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第42話 消炭色

 全員が樹里の事務所で合流する日。

 蓮はやっと儀式の準備を済ませた部屋で、王政区の者と連絡がついていた。


『そうですか。ではこちらの審査次第またご連絡いたします。

 こちらでもニグラム様に聴取をして、リヴァイエル様の生活環境の見直しを図りますので』


「ありがとうございます。

 あの……本当に……。音楽だけは彼女から取り上げないで下さい。

 あいつは攻撃の為に魔法を使ったり、戦いに身を置く様な者ではありません」


『それはレン様の感情的な物差しにしか過ぎません。

 ……ですが、確かに人間の就職活動も大変だと言いますし、それで生活していけるのなら……第五契約者もいるようですし他の悪魔からみを守れるなら、人目に付く行動も……。人間界は法律もありますし、比較的治安のいい国にいるとは聞いていますので』


「あとは、屋敷を護る動物契約者もいたんです。勝手に記憶を消されてしまって……どうにか……どうかお願いします」


『その場合、動物の記憶は消した本人……つまりニグラム様自身に戻して貰わないといけません。こちらでも説諭してみます』


 交信が途絶える。

 正直、あの暴君な兄が説諭だけで「はい、分かりました」と言うわけが無い。


 蓮は不安なまま、結局シャドウを元に戻せないまま霧香と合流する事になった。


 気分が落ち込む。

 シャドウの事を「また記憶戻せるかもしれないんだ」と希望を持たせる甘い言葉か、「同じ個体なら記憶が無くなってもシャドウだから」という夢を持たせるか。


 蓮が一人掛けソファに垂れていると、突然ドアノブがガタガタ言い出した。


「…… ?」


 魔法が満足に使えない今、敵襲は困る。だが自分を襲うとしたら、それは自分の身内のヴァンパイアである。この銀製品の多い部屋で中まで侵入出来るとは思えないと決めつけた。


「……」


 居留守を決め込む。

 蓮はスマホに撮り溜めた霧香の画像をフリックするのに夢中だ。


 だがドアはなんの躊躇いも無くガショ ! と開いた。


「う、うわ !! 」


「よ。悪魔避けどうなっ……なんでそんなビビるんだよ」


 蓮が持っているスマホを見て察する。


「……あー……」


「急に開けんなよ ! 」


 ハランは……ソッとドアを閉めた。


「待てって !! 誤解だから ! 」


「いや……何も誤解じゃないだろ、うん。

 でも流石に……。お前、ヴァンパイアのくせに愛が重いな」


「たまたまだよ !

 だいたい俺も思ったけどな ! 今まで人を女好き呼ばわりしておいて、この部屋に女呼んだことなんか無いだろ !? そもそもベッド無いし椅子も汚ぇし。

 て、天使のハランさんは、どこで人の温もりを満たしているんでしょうねぇ〜 ??? 」


 確かにハランがいくら女性をコロコロ乗り換えないにしても、全く彼女がいないという事も無かっただろう。

 蓮は鬼の首を取ったように騒ぎ立てるが、ハランは綺麗なブロンドを耳にかけて微笑むだけ。


「言うわけないじゃん」


 そう微笑むだけ。

 笑顔。

 清々しい笑顔。

 鉄壁のビジネススマイル。


「いや、だから結局は……お前だってどこかで……」


「言うわけが無いよね〜 ? 」


「……不潔…」


「ちょこちょこ寝室で夜更けに女性を吸血して襲うイメージがあるヴァンパイアにだけは、絶対に言われたくないけど ? 」


「それは古のヴァンパイアだよ。現代はそんな事ない ! 」


「本当に ? 」


「うるせぇよ」


 蓮はブルーシートを捲ると、綺麗な部分の床に腰を下ろす。


「何しに来たんだ ? 」


 ハランは冷蔵庫からビタミンウォーターを取り出すと、カウンターに肘をつき項垂れる。


「悪魔避けでまだテンパってたら笑いに来ようかとって言うのは冗談……本当は普通に現実逃避だよ。

 病院がさぁ。ただの個人病院なのに忙しくて……。午前も早朝から待合室でガヤガヤしてるしさ……。俺、もう昭和の武勇伝聞きたくないよ……」


「……うん。おつかれ。後、そういう炎上しそうな発言はここだけに留めて欲しい……」


「分かってるよ、ただの愚痴だよ。これなら休暇取らずに黒ノ森にいた方が楽だったなって。

 実はさ、休憩中にキラとアクセサリーの話になってさ。そういえば『悪魔の邪視や攻撃を回避するアミュレット』って知ってたなって思って来たわけ」


「邪視はともかく、『攻撃回避 ? 』。そんなのあるの ? 」


「誰でも作れる訳じゃないけど……。持ち主が発動のタイミング選べるのはいいけど、使い捨てなんだ。

 でも今のキリちゃんには必要かなって 」


「……ああ。そう言う事」


 ハランは比較的硬度の高く仕上がる粘土を手に取ると、蓮に微笑む。


「じゃあ手始めに、お前が苦手な物を基本にするか ! 」


「なんでっ !? 」


「だって身近に悪魔いないし、効き目があるか実験しないとさ」


「俺……実験台になるなんて絶対嫌だけど ? 」


「キリちゃんの為なのに ? あった方がいいと思うなぁ〜 ? 」


「うぐぐ……俺はこの怒りをどうすればいいと思う ? 」


「…………。またスマホでも見て癒されたら ? 」


 これには蓮も恥ずかしさで何も言い返せなかった。


 □□□□□□□□□□


 かなり離れた町の道の駅にいた三人は朝から出発となる。

 霧香は熱心にサブスクでオペラ全般を聴いていた。


「キリ、まだ決まったわけじゃないし。あの楽団はそういう曲やらないよ。お祭りの会場だし、一般受けするものしかやらないと思う。真理さんがふざけただけ」


「あ〜、確かにな。普通、ダンススクールとかなぁ。お祭りのステージってそういう、明るい元気なのが上がるイメージ」


「そう。ガチガチのオーケストラなんてやらないよ。まして屋外だし……カルテットくらいの編成だと思う」


 霧香は彩にスマホを返すと、難しい顔をして溜め息を付く。


「オペラかぁ〜。かっこいい〜。

 そう考えると……ガラスのチェロはますます早く取り戻したいなぁ〜」


「あれだって弓は毛だし。雨天で濡れたら弾けない」


「うむ〜ん」


 恵也がハンドルを握り、もそもそし始める。


「……なんか俺のスマホぶるぶるしてる。サイ、見てくんね ? 」


 彩がガチガチに固まった姿勢で運転している恵也のズボンからスマホを抜き取る。


「誰ってなってる ? 」


「……南川さんだ。

 あ、俺に先に着信来てた。キリ、言えよ」


「頼むぜ、そーゆーのちゃんと出てくれよ」


「仕事用のスマホ、キラに貸しっぱなしなんだよな」


「それこそちゃんとしてくれよ……」


 着信の切れてしまったスマホからかけ直す。


「おはようございます、モノクロの深浦です。着信に気付かず大変申し訳御座いませんでした」


『いやいやいいんだよ。

 あのさ、凛さんから広告の事で霧香さんをメインに使いたいから写真撮りたいとかって話が来ててさぁ。

 凛さんに番号教えていい ? っていうか、スケジュールどう ? 忙しい ? 』


 完全に暇である。


「夏祭りに弦楽で地方のステージに立つかもしれなくて16日の午前に……でも、それ過ぎたら暇になりますね。平日でも土日でも」


『そう? お盆中はうちも社員さんは休みの人多いから丁度いいね。

 じゃあお盆明けにスケジュール調整して、決まったら連絡でいい ? 』


「はい。よろしくお願いします」


 通話を切った後、二人に話す。


「写真 ? キリだけって事 ?

 俺ら全員出るのに、なんでキリだけなんだろな ? 」


「唯一、女性だから ? 」


「ん〜 ? よくわかんねぇけど、俺らも別について行っていいんだよな ? 」


「……多分。聞いてみるけど」


 □□□□


 樹里の事務所。

 そのパイプ椅子の上に置かれたキャリーケースを霧香が見た時、居合わせたメンバー全員、エアコンのものとは思えない程の冷気を感じた。


「……すぐに戻したいだろうけど、契約は待って。

 俺も向こうに連絡がついて、説得してもらってる。あいつ本人なら記憶を戻せるらしいんだ」


「あのDVの塊みたいなのがそんな事するか ? 」


「その為の第三者機関だし。キリの存在は、どの王区でも厳重扱いだから……」


 どの国も霧香にへそを曲げられでもしたら大変な問題なのだ。


 蓮はこれで少しだけでも気分を浮上させられればと思ったが、霧香は怒りの矛先を自身に向けたのか何も言わず無表情でキャリーのそばに座り込んだ。

 ただ怯えているだけの黒猫の後ろ姿。


「レンレン、楽器のレンタルいくら位 ? 」


「ん〜。一万ちょいくらいかな。年契約だともっと安いけど……」


「バイオリンは真理さんに借りるけど、チェロはまだ分かんなくてさ」


「キリ、ステージで弾くの ? 聴きたいなぁ ! 」


 希星が問いかけても、霧香はぼんやりとして反応が無かった。

 樹里が恵也に明るく話す。


「レンタルするならいいのあるわよ。純白のチェロ ! 」


「でも……それってお値段も……」


「ホームレスの話、面白いから続けてよ。それで普通料金と同じでいいわ。店長に言っておく。

 それで ? ご飯はどうしてたの ? 」


「いや、だから一パックの味ご飯とかを買って」


「そうそう。三等分して……」


「いひひひ ! 切なっ !! 」


「……笑い事では……」


「そっすよ。だって財布持ってきてないって言うし。キリはスマホも無いし」


「悲惨だわ〜 ! お金の管理なんて、今どきネットバンク使えばいいのに」


「……現物で……見える物で管理したい」


「ふーん。便利なのに。

 ……そういうタイプの人がメタバースで活動するの、不思議だわ〜……」


 落ち込んでる霧香に咲が近付く。


「霧香さん。一度、休暇を取りましょうか。耳も治ったばかりだし、VEVOもメタバースの企画もまだ余裕があるから」


 霧香は牙を剥くシャドウを見ながら、「必要ありません」とだけ答えた。

 そして立ち上がると、樹里に頭を下げる。


「楽器レンタルさせて頂きます」


「任せて ! 」


 一先ず、音楽活動が目の前にある事でどうにか持ち直した。そう、恵也や希星は思ったかもしれないが、霧香の心を辿れる彩にとって、それは今まで一度も感じた事の無い燻る様な怒りの闇。


 嬉しいとか……感謝、希望……そんなものを一切感じさせない霧香の樹里への感謝の言葉。

 言葉と裏腹にやるせない怒り。


 霧香はへなりと静かに笑うと、再びシャドウを眺める。


「あー……えと、元々レンレンと住んでたんだし、キリ、このままハランのアパートに行ったら ? 」


 恵也が勧める。

 普通ならこのまま蓮と同棲状態になる所をハランあたりは妨害しそうなところだが、今回は仕方がない。


「え……へ、部屋狭いし……」


 蓮はたじろいでいる。

 以前の同居時はそこまで気にもしなかったし、霧香も自分の手中に収まっていた。世間知らずな霧香を時には面倒だと思うこともあった。しかし一度外に出始めた霧香は、思いのほか彩に固執したし、ハランも恵也も放って置かないことを認識する。そして自分に嫉妬心がある事にも気付いた。


 最近は気にしないように……それこそ霧香の言う「これはあくまでパフォーマンスなんだ」と言い聞かせていたのだが、あの狭い部屋に来るとあっては妙に落ち着かない。


「でも、今は仕方ねぇよ。実際、キリの風呂とかさ。着替えも化粧もそうだけど……俺ら男と同じ生活って訳には……」


 そこで樹里が咲に声をかける。


「あんたの部屋ダメなの ? 」


「うえ !? え、えーと……今は……その。どど同居人が……」


「へ ? 」


 突然の恋の気配。


「嘘 !? いつの間に !? あんたあたしに紹介も無し !? 」


「そ、それは置いといて ! お、お姉さんだってそんな事もあるもん ! 」


 咲は何故かモノクロにバツの悪そうに取り繕う。


「俺たちは何も言ってないですよ。咲さん、お幸せに。

 ケイとサイは ? こういう状況だし、仕方ないさ。お前らも俺の実家に住むか ? 」


「ロイさんに悪いしなぁ」


 遠慮する恵也に希星が畳み掛ける。


「ケイ、うちに来るの !? やった !! 」


「ま、まだ決まった訳じゃねぇし……」


「いつまでもそんな生活してられないだろ ? サイもだぞ」


 ハランにいわれた彩は首を横に振る。


「俺はしばらく今の生活しようかな。

 あそこにいると観光地が近いからカップルが多いんだ。遠出のカップル。

 気が済むまで、いてもいい ? 」


「お前な……」


 生活の心配で皆動いているのに、彩はかたくなに創作に全振りの生活である。


 咲が状況を整理する。


「ゲソ組のお金は……キラ君がスマホ返して、リーダーは解決ね。

 あとは……車かな ? リーダー、流石に寝る時は場所を変えてどっかに泊まるのよ ? なんて言うか、モノクロの印象や評判ってものがあるし、常識の範囲内で行動してね ? 」


「ええ」


「今回のVEVOの生放送の出演で少し入ってるはずだし……。

 あとは……霧香さんのお財布か……。どうする ? スマホも無いのか。えっと……会社で余ってるスマホ持ってくるわ。ただ、本当にただ繋がるってだけのスペック低いものだけど」


「助かりますお姉さん」


「キリちゃん、俺もこれ。アクセサリー好きじゃないって言ってたからポケットに入るサイズの御守り。護身用で一度だけ身を守ってくれるから」


「ありがとうハラン」


 霧香は天使が刻印された、コイン程の大きさの銀細工をポケットに忍ばせた。


「……仕方ないな。俺のクレジットカード貸すから、あとからちゃんと返せよ」


 蓮がカードを霧香に渡す。いくら霧香でもそろそろ人間界の金銭感覚は身についているだろうし、大丈夫だろう。


「え、いいの ? ありがとう。

 じゃあ、さっそく……チェロ買って帰るね」


 大丈夫じゃなかった。

 一同、気が気でない。


「チェロは今レンタル申し込みするから ! 」


「か、買い物の時はレンレンと行けよ ? 無駄遣いすんなよ ? じゃなきゃ、今度はレンレンがホームレスになるからな ? 」


 これに対して樹里の笑上戸ボルテージは最高潮を迎えた。


 □□□□


 そして帰宅した蓮と霧香だったが、ただひたすら蓮は気まずい。


 霧香が部屋にいる。


 いる !


「はぁ〜……」


 蓮は静かに深呼吸をする。

 自分ともあろう者が、女性一人にソワソワするなど見苦しい。

 実際は浮かれている。

 頭では理解している。

 霧香の精神状態はいい状態だとは言えない。毎晩悪夢を見る事と、前に恵也が霧香の寝込みを練習台にしようとした時、霧香の部屋にいた蓮。

 恵也はそれを知っていて、霧香を蓮に託したのであった。


『俺たちじゃ、どうしていいか分かんねぇし。キリもうなされっぱなしでさ。まともに眠れてねぇよ絶対』


 恵也も霧香に対して気があるだろうが、その辺を割り切って行動できる分、大人なのか、いいヤツなのか。


「明日はお前だけCITRUSか。ケイと合流するまではついて行くから」


「うん」


 先程までとは打って変わって、霧香は上機嫌な様子だった。

 時刻は既に二十時。


 黒ノ森楽器店に寄り、件のチェロを借りてきた。

 純白のチェロ。

 早くそれを弾いている霧香を見たいところだが、明日の会議を考えるとやはり万全を期したい。駆け出しのモノクロにとって、その辺の信頼は見せなければ築けないものだ。


「キリ、先にお風呂入って来たら ? トリートメント用意しておく」


「あー……自分でやるよ」


「え……あ、あぁ。そうか。うん。ゆっくり入っておいで」


 二週間の間、無精の霧香にしては髪が縺れたりしていない。恐らく彩にされていたか……自分で手入れしていたか……。安易に触れられなくなっていく事に複雑な気持ちを抱く。


(子供を構いたい盛りのお父さんかよ…… ! )


「え……なんか言った ? レン急にどうしたの ? 」


「いや……なんでもない」


 霧香はタンスからハランのタオルを漁りながら風呂の準備を進める。


「そう言えば、皆んな、恵也をケイって呼ぶようになったね。レンもわたしをキリって呼んだよね ?

 あれ ? でもいつからだろ ? サイにはいつも呼ばれてるから、すぐに気付かなかったな〜」


「キラに川遊びの時言われたろ ? 呼び名がメンバー内で違うのは見てる方は混乱するって。一理あるなと思っただけだよ」


「そうだね。わたしもキリに統一しようかな ?

 今はインスタは『キリカ』、XとYoutubeはは『KIRI』なんだよな。

 サイはSAIだから表記以外はいいとして、ケイもXは『恵也』のままだったはず」


「あいつは……。

 ほら、お兄さんの関係で、今でもファンとか関係者から連絡来ることあるみたいだから」


 そう言われて思い出す。恵也の兄の死。


「あれ……一年前……。人間って、ブッキョーの人はなにか集まるんじゃないの ? 」


「一周忌な。命日だよ。

 確かもう終わってるよ。あれ初夏だったもん。七月頭あたり」


「嘘……。ケイ、なんで言ってくれなかったんだろ」


「身内の事件だし。お兄さんは俺も会ったことあるけど、お客さんだしな。知り合いって訳じゃないし。

 呼ばないし誘わないって事は、家族でだけやったんだろ。今、そういうの小規模じゃん。まして実家が本職だし」


「そんなもんかなぁ ? 」


 霧香がソッと蓮の膝に乗る。


「呼ばなくても、行ってくるって一言も無いなんて……」


「……どうかな。事件が事件だったし、あまりお前に恐怖感を与える事はしたくなかったのかも。

 モノクロだってVEVOの話も来てたし、動画も好調だったし、波に乗ってきたから暗い話題を避けたのかもな。

 ……あいつ馬鹿っぽいけど、意外と男らしいんだよ……」


「うわ、それこそびっくり ! レンがケイを褒めるなんて ! 」


「……なんでだろうな。俺とタイプが違うし。

 有言実行タイプだからかな。なんか気を使わないで話せる気がする」


「そう……なの ? 男同士の評価って訳わかんないなぁ。ケイってXでも男性票が多いんだよね。ハランはサイの考えてる事が理解できないって言ってたし」


「へぇ……」


 霧香にとって恵也は未だ友達止まりである。旅行先のアクシデントは無かった事 ! と割り切っているし、自分以外詳細まで知らない事だ。

 不思議そうにする霧香に蓮はつい、口をついて出てしまう。


「お前は……誰が好き ? 一緒にいて、誰が評価高いと思う ? キラとかじゃなくてさ…… 」


 これには霧香も流石に蓮の質問の意図を理解している。

 だが、前回ミミにゃんの前では誤魔化し、キラと答えたが、今は恐らくその答えじゃ納得しないのだろう。


「……勿論、レンだよ……ずっと一緒にいたし……」


 お互い鼓動が早くなる。


 石鹸ケースを持った甘い香りのする霧香の白い首筋。そのまま抱き締めて、意識が飛ぶまで血を貪り尽くし、自分の全ての欲望をぶつけてしまいたい。

 自分の目の色がドス黒い紅に染まるのを感じ、蓮は静かに目を閉じる。


「そっか。ありがと。嬉しいよ。

 さぁ、お風呂行ってこいよ。早めに寝た方がいい」


「そうだね」


 霧香が離れる。

 しばらくしてシャワーの音がし出すと、ようやく高ぶった身体が収まってくる。


「はぁ〜……やっぱり、うちにサイかケイは呼んだ方がいいかもな……。俺ってこんなしょうもない奴だったっけ ? 」


 そう呟きながら血成飲料をガブ飲みした。


 □


 まず浴槽に水を張る。

 大掛かりな儀式用具など無くとも、霧香は蓮より遙か魔法上級者なのだ。それもそのはず、純粋培養でヴァンパイア領土で生まれ育った下級悪魔のヴァンパイアと、元神の獣としての任務を託される程の水の天使。差があるのは当然の事だ。

 戦闘能力に関しても、訓練は蓮の方が緻密な動作や攻撃、守備の技術は高いが、殺せるか殺せないかという大味な質問となれば勿論破壊神 リヴァイアサンの霧香の方が上である。


 例えば、地獄には一層から九層までルシファーを凍らせた永久凍土がある。俗に言うコキュートスという場所だが、霧香ならその氷を意のままに溶かすことも出来るだろう。


 それだけ恐ろしい生物兵器なのだ。

 それは霧香は自身が一番よく分かっている。

 空はジズが雷を起こし、陸のベフィモスが地震で地を割り、リヴァイアサンは津波や水害を起こす。この神獣が三位一体で人間界が滅ぶ予定だった訳なのだから、相当豪力なのである。


 バスタブの水面みなもが静かになり、鏡のようになると、霧香はシャワーを出しっぱなしに、その水面にソッと服を着たまま爪先を入れる。


 呪文を唱えながら水に魔法をかけ、行きたい場所をイメージする。

 移動の魔法とは違う。

 これはあくまで自分がヴァンパイア領土へ帰還する時の魔法だった。


 脹ら脛程が水面に沈んだところで、ようやく爪先が床に付く。そこからズブズブと身体を吐き出すように水面は頭上に上がり消える。


 ダークブラウンと薄紫色で統一された部屋のソファに、本を読むディー · ニグラムの姿があった。


 ディーは霧香に気付いてはいるが、さも興味無さげに、脚を組み本から目を離さず忠告する。


「不敬だぞリヴァイエル。ここは俺の自室だ」


 霧香は真っ向から喧嘩を売りに来た。

 そう、喧嘩っ早いのは元からだ。

 何とかモノクロのイメージの為にと、港の不良の一件以来、温厚な態度を取って来たが、猫に戻されたシャドウを見た時、抑えきれなくなってしまった怒り。


「うちの契約者に随分な仕打ちをされましたね」


「教育の範囲内だが ? 」


 ディーはそういうと、ようやく本を閉じ霧香を見る。


「どうした ? 護衛も連れず。俺と戦争でもしに来たのか ? それとも他の悪魔に泣き付きにでも行くのか ? 」


「あはは。戦争なんか ! まさか ! 」


「……」


「素敵なテラス。外の景色を観ても ? 」


「構わんが」


 美しい石造りの街。

 しかし文明としては、やはり水が無いせいか土も壁も渇き、緑が無い。唯一農園だけはあるようだが、水は他の領土に住む水系の悪魔から輸入し真水にする大掛かりな魔法をかけている。


「俺の首を捕りにでも来たか ? 」


「あ、それもいいですね ! 」


 霧香は笑い手をポンッと合わせる。


「でも……わたしなら音楽魔法で暗示をかけます魔力を最大限まで使って歌えば……ヴァンパイア領土を手にすることなんて……」


「簡単だと ? 馬鹿げている。王族や民衆を暗示にかけたところで、それはただの砂の城だ」


「ですよね。わたしもそう思います」


「何が望みだリヴァイエル。第三者機関に言われ、契約者の記憶を戻す魔術の確認をしていたところだ。

 今回は俺の方が手を引けと糾弾された。

 だが、消して忘れるな。皆、お前が恐ろしいから言っている。

 お前には情の欠片も感じる者などいない」


「……そうですか……シャドウくん。戻して貰えるんだ……」


 霧香はホッとして、胸を撫で下ろす。


「分かったなら戻れ」


「あ、いえ。

 統括、人間界で少しデートでもしましょうよ」


「自分が何を言っているのか分かっているのか ? 」


「あぁ、エッチなのはダメです。遊びに誘ってるんですよ」


 そう言いながらも霧香の瞳は冷たく微笑む。


「それになんの意味がある ? 」


「……わたしはおかしいと思いますよ ? 人間界の事を知らない人が人間界にいる人の管理や取り決めをするなんて。

 どんな世界か、ご自分で確かめになってみては ?

 ヴァンパイアの感覚で人間界に住むわたしが被害をこうむるのは納得がいきません。

 ですが喧嘩などしても不毛です。一緒に住んで、確かめて見ればいいのでは ? 」


「断る。人間等と一緒に住めるか。低俗な者同士の集まりに興味は無い」


「そうですか。残念です。

 じゃあ、仕方がないですね」


 霧香が魔法陣をパリパリと音を立てながら浮かび上がらせる。


「ふん、遂に正体を現したな。所詮、お前は破壊神。壊すことでしか活路を見いだせんのだ」


 霧香の周囲に結界が出来る。

 そしてその手には巨大なマイクの付いた大型拡声器。


 暗示だ。

 歌で民衆を自分の虜にしてしまう、人間界でも流石に使用しなかった音魔法だった。


「クソ ! 」


 ディーは城の兵士を呼ぼうと迷ったが、結局通信魔法を第三者機関に繋げた。


「さ、何を歌おうかな」


「やめろ ! 」


 ディーがベランダに出ようとしたが、結界があって霧香に近付けない。


「ん〜。プッチーニのトスカのアリアがいいかな。『歌に生き、愛に生き』です。人間ってどうしてこんな芸術を生み出せるんだろう ? 」


「頼む。民衆に手を出すのは止めてくれ !! 」


 霧香は拡声器を持つと、精神の全てを拡声器に込める。通常オペラで拡声器など使いはしないが、そうでもしなければ領土全域まで届かないだろう。


「歌に生き 愛に生き

 他人を害することなく

 哀れな人たちと知れば

 そっと手を差し伸べてきた


 いつも心からの信心を込め

 私の祈りは聖なる祭壇へ昇り

 いつも心からの信心を込めて

 祭壇へ花を捧げてきた


 なのにこの苦しみの時において

 なぜ 何故に 主よ

 なぜこのような報いを私に ?


 聖母様の衣に宝石を捧げ

 星々と空に歌を捧げ

 いっそう美しく輝いた星々


 なのにこの苦しみの時において

 なぜ 何故に 主よ

 なぜこのような報いを私に ? 」


 聴こえてくる美しい歌声に、果物籠を持った女性は落とした籠を拾いもせず聴き続ける。

 そのそばでは、初めて聞く音楽に子供がぼんやりと上空を見つめ耳を澄ます。

 家を修繕していた屈強な職人達も思わず手が止まる。立ち上がり、黒百合城を見上げる。


 テラスで歌うヴァンパイアとは思えない程、天使のような可憐な少女。


 城内の兵士ですら槍をおろし、仲間との会話が途切れる。

 訓練中の剣士も指導者も同じく。


 皆を魅了する歌声は何処までも続き、何処までも魅了していく。


 □


 シャワーの音が随分続いている。

 普通、止めたり出したりするのではないか ? どうにも風呂に入るには動きのない一定の水音。

 ワンルームに取ってつけたような風呂だ。音は丸聞こえだが、どうも霧香がいる気がしない。


 蓮は立ち上がり、風呂の様子を伺おうとした時、着信音が鳴る。


「はい」


 相手は彩だった。


「高速バスで寝ちゃったんだけど……今気になって……」


「何 ? 」


「キリから流れてくる感情が凄く……上手く表現出来ないんだけど……攻撃的っていうか……。

 昼にシャドウを見た時も怒ってはいたんだけど、なんか今は……そういう怒り方と違うっていうか……。

 今、喧嘩とかしてた ? 」


「全然。普通に楽しそうにしてたよ。今は風呂に入ったけど……」


 そう言ってから気付く。

 気配のない霧香。

 霧香の魔術が最大限に引き出せる水場。


 蓮は慌てて、バスルームを開ける。

 そこに霧香の姿は無かった。

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