなことにはならぬでしょう」
「……まぁ良い。だが完全に信用するわけには行かん」
信秀は竹千代に近寄り、竹千代から小刀を奪う。
「演技という可能性もあるからな。時田よ。安祥城での戦が終わるまで、大人しくしておけ」
「は、はい!」
「竹千代も時田に近づく事を禁ずる」
「……はい」
竹千代は時田から離れると、すぐさま時田に恨みに満ちた眼差しを向ける。
(役者だなぁ……まさに狸、かな?)
時田は竹千代の演技力に感心する。
そして、竹千代の演技を信じた信秀は少し考えてから続けた。
「信長よ。しかと見ておけよ。竹千代。少し話がある。ついて参れ」
「……はい」
信秀は竹千代を連れてそのままその場を去っていく。
「……信長様。ありがとうございます」
「気にするな。さぁ我らも帰るぞ。帰蝶が待っているからな」
かくして、時田は処罰を免れるのであった。