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第45話 チョコレートコスモス

「真理さん、団員の皆さんも、ありがとうございました」


 楽器を積み込み、見送りに来た真理と数人の楽団員達に頭を下げる。


「なんも〜 ! 眼福眼福〜」


「最高だったよ ! またやろうね」


 真理の周囲には他の女性団員も笑顔で集まっていた。

 一方、男性団員は別な場所に集結。


「いやしかし……新車 ? 羨ましいね」


「これからどっか行くの ? 」


「うっは ! 内装も新品 ! 」


 大きなキャンピングカーを見上げて車に群がっていた。


「特に予定は無いですけど……」


「勿体な ! 片道二時間でしょ ? 」


「でもこの時期はどこも混んでるしなぁ」


「だからだよ。今から高速乗ったら帰省ラッシュに巻き込まれるし」


「どこでも泊まれるのが強みだもんねぇ」


 確かにそれは考えていなかった。出てきた時は逆車線で早朝だったが、これからとなると……。


「確かにそうですね……。

 じゃあどっか寄ってく ? 」


 恵也が振り向くと、既に彩と霧香は最寄りのキャンプ場を検索し出していた。


「おい ! 後からやれよ ! 」


「アッハッハ !

 わたしたちは次はまた別のところに呼ばれてるの」


「へぇ。活動多いんすね」


「近くのオーケストラ部の指導よ。ボランティアみたいなものでね。小学生の子に教えるんだけど……小学生とは言え、強豪校だから……わたしたちも不安で不安でさぁ」


「た、大変ッスね」


「そうよ〜。大人だからって誰でも上手いわけじゃないんだから〜。

 ……でも、深浦くんはもう大丈夫そうね」


「はい。キラも今は落ち着いてて。楽しそうにしてます」


「良かったわ。本当に」


 天使組と希星は、一足先に会場を出た。

 そろそろゲソ組も出発しなければならない。キャンプ場に行くとしても帰るにしてもだ。


「では、失礼します」


「ええ。今日はありがとう ! 気をつけてね」


 手を振る真理に笑顔を返し……車に乗ってから、恵也は振り向いて鬼の形相に変わる。


「おめぇら !! 」


「「ごめんなさい」」


 見送られ、道の駅を後にする。


「あのさぁ、挨拶とか、お礼とかさぁ ! ちゃんと言おうぜ !? 」


 近くのコンビニに一旦車を停めると、お説教タイムに入った。


「浮かれすぎだよ !

 ほんで、キリは帽子被ってないの ? マスクは ? 」


「だって暑いんだもん……」


「サイ、せめてお前はさぁ、雑談に絡もうぜ……お前の知り合いだろ ? 」


「俺、真理さん苦手なんだよね」


「……いや、別に仲良くしろとかじゃないじゃん ! ……こう、最低限のマナーってあるじゃん……。……あるじゃん……。

 俺がおかしいの、ねぇ ? なんなのもう……泣きそう……」


「あ ! 」


「何だ ? 」


「このキャンプ場、何時でも空いてるってさ。ここ行こうよ ! 」


「……俺の話、聞いてた ? 」


 恵也は心が折れた。


「ここからどのくらい ? 」


「四十五分。ナビで見るとね……多分、あっち側の山だと思う」


 そもそも今までいたのが田舎の道の駅だ。当然、周囲も山間部。霧香はコンビニから見える右側の山々を指さす。


「キャンプ場って言ってもさ、色々あるじゃん。俺たち今回なんの用意もないし。この車、トイレだけは無いから」


「なんでトイレだけないんだろ ? 不便だよね ? キャンピングカーなのに ? 」


「衛生的とも言えるよ。付けるか付けないかは人によるけど……あのストーカーは付けない派だったんだろ」


「じゃあ、ここでお弁当とか買ってく ? 」


「コンビニ弁当 ?

 いや……じゃあ、泊まるのなんてその辺でいいじゃん……」


「分かってないなぁ〜ケイは。アウトドア派じゃないんだね〜」


「お前らにだけは言われたくなかった……そんな事」


 もう霧香につっこむ気力も無い。

 しかし、疲れている今、どうせ銭湯の類も芋洗いだろう。ならば静かな山の中で薪の火をただただ眺めるのもいいかもしれない。


「行くならホムセンで薪くらい買おうぜ。網焼きくらいしようぜ」


「「そういう作業は任せる」」


「……お前ら舐めてんの ? ねぇ、アウトドア舐めてんの ?! 」


 結局、検索して出てきた最寄りのホームセンターで、網と炭を買いコンビニのサラダチキンを焼く事になった。他はお握り類である。


「サイ、なんで塩むすび買ったの ? 具材がダメ ? 」


「折角だから焼きおにぎりにしようと思って」


「あ、いいね」


 山の麓からどんどん急斜面になる坂を登る。


「道悪ぃな……こんなとこにキャンプ場なんてあるのかよ。対向車、誰ともすれ違わないし」


 途中の悪路で揺れる車内。


 そして到着するキャンプ場……という名の、山に囲まれた広場に到着した。

 入口に公衆電話を照らす灯りがぼんやりとあるだけ。少し寂しい場所だが、夏の日の長さでは三人ともまだ気にならない。

 取ってつけたような水道だけが端にあり、カビで真っ黒になった仮設トイレが一つ。


「まぁ、誰もいないし。都合いいか。

 じゃあ俺、石積むから網準備して」


「ほい」


 霧香がナイロン袋から網を取り出す。


「一回洗った方がいい ? 」


「うーん。だな」


 霧香が備え付けの水道に向かう。

 水は出るようだ。山水を引いているのか、夏だというのに凄く冷たい。

 オレンジ色の夕暮れを見上げながら、息を吸う。空気が澄んでいる。

 人は居ないが山の中に囲まれた緑の世界だ。便利な街中もいいが、木々に囲まれ野宿をするなど、今まで人間界に来なければ出来なかったことだ。

 霧香はその有難みとかつて天界で出会ったエレメンタルエンジェルの存在を思い出していた。

 水の天使だけでは無い。

 火も、太陽も、植物も。

 全てが尊く、万人に必要なもの。

 天国や地獄ではなく、それらが人間に与えられた素晴らしいもの。今、それを感じる事が出来る喜びがある。


 水道で網を流す。


「ふふ。冷た〜い。手が痛いくらいだなぁ。屋敷の水道とは水の質が違うわ……不思議ね……」


 その時。


 何かパキパキと音がした。


「…… ? 」


 音の方向は水道の裏の藪の中。


 パキ、ザザッ、パキパキ、ザザザ……。


「……だ、誰か……いますか ? 」


 ザフ……ザフ……。


 霧香が目を凝らすと、こちらに背を向け、笹薮の中に座る大きな黒い背中が見えた。


「く……っ ! 」


 声を出しては……いけない !

 だが遅い。こんな時に限って反射神経がいいのが生き物である。


 人の気配に気付いた熊は、ゆっくりと霧香の方を振り向いた。


「くぁぁぁあああああああ !! 」


 無理だった!

 声を出さないとか、実際無理だった !


「んぅあぁぁぁぁ〜〜〜っ !! 」


 大狂乱になり網を放り投げ、それに当たった熊は敵意を顕にする。


 彩と恵也が何事かと顔を上げる。

 手ぶらで猛ダッシュしてくる霧香。

 それを追う、ツキノワグマ。


「「う、うわぁぁぁ !! 」」


「入って !! 閉めて閉めて !! 」


 全員で車の中に入るが、何故かお握りとペットボトルが冷蔵庫から出て散乱していた。

 そのボトルで足を滑らせ霧香が躓き、倒れ込んだところに彩と恵也がドミノ倒しになだれ込む。


 ドアは閉めたが、時折ゆさゆさと揺れる。


「く、く……熊 ! 」


「熊…… ! 」


「デ、デカい…… ! 」


 しばらくして足音は消えたが、誰も窓の外を確認出来ない。


(これ、もう諦めようぜ。怪我してらんねぇよ。人が居ねぇ訳だよ。こんなの熊のテリトリーに来た俺らが悪いヤツじゃん)


「……キリ……」


 霧香のスカートは潰れたご飯粒で盛大に汚れてしまった。その上、食料も失った。

 踏み潰してしまったお握り達を見て、彩が不思議な顔をする。


「なんでお握り、床に出てた ? 」


「冷蔵庫開いたんじゃないの ? 途中凸凹道で」


 備え付けの冷蔵庫の扉は、三人の動きに合わせてパファ…パファ…と開いたり閉まったりを繰り返していた。どうも少しの振動で開くほど簡易的な造りらしい。


「……」


「……」


「付け焼刃で、思い付きの……キャンプ怖ぇな」


「山舐めてました。帰ろう……」


「これ初手キャンプで良かったぜ。登山なら俺ら死んでたかもだかんね ? 」


「うん……」


 一気にテンションの下がった三人は結局、腹ぺこのまま帰路についた。途中、どこかに寄る気力も、霧香の着替えをどうにかする余力も無く。


 キャンプ場を出てから思い出す。


「……熊……魔法使えば良かったね……」


 そんな余裕は無い。

 熊を見てそんな余裕は無いのだ。


「街場に出て来た熊なら分かるけどさ。

 流石に、あの熊をどうにかするのは可哀想だろ……完全にあそこはアイツの家だぜ。俺らが部外者だよ」


「……確かに……」


 □□□□□□□□


 天使組は希星を自宅に返し、蓮とハランが屋敷へ戻った。


「ただいまシャドウ」


「シャドウくん、ただいま」


「ああ、疲れただろう。夕食は出来てる」


 荷物を隅に放り投げ、広くなったダイニングキッチンで食事。

 ちなみに今まで食堂だったスペースはテレビの置けるリビングになり、大きなソファーとローテーブルと言うくつろぎの空間。


「お前、実家に帰んないの ? 」


 蓮が若干鬱陶しそうに言うが、シャドウと二人だけの食卓よりマシだろう。


「だってさ。朝からいると「待合室に蝿がいるんだけど」とか家に俺を呼びに来るんだよ ! 」


「何時からだっけ ? 」


「診察開始が八時」


「で ? 何時に呼びにくんの ? 」


「六時」


 蓮もシャドウも爆笑したいが、ハランは心底参っているようだ。


「……診察開始まで待合室閉めとけば ? 」


「……ロイさんの方針だし。

 ほら、整形外科なんてお年寄りばっかりじゃん ? 皆、出勤前の息子さん嫁さんに送ってきてもらうから、開けとかないと……ずっと外に立ってられないだろう ? 」


「それだけ聞くと、やっぱ優しいなロイさん」


 ハランはサラダボウルからトングでワサワサとレタスを取り分ける。


「待合室閉めるのは……俺も思ったよ ?

 でもうちの予約、ネット予約無いんだよ。お年寄りネット出来ないから。電話予約は十時から。だって電話なんかも詐欺防止で家に置いてない一人暮らしのおばあちゃんなんかもいるからさ。

 そういう人が早朝から一生懸命来て、八時からガッツリ予約の人で埋まってたら可哀想だろ ? 」


「ま〜」


「でさ、朝イチさ。その早起きタイプの患者さんが待合室の蝿とかカメムシくらいで俺、叩き起されるの……。ギリギリ、蜂ならわかるよ ? 蝿だよ ? 」


 蓮とシャドウはもうあまり聞いていない。ただひたすらに、医者のストレスを肌で感じるだけの食事マシーンになっている。


「でさ〜やっと診察終わるじゃん ?

 その患者さん帰んねぇの……。

 あとから来た患者さんとカフェにでもいるの ? ってくらい長居する……」


「でもさ。それってよく聞くじゃん。普通なんじゃないの ? 」


「そうだよ……普通だよ……。

 だからお前らに文句言ってんじゃん」


「「……」」


 シャドウは基本肉メインの為、食事が終わるのが早い。平らげた皿を食洗機に立てると、そそくさと部屋を出て行った。


 蓮とハラン。

 長い付き合いの二人だ。

 今更気まずくなることは無いが、いつもは二人だけで話すこともない。無言で居ても気にならない相手だが……天使組は会議に出席しなかった分、アンジェリン作戦について蓮が話を持ち出した。


「お前、会議の内容聞いた ? アンジェリン作戦」


「うん。二十日に撮影だろ ?

 しかし……アンジェリン……魅了魔術も無い人間が……凄いご婦人だよね」


「……俺、思うんだけど……」


 蓮が何やら気まずそうに、橋を休めてハランを向く。


「LEMONの恋愛リアリティショー、いつまでやるとか……聞いてる ? 」


 これに関してはハランも首を横に振る。


「決めないでしょ ? だって俺たちあくまでミュージシャンだし、恋愛パフォーマンスも「今日はレンとイチャイチャしてたね」とか「ケイと二人きりだと油断してるね」とか、生活感を楽むって事だろ ?

 本当に恋愛リアリティショーって銘打ってやったら……俺ら何十年LEMONにいるんだよって」


 これを聞いて蓮は疑問に思う。

 何十年……ということはハランは短期決戦で霧香を落とす気は無いのかと。


「蹴りを付けるってのは ? 」


 蓮から吹っ掛ける。

 ハランは本気なのか。

 パフォーマンスと割り切っているようには見えないが、最近妙に霧香に絡まない気がしてならないのだ。


「蹴りぃ ? ん〜。CITRUSの企画のお陰で急いでくっつくとかさぁ。なんか嫌悪感あるかな。たまたまそうなれればいいけど」


「俺もそう思ってたんだけど、もしCITRUS側の社員だったらさ、さっさとくっついて欲しい。

 キリがくっ付いたら、シーズン2として新しいキャストに入れ替えたいじゃん ? いつまでシーズン 1 やるんだよって」


「だからさ。配信されてる恋愛リアリティショーってのも、あれは実質、お見合いみたいなもんじゃん ? 俺たちと根本的に違うよ」


「だとしたら飽きられるのも早いぜ ? 毎日、ベタベタ出来る ? 俺は無理だな。流石に頭湧いてんのかって……でもお前は出来そうだな 」


「ん……苦にはならないけど、一日中キリちゃんの尻追いかけ回してるなんてイメージもごめんだね」


「でも、見てる人が屋敷に来て退屈しないパフォーマンスを俺たちも考えないとならないんだろ ?

 サイはどう思ってるんだろうな ? 」


 そこでハランの箸も止まる。


「あのさ、俺ってサイに嫌われてると……思う ? 」


「はぁ ? 」


 これに関しては蓮には全く寝耳に水。

 何を言い出したのか理解できないし、そんな事聞いたことも無い。


「なんでそう思うんだ ? 」


「キリちゃんと俺のカップリングに対してのサイの扱いがさ……。撮影中とかはいいんだけど……それ以外、あまり二人になった事無いし……二人にさせてくれないっていうか……」


 彩としても迷っていた案件ではある。

 蓮が霧香と同じヴァンパイアで血のやり取りもあるなら、明らかに二人の距離は近いのだ。事実、霧香が蓮に抱く、恐らく恋心だと思われる感情はまだまだ乏しい。

 少なくとも、感情の流れ込んでくる彩はそう感じている。

 一方ハランだが、普段から霧香はハランに興味が無いことは確かで、一緒にいても話していてもポーカーフェイスどころか、心も鉄である。

 だが。

 撮影やらパフォーマンスやらでハランが霧香に絡み出すと、途端に意識しているのが伝わって来る。それも蓮より強烈な鼓動だ。


 もしかしたら。

 一時だけ、雰囲気に飲まれて霧香がコロりと落ちるならば、ハランの方が早いかもしれない。

 あとはこれに関して彩が個人的に、安易にコロりして欲しくないという霧香へのエゴもある。


 そんな事は露知らず。

 蓮は考え込む。


「出かけようとか、誘った事は ? 」


「一度サブカル系の場所に誘ったけど……キリちゃんもサイもいい顔しなくて、そのまま流れた。ケイとオケ観に行くからって。

 結構他にも思い当たる節あってさ。

 俺もサイって何考えてるか分かんないし……」


「それが答えじゃないの ?

 分かんないから疑るし、不安なんだろ」


 蓮の言葉に、ハランは意外にも同意した。


「そうかもね。分からないんだよね。個性が強烈なのはいい事だと思うけどね。

 俺、ここだから言うけどさ。ベース、二台は要らないと思う」


 やはり、最初に危惧していた事が起きた。

 ハランは必ずゲソ組の決めたコンセプトに、従うといいつつも、バンドジャックし始めるのでは無いかという予想。

 事実、その片鱗がようやく今になって出てきた。


「恋愛パフォーマンスってのをきっかけにバンドを売り出したいなら、キリちゃんの奇抜なパンクとかロックをするのはやめた方が無難だよ。

 LEMONでキリちゃんを見に来る人は、結局『無料で可愛い子の私生活が見れる』って事だと思うし。

 歌ってる時は人が変わったように強烈じゃん ? 」


「うちのファンはそれがウケてるだろ 」


「可愛い格好して、普通のベースだけじゃダメなのかなって。

 きっかけはお前がガラスのチェロを贈ったことだったんだと思うけど、それは弦楽でさ……今回みたいに別で行動すればいいじゃん ?

 なまじサイがヴァイオリン弾けるから、バンドもゴシックに行ったのかな、とか」


「じゃあ、キリがベースやる時は、俺他のパートやろうか ? DJとかさ」


「違う、そうじゃなくて。

 ギタリスト SAIもベーシストKIRIもネットでは激しいロックの弾き戦いだった。それがランキングでも受けて、今生放送でスパチャ来るのも古残のファンが多いし。それを期待してた人いると思うんだよね。

 それが今やゴシックメインで、ヴァイオリンとチェロになってる事に、納得がいかないんだよ」


 話を聞いていた蓮は面倒臭いとは思ったが、今からハランにへそを曲げられ脱退されても困る。

 ここは落ち着いて話し合うしかない。


「じゃあ……例えばお前がさ……うーん。

 ベーシストKIRIと一番最初にバンド組んでたら……お前ならどうしてた ? 」


 霧香をハランはどうしたいのか。

 ハランの口からは、恵也や蓮の立ち位置の話題は出ていない。

 恐らく霧香の売り出し方に不満でもあるのだろう。


「俺ならいつもの可愛いままのキリちゃんだけで行く。ポップスバンドで、明るい感じでね。

 夏ソングとか卒業ソングとか凡庸性があって、何年先でも『令和時代のランキング』ってのに載れるような王道。

 それって普通なら一番難しい道だから笑われるかもしれないけどさ、俺達は既にプロ活動してるし、そもそもキリちゃんも音魔法使えるわけだから、可能なんだよ。魅了魔術もあるし。

 ベースも、もっと女の子らしい色味のベースに可愛いステッカーとか貼ってさ。小さい女の子が大きいエレキ持ってんのって可愛いじゃない」


 ハランが考えるのは、つまるところ『表側のアーティスト路線』である。王道。歌番組向きの子供でも聞けるような、流行に沿った曲。

『水面下でコアな層を集め、神格化させていく』という彩とは真逆だ。


「俺はキリの容姿のアピールに関しては、サイは優秀だと思うよ。

 ただ……ベース二台……これは……。でも、俺がベースだから気を使っただけだろ。

 お前はキリの見目の事と音楽と、どっちに拘ってるの ? 」


 蓮の問いに、ハランは無言になってしまった。

 自分でも、上手く表現出来ないのだ。蓮はそんなハランの様子を見て、早急にサイとハランの信頼関係を回復する手立てが必要だと感じたのだった。


 □□□□□□□□□□□□□


 ゲソ組は結局キャンプを諦め、渋滞にハマり、やっとの思いで十七日の昼に帰宅した。

 そのまま食事もとらず泥のように眠った。流石に彩は起きてるだろうと、猫化させたシャドウを部屋に送り込んだが、彩は久々の爆睡だった。彩がグースカ寝ていると言うだけで希星は箸が転げたように大笑いしていた。


 結局、二度寝三度寝、部屋の煎餅数枚を食べてはまた眠り……入浴を済ませて食堂に降りて来たのは二十日の早朝だった。

 ほぼ飲まず食わずで寝ていた彩と恵也は、ガツガツと朝食にありつく。


 一方、霧香は撮影当日である。

 ガチガチに緊張していた。


「なんか食べたら ? 」


「お、お腹出ちゃうじゃん ! 」


「一食くらいで出ねぇよ。程よく食えよ」


「うぅ……」


 シャドウがドライフルーツ入りのシリアルを持ってくる。


「カロリーは摂っておいた方がいい。糖分が無いと脳が機能せず、向こうでミスをするぞ。少なくてもいいから食べるべきだ」


「シャドウくん、ありがとう〜〜〜。

 あぁぁぁぁ、こんな事なら少し勉強しておくんだったァ〜」


「何を ? モデルの事 ? そんなん、どう勉強すんだよ ? 」


「なんか動画みたり、モデルさんのブログ見たりさぁ〜。わたしなんも知らないよ ? 本当にどうしていいか、分かんないもん ! 」


「今、五時半……。撮影は十四時だし……。

 正直、質問があるなら撮影するとこの人に聞くのが筋だと思うけど ? 」


「こんな当日ギリギリになって聞いてくる人、信用無くない ? 」


「う、うーん。でもお前本業がモデルな訳じゃないし」


 蓮は呆れた様に霧香のシリアルにミルクを注ぐ。


「分かってるなら、事前にちゃんと聞いておけばいいのに……俺達も女性の撮影のことなんか分かんないぜ。

 サイは ? ファッションには詳しいんじゃないの ? 」


 彩も否定する。


「俺は作るの専門。独学だし、撮影とかランウェイの現場は知らない。

 レンとハランはAngel blessでジャケットの撮影あったろ ? 」


「えぇ ? 衣装に着替えて……メイクは自分でやって、撮っただけだし。インディーズのジャケットなんて低コストでササッと撮るだけだよ 」


 蓮は軽く言っているが自身が美容師でもあるし、メイクに関してはスタッフがいなくてもクオリティが高かった。衣装ひとつも、そもそもAngel blessのスポンサー、いやパトロンが樹里である。金銭的にも、コストにしてもあまり苦労は無かったのである。


「うーん」


 六時を回った頃、霧香へ一本の着信。


「ミ ! ミミにゃん !! 」


『あ、霧香さん。おはようございます !

 今日の撮影一緒に行きません……

「行くっ !!!! 」

 ……………よ、良かったです ! 少し早目に出ようと思ってて』


「ミミミミミミにゃん、今からうちに来ない !? 」


 余裕が無いのもあるが、ミミにゃんは最早霧香にとって身内カウント。

 LEMONやお化け旅館での関係を見ている方は納得しているが、一連の流れを知らないハランは訝しげにそれを聞く。


(あの二人、仲直りしてたの ? )


(ん。咲さんに間に入って貰ったとか聞いたけど……今は仲良いね)


「じゃあ、今から言う住所に……バス停があるからそこまで来てくれる ?

 違うの、あのね撮影の事で聞きたいこといっぱいあって……。

 タクシーがバス停に着く時連絡ちょうだい ? 違うの ! タクシー代金払うから。いや、多分そのタクシー代金越えるほどの授業を受けたいから。単純にお礼だよ…… ! 」


 ソファー側で恵也が彩に呟く。


(これ、いずれミミにゃんにヴァンパイアなのバレるだろ……)


(それは不味いな。まぁ、記憶操作魔法持ってるらしいし……)


(念には念を押しておかないと。キリのパニック具合だと、いつかやらかしそうだし)


 □□□□


「おはよぉっす ! 」


 撮影スタジオに着いた二人を凛が出迎える。

 護衛の恵也は仕事なので、午前シフトだった蓮が車で送迎、そのまま近くのカフェで時間を潰す。


「キリさん、言うの忘れたんすけど、下着って今付けてます ? 」


「は、はい。あのミミにゃんに聞いて、選んで貰って…… ! あと何種類か持ってきました」


 そう言って紙袋を見せる。


「あぁ、OK。上出来っすね」


 霧香のそばで、ミミにゃんは魂が抜け掛かっていた。凛は苦笑いを浮かべて挨拶する。


「なんか……お疲れ様っすね。ミミにゃんおはよー」


「凛さん…… !!

 もう ! もう ! 信じらんないです ! 聞いください !!

 霧香さん、下着どころか、部屋がダラしないです !! 結局、下着の指示とか説明は霧香さんにしたのに、この荷物纏めたの深浦さんなんですよっ !?

 彼氏でもない男性に ! リーダーとは言え ! 霧香さん、甘えすぎです !

 というか、もっと危機感持ってください ! 」


「……あー、でもキリさんって、そういう趣味なんしょ ? 」


 凛は未だ霧香を痴女の類いと勘違いしている。


「霧香さん ! しっかり自分の事管理しないと !!

 ……わたしみたいに碌でもない男に引っかかりますよぉ〜……」


「自虐っすね……みんな敢えて口にしないネタを……」


 ミミにゃん、今日は少しブルー。

 だが潤との交際はようやく過去のものとなったようだ。


「さ、こっからは撮影の皆さんの指示に従ってください。うちはイメージは伝えてあるんで、あとはプロに任せるっす」


 凛はここまで。いくら天才アーティストだとしても、専門分野は専門家に任せる方が効率も質もいい事を理解している。


 スタッフ数人が寄ってきて霧香を連れていく。


「ブラジャーはいらないかな。ニップレス貼るわね」


 胸に謎のシールを貼られ、霧香は半裸でゾワゾワする。


「下着はねぇ〜」


 なんの恥ずかしげもなく、机の上に持参のパンティを並べられる。さながら下着泥棒の証拠品を並べる警察のように。


「Tバッグのが無難かな。付けて、下着で待ってて。これ羽織っててもいいけど。

 メイクさんお願いします ! 」


 バタバタする現場。


 慣れない空気に、霧香はミミにゃんを見る。

 ミミにゃんは何も纏わない状態で、ボディの相談をスタッフとしている。話しているのは女性だが、当然この場には男性スタッフもいる。しかし、誰も裸のミミにゃんを凝視する者などいない。

 それぞれが自分の与えられた才能を生かす職人。


 ドタバタしていた霧香は静かに気持ちが切り替わるのを自分で感じた。

 霧香はどちらかと言うと本番に強いタイプだ。

 かつて看板1500枚のみでファンを集めたという伝説の美女 アンジェリン。自分が今求められているものを、考え、イメージする。

 そして撮影が開始。


 一枚目。

 露出度の少ないタイプのスチル。

 撮影の都合上、本物の檸檬より大きい作り物を使用する。本物だと遠目では檸檬なのかボールなのかいまいち判別出来ないからだ。

 設置場所は選ばないが、大きい看板を狙い使用する予定だ。縦型と横型どちらも存在する。


 二枚目。

 夜に強い繁華街に設置するタイプのスチル。

 何となく他よりセクシーさは出したが、ゲーム会社として出来るギリギリのいかがわしさ。

 ボディラインはハッキリしているが、実際は露出度はそうでも無い。

 何より、他の看板に使用するスチルの人物と同じ美女の『KIRIである』と言う事は強調しなければならない。その為、あまりメイクは弄らない。


 三枚目。

 新作RPGヒロインのコスチュームを着たミミにゃんと写る、CITRUSの宣伝だと分かるネタバレスチル。

 ミミにゃんは上半身にシリコンバストスーツ着用。これでヒロインキャラと同じく、巨乳になれる素敵アイテム。霧香はスーツの本物のようなバストの質感に、触ったり揉んだり興味津々だった。恥ずかしそうなミミにゃんを見て凛がニヤニヤしていた。


 以上三枚目の他に、POPやチラシなどの為に霧香は何百枚と撮られる。使用されるのはこの中から数枚である。


「照明でメイク溶けそう。

 あと、ポーズにバリエーション付けられないね。時間かけちゃった……」


「最初はそんな感じですよ。動画とは違いますけど、動きながら撮るので……あのカメラさんは会話も多い方なのでまだやりやすいですよ」


「え〜 ? 無言とかあるの ? 笑顔で写真撮られて、周囲は無言 ? 」


「ありますあります」


「はぁ〜。キツイ〜 ! 」


 ミネラルウォーターを飲みながら、ミミにゃんと一息つく。

 今日のスチルに、『LEMON』のロゴと『QRコード』は時間差で看板に描き込まれる。

 この時、二人はパソコンに映された小さな画像しか確認していないが、後日、街中に自分の看板がデカデカと建った時、霧香は恥ずかしさで気を失いかけた。


 アンジェリン作戦開始である。

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