1541年。
稲葉山城。
その城内で大きな声が響いていた。
「何故ですか! 何故土岐頼満様を殺したのですか!? このままでは土岐頼芸様とも戦になりますぞ!」
「……十兵衛よ。お主の気持ちは分かる。だが、一度落ち着け」
明智光秀は斎藤利政に直談判をしていた。
それは、その年に利政が土岐頼芸の弟、土岐頼満を暗殺したからであった。
斎藤利政は土岐家の跡目争いにおいて土岐頼芸の派閥に付くことで影響力を高めていた。
しかし、土岐頼芸の弟、土岐頼満を毒殺したことにより、土岐頼芸との対立が激化していたのである。
「何があっても、美濃の守護である土岐家の方と争う事は許されませぬ! 土岐家の方の誰かを擁立しているのならばまだしも……」
「……落ち着けと申しておる」
光秀の勢いは凄まじく、今にも刀を抜いて切りかかりそうな雰囲気であった。
光秀という男を良く知っている利政は、光秀に問う。
「十兵衛。儂を殺すか?」
「……」
「それも良い。儂の行いが皆に賞賛されるものではないと分かっている。が、一度儂の話を聞け」
利政は刀を腰から外し、光秀の前に置く。
そして、光秀の目の前に座る。
「利政様……」
「儂は油売りの商人であった。そこから、ここまで上り詰め、とある夢を抱くようになったのだ」
「……」
光秀は静かに利政の話を聞く。
「油売りとして様々な所を巡った。そして、戦で荒れ果てた村や田畑を見てきた。この惨状をどうにか出来ないものかと、強く思った」
利政は淡々と続ける。
「戦の無い世を作りたい。そうするには、商人では無理だ。力がいる。ならばと、武士になったのだ。そしてその後は土岐頼芸様の元で腕をふるい、今の立場まで来たのよ」
「……しかし、何故土岐様を? 戦の無い世を作りたいのであれば、土岐家を支え、この国を豊かにしていくのが良かったのでは?」
その光秀の問いに、利政は笑いながら答える。
「まぁ、そう思うのも不思議ではない。儂はな、古い体制では戦の無い世は作れぬと思うておる」
「……古い体制?」
「あぁ。足利将軍を武家の頂点とした治世ではこの有り様だ。儂が力を振るい、この美濃国から戦が無くなったとしても、主が土岐頼芸様では他国に攻め込まれ滅ぶだけだ。ならば、古い体制の権威にしがみつく事にしか興味の無い愚鈍な領主よりも、儂がここを治めた方が良い。……守護や守護代という立場にしがみつく者が日の本各地に蔓延っている。そんな者達より、儂が治めたほうが遙かに良く治められる」
利政は光秀を見ながら続ける。
「儂は……天下を、取る。戦なき世を作るため。この命をかけてそれを成すのだ。十兵衛よ。それでも儂を殺すというのなら殺せばよい。さぁ、やれ」
利政は光秀の前で堂々と座り続ける。
そんな利政の理想を聞き、光秀は頭を下げる。
「申し訳ありませぬ!」
「む?」
光秀は刀を腰から外し、自分の前に置く。
互いに丸腰であり、互いに敵意は無いことを示していた。
「殿がそのような志を抱いていたとは露知らず、ただの不忠者だと思っておりました! 誠に申し訳ありませぬ!」
「……正直だな。お前」
無礼な事を言っている自覚があるのかどうかは知らないが、光秀は続けた。
「平和な世を……戦の無い世を作る。その志、感動致しました! この明智十兵衛光秀! 一生、殿についていきまする!」
「……十兵衛よ。我が行いは決して褒められた物ではない。土岐家の庶流でもあるお主を敵に回しても仕方が無いとは思っていた。……十兵衛、儂に忠誠を誓ったお主に、一つ教えておいてやろう」
利政は光秀の肩に手を置き、話す。
「おい」
そして、光秀の背後に声を掛ける。
すると、たくさんの足音が聞こえ、光秀は振り返る。
「な!?」
そこには、武装した男達が十名ほどいた。
「こ、これは……もしや……」
「そうだ。もしお前が儂を殺そうとすれば、逆にお主が殺されていたという事だ。この者達はお主と同じように儂の考えに賛同した者達でな、皆同じように儂に反感を抱いて、最悪殺すことも考えていた者達だ。なぁ?」
えぇ、と男達は頷く。
「で、ではここに刀を置いたのは……」
「お主を説得するための演技だ。儂は簡単に人は殺さぬ。儂に反感を抱いても、実力があり、儂の考えに賛同してくれたのならば、今度は心の底から信頼し、重宝するのだ」
「……なんと……」
光秀は再度利政に深く頭を下げる。
「恐れ入りました! やはり、貴方様には敵いませぬ! どうか、貴方様の元で働かせて下され!」
この後、利政は土岐頼芸とその子、土岐頼次を尾張へ追放することに成功する。
利政は美濃を手中に収めたのである。
しかし、土岐家の人間を殺さなかったことが災いし、利政の理想を阻む要因となることを、二人はまだ知らない。
(この人は簡単には殺さない。実力のある人間……そして)
時田は利政と対面し、睨み合う。
(利用価値のある者……土岐頼芸を殺さなかったのも、そういう事だ。土岐頼芸を殺せば美濃の国人衆や土岐家の旧臣が離反する恐れがあった。美濃を確実に手に入れるためにも、まだ土岐頼芸を殺さないんだ)
時田は稲葉山城に来たことにより、記憶を思い出す。
それによって斎藤利政を相手に対等に会話することができたのである。
二人の対面は、後々、時田に大きな影響を及ぼしていく事となるのであった。