「……よし、覚悟を決めろ! 光!」
時田は戸の前で自分の頬を叩く。
「……ふぅ……よし」
戸に手をかけ、開けようとする。
「何してるんですか?」
「わひゃっ!」
後ろから声をかけられ、時田は驚きを隠せなかった。
思わず変な声が出てしまったと口を押さえる。
そして、振り返り、声の主を見据える。
「た、竹千代様……」
「……変な声出てましたね」
そう言われ、時田は少し恥ずかしく感じ、顔を赤くする。
少し早口で話し始める。
「そ、そんな事良いですから! ちょうど良かった! 話したい事があったんです!」
時田は竹千代の手を引っ張り、入ろうとしていた竹千代の部屋へと入る。
そして、周りに人がいないかを確認して、戸を閉めた。
「……どうしたんですか?」
「……いやぁ……その……」
やはり時田は躊躇いを隠せなかった。
しかし、深呼吸し、覚悟を決め、話し始める。
「先程、信秀様に呼ばれ、ある事をやれと言われました」
「……ある事?」
時田は頷き、続ける。
「……三河国の領主、松平広忠を暗殺せよ、と。侍女の私の才能を見込んで金を渡すゆえ、自由に差配して、広忠殿を暗殺せよと言われました」
「……そう……でしたか……」
あからさまに、竹千代は悲しそうな顔をする。
時田は竹千代が怒るのでは、と恐れていたが、そんなことは無かった。
そして、時田は続ける。
「……拒否権は、無いとのことです。この任務は遂行するしかありません」
「……」
「でも、私は嫌です」
「……え?」
その思いもしない言葉に竹千代は顔を上げる。
「私は、人を殺したくありません。誰かを守るためだとしても、命までは奪いたく無いんです。今回も、今川の侵攻に対処する為、つまり、尾張国の人々を救う為だと捉えます。だから、私は広忠殿を殺さず、広忠殿の暗殺の任を成し遂げて見せます」
「……一体、とうやって……?」
竹千代の疑問に、時田は答える。
「詳しくは……後ほどお話します。任せて下さい。……竹千代様、正直にお応えください」
時田は竹千代の目を真っ直ぐに見ながら続ける。
「お父上のお顔を、見たいですか?」
「……でも……そんな事……」
竹千代は顔をそらす。
しかし、時田は竹千代の両頬に手を当て、こちらに無理矢理顔を向けさせる。
「お父上の顔を見たいの? お父上に会いたいの? 正直に答えて。あなたはまだ子どもなんだから、強がらなくてもいいの」
「……会いたい……です」
竹千代はうっすらと涙を浮かべながら答える。
「よし、そうと決まれば三河へ一緒に行きましょう。でも、三河へそのまま居残ることになったら、織田家を裏切る事になっちゃうから、ちゃんと帰りますよ。良いですね?」
竹千代は頷く。
「よし、じゃあ早速……」
時田は竹千代の手を引き、戸を開ける。
しかし、そのまま外に出ることは出来なかった。
「……え」
「面白そうな話をしておるな」
開けた先には、織田信長と帰蝶が立っていた。
「……なんの事……でしょう……か?」
「時田、全て聞こえていましたよ」
「……」
帰蝶のその一言で、時田は現実を受け入れる。
「……打ち首……ですか?」
「は! そんな事はせぬ! 時田よ、お主のその企て、一枚噛ませてもらおう」
信長から放たれた一言は、意外な一言であった。
「……え?」
「ど、どういうことですか? 信長様」
これにはさすがの竹千代も動揺を隠せない。
時田の後ろから顔を出し、信長の様子を伺う。
「織田信秀の息子、織田信長が時田のその企てを支援してやろうと言うのだ。ありがたく思えよ、時田」
事体は、誰も予想してない方向へ進みつつあった。