「……はぁ、心配だな……」
時田が織田家に仕えて数日が経過した。
こちらでの生活にも慣れ始めた頃、毎日心配が絶えていなかった。
「十兵衛様……大丈夫かな……」
もし自分がいない間に光秀に危険か生じれば、助ける事が出来ない。
つまり、歴史がおかしくなってしまう。
それだけは避けなくてはならない。
「……でも実際どうなのかな……」
考えてみれば、加納口の戦いで光秀の身に危険が生じていた。
時田がいなければ光秀は死んでいたかもしれない。
つまり、時田がこの時代に来たことが、正しい歴史という事になる。
今この状況も、史実通りの可能性があるのだ。
「……問題は、歴史を変えたら私が居なくなるのかどうか……試してみるにしても、リスクが高すぎるし……今から変えるのは、変化が大き過ぎて分からないことが多すぎる。やるならやっぱり……」
時田は明智家で暮らしていく内に、明智家が心地よくなっていった。
あの生活を失わない為に何が出来るのか。
それを考えていた。
「でもこのままだと……」
「先程から一人で何を申されているのですか?」
「ひゃっ!」
すると、背後から声をかけられる。
油断していた時田は驚きを隠せなかった。
すぐに振り返り、相手を確認する。
「……ん?」
しかし、誰もいない。
「……下です」
声に従い、下を見る。
するとそこには、幼い少年がいた。
「……あぁ……ごめんね? はじめまして? かな?」
「……そんな事より、先程から何を言っていたのですか? 歴史を変えたらとか言っていましたが……」
そこまで聞かれていたのかと、時田は慌てる。
「あ、い、いや! それは……そう! 夢の話! ちょっと変わった夢を見てね! それでさ!」
「……そうですか。まぁ良いです」
少年は溜め息をつく。
「……少し、お時間よろしいでしょうか? 少しの間、お話相手になってほしいのですが」
「……うん、良いよ」
時田と少年は少年の先導で部屋に行く。
そして座り、対面する。
(改めて見てみると……すごいしっかりしてるな)
少年の一挙手一投足は只の幼子とは思えない程しっかりとしていた。
「……何か?」
「いや、しっかりとしているな〜、と思って」
「……」
少年は静かに時田を見ていた。
何を見ていたのかは、明らかであった。
「……この目と、この指は戦で少々。命が助かっただけ、良かったです」
「そうでしたか……」
「まぁ、お気になさらず。それよりも……」
少年は顔色一つ変えず、話し続ける。
それに、時田は不満を覚えていた。
「……少し位、笑ったら?」
「え?」
「いい? 君くらいの歳の子はね、もっと無邪気にはしゃいで遊んで笑ってれば良いの! ほら! 好きな物は!?」
いきなり声を荒げる時田に少年は驚きを覚えつつも、質問に答える。
「え……えっと……将棋……とか?」
少年は部屋の隅にある将棋の駒と盤を見る。
「よし! じゃあやろう! なんか思ってたのと違うけど!」
時田は立ち上がり、将棋駒と盤を持ってくる。
そして、慣れた手つきで駒を配置していく。
「……出来るのですか?」
「勿論! さぁ、先そっちだよ」
すると、少年はある事に気が付く。
「飛車角、いらないんですか?」
「お姉さんは歳上だからね。それくらいのハンデはあげなくちゃ!」
「……はんで?」
数分後。
「う……」
「詰み、ですね」
時田は手も足も出せず負けた。
僅か数分でである。
「も、もう一回! 今度はハンデもなし!」
「……はんで……とは飛車角を抜く事ですか? まぁ、良いですが」
数分後。
「はい。詰みです」
「……」
さっきと試合時間は変わらず、あっという間に負けた。
(……正直に言うと、動かし方わかるくらいなんだよな……)
時田は少年相手ならば簡単に勝てるだろうと甘く見て、その場の勢いに任せてここまで来てしまった。
しかし少年はかなり上手い。
たとえ少年が飛車角を抜いたとしても、時田は手も足も出せずに負けるだろう。
「……まだやります?」
「う……もう……」
もう降参です。
そう言おうと時田は少年の顔を見る。
すると、先程までと違い、少しは楽しんでいるようであった。
「仕方ない! もう一戦!」
「参りました! もう勘弁してください!」
時田は少年に頭を下げる。
「……いえ、私も楽しめました。ありがとうございました」
「……情けないなぁ……私……勝てると思ったのに……」
すると、少年の方から微かな笑い声が聞こえる。
「ふ……お姉さん、面白いですね」
「うぅ……喜んでもらえたのは良いけど……複雑……」
すると、いきなり戸が開けられる。
「竹千代! おるか! 出かけるぞ!」
「……え? 信長様!?」
戸を開けた男は、信長である。
「む? 時田ではないかこんな所で何をしておる?」
「い、いや……この子と将棋を少し……というか、竹千代って、もしかして!?」
すると、信長は頷く。
「うむ。そうだぞ? 知らんかったのか」
時田は少年に視線を戻す。
すると、少年は頭を下げ、自己紹介をする。
「自己紹介が遅れました。三河の領主、松平広忠が嫡男、松平竹千代にございます」
松平竹千代。
つまり、後の徳川家康である。
この少年は、幼き日の天下人であったのだ。