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第49話 夜空

 自分の部屋に戻って作業していた恵也が、夕食の為リビングに行くとシャドウと蓮しかいなかった。


「あれ ? サイまだか。部屋行って呼んでくるわ」


 座りかけた椅子から立ち上がろうとした時、食事を運んできたシャドウが恵也を止める。


「サイなら、ヴァイオリンを抱えて出ていったぞ 」


「え…… ? まじ ?

 ……結構作業残ってたはずなんだけど……気晴らしにでも行ったのか…… ? 」


「今、なんの作業してるんだ ? 」


 蓮がシャドウから受け取った大皿をテーブルに置き、恵也に聞く。


「サイはLEMONのLIVEで何を歌うかとか、南川さんと打ち合わせしてて、俺はYouTubeに上げた動画をリメイクしてる。

 あと個別プロデュースの件、俺は決まったらさ。みんなに伝えるようにイメージ的なものとか選曲とか知識を掻き集めてて……先生も見つかったし」


「そうか」


「キリとハランもまだ……か。夕食は食って来るって言ってたんだったな。

 じゃあ、俺たちで先に食おうぜ ! 今日も美味そうだ〜 ! 」


 三人が箸を持った次の瞬間、ガチャリと言う音が響く。

 リビングのドアはストッパーが下ろされ開放している。その廊下の先、玄関の扉の音がしたのだ。

 彩が戻ったのか ? 何故なら、霧香とハランにしては会話が聞こえても来ないからだ。


 恵也は箸を置くと、エントランスへ向かった。


「あれ ? キリは ? 」


 帰ってきたのはハラン一人だった。

 コンビニのビニール傘を畳みながら、気まずい雰囲気で恵也を一瞥する。


「あぁ……。ん、ただいま」


「え ? え ? キリは…… ? 」


「あー……。ちょっと俺が……キリちゃんを怒らせちゃって……」


「は ? なんで ? 何があったんだ ? 」


 そこへ蓮がやって来た。


「キリを一人置いてきたのか ? 」


「……一応探したんだけどね。見つからなくて。電話にも出ないし……ちょっとケンカしちゃって」


「護衛が必要なキリを、ケイはいつも気にかけてる。

 それなのにお前はそのケイから許可を取ってキリを連れ出したのに、一人でよく帰って来れるな ! 」


 蓮の怒りは最もで、喧嘩の発端には目星が付いているからこそ余計にだ。アイドルの話を無理強いした挙句、霧香が拒否して喧嘩になったのだろうと、手に取るように想像がついた。

 ハランは心ここに在らずと言う状態で、フラフラと部屋へ向かっていった。

 ハラン自身、霧香の反応にショックを受けていた。


「え……じゃあ、俺キリ探して来なきゃ……」


「いや、多分それでサイが向かったんだろ。

 食べようぜ。冷めちまう」


 そして聞かされる喧嘩の原因。


「キリがアイドルかぁ。成程な」


「それで喧嘩したかは分からないけど、多分そうかなって。サイには言ってあったから……少し警戒はしてたと思うんだけど……」


「ん〜。一応、仕事な訳だし、出来る出来ないとかじゃなくて、やらなきゃいけないって事もあるじゃん。これから望まない仕事なんて増えて来るんでないの ?

 俺はハランがやらせたいって言うなら……キリは従うべきだと思うけど……」


「あ、意外。お前はキリの味方すんのかと思ってた」


「そりゃしてぇけどさ。

 でもサイが言った通り、企画者の案には素直に従えって事だし」


「……キリの性格上、向かないさ」


「そうだけど。アイドルやってる子達もみんな向いてる天職かって言われたら、全員がそうじゃねぇと思うし。

 やるだけやって、ダメなら辞めるとかさ。キリをアイドルにしたがる気持ちはすげぇ分かるわ。

 ただ、今は想像は出来ないけどな。確かに……だらしないし短気だし」


 □□□□□


 多くのサラリーマンが帰路に向かい、海の見えるベンチには恋人達が幸せそうに談笑する海沿いの小さな公園。

 街頭の下でしゃがみこんだ霧香は、地面にひっくり返った蝉の亡骸を見つめていた。


「キリ…… ! 」


 彩が車道側から息を切らせて走ってきた。手にはスマートフォン。霧香の居場所はGPSで確認出来るようになっている。


「サイ……」


「はぁ……はぁ……。移動しなくてよかった……」


 スマホをポケットに突っ込むと、霧香のそばに一緒にしゃがむ。


「ふぅー……普段運動しないしな。少し走っただけで凄い息切れする……」


 そして、落ちている蝉に気付く。

 二人。

 数秒間、蝉を見つめる。


「生きてると思う ? 」


「先週まではまだ真夏って感じだったけど……。流石にもうダメだと思う」


「……」


 霧香は枯れ枝を探すが、しゃがみ込んだ距離の範囲には何も無く、仕方なく右足をそろそろ伸ばして蝉をつつく。


「……動かないね」


「うん。死んでる」


「ハラン、家に帰った ? 」


「レンからメッセージ来てた。帰ったって」


「そっか。……またやっちゃった」


「……。ハランと……合わないとか、ある ? 」


 霧香はそう悩まず答える。


「そういう事じゃないよ。それに知り合った頃は本当にいい人だなって思ったし」


「知り合った頃は ? 」


「……最近のハランは……なんか怖い。ハランはわたしをよく褒めてくれるけど、あんまり嬉しいって感じじゃなくて……。


 わたしね、そんな風に好かれる程、綺麗じゃないの。見た目とかの話じゃなくて……。

 人間界に来るまで……凄く酷い事された。同じ天使に。堕天する時に」


「……そんな事……もう思い出さなくていいだろ……辛かったとは思うけど。過去の事だし」


「ん。だから天使に対するトラウマなのかなぁ ? とか考えちゃった。ハランに何かされたとかじゃないの。なんだか……一緒にいると……」


 上手く言葉に出来ない。ハランの何が自分の気に触ったのかも、頭の冷えた今は思い出せなかった。

「アイドルをして欲しい」と言われた……それだけなら、丁重にお断りすればいいだけの事。だがハランは彩のルールをチラつかせ、押し切ろうとした。理屈では理解していないが、ハランが口先で罠を掛けているのを本能で悟ったのだ。


 混乱する霧香のそばで、彩は大きなリュックを開く。中身はバイオリンだ。


「え、そのケース……二台も入るの ?! 」


「ダブルケース。普通に売ってる」


「は、初めて見た。……なんでバイオリン ? 」


「この公園、音出せるから。まだ人も多いし……。チューニングだけ魔法でお願いしていい ? 」


「いいけど……ここで弾くの ? なんか……人もいるし。恥ずかしい」


 霧香が手のひらをバイオリンに向けてそっと撫でるような動きをする。弦がしなり、ペグがグリリと巻き上がる。


「わたし指切っちゃうかも……。それに魔法使い続けると……血が……」


「多分、夜だし一瞬の出血くらいは見えない。それに血なら……別にいい。齧られても別に……痛くないし……」


 彩が自分から提供を許すとは、霧香は少し驚いた。しかし彩は霧香のペースを無視し立ち上がると、早速弓を滑らせる。

 真向かいにいた落ち着いた雰囲気の恋人二人が演奏に気付き、一瞬聴き惚れる。すぐに二人だけの世界へ帰っていくが、その瞳は先程より楽しく、甘く……情熱的に。

 霧香は真横で彩の音を聴きながら、ぼんやりと恋人達を見つめる。


 音の効果と言うのは絶大だ。

 音魔法じゃない。もっと単純な事。彩の実力の範囲内といったところだ。そもそもソリストとして、学生時代から活動していた実績がある。その夢は潰えても、消して音楽は辞めなかった。

 それがブランクとならず、今も彩を支えている。


「……キリ…… ? 」


 いつまでも鳴らさない霧香に彩が顔色を伺う。


「あ、ごめん……すぐ入る」


 霧香は何故か彩の音が今までより違って聴こえた。

 自分も見計らった場所から音を入れる……だが、どうにも馴染まない。

 今までの彩のバイオリンはもっと機械のような精密なピッチと音色だったはず。しかし今は随分と人間らしく、かと言って決して下手では無い音。味。色。

 比べて自分の音色は荒々しく、柔らかな音色の彩が作る音を、刺す様に聴き苦しく上手く馴染まない。


「ご、ごめん。ちょっといい ? 」


 曲が区切れたところで、一旦深呼吸をする。

 海の向こう。空と水平線が繋がる場所。黒い黒いその境目の吸い込まれるような闇を眺めて心を落ち着ける。

 大丈夫。

 彩が来てくれたのだから。

 ハランとは、後でじっくり話し合えばいい。

 ただそれだけの事だ。

 彩の音がいつもと違う。

 群衆を見極め、必要な音色に変える技術。

 今は自分と弾くプライベートでは無い。

 景色に溶け込む音楽。


 波の音が消え、神経が研ぎ澄まされる。


「いい ? 」


「ん」


「タイスの瞑想曲」


 再び弓が弦を鳴らす。

 ピアノ伴奏がない二台のヴァイオリンだが、上手く音域を使い分け音を当てる。

 弾き終わると、向かい側に最初からいた二人が拍手を鳴らす。


 彩は今まで身内には見せたことのない、柔らかな物腰で小さく会釈をする。


「ロマンス」


「は、はい ! 」


 思わず敬語になる。

 別人のような彩のパフォーマンスに、霧香は困惑を隠せなかった。いや、困惑とは違うかもしれない。彩が好き好んで人前でバイオリンを弾きたがるわけは無い。

 仕方がない。自分と彩はバイオリンでしか、通づる事が出来ないのだから。コレが一番手っ取り早い。

 けれど霧香に伝わる彩の感情は、迎えに来た時こそ『心配』しているのは分かったが、今は理解が出来なかった。

 彩は基本手的に高い技術を必要とする、手厳しい音楽ばかりを霧香と弾いてきた。

 それが今日は全く別だ。ムード重視の聞き慣れた音楽と、全てを包み込むような『慈愛』を冠する曲ばかりをピックアップする。


 三曲目が終わる辺りで、二、三組の男女が集まってきた。年齢幅もタイプも違う男女。

 この至近距離で流血を見せる訳にはいかない。霧香はケースにちゃっかり用意してあったテーピングを手早く指に巻きつける。普通なら弾きにくい事この上ないが、音魔法でどうにかなる範囲である。


 バイオリンを再び構え直す。


 温かく見守ってくれる観衆と、溺れそうな程甘い彩の音色。

 最後の曲を弾いた頃、立ち見の者達は数倍の人数に膨れ上がった。


 霧香は弾き終わると、何台かスマホを向けられていることに気付いて、ドキッとする。

 今は活動休止令が出ている。

 こんな目立つことは……しかし、あの撮られた動画は恐らくネット上にアップされてしまうだろう。


 二人で深く頭を下げ、皆それぞれ散って行く。

 ペグを緩める彩に霧香が不安そうに聞く。


「これ。やって良かったのかな ? CITRUSに迷惑かけるんじゃないの ? 」


「モノクロの活動じゃないし。いいよこれくらい」


「そうかなぁ ? 」


 彩としては、霧香が沈んでしまう事の方が重大な問題なのだ。

 何とか浮上した霧香の精神を感じて一安心する。


「帰ろっか」


「ああ。血はいいのか ? 」


「うん ! 今日はなんか……違う」


「違う ? 」


「五曲しか弾かなかったのに、凄く満たされた気分。不思議。

 サイは本当に凄いね。音がいつもより柔らかかった」


「そう…… ? 」


 彩に自覚は無かった。

 今まで正確さとテクニックに全振りだった彩である。当然自分の音楽が機械的だと言うのも、今まで何度も指摘された事はあった。

 けれど何故今日は霧香には違って聴こえたのか……。

 ふと恵也の言葉を思い出す。


『何か共鳴するものがあるんだろうな。サイとキリ限定で、二人で楽器を弾くが浮気に入ると思うね ! 』


(こんな言葉も交わさない恋愛なんて……あってたまるかよ……)


「え ? 何か言った ? 」


「……何も。

 それより、蝉いなくなってる」


「あ ! 」


 ひっくり返っていたはずの蝉が、ヨロヨロと植え込みの方へ移動していた。


「動けたんだね。そんなところにいたら、今度は蟻に襲われちゃうよ」


「それは……きっと仕方が無いことだ 」


 ケースを担ぎ、二人は何となく家のある方へ歩き出す。屋敷に帰るにはどうせバスかタクシーを拾わないといけなくなるが、気にすることも無くただ公園を歩く。


「……サイ」


「何 ? 」


「ちょっと人がいないか見ててくれる ? 」


「いいけど」


 霧香は手摺りから腕を出すと、小声で呪文を唱える。

 水面から手の平まで、一筋の光の様に海水が上がりまとわりつく。

 そして数分後、海に沈んだはずのカチューシャとサングラスをサルベージした。


「ぅぐっ ! 何それ !? 海藻巻き付いてる ! 」


「えへへ……。あ〜……実は今日、ハランにプレゼントして貰ったんだけど、なんか頭に来て……でも環境に悪いなと思ってさ……」


「環境じゃなくてハランに失礼だろ……。

 アイテールでジャンクダックに絡まれた時もそうだけど、感情的になりやすいのは良くない」


「うん。そうだね……。

 サイはさ。わたしにアイドルとか……して欲しいって思う ? 」


「……個人的には全然思わない」


「ほ、ほんと !? 」


「でも、個別プロデュースでハランがそう提案して来たのなら、まず話は聞くかな……プランとか、曲調とかよく聞いて、納得出来ればいいんじゃないの ? 」


「そ……そう……」


 彩なら止めてくれると期待していた霧香は落胆を隠せない様子だ。しかし彩とて霧香がモノクロの活動に影響が出るとしたらやらせたくないのが本音だ。


「明日もキラは放課後屋敷に来るし。少し話し合おう」


「うん……」


 □□□□


 翌日夕方。

 非番の黒ノ森楽器店の天使組、希星、そしてゲソの二人は、恵也がファミレスを辞めたと聞いて驚く。


「れ……LEMONの成功も確定じゃないし、見切り発車過ぎない ? 」


「ちげぇーよ。転職だよ ! 」


「天職 ? そうは言いきれないよ……」


「違う ! 天職じゃなくて、仕事変えるの ! 転職 ! 」


「え……あぁ。そうなんだ」


「もう決まってるの ? 」


「ここの住宅地のすぐ抜けたところ……李病院の近くに和食屋があるんだけどさ。そこでランチの時だけピンチヒッターすることになって」


「ピンチヒッターって……すぐ出来るもんなの ? あそこ結構、広いし客多いしさ。今までもホールだったのに ? 」


「最初は掃除とかホールだと思うけど。夜は居酒屋になるじゃん ? その時の仕込みを手伝う感じ。裏方作業のピンチヒッターだよ」


「休みとか……厳しくないか ? 俺らは樹里さんの紹介で黒ノ森にいるから自由が効くけど……」


 蓮とハランに関しては、夕方から客寄せパンダに変わる。だが、店長や樹里も事情を知ってのことだ。勿論休みの自由も効く。

 しかし、飲食店となると昼、土日と小さな繁忙期が永遠に続く。恵也の行く店は割と繁盛しているから余計にだ。


「でもさ活動拠点、俺たち暫くLEMON内だろ ? スタジオ行くにも、家から出て移動時間とかあるわけじゃないし。

 これから私生活公開するのに、フリーター呼ばわりされんのも嫌だしさ。それに、あのファミレス客来ねぇんだもん。レビューもコメントも悪いし……」


 霧香が初めて彩と待ち合わせした時を思い出す。


「そういえば、昼時でも他の店に比べてお客さん少なかったね」


「今、事業縮小とかしてるから、あそこ引っかかりそうなの。単純に飯が不味いんだよ。

 そうなる前に辞めて来た。っても、十一月まではいなきゃだけど」


「へぇ。まぁ頑張って ! 」


「おう !

 そういや……」


 恵也が突然、希星を見下ろす。


「お前、ミミにゃんとデキてる ? 」


「「「「えっ !? 」」」」


 全員初耳だが、勿論希星はそんな事実は無い。


「そんなんじゃないよ ? なんで ? 噂 ? 」


 逆に聞いてくる希星に焦りは感じられない。


「え ? そうなの !? なぁ〜んだ。

 いや、こないだ近道に通った道で、お前とミミにゃんが一緒に歩いてるの見かけたからさ」


「うわ ! ケイ最低 ! 覗き魔 ? 」


「なんでだよ ! いやぁ、だからァ〜気を使って声かけなかったんだって……」


 希星は特に意識した様子も無く続ける。


「ミミカと接点が結構多いからさ。VEVOの声のヤツとかで。塾の行き先とミミカの帰り道が被ってるから、二人で暇な時は喋って帰るんだぁ。

 週に三日くらいかな ? 一緒に帰るようにしてる」


 仲がいいと言えばそうなのだろうが、恋愛とまではいかないようだ。ミミにゃんがプライベートと言い切っているからには、男女の友情と言う形なのかもしれない。今は。


「へぇ〜。ミミにゃんお嬢様校だろ ? 忙しそうだよな」


「勉強はキツイみたいだよ。家庭教師がいるって聞いてる」


「まぁ実際、あんだけ売れてたら過密スケジュールだろ、多分。勉強なんか頭に入んねぇよなぁ」


 話が途切れた頃、彩がホワイトボードを転がし現れた。


 霧香は内心気が滅入っている。

 今日恐らく、ここでアイドル活動が決定してしまうからだ。


「えっと、まず個別プロデュースの件だけど。案が決まったらぼんやりでもいいから報告して。他のメンバーと被らない方がいいし」


 当然、恵也とハランが挙手。


「ハラン。じゃあ、お願い」


 指されたハランがホワイトボードに書かれたワールド一覧に目をやるが、丸は付けない。


「実は、キリちゃんにアイドル活動をして欲しいんだけど……」


 来た !

 逃げ場の無い状況に霧香は厳しい表情を隠せない。


「日本以外に童顔女子が好きな人が多い国を調べたんだけど、どの国も変わらなくてさ。国は保留かな。日本がダントツ過ぎて……。

 ただ、本人のキリちゃんにもまだ了承取れてないし、やりたくないって事だから、話は全然纏まってないんだけど……。

 みんなはどう思う ? やっぱり、やめた方がいいかな ? キリちゃんが乗り気じゃないし」


 これには蓮、彩は予測していた事だ。二人、「やめた方がいい」と話を流そうとするが、とんでもない茶々が入った !


「いやいや、駄目だろ ? 企画者の提案には従う事ってサイがこの間言ってたじゃん。

 キリ、お前やりたくねぇとか言ってらんないぜ ? 」


 恵也の余計な追い討ち。

 これでは逃げられない。

 彩は不安定になっていく霧香を感じながら、ヒヤヒヤと一旦ハランを下げる。


「ま、まぁ。本業はモノクロな訳だし……。じゃあ、少しまた練り直しって事で……ハランは考えておいて」


「そう ? 分かった」


「えと……ケイはほぼ纏まったんだよな ? ケイ、言ってみて」


 ハランの発言を消すように、彩はバクバクする心臓を吐きそうになりながら、改めて恵也をホワイトボード側に連れてくる。


「俺は和太鼓 ! 拠点はアメリカ。

 んでこの間、アバターがさぁ、バーチャルの空間だから外国人も『侍とか忍者コスなんて、普通に課金で買えるんじゃねぇか』って話になったんだけど。

 まぁ、侍コスチュームとか俺らも着るとして、最終的に脱いでいこうかなと。

 エロいヤツとかそういうニュアンスじゃなくて、キリはサラシ巻いて、女神輿っぽくクールな感じに迫力付けるの。和太鼓の魅力って迫力じゃん ?

 で、レンレンとハランは一番背も高いし、長胴って言う、立って叩くデカい太鼓をお願いしたいんだけど」


「別にいいけど」


「ん。迫力欲しいもんね」


 蓮もハランもパート決めに了解。順調だ。


「そんで二人の肝心の衣装だけど、全裸にフンドシで頼むな。

 あと、サイとキラは小さい平太鼓って言うのが……」


「「待て待て待て !! 」」


 蓮とハランが恵也を止める。


「フンドシ !? 」


「え、俺……褌穿いて太鼓叩くの ?! 」


「何 ? 和風でいいじゃん」


「いや、俺やんないから ! 」


 蓮は恵也と目も合わせず断言。

 ハランは……。


「俺も絶対無理 ! いやぁ、ちょっとフンドシは無いなぁ〜」


「俺の地元じゃお祭りの時は、普通に近所の若衆は履くぜ ? 」


「けど、嫌だよ !! 」


「えぇ〜 ? なんだよぉ〜。じゃあキリのアイドルの事とか、人の事言えなくね ?

 サイ、どうなんだよ ? リーダーに従う事って……ほんとに合ってる ? 誰も従わねぇしさ。


 ってか、レンレンもハランも、どーせ客に見られるのはバーチャルだぜ。そっくりだけど……まんまお前の外見だけど……お前が脱ぐわけじゃないし」


「嫌だぁぁぁ !! 」


 これを聞いて彩は思い返す、南川の言葉。

『やって欲しい事を提案する時、同時にこれだけはやりたくない事も聞いておくこと』というMINAMIの掲げる絶対法則。

 やはり南川は有能だ。


「ちょっといい ? 」


 彩は全員を止めると、早速『これだけはNG』についての意見を集めることにした。


 □□□□□□


「で ? 結局白紙同然に戻ったのかぁ」


 南川は器用にホッケの骨を箸で剥ぎ取り、皿の隅へ寄せる。

 手にはスマホ。相手は彩だ。


「ま、急がなくていいよ。日本のライブステージでモノクロの音楽やるのが初日のスケジュールだし……ゆっくり悩んでよ」


 南川はそれと同時にテーブル横に置かれたパソコンで X を見ていた。


「それにしても……やってくれたね。ヴァイオリンでゲリラライブ ?

 結構、噂になってるよ。『謎の看板の女性の正体は』だってさ。さっきまで『謎の看板』がトレンド入りしてたんだけど……今は消えちゃったね」


『す、すみません……』


「いいけどさぁ。凛さんからアドバイスもらって来たよ。

 まず、YouTubeのモノクロの音楽動画とお部屋紹介動画だけど、音楽の方だけ公開してくれるかな ?

 あとは霧香さんのインスタ。

 もうみんなモノクロの認知度はあるから、公開していいよ。

 カメラの設置がおわったら、お部屋紹介動画も解禁で。

 他のイチャイチャしてる動画は最後に再アップロードでいいかなって」


『そうですか』


「理由はまだ、モノクロとLEMONの結び付きは世間一般ではされてないから。

 そのくらいはそろそろ公開しましょうということらしいです」


『分かりました。ちなみに、アップロードしておいて欲しい動画とかあれば撮りますけど、何かありますか ? 』


「あー。やっぱり霧香さんメインでの、MVかな。歌より構図にこだわった感じの。ゴシックの世界が伝わるようなセットでね」


『成程。分かりました』


「楽しみだよ。LEMONのリリースが」


『はい。俺達もです。

 ……あと、そう……ですね。南川さんのアドバイスは、いつも的確なので……単純に凄く尊敬してます』


「ははは ! なんか君みたいなタイプから言われるとマジっぽいから照れるよ。

 ありがとう。じゃあ、あと二ヶ月チョイ頑張ろうね。

 カメラの取り付け、それじゃあ早速来週業者さんと技術さん向かわせるよ」


『はい、よろしくお願いいたします。では失礼いたします』


 スマホを置き、南川は霧香と彩が弾くヴァイオリンの動画の音色に耳を傾ける。


「うん。いいね……。素晴らしい」


 青春を匂わせる音色に、深く聴き込み心地よく酒を煽った。


 □□□□□□


 週半ば、業者の人間が立ち入る。

 予想より大規模な作業なようで、三十人程が屋敷に訪問していた。


「いやぁ、こんなところに御屋敷があったなんて…… ! 」


「そうですね ! 街から……えっと…… ??? 近いですよね ? 」


 土地に魔法がかかっている為、何とも違和感もなくあやふやな記憶に変わるのだ。


「では作業始めます」


「よろしくお願いします」


 彩と霧香、シャドウが立ち会う。

 蓮やハランは自室で待機。最終的な家具の角度ひとつにこだわっている。


「じゃあこの玄関はこちら側と……あとはこの角度でカメラお願いします」


 指示をするのはVR映像を専門に扱う外部企業である。


「そうすると、こんな角度で見えるはずですので……」


「あ〜。そうなると食堂に行く方と部屋に行く方もですから……」


「そうですね。数としては……」


 見ているだけで、全く想像がつかない作業に霧香含め彩もシャドウもポカンとしている。

 作業者の一人が霧香に確認する。


「家具の移動は頻繁にしますか ? 」


「いえ、そうでも無いです。小物とか、洋服なんかあちこちに移動しますけれど……家具は移動しません」


「分かりました。ではカメラで映った物を予めグラフィックを作る様にした方がいいですね。

 小物は割とAIが判断してくれるので」


「は、はぁ」


「家具なんかは質感を上手くデザインしないとヌルヌルな家になりますので、LEMONのリアルなアバターだと馴染まないんですよ。

 出来るだけリアルに作りますんで」


 彩が合間に割って入る。


「家具を買い換える場合なんかはどうしますか ? 」


「CITRUSに連絡をお願いします。恐らく我々が対応となるかとは思いますが……うちはVR機器を使ったモデルルーム見学なんかのCGを作るのが本業なんですよ」


「あぁ ! 成程 ! 」


 その後も死角を作りつつ、人が来て360度見渡せる様にカメラを設置していく。


 設置に関してはそれほど時間はかからなかったが、設置したカメラでどこまで見れるようにするかの角度調整が時間を要した。


「このカメラがあれば、こっちは床だけ認識出来ればいいですから」


「いえ、そうなるとあのソファに寝た時とか、足先や頭が見切れちゃいます」


「天井に付けたカメラでその認識は優先にして……」


 作業は夕暮れまで続いた。


「とりあえず今日はこんなものです」


 全員、業者を見送るのにエントランスに集合する。


「このカメラですが、offにしたい時はこの白いボタンをボールペンなどで押してください。

 でもまだ暫く出来上がるまでは映していただけると助かります」


「まぁ、大丈夫です」


「では、失礼いたします」


 業者が去った後、全員がぐったりとエントランスの床に座り込む。


「疲れた……」


「俺の部屋だけですげぇカメラの量だぜ ? ストーカーもびっくりのカメラの数」


「部屋認識のカメラとモーションキャプチャーのカメラもだもんね」


「でもおかしなスーツ着てモーションキャプチャーをやるよりずっといいよ。

 全員カメラの死角聞いた ? 」


「覚えきれないから図面にペンで斜線引いてもらった」


 だがこれでまず、制作の一歩を踏めた気がする。


 アンジェリン作戦は若者を中心に『モノクロのKIRIが看板の主である』と噂はどんどん広がり拡散され、YouTubeの楽曲と霧香のインスタは更にフォロワーが増える。

 後にアイテールの外壁に霧香とミミにゃんのプロジェクトマッピング広告が投影されると、ゲーム絡みの広告か ? と噂が起きる。

 VEVO収録や生配信を見た者は、絶対にVEVOの宣伝だと思い込んでいたところでCITRUSが看板に追加するQRコードとLEMONのワード。


 CITRUSの大規模なシステムプロジェクトにゲーマー達も情報に過敏になる。

 新作RPGを予約した際、通常特典の他、モノクロの特典も追加されたと聞いたモノクロファンもこぞってゲームを予約。


 十二月に入る。

 LEMON配信までわずか数週間。

 全貌が明らかになった頃、早速プレオープンが予定される。

 来場者は社員、コラボ契約した玩具メーカーなどの関係者。そして、新作RPGに関わった声優やタレント、そして一部のゲーム実況者である。


「ゴーグル付けた ? 」


 スタジオに集まったモノクロのメンバーが、各自スタンバイを始める。

 この時、ユーザーは屋敷への入場は出来ない様にカメラを切り替える。

 カメラで読み込んだものをライブステージに反映させるシステムだ。

 ライブが終わったらカメラが切り替わり、屋敷への立ち入りが開始される。


 ゴーグルを付けた先に映し出される、LEMONの世界。


「うわ……凄い ! 」


「あ、あれ南川さんと凛さんじゃない ? 」


「ほんとだ ! 手振ってる〜」


「開始まで五分。全員準備いい ? 」


「OK ! 」


 プレオープン ライブステージ開幕 !

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