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第39話 黄菊

「終わった〜 ! 」


 二十三時。

 配信終了。


「お疲れ様でした」


 ゆかりが挨拶をする。


「わたしはこれでアイテールに戻るんです。福原さんは残りますけど、残り二泊楽しんでください ! 」


「あ、それなんですけど……」


 彩が全員に向かって話す。


「アイテールの親会社のCITRUSから会議に参加の要請がある。もし参加する場合、俺達も明日午後にCITRUSだから……今から帰る事になるんだけど」


 初耳のメンバーは勿論、ゆかりも目を丸くする。


「CITRUSから…… ? お仕事ですか ? 」


「ゆかりさんは聞いてないですか ? 」


「ええ。CITRUSと繋がっているのはアイテールでも、もっと上の方々なので……。

 でもこのタイミングだと……。あ、わたしからは言えないですね……すみません」


「いえ。俺達もすぐミーティングしてメンバーに話すので。それも完全に把握出来てる訳でもないんですよ……」


「大きなプロジェクトの噂はありますが、断言出来ませんし……。ノーコメントですね。

 では、わたしは失礼させて頂きます ! お陰様で良いシナリオ書けそうです」


「あ……ゆかりさん ! 」


 立ち去る前に霧香がゆかりを呼び止める。


「今回は、本当にありがとうございました ! これも……大事にします」


 そう言って『自己肯定感爆上がり冊子』を握りしめる。


「お易い御用です。わたしとしましても、炎上の発端から鎮火までが綺麗に見れたのが参考になりました」


「そ……それも……。ホントにご迷惑おかけしました……」


 苦い笑いをするモノクロ達に背を向けバイクに跨るが、エンジンをかける前、ゆかりもフルフェイスのヘルメットをジャコっと上げて霧香を見る。


「聞こう聞こうと思ってたんでした。

 最後に一つ、霧香さん。

 この世で一番の恐怖の対象ってなんですか ? 」


「怖い…… ? ん〜。飢えや渇きとか ? 」


「言葉足らずでした。

 怖いシチュエーションです。ホラー的な」


「あ、そう言う ! 」


 霧香は数秒考えて、口にする。


「後味の悪い、人系の怖い話ってあるじゃないですか ? そういうのが苦手です」


「そうでしたか」


 ゆかりは一方的に納得すると、重低音を響かせ、旅館を後にした。


「かっけぇな二輪。

 さてと。ミーティング ? 」


 ハランが彩に聞くと、彩は少し緊張気味に「そうだ」と返した。


「自室に行こうか。一応、仕事の話だしね」


「あいつらどうすんの ? 」


 蓮が京介に着信を入れる。


「俺俺。今から仕事の話するから、入って来んなよ」


(はぁ !? 俺たち、もう寝てるんだけど !? )


「駄目 ? 」


(ダメに決まってんだろ !! 他に場所あんだろ ? )


「……」


 通話が切れる。


「千歳と京介が部屋にいるなら、もうここでいいじゃん。なんの話 ? 」


 結局、フロント横の元々売店だったスペースに椅子を起き、土産品の無い空のワゴンをテーブル代わりに全員で囲んで座る。


「今日の配信前、咲さんから連絡があった。南川さんの紹介で、CITRUSの新規プロジェクトにキャスティングしたい……と言う話」


 彩が話し始めた。

 だが、メタバース云々に関しては恵也以外はあまりピンと来ていない様子でもあった。


「メタバースって、言葉とかニュースとかでは見た事あるけど、実際に使った事ないな」


「あれだろ ? 眼鏡みたいな頭につけてやるやつ。ちょっと興味ある」


「僕も !! 高いところに登った感覚になれる奴やってみたい ! 」


「それVRでしょ ? 」


「何が違うの ? 」


 彩は一通り全員のキャッチボールが終わるまで待つ。

 そして、蓮が「それで ? 」と言って来たタイミングでCITRUSで明日会議がある旨と、それがまだ全貌が明らかでは無いが、蹴らずに会議に参加する流れかを確認する。


「聞いてから断るのも有り ? 」


「勿論、ありじゃない ? まだ声がけ段階だろうし」


「でも、南川さんの紹介って断りにくくねぇ ? 」


「引き受ける気で行く感じ ? サイはどうなの ? 」


「歌以外にそこで何をするかにもよるんだけど……。

 逆に、全員に確認したいんだけど。NGってある ? 」


「そんな急に聞かれても……例えば ? 衣装とか活動の話 ? 」


 腰の引けているハランに対して、希星と恵也、霧香は即答。


「別に。わたし言われたら何でもやるよ」


「俺も」


「僕も〜」


「うん。霧ちゃんはまず、もうちょっと慎重になろうよ」


「CITRUSの人が何を提示してくるかは分かんないけど、サイが大丈夫って言ったら大丈夫だと思う」


 彩は責任重大だが、気負っている様子は無い。


「俺としては報酬と制限次第かな。

 例えば、メタバースで活動するなら現実の世界の活動は抑え目にしてくれとか、インスタを辞めてくれとか。そういう条件が出てきたら断ろうかと思ってる。YoutubeやVTuberアプリからも撤退しなきゃいけないだろ ? VTuberのアバターは既にある訳だし、重複しちゃうから」


「確かに。メタバースだと、僕達アバターなんだよね ? どんな見た目なんだろう ? 」


「今回のVIVOみたいに二次元っぽいキャラなんじゃないの ? 」


「うーん。こればかりは聞いてみないと分かんないね」


「じゃあ、話だけでも。明日CITRUSに行く方向でいい ? 」


「「「「はーい」」」」


 彩がスマホを手に取り咲にメッセージを打つ。咲は容赦無く通話で連絡をしてくるが、彩はなるべく喋らない方を選んでいる気がして霧香は不安に思う。


「そういう大事な連絡なら電話の方がいいんじゃない ? 」


「もう0時すぎてるし……」


「う、うーん。そーゆーもんかな」


「ふぁ……あ。眠……。じゃあ荷物纏めるか……。ワゴン借りて、俺の車は千歳に頼むか。高速で帰って……仮眠出来るといいけどな」


「俺、ワゴン運転しようか ? 」


「ケイ免許持ってたの ? 」


「持ってはいるんだけど……ペーパーなんだよね。教習所以来運転してねぇんだ」


「怖……」


 全員悩む。


「福原さんに頼もうか……」


 駄目元で福原の部屋に話を入れに行くと、木村も出てきた。


「じゃあ、皆さん車内で仮眠してください。俺と福原の二人で運転しますから」


「いいんですか ?! 」


「勿論。それに仕事の内です。CITRUSのプロジェクト頑張ってください」


 全員が荷物を持って、旅館を出たのは深夜二時であった。


「なんか、全然怖い思いする前に帰ることになっちゃったね」


 残念そうに言う希星に霧香は頷いたが、他の男性陣は無言だった。

 思いの外、福原の怪談が怖すぎたのだ。

 だがプライドの為に、口が裂けても認めたく無い。

 なんなら思い出したくないトラウマを福原に植え付けられた。


「川、涼しかったね」


「うん ! いっぱい釣れた ! 」


 そんな楽しい思い出は男共には無い。

 鬱蒼とした山林を戦々恐々と眺めていた。


 □□□□□□□□□□□□□


「昼間、他の人間の家を見てきたがこの屋敷は広すぎか ? 」


 ディーがシャドウに問う。


「音楽活動をする上では皆、便利そうにしております」


「そうか。あまり貧しい生活をさせて霧香に反乱を起こされても困るからな。あいつには甘い思いをさせて置くくらいで調度いい。

 だが契約者はいいが、蓮や天使まで一つ屋根の下とはな」


「……単純な……活動メンバーと言うだけの様ですが……」


 それ以上は口答え出来ずシャドウもモニョモニョとしてしまう。

 思いがけず、ディーの生活が不規則なのも疲労として蓄積していく。まさか自分だけ猫になってグーグー寝ている訳には行かない関係性なのだ。


 そこへ気配を感じた。

 まだ帰宅する予定の無いはずの主人と仲間の匂いだ。


「どうやら早い帰宅となった様です。

 お通ししますので、このままお待ち下さい」


 そう言うと、シャドウは早歩きで玄関へ向かう。


「たっだいま〜」


「荷物重……」


「あ、シャドウくん ! ただいま ! 」


 顔色の悪いシャドウに霧香が尋ねる。


「だ、大丈夫 ? なんか、一人で残してってごめんね」


「いや、違うんだ。客が来てる」


 それを聞く直前、蓮とハランはすぐに気付いた。


「蓮、俺は不味いんじゃないか ? 」


「駄目だ。どうせもうバレてる」


 急激に張り詰めたその空気に、彩と恵也も察する。

 この屋敷に招いてもいないのに来れる者……と言うのはその男しかいないとは聞いていたからだ。


(霧香、先に挨拶を。

 彩、恵也、お前らは霧香の後ろについて行って自己紹介)


(わ、分かった ! )


 応接室はエントランスのすぐ右手にある。

 霧香がノックをするとすぐに返事が返ってきた。自宅のはずなのにノックをするのも何か奇妙なものだが、霧香にとってどこに地雷のあるか分からない男に思えて仕方がないのだ。


「こ、こんばんは統括。今、戻りました」


「座れ」


「は、はい……」


 オドオドとディーの前に霧香が座る。

 ディーは残された彩と恵也を一瞥すると、一緒に座るよう指示する。


「契約者だな。第一、第二か ? 」


「第一契約者の深浦 彩です。お初にお目にかかります」


「お、俺は第五です。稲野 恵也っす」


 そこへ蓮とハランも入室。

 希星はシャドウと食堂に避難。余計なストレスをかけたくないと、蓮が配慮した。


「第五契約者を先にしたのか。いい選択だ。

 人間界には慣れたか ? 」


「はい。今は音楽活動を……。都合上、一緒に住んでて。あの……皆、人間界に馴染むようにサポートも手厚いので助かってて」


 ここで天使のハランだけ出ていけなどと言われては心苦しい。何とかフォローを試みる。


「……天使にコネクションを持つのは悪い事では無い。地獄の悪魔がお前を得ようと襲ってきたら、真っ先に助けになるだろう。天使側もルシファーを超えるほどの唯一神が生まれるのを望んではいまい。

 そうだな ? ハニエル」


 視線を向けたれたのはハランだ。


「……参ったな……。素性は親も知らないんですよ」


「そちらこそ。名乗りもせずに住もうとするのはおかしい事だ」


「お、仰る通りですね」


 論破。

 ハランもこれには言い返せない。


「……」


 ディーは霧香をジッと眺める。


「なにかいつもと違うな。体調が思わしくないようだが」


「え ? いえ、今は……だいぶ良くなって……」


 むしろ、場の圧迫感でぶり返しそうである。

 その時。

 一瞬の隙だった。


 霧香が顔を上げたところ、既に。


 ディーの唇がネットリと触れる。

 身体が硬直する。

 顎に触れた手を振り解けない。


 それは恐怖なのか、ディーの特殊な能力なのかも分からない。

 蛇に巻き付かれた様に身体が絞め上がる感覚にクラクラする。

 ただ、全員の目の前でされたことより、ディーが顔付きだけでも蓮に似ている事に嫌悪感が湧いた。


「はっ……な、何ですか突然…… ! 」


 テーブルに崩れそうになった上半身を後ろにいた蓮が素早く抑える。

 蓮に睨まれたディーは全くその表情一つ変えずに立ち上がり、霧香を見下ろす。


「これで耳は治ったか ? 」


「……え…… ? ……あ……」


 聴こえる。

 一瞬で不調だった右耳まで。

 クリアに聴こえる。


「き、聞こえます……」


「耳が不自由では仕方ない。

 先日は身分証カードの使用記録があったが、何か怪我をしたのか ? 今回はそれを聞きに来た」


「あー、いえ。実は……」


 希星の家での一件を説明することとなる。


「なるほど、それで人間の病院へ……。

 じゃあ今は、その天使の李医師と言う者がかかりつけ医になったのか」


「そうですね。ここから一番近い病院で、天使なら総合的に何でも診て下さるので」


「ならいい。

 入院の記録はみたが、もしや攻撃を受けたのかと思ったのでな。自分で確認しに来ただけだ」


「連絡の一つでも寄越せば済むのに……わざわざ」


「お前が敵に操られでもしてたら意味が無いのでな」


 文句を垂れる蓮にディーは嫌味で返す。


「それと、霧香はネットで問題行動が多いらしいな。歌を弾き語るなとは言わんが、ネットやメディアに露出する活動は控えてもらう」


「えっ !? 」


 それはモノクロームスカイの活動全般を禁止されてような物だ。


「それは困ります ! 」


「現に身体も壊しているようだし。何も辛い思いをしてまで労働することは無い」


「音楽活動は労働とかじゃないです ! 」


「ならば趣味か ? ただの趣味なら尚更、身を削る様な事は止めてもらおう」


「あまりに極端な話だっ」


 蓮が怒りを露わにする。


「人間界にいるだけで、誰とも接触しない生活なんて無理なんだよ。霧香にとって人間に馴染みやすかったのが音楽だっただけだ」


「音の魔法を使ってでもか ? 芸術の世界で魔法……甚だ疑問だ」


 誰も言い返せない。霧香もそれに関しては罪悪感が無いわけじゃないからだ。


「昼間、周辺を見て回ったが、他の人間の暮らしより余程恵まれていると思うが ? まだ何か不満か ? 足りない物があればいくらでも……」


「それは金銭的な話か !? そうじゃないだろ。

 そもそも、ヴァンパイア領土に置いておけないなら仕方がないからと、そう言ってここに流されたんだろ。霧香も好きで来たんじゃあない」


 蓮の言葉を聞くと、ディーはあっさり「そうか」と頷いた。


「では人間界にいると周囲には誤魔化し、領土に戻し幽閉するとしよう」


「え…… ! 」


「……お兄さん、そのやり方はどうだろう ? 」


「天使は黙っててもらおう」


「いいえ。地獄で悪神に変化してしまうのではと恐れる気持ちも、それを起こさんとする理由も心労もお察ししますが、まずは本人の意見を聞いてからでも……」


「身体を痛めてまで人間界に居たい理由か ? 」


 取り付く島もない。

 ディーは霧香の手をキツく握ると引っ張り歩く。


「痛っ…… ! 」


「戻るぞ。見送れ」


「ふざけるな。絶対通さない。霧香を置いていけ」


 扉に立ち塞がった蓮を腹立たしく見つめる。


「蓮。お前には分からんのか ? コレは世界を変えるほどの生物兵器だ。どの世界にでも簡単に野放しには出来ん。

 せめて不自由無く過ごせる屋敷を用意したんだがな」


「だから。それは人間界に馴染んだ生活では無い」


「わたしも嫌です ! 離して ! 」


 霧香は手を振り解くと部屋へと走っていった。ディーは階段を上がっていく霧香を見上げ、すぐに蓮を見据える。


「二階には行かせない」


「戦ってもいいが、お前はブランクがあるんじゃないのか ?

 よく考えるんだな。アレがもし他の悪魔に渡ったりしてみろ。地獄どころか、人間界でさえも滅亡するだろう。そういう風に創られた生き物だ」


「無いね。あいつはそれを望まずに堕天を選んだ」


「脅され、拷問されたら何でもやるさ」


「……あいつに拷問は効かない。それはあんたもよく分かってるんじゃないのか ? 」


「……」


 ディーの顔色が少し変化を見せる。ハランはそれを見逃さなかった。


「拷問して言う事を聞くなら、天界で1999年の命令を素直に聞いたと思うけど ? 」


 実際、リヴァイエルは堕天前に激しい拷問を受けている。


「あんただって霧香を邪険には扱いたくないはずだ。何故ならあんたこそ…… ! 」


「黙れ !! 」


 蓮の言葉を遮り、とうとうディーが取り乱した。


「過去は過去だ。俺はヴァンパイア領土の統括だ。立場通りの行動をしているだけだ ! 」


「……なら、霧香の扱い方のアドバイスでも。変に束縛しない方がいい。俺が統括者だったらそうするね」


「鬱陶しい !

 あいつら……契約者共はどこに行った…… !? まさか ! 」


 ガラスの割れる音。

 ここでようやく、さっきまで居た契約者の彩と恵也がいないことに気付く。


 霧香が駆け込んだ先、部屋の窓を割り、外から回り込んだ彩が立っていた。


「待ってた」


「サイ ! 」


 彩は「静かに」とジェスチャーをする。


「逃げる。靴持ってきた。足元……ガラス気を付けて」


 彩が霧香をガッシリ抱き寄せ、そのまま窓の縁に足を掛ける。


「持ち物は…… ? 」


「何もいらない。お前が無事ならそれでいい 」


 霧香は彩にしがみつくと、雨樋とシマトネリコの木を伝って着地する。その足元は蓮の車。応接室に入る直前、蓮が恵也にキーを渡していた。この『もしもがあるかも』と警告があったから行動出来た。


「こっち ! 」


 恵也がドアを開け霧香と彩を押し込む。

 ハンドルを握るとアクセルを思い切り踏み込む。勢いで一度だけ垣根に突っ込む。


「うお。リアに入ってた ! えーと、ドライブ……ドライブ……」


 AT車でギアをミスするペーパードライバー振りだが、そんな事は気にしてられない。


「走った走った ! フゥ〜。

 やっべ !! 感覚分かんねーわ ! 」


「じ……事故だガガガ ! 事故だけ気をつけてくれ ! 」


「痛ったぁ〜 ! 起こして起こして〜 ! 」


 助手席の足元に上半身が刺さっている霧香を、彩が座席の隙間から引っ張り上げ後部座席に引きずり込む。


「ぶはっ ! 」


「はぁ……はぁ……」


 彩と霧香が顔を見合わせる。

 落ち葉と砂埃を巻き上げながらタイヤを滑らせる。ガタガタの後部座席で、安堵かハイになったのか……笑いが込み上げてくる。


「どけ ! 」


 ディーは蓮とハランを押し退け玄関のドアを開こうとする。

 だが、開かない。


「ふんっ !!!! 」


「んむぅ〜〜〜っ !! 」


 シャドウと希星が外側から扉を押さえ付けていた。

 霧香がそれに気付くと窓を開けようとするが、彩が止める。


「任せよう。

 ケイ ! スピードアップ ! 」


「よっしゃ ! 敷地抜けるぜぇ !! 」


「距離を取りたい ! 高速道路で一気に遠くまで行こう ! 」


 霧香は遠ざかって行く屋敷のある雑木林を振り返る。

 ハランは天使だ。統括のスタンスから無駄な争いはしないだろうと思える。天使に手を出したとなれば問題になるからだ。ハランと人間の希星は無事だろう。

 しかし蓮は車を失い、シャドウも屋敷から出ることはできない。

 不安で仕方が無かった。


 既に届かない距離に霧香が離れた事を察し、ディーは溜め息をついてドアから離れる。闇のように淀んだ怒りの眼差し。


「失礼する」


「気が済んだか ? 」


「いいや。済まないね」


 そう言うと、ドアに手を向けると一撃で焼き払いシャドウと希星を吹き飛ばす。


「シャドウ ! キラ ! 」


「お兄さん、キラは俺の弟であり身体は人間です。危害を加える様なら俺も黙ってはいませんよ」


「ふん。天使が人間と兄弟ごっこか ? 笑わせるな」


「……強烈だな。貴方と居ると誰もが息が詰まるでしょうね。

 蓮に顔は似てるけど……貴方はクズだ」


「俺は養父に引き取られた堕天使だ。蓮と似ていると言われるのも心外だ」


 腹立たしく吐き捨てるディーに、ハランはニヤリとディーを指差し哂う。


「ほらね、クズだ。

 治癒魔法持ちも、大変ですねぇ。地獄じゃかなり有用な魔術だ。

 しかし、だからこそ霧ちゃんを引き取ったのでは ? ……自分と重ねたんじゃないんですか ? 」


「俺はそんな感情で動かない。

 蓮。あいつを連れ戻せ」


 蓮はシャドウと希星を起こすと、ディーを睨みつける。


「断る ! 」


「そうか。ではペナルティだ」


 ディーが指を鳴らす。


 何が起こったか。

 一瞬分からなかった。

 間違い探しの様に、今変化したものを探す。

 庭に吹っ飛んだ二人と駆け寄った蓮。

 その対面にいたハランが最初に気付いた。


「シャドウ……そんな ! 」


 彼はただ毛艶のいい黒猫に戻っていた。

 ただの猫。

 蓮が慌てて捕まえようとすると爪を立てる。記憶も無くしているようだった。


「次に来る時まで答えを考えておけ。霧香に伝えろ。全てを捨てて馬鹿な音楽活動を続けるのか、ここで優雅に暮らして行くのか」


 ディーはそう言うと、細かい粒子を散らしながら姿を消した。


「ちくしょう……」


 蓮はパニックの少し収まったシャドウを抱きしめる。


 にゃー……ん


 ハランと希星も頭が真っ白になって立ち竦む。


 突然のキスもそうだが、与えた物を急に奪ってみたり、人の従者を傷付けたり。暴君に驚きを隠せない。


「凄いびっくり。僕の感覚だとあの人、歩く犯罪者なんだけど ? 本当にレンレンのお兄ちゃん ? 」


「いや、俺も同じだよ ? 普通の日常じゃないからね」


 だいたい治癒魔法もキスじゃないと駄目な理由とは ? 立場を利用して、いたぶっている可能性は ?


 ハランはふと気付く。

 彼は自身が堕天使だと白状したが、天使は治療魔法でキスをする者などいない。だがもし、手足の無い存在なら、動物のように傷を舐めたりするかもしれない。


 そして、察する。

 神獣 リヴァイアサンには、かつて雄もいた事を。雌であるリヴァイエルよりかなり先立って、天界から追い出されている。理由は聖書にもある通り、あまりの巨躯に繁殖されては困る……と言うものだ。


「……あれが昔のお相手か……。霧ちゃんはあまり好きでは無さそうだね」


 ハランの言葉に、蓮がうんざりと頷くのを見て少し胸を撫で下ろす。

 元々つがいとして創造されたなら、好意を持ったが最後。必ずペアリングは成功となるだろう。いわゆる、運命の相手である。


 だが、その運命の糸を切ったのも神である。


 絶対に結ばれない相手、とも取れるのかもしれない。


「霧ちゃん、多分スマホも持たずに行ったよね。今日の会議どうなるんだろ ? 」


「時間と場所は決まってるし、大丈夫だろ。

 一応、俺から咲さんには……説明するしか……」


「俺とキラは実家に泊まるよ。お前、俺のアパート使う ? 」


「はぁ……そうするか。

 ここに楽器が運ばれて来てないのが救いだったな」


 にゃーん、にゃーん……


 ただの猫に戻ってしまったシャドウにハランも希星も言葉に詰まる。

 何より、これを霧香に伝えるのが辛い。今すぐ契約し直せば記憶は戻るかもしれないが、最早近隣にはいないだろう。それも霧香本人が契約しなければ意味が無いのだ。

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