「……」
目が覚める。
初めて見る天井だったが、どこか懐かしく感じた。
起き上がり、辺りを見渡し、見たことの無い部屋にあの出来事が夢ではなかった事を自覚する。
「あ……」
そして、自分の手の平を確認する。
すると、人差し指と中指は無かった。
代わりに包帯が巻かれ、処置されていた。
「……」
その事を認識した途端、段々と手が痛く感じてくる。
「……おお! 起きたか!」
すると、部屋に一人の男が食事を持って入ってくる。
その男は、明智光秀であった。
布団で状況の掴めない光の元に食事を持って座る。
「具合はどうだ? 飯は食えるか? その……手の事は申し訳無かった。医者がもう治らぬと言ってな、申し訳無いが……その……」
「……ちょっと落ち着いて下さい」
手を出し、光秀を静止する。
「私の手の事は……まぁ、もう良いんです。無くなったものは仕方がありませんから」
「……すまぬ。そうだな、食事でも食べながら暫く一人でゆっくりすると良い。何かあれば呼んでくれ」
食事を置き、立ち上がろうとする。
しかし、時田は左手で光秀の腕を掴み、止める。
「待って下さい。お食事、ありがとうございます。ちょうどお腹も空いていたのでありがたいです。が……」
時田は右手を見せる。
「このままでは碌に食べることも叶いません。左手で箸は使えませんし……」
「……うむ、そうだったな。何から何まで失礼した。何か……匙のような物を用意させよう」
「……美味しかったです。ありがとうございます」
「……さて、おぬしも落ち着いたようだな」
「……そうですね。あなたも落ち着いたようで」
時田は食事を終えると光秀を呼び、感謝を伝えた。
そして互いに少し笑い合う。
「さて、お主、名を土岐田と言ったか? もしや……土岐家に関わりが……」
「……分かりません」
その時田の答えに光秀は疑問を覚える。
「それは……どういう事だ?」
「……些か……記憶がはっきりとしないのです」
時田は光秀と話しつつ考える。
(この時代、名字がある事自体厄介事の要因になるし……今が何年かは知らないけど、『とき』が入る名字って、この美濃国では一番厄介な名字だし……記憶喪失設定にしておこう)
土岐家。
それは、源氏に連なる家系で美濃国守護である。
しかし、美濃国で実権を握っているのは、その家臣、美濃の蝮、斎藤道三こと斎藤利政である。
今この時代が何年かは分からないが、厄介事の要因となるのは明白であった。
「記憶が曖昧か……まぁ、致し方あるまい。何か思い出したら教えてくれ」
「あ、一つだけ」
時田は床に指で字を書いて行く。
「時田の字は分かります。私の時田はこう書きますので、つながりは無いかと」
「字の読み書きもできるのか……そうか。ありがとう。調べてみよう」
光秀は頷き、その場を後しようと立つ。
「何かあれば侍女を待機させている故、声をかけてくれ。それではな」
そのまま、光秀は去って行く。
そして、部屋を見渡す。
「……この部屋は……」
時田はずっと引っかかっていた事がある。
あと少しで思い出せそうで思い出せない。
そんな感じがずっと残っていた。
懐かしい。
そう感じるのは確かであった。
「う〜ん……よし、いいやトイレ行こ」
立ち上がり、部屋を出ようと戸を開ける。
すると、そこには侍女が控えていた。
「あ、如何なさいましたか?」
「うん、ちょっとトイレ」
すると、侍女は不思議そうな顔をする。
「といれ……?」
「あぁ、厠ね」
侍女がわかるように言葉を変えて喋る。
「といれ……厠……といれ?」
侍女は不思議そうに言葉を繰り返している。
聞いたこともない言葉に困惑している様子であった。
その侍女を素通りして時田はスタスタと厠へ向かって歩き出す。
「厠……あ、場所は……」
「分かってるから大丈夫!」
そのまま角を曲がり、見えなくなる。
「……えぇ……」
侍女は取り残される。
しかし、時田が何故厠の場所を知っているかよりも、侍女には気になる点ががあった。
「といれって……何?」
(私の中の明智光秀の記憶が、戻りつつある)
厠へと向かう道すがら、時田は思う。
(このままここで過ごしていけば、思い出せる気がする……本能寺の変の真実を……)