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第41話 玄

 李病院はたちまち老人たちがこぞってかかりつけになった。


「あらあら、成程。この辺り痛むでしょう ? 」


 ロイの丁寧な診察は勿論、程よく若くない年齢、甘いマスクは中高年層女性に馬鹿売れとなった。

 更に、だ。


「立てますか ? ご家族のいるところまで、どうぞ僕に掴まって……遠慮なさらず ! 」


「この歳になると、どうもなぁ〜」


「いえ、しっかりなさってますよ ? 内臓とか綺麗じゃないですか ! 」


「まぁ、早めに酒も煙草も辞めたからなぁ〜」


 研修医ポジションとして実家に戻ったハランは男性票も獲得。


「若先生、診察はしないのかい ? 」


「僕は非常勤ですし、お手伝いです。ブランクもあるので、医療行為は父に許可されてないですよ」


「お医者も大変だぁ。俺の若い頃もよぉ〜……」


 そんなやり取りを毎日繰り返す。

 李病院の信頼には勿論立地の良さもあったが、一番は希星の存在だった。

 高齢者の情報網はとんでもないスピードで、あらゆる噂を運ぶ。あの病院さんがあの事件の子供を引き取ったらしい。凄くいい子らしい。お医者の腕もいいらしい。事実ではあるが、ヤケに過剰な評価までついて回っている。


「あら ! 希星くん ! 今日もお手伝い ? 」


「あ、草野さん ! 夏休みの宿題で家のお手伝いがあるんです ! 」


 そう言い、病院の窓を拭いていく。元々人タラシの希星は一度見た患者の顔や声を忘れない。


「偉いわねぇ」


「ほら、飴ちゃんあげるから ! 」


「わぁ !! これ、好きな味 !! 佐伯さん、ありがとうございます ! 」


 素直なありがとうございますは、中々の破壊力がある。反抗期に入る直前、というこの今の時期の素直さは、子育てを終えた層に絶大な癒し効果を与えていた。

 この貰った飴ちゃんをハランに自慢し、ハランがお礼を言う……まで、ワンセット。

 治療の他にエンチャントされるものが多い病院である。


「キラ、そろそろ休憩しよう」


「うん ! 」


 事情はあれども、歳の差兄弟で仲が良く、愛想のいいイケメン二人、プラス……ダンディな父 ロイと美人看護師の母。

 皆、暖かく見守る。


 休憩室に入った直後、ハランがロッカーの中で点滅するスマホを見る。蓮からの着信だった。


「あいつからって珍しいな。あの日以来、俺の部屋にいるはずだけど……」


 蓮はその頃、ハランの賃貸物件でてんやわんやしていた。


「もしもーし」


『あ、出た !

 あのさぁお前の部屋なんなの ?! 』


「なんなのって何さ」


『俺、ここで魔法使えないんだけど !? 』


「そりゃあ……天使の部屋で悪魔が魔法使える訳ないだろ」


『ってか、物が多い ! 』


 ハランの部屋は蓮にとって、相性の悪い部屋だった。

 霧香の屋敷に住むことになっても賃貸を続けていたのは、ここが趣味のアクセサリー作りの作業部屋になっているからだった。

 テーブルは工業用のスチール製で大小様々なクランプが挟まっている。銀製品を作る粘土やチェーン、ヤスリなどあちこちに置いてある。床もちょっと粉っぽい。

 片付いてはいるが、足を伸ばして過ごせるような場所では無かった。

 銀製品とヴァンパイアの相性は人によるが、蓮はどうも影響が出やすいようだった。


「部屋の隅に悪魔避けがあるんだけど……」


『右 ? 左 ? 』


「四方にあるよ。壁にかかってる鳥の形のやつ」


『痛〜〜〜 !

 ああぁぁ、もう ! 触れないんだけど !? 』


「知らないよ ! トングでも使えば ? じゃーな」


 ガチャ切り。


「全く……誰の兄貴のせいでこんな事になったんだか……」


「ねぇねぇ。住宅地の中にセレクトショップがあるの知ってる ? 」


「雑貨屋さん ? 夫婦でやってるとこ ? 」


 ハランが以前、霧香に硝子のカチューシャをプレゼントするのに購入した店だ。一軒家の狭いスペースだが、センスのいい物に溢れたショップだった。


「うん ! ポスターが住民板に貼ってあってね。置きたい物ある人は置いていいんだって ! ハランのアクセサリーも売れるよ ! 」


「うーん。売るために作ってるんじゃないけどなぁ」


「アミュレットとかなら絶対ご利益あるよ ! 」


「そりゃあ一応、本物だからね」


 この二人が呑気に弁当を突く同時刻。

 蓮は通話を切られたスマホを投げ捨て、トング片手に鳥の銀細工と格闘している訳である。


「くっ…… ! 気持ち悪い ! 」


 壁に掛かった銀の鳥がジッと蓮を見つめる……ような気がするのだ。


 ガチャン !


「ひぃあぁぁああぁあ ! 」


 ゴキブリを取る女子大生の如く、パニックを起こしながらトングで挟んだ物を見ずにベランダへ放り出す。霧香になど一番見られたくない、情けない姿だ。


「はぁーっ!!!!!!……無理〜っ !!!!!! 」


 蓮は何とかヴァンパイア領土と連絡を取りたかった。王政区には第三者機関があり、つまり「ディー · ニグラムがアホなことしたら俺たちが怒るよ」と言う者達がいるのだ。

 だが人間界から地獄へ交信するには、この部屋は不向き過ぎる。大掛かりな儀式用具も置くため、外でチャチャッと済ます……というのは難しいのだ。

 蓮の方が地獄へ出向くとなれば、更に大掛かりな魔法を使うことになるし、今は交信だけでもと思ったのだ。

 しかし、この悪魔避けが邪魔をして魔法が使えないでいた訳である。


「ふ〜っふ〜っ ! クソ ! あと……三つ……。だぁぁぁ !! 気がおかしくなりそう…… ! 」


 Prrr


 着信。

 蓮は反射的に手に取ると恫喝する。


「無理だよ !! これが取れたらそもそも悪魔避けじゃねぇだろ !! 」


『ご……ごめんなさいぃぃぃっ !! 』


 声色がおかしい。

 蓮が液晶を見直すと藤白 咲の表示。


「あ……すみません咲さん。今、ハランと話してて。

 って言うか今から俺の部屋に来ません ?

 ……は ? 違いますよ、誤解です !

 実は、ハランの部屋に悪魔避けがあって魔法使えないんですよ。

 三人も連絡付かないし、今から身内に連絡しようかと魔法の用意してて……え ? 居場所知ってる ? 」


 そして聞かされる、三人の行方。


「道の駅 !? 俺の車で !?

 でも、もう二週間以上経つのに !? 」


 全員が家を飛び出してから、もう二週間経過していた。


「どこの道の駅です ? え、聞いてない ? なんで聞かないんです ?

 ……いや、お金の事なんて聞いてないですけど……うーん ? でも口座はサイが持ってるはずですけど。

 分かりました。二日後に樹里さんの所ですね」


 とりあえず、樹里の事務所に集合して話をする事に決める。

 家出してから初めての集合だ。

 気が滅入る。シャドウの記憶は戻らないだろうし、霧香に伝えるのが辛い。


 □□□


「恵也おかえり〜」


「おかえり」


 これがアパートの一室などなら、微笑ましい。帰宅した父を迎える家族の団欒である。

 だが現実は、成人の無職二人。ホームレス。


「未使用のノート余ってたから持ってきたぜ」


「あ、くれ。頭と口から詞が飛び出そうなんだ……」


 創作から離れる事に慣れてない彩の脳内は、一日中道の駅で人間観察をしたお陰か、書き留めたくてウズウズする程のインスピレーションが溢れ出している。


「咲さんに明後日、樹里さんの事務所で会おうって言われてんだけど、行って大丈夫なのかな」


「そういえば、咲さんの会社……株式会社 ゲイザーってとこだっけ ? 事務所とかあるはずだよね ? なんで樹里さんのとこなんだろ ? 」


「仲良いからじゃないの ? 」


 まだ樹里がシャドウを預かっていることも、シャドウの契約が切られた事も、霧香は知らない。


「あとさ、お前ら多分……無関心かもしれねぇけど言っておく。

 来週ハランの誕生日だからな」


「「……」」


「祝う場所が無い……」


「祝う金がない……」


「だよな……そもそもレンレンも逃げろとは言ったけど、こんな……宿代わりに愛車を使われるとは思って無かっただろうしな……」


 三人はてくてくと食堂に行くと、山菜おこわを一パック買い、割り箸を三本貰う。

 その毎日のルーティンに気付いたレジの中年女性が、霧香を見て心配そうに声をかけてきた。


「お姉ちゃんずっといるね〜。この辺の子なの ? 」


「え ? あ、わたしミュージシャンなんです」


 だからなんだ ? と言う霧香の切り返しだが、女性は笑顔でコソリと話を続ける。彼女は霧香が、男二人に連れ回されている家出少女なのでは ? と思ったのだ。正直、半分当たっているから「母の目」というのは恐ろしい。


「あら、そうなの ? じゃあお兄さん達は……」


「バンドのメンバーです」


 そう言い、霧香が二人を呼ぶ。


「いつもいるねって言われて話してたの。

 あの、バンドはモノクロームスカイって言うんです。検索すると一応Xとかインスタ出てきます」


「あら、そうなの ? 」


「俺 ! お母さん俺 ! ドラムやってんの ! 」


「ドラムって太鼓でしょ ? 」


「太鼓いっぱいあるやつっす」


 案外愛想のいい恵也に「母の目」は少しくらんでいる。


「俺たちね〜、住むとこないの ! 駆け出しだからさ〜」


「えぇ !? じゃあやっぱり !? 昼もずっとここに居るわよね !? 青い髪が目立つからよく覚えてて。彼の方も凄く色白だし」


 別のおばさんが声を上げる。

 どうもこの厨房の従業員の間では、早くも噂になっていたようである。


「金がねぇ〜んすもん。でも、ちゃんと車はあるんで、その辺に寝そべったりしないんで……ちょっとお世話になりまっす」


「別に……それはいいけど……。

 もう〜やだぁ〜……じゃあここで食べ物買ってるのよね ? まさか三人でその量 !? 」


「そっすね」


「け、健康に悪いわよ ! 」


 夕飯のピークを過ぎた頃、まばらにトラックのドライバーだと思われる作業者はポツポツ座ってるが、厨房のおばさん一同三人の所へ群がってきた。


「今はいいのよ ! 食べなくても。ダイエットとか言って、お肌もツヤツヤだし !!

 でもね、この歳になったら後悔するんだから ! 」


 力説。


「そうよ〜。人前に出るならちゃんとしないと〜。

 でも廃棄品でも配って駄目な決まりがあるから……そうだ。半額シール貼るから、もう一パック持ってく ? 」


「服、洗ってるの ? 」


「あ……えーと……」


 洗ってない。

 トイレの水道でシャツくらい洗ってしまおうかと彩と恵也は思ったが、どうにも霧香も真似をしそうで恐ろしいのだ。「下着なんか水着と変わんないよ」などと言い出し脱ぎかねない。


「じゃあこれ、ロッカーにあった作業シャツだけど ! ほら着て ! 」


「女の子こっち来なさい ! 」


 強制連行。


「名前なんての ? 」


「き……水野 霧香です」


「キリちゃん、ほらこっちでこれ、着替えて」


「洗濯機あるから。雑巾とか布巾洗う用の洗濯機だけど、大丈夫 ! ちゃんと洗濯機だから ! 」


 世話焼きおばさん。

 多すぎ。

 優しい世界。


「もう〜…… ! どこか行くあてないの〜 !? 」


「今はどうやって生活してんのよぉ ? 」


「俺が昼間バイトで。

 その間サイが作詞も作曲も担当なんで昼は専念して貰って。

 メインはキリが中心のバンドなんで……」


「キリちゃん、かぁわいいもんねぇ〜」


 魅了もあるかもしれないが、彩や恵也にも世話を焼いている様子からすると、単純に自分の息子、娘より若い子供が野宿しているのを見ていられないのである。


「じゃあ、これ洗って置くから明日朝、取りに来なさい」


「「「ありがとうございます」」」


「同じ車内で寝てるの ? 」

「彼氏はいるの ? 」

「え ? 取り合ってる !? どういうこと !? 」

「へぇ〜プリンセスナントカ ? 息子がやってた気がする」

「モノクロ検索したけど、結構有名じゃない ? 本当に無一文 ? 社会勉強とかネタじゃなくて ? 」

「恵也君、懐デカいわぁ〜」


 大人気。


「あ、そろそろ定時ね」


 散々聴取された後、やっと開放される。


 施設内の売店や食堂、直売所はシャッターが降り、コンビニとトイレだけが営業を続ける。

 ドッグランのそば、全員、厨房の従業員と同じシャツを着せられ、ふと我に返る。


 一パックだったおこわが三パックになっていた。


「ふふ……」


「はは……」


「あはは……あ ! サイ蕁麻疹出てる ! あははは ! 」


「ぎゃははは !! ほんとだ !! 」


「仕方ないだろ……薬もう無いんだから」


「〜〜〜 !! ひーっ ! 腹痛ぇ ! あのおばちゃんらで ! 女を感じてるとか ! 」


「女性は女性なんだよ ! 」


「だーはははは !! やべぇ〜」


「こないだはケイにも出てたじゃん」


「「それは忘れろ……」」


 ひとしきり笑った後、山菜おこわにありつく。

 たまに出会すデコトラにテンションを上げながら、駐車場から近いベンチで話す。


「ありがてぇな」


「思いがけず……みんな優しいね」


「これが普通な訳じゃない。あの人達がたまたまいい人たちだっただけ」


「ま、そうだな」


「ふーん。ねぇ、楽器さえあればここで弾ける ? 樹里さんになんか借りれないかな ? 余ってる楽器とか」


「楽器なんか余らないよ。レンタルはあるだろうけど有料。それにここでもちゃんと許可取らないと勝手に弾いたりとか駄目だし」


「許可を取ればいいの ? 」


「時間帯とか普段は駄目とか、多分場所によって決まりが違うと思う。イベントとかなら別だろうけど」


「イベント……そういえば、夏祭りにここで何かやるよな ? 」


「カフェの方にポスターあったね。わたし持って来てみる」


「おい、一人で歩き回るなよ ! 」


 そう言って霧香と恵也がゴミを持ってカフェの方へ歩いていった。

 彩は既にそのポスターはチェック済だった。

 イベントでステージが建つ夏祭り。

 町内の盆踊り会場とは少し遠いここでは、ステージイベントが開催される。

 出演者は地元の中高生吹奏楽部や一般男性のジャズバンド、地方テレビ司会の名産品の紹介コーナーなどだ。

 しかし昼の見所は……真理のいる、彩と縁深いあの楽団の演奏会だった。


 少人数編成の演奏で、そもそも彩とトラブルを起こした団員など、もう在籍していない。それでも、彩は真理に一言でも声をかけるというのはハードルが高いのでスルーしていた。


 そんな事から、カフェでポスターを見た霧香と恵也は、なんだかしっくりと来てしまった。

 車から降りて来ない彩。


「やっぱ会いたくねぇのかな ? 」


「でも、向こうはそうでも無いんじゃない ? 公開配信にも来てくれたし、楽屋の前でも真理さんはわたし達に声掛けて来たし……。

 キラの家の通報も何回もしてた人だしさ」


「うーん……サイが嫌がってるのに……無理にはなぁ……。

 だいたい、これに出た所で、別に収入源になるわけじゃないんだし」


「……そうだね。楽器弾くだけなら黒ノ森楽器店のとこの最寄り駅に行けばストリートピアノあるし。

 うーん……収入源にならないと意味無いかぁ……」


「絶対では無いけどさ。普段なら収益関係なしに活動って……宣伝にもなるし、それでいいけどさ。今は生活考えないといけないし……」


「……お屋敷に戻ったら危険かな ? 」


「危険 ! 何言い出してんの !? 」


「だってさ、統括がそのままあそこに住んでるわけ無いじゃん」


「でも……俺らが留守だった時、勝手に住み着いてたじゃん」


「……シャドウ君が一人で大丈夫か分かんないし……あそこはなんでもあるけど……。

 ほら、一度食料が切れて、わたしがハランと買い物に行った事もあったじゃん」


「あ〜。Eosエイオスのライブ会場の前でブラブラして来たやつな」


「もし何かあったら……」


「明後日、皆んなと合流できるし、もしもの時はハランに見に行って貰うとか……。

 あのディーって奴も、流石に天使には喧嘩売らねぇんじゃねぇの ? 」


「ん……そうだね。

 じゃあさ ! 気分転換に音楽以外の事してみようよ ! 」


「うわっ ! お前の口からそんな楽しそうな話し出るとか !

 そうだよな ! 俺、まだ動画のアップロードした事ないんだよな ! なんか撮って、モノクロの宣伝でもしてみようかな ! 」


「何する ? 」


「えっと……。えーっと……うーん……なんもねぇわ」


 この二人に限ってプロデュース力など無いのだ。


「アイテールに行って、南川さんにドッキリとか ! 」


「絶対ダメだろ !! 大事なスポンサー様なんだけど !? だいたい目上の人にそういうのしちゃ駄目 !!

 ……あ、そうだ」


「何 ? 」


「樹里さんとこで合流するなら……サイもハランに蕁麻疹の薬貰えるし、お前ならレンレンはお金くらい貸してくれんじゃね ?

 後、黒ノ森楽器店で安い楽器でも……いや、いくら安くても限度があるか……。月契約で楽器レンタルするとか……。社員割とかないのかな ? 」


「でも、結局収入に繋がりのある場所ってないよね。思いつかないよ 」


「咲さんがいるじゃん。どこでも弾くから、なんか紹介してくれねぇかな ? 」


「どうだろう ? 」


 夜が更けていく。


 実は毎日、車で寝る時間が恵也と彩にとっては苦痛だった。

 それは霧香が毎夜悪夢でうなされているからだ。最初は心配したが、本人から元からだったと聞き、更に心配になってしまった。

 だが、それでも人間は寝ない訳には行かない。


「戻ろう」


「うん」


 □□


 恵也が寝静まった後、霧香がムクリと起き上がる。

 疲れのせいか恵也は起きもしない。

 ノートと睨めっこしていた彩は霧香に気付くと小声で話す。


「寝れない ? 」


「……ん。ちょっとね……」


 霧香の目が赤い事に気付く。


「少しだけ。貧血にならないようにするから……」


 血成飲料の無い今、誰かは霧香に血を提供する必要がある。霧香も、これでも今まで遠慮していた方だ。


「えぇ……ケイ起こせば ? 俺より血の気多そうじゃん」


「そ、そうだけど。ケイは……頼みにくいよ……」


 彩が霧香の心情を感じてから察する。

 保養所で恵也は霧香に要らぬちょっかいをかけている。恵也は聴こえてないと思ってるから通常運転だが、聴いてしまった霧香の方が意識してしまっている。


「仕方ないな……別に、いいけど。ここで ? 」


「だって外は人がいるかもだし……」


「でもケイが……おい、待てって ! 」


 霧香は強引に彩の身体をまさぐる。


「我慢できないんだもん ! 」


 この揺れる車内で恵也が流石に起きない訳がなく、暫く起きるかどうしようか狸寝入りを決め込んでいたが……二人は激しく絡み合ってる気がして目が開けられない !


「早く脱いで、血が付いちゃうよ」


「ちょっと、待って。待って ! 落ち着けよ ! 」


「はぁ、はぁ、早く ! 」


 恵也。

 目を開けれない。

 でも、なんかちょっと見たい気持ちもある。

 そのうち、クチャ……と言う生々しい音と、会話の無くなる二人。


「……」


 耐えられず、恵也はそっと助手席を薄目で見て、思わず声を上げる !


「食ってるぅ〜 !! 」


 助手席に座った霧香に、彩はシャツを脱ぎ、肩から腕だけを後部座席からダラリと垂らしている。それを霧香がまるでクリスマスの七面鳥……いや、鳥の手羽先を持つように腕を掴んで齧っていた。


「ケイ、寝てていいのに」


「違う、そうじゃない。

 え ? ヴァンパイアってこう、首とかからガブってすんじゃないの !?

 なんなんだよ、その色気の無い食い方 ! ケンタッキーフライドチoンじゃん !! 」


「だって俺も汗臭いし、せめて手は洗ってるから」


「そういう問題 ? ねぇ、そういう問題 !?

 デカい手羽先食ってる女鬼にしか見えねぇよ ! トラウマだよもう ! もう〜 ! 」


「じゃあサイ、首からいっていい ? 」


「……いや、しゃぶられてる俺は、なんも色気とか関係ないし……ただただグラグラする」


「一応痛くないように魔法かけるからだよ。グラグラ」


「後遺症とかないならいいけど」


「「「はぁ〜……」」」


 三人。溜め息が揃う。


「早く一人になりてぇ〜」


 恵也はまだいい。仕事中などはこの二人と離れて、常識の中で生活している。

 問題は霧香で、試食コーナーでドカ食い、目を離すとナンパされ、犬連れの家族に執拗に迫り犬を撫で回すなど、彩は心労で参っている。


「早く飲んじゃって」


「なんか筋っぽいなぁ〜。牙を伸ばしても、上手く引っ掻かんないの……」


 彩自身は痛みが無いため、何度もカプカプする霧香を放っていたが、後から腕がズタズタになっていて気が遠くなる。

 結局治癒をするのに魔力を使うことになるのであった。


「あ〜ん。血が足りない〜 ! 」


 難儀な生き物である。


「早急にどうにかしないと……」


 □□□□


 次の日。

 洗って貰ったばかりの洋服は綺麗に乾いていて、柔軟剤のいい香りがした。


「困ったら言うのよ ? 」


「どうしてもダメな時は一度実家に帰るとか」


「はい、ありがとうございました ! 」


 霧香と彩、恵也、三人頭を下げる。

 ウッドデッキに出て冷たい水を啜る。

 まだ朝だが、人が多い。


「服、ふわふわだね」


「うん」


 まだお土産品などの売店は開いていないが、直売所では多くの農家が商品を品出ししていた。

 そこへ、一人の女性と鉢合わせる。


「「あ ! 」」


「えぇ !? キリさんとケイ君……と……」


 楽団の真理だ。


「……深浦君、待って ! 」


 スルーしようとした彩を真理が引き止める。


「いえ、あの、ご無沙汰してます。その……」


「あ、ごめん ! 蕁麻疹出るんだったわね」


 真理が彩の腕を離す。

 彩の気が立っている為か、蕁麻疹は出もしない。


「楽団とはもう、ご縁がありませんので……」


「待って ! ほ、ほら世間話くらいいいでしょ ?

 ……ここで何してるの ? まだ朝だけど、どこか行くの? 」


「俺ら今三人で活動してて〜。行く宛てねぇんすよ」


 恵也が言ってしまう。

 だが、真理ならという希望。


「あぁ〜。そういう事。音楽家あるある !! 」


 フランク !

 家も食い物も困ってると言うのに、真理にとっては当たり前のように受け入れられる。


「真理さん、余ってる楽器とかあったら〜……出れるステージとか……紹介して貰えませんか ? 」


「モノクロで ? 」


「あ、ちょっと都合があって三人でなんですけど。

 パートはボーカル、チェロ、バイオリン、ギター、ベースですかね」


「今日は無いけど……うちは楽団だし……ドラムはなぁ〜 ?

 キリちゃんはチェロ出来るんだよね ? 歌はどのくらい ? 」


「あ……曲を聴いてみないと分かんないですけど。多分」


「一回聴けばほぼ完コピ出来ますよ ? 」


「ほんとに !? 今度のイベントに出て一曲やる ?

 今、その打ち合わせに来たのよ。足場を組み立てる業者さんと、他の出演者さんも準備が必要な人は来てて……キリちゃん、チェロ弾く ? 」


「いいんですか ? 是非 ! 」


「深浦君は ? 」


「俺は…… ! 」


 彩はやはりいい顔はしなかった。

 だが、これも音楽活動の範囲内。恵也は強引に押し込む。


「真理さん ! サイも連れてってよ ! こいつもバイオリン置いてきちゃったけど、貸して ? 」


「簡単に言うな ! 」


「うんうん。うちも団員不足で困ってるし有難いわ。

 バイオリンならわたしの余ってるし大丈夫。

 出なよ。全然いいわよ ! わたしも一緒に弾きたい ! 」


「……」


 真理の押しの強さに彩も黙ってしまった。

 本当は楽器に触りたいのが本心だ。


「そんなかしこまったステージじゃないんだし。二人なら百人力だわ」


 そう言い、真理は彩の袖を摘むと、一体どう言う馬鹿力なのか、彩を関係者室へ引き摺って行く。


「は、離し……ブムッ ! 」


 ビターン ! と音を立てて霧香と恵也は彩の口を抑える。


 真理の存在は、これ以上ない助け舟である。

 収入にならなくても、これは受けたい案件である。


「真理さん ! ありがとうございます ! 」


「いえいえ。深浦君と弾けるなんて ! 皆んなもきっと喜ぶもん」


 柔らかい笑顔。

 これには彩の遂に折れてしまった。


 責任者に最終チェックを確認し、椅子の数等を申請する。

 朝イチで立つ地元の中学生がステージ準備を手伝うらしい。


「そういえば、中学生の二曲目はエルクンバンチェロなのよね。あれはドラムも楽譜があるし、ドラムにいく子がいないから、顧問に連絡取れたら聞いてみようか ? 」


「うわ ! やるっす」


 真理の提案に恵也も即答である。


「高校野球の応援の曲だ ! 」


「「ふーん」」


 クラシックに傾いてる霧香と彩は反応が薄い。


「そうね。キリちゃんにはハイドンのチェロ協想曲がいいかしら。

 でも歌も捨て難いわぁ。動画で見たけど、結構いけるわよね ? ちなみにどんなのが好み? 」


 これに関しては霧香は知識がないので彩が答える。


「楽譜通りに歌えないタイプなんです。

 逆に、聴けばなんでも歌えるっていうか」


「えぇ〜 !?

 まぁ、そうよね。深浦君がつるむくらいだものねぇ。演奏聴いて本当にびっくりしたわ。

 ……そもそもなんでここに ? キリちゃんってお金持ちじゃなかった ? 」


 動画では確かに屋敷は親の別荘として紹介したが、結局ディーの一声で取り上げられてしまった。

 だが、そのまま説明する訳には行かない。


「えっと……(問題になるから)音楽やるなら(ディーに)出てけと(一方的に)言われて。

 もう企業さんとの契約とかもあるのに……」


「ま、宿無し文無しの音楽家なんて珍しくないからね !

 そうだ ! オペラはどう !? その怒りを歌ってみない !? 」


「怒り……ですか ? 」


「『夜の女王のアリア』なんかどう !? 」


 ドスッ !


 これには流石に彩は真理の背をどつく。

 夜の女王のアリアはモーツァルトの「魔笛」のソプラノパート。完璧に歌うには超難関の曲である。


「真理さん、調子に乗り過ぎです ! 流石に無茶振りなのでは !? 」


「だって出来るって言うからぁー」


 そもそもこんなイベント会場でポンっと演奏するには重苦しい曲である。真理も本気では言っていまい。

 だが、断るのも彩は、まるで出来ないように思われるのは ? という見栄がある。

 事実、霧香は魔法次第でなんでも可能だし、霧香が彩に固執するように、また彩も霧香の音に執着がある。


「出来ますけど !? うちのキリなら出来ますけど !? 」


「ならいいじゃない !! 深浦君、何に怒ってんのよ ???」


「真理さんは分からないんです !

こいつが本気で歌ったら、美しい歌声に全員が魅了されて夢中になって……もう中毒になるほどキリの事を朝晩考えて過ごすことになるし、車でもスマホでも常にキリの歌を流すようになってしまうし……危険なんです !! 」


「……」


 真理はゆっくり霧香と恵也に振り返ると、信じられないUMAを見た表情で呟く。


「重症ね」


「「ええ。まぁ」」


やはり恵也の言う通り、彩は霧香におかしなハマり方をしている。

 だがこれでステージに立つ目処がついた。

 ただ立つだけでも、やはり音楽活動をしている者にとってはテンションが上がる出来事である。


 その日は真理と連絡先を交換して、霧香はスマホ越しに初めてオペラの世界に触れたのであった。

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