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第35話 枯野

「冷た〜い ! 」


 希星がザブザブと川に入る。

 その手を霧香は絶対離さなかった。


「苔がフサフサで気持ちいいかも」


「岩は滑るからマリンシューズ脱がない方がいいよ」


 水の恐ろしさを一番知っている生き物と言っても過言では無いだろう。希星も素直に従い、シューズを履き直す。


「うん ! そういえば、キリは川は大丈夫なの ? 」


「ん ? 泳げるかってこと ? 」


「だってリヴァイアサンって海の怪獣でしょ ? 」


「ぷっ ! 」


 厳密には神獣であるし、そもそも霧香がリヴァイアサンに変身する訳では無い。天使だったリヴァイエルの肉体から精神を抜き、リヴァイアサンの躰にいれるのだ。


「あはは ! わたしエラ呼吸とかしないから人と変わんないよ ! 」


「人魚とかとは違うの ? あれはエラ呼吸 ? 」


「エラは無いよ。彼女らも海の悪魔だから、そもそも魚の構造と違うと思うよ」


「ふぅーん」


 足首が見えるほどの浅瀬だが、霧香の手を振りほどくことも無く、希星は自分が霧香を支えるようにしてエスコートする。


「この辺、平らだね。寝ると気持ちいい〜よ」


「冷た〜い ! 」


 霧香は穏やかに希星を見つめる。楽しそうに笑う希星は霧香にとって守るべき存在であり、自分にとっても必要な存在になってきた事を感じた。そのいつでも前向きな姿は、霧香の悩みの種である毎朝の悪夢を振り払う様な、強烈な明るい光だった。


「ねぇ、キリ」


「ん ? 」


「その背中……ごめんなさい」


 霧香の背の火傷痕を見て、希星が表情を激変させた。だが霧香も覚悟はしていた希星の反応だった。


「この怪我ね、わたし全然後悔してないんだ」


「どうして ? 」


「キラが今、楽しそうだからだよ。助ける事が出来なかったら……多分……」


「うん。今は自由。

 でもね、色んな人に助けて貰って……考えたけど、僕のお母さんを助けてくれる人っていなかったと思う」


「そっか……」


「だからお母さんが施設に面会を打診してきたら、受けようかと思ってるんだ」


 恐怖心やトラウマが無いわけでは無いだろう。だが、広い世界に出たことで、視野も精神的にも余裕が出てきた証拠かもしれない。

 あとは福祉関係の人間とロイ夫妻の判断でもある。

 霧香は一言「そうなんだ」とだけ返す。


 そこへ機材を持った彩とゆかりが蓮の車で連れて来られた。


「行くの早いよ……。なんも撮れないじゃん」


 彩は御不満のようである。


「いいんだよん。ここだけの話してたんだから」


「二人とも日焼け止め塗った ? 休むとき言って、ドリンク出すから。必ずパラソルの下に来て」


「ここそんなに日は当たらないよ」


「日陰でも紫外線はあるから ! 」


 彩と霧香のやり取りを聞いて、ゆかりが撮影しながらくすくすと笑う。


「深浦さんはお母さんみたいですね。蓮さんも入るんですか ? 」


「せっかくなんで俺は足だけ。

 冷たっ ! あ〜これ熱中症予防にいいかも」


 苔むした石に座り、ズボンを捲って足を川に入れた蓮に、ゆかりは何となく嫌な予感がした。


「あの、蓮さん。ズボン白ですけど……お尻大丈夫ですか ? 」


「 !! ……………あ……」


 時すでに遅し。

 そこへ徒歩組のハランと恵也が到着。


「ゆかりさん、もっと早く言ってよ……」


「そういう時ほど、人間って気付くの遅いですからね。あと、わたしのせいでは無いですよ」


「ご最もです……」


 水分と若干の薄抹茶色に染った尻を、手で払いながら慌てる蓮を見て恵也が手を叩いて笑って近付いてきた。


「ぎゃはは ! レンレンダセェ〜 ! 」


「うるせぇよ」


「なんで座った ? なんで座った ? 」


「うるせぇよ ! 」


 ハランはゆかりの側に行くと、自分のスマホを取り出す。


「ゆかりさん、アイテールは仕事早いですね。もう広告出来上がってましたよ」


 そう言い、各所に散らす生放送のバナー広告を見せる。


「な、なんでわたしもこんな写ってるんでしょう ! ? 」


「え ? いや、だって制作陣サイドとの交流ですし。広告ってこんな感じじゃ無いですか ? シナリオとかプロデューサーも載ったりしますよ」


「は、恥ずかしい。普通ここはAngel blessのどちらかが映るのでは !?

 あ、あくまで仕事として割り切るだけですが ! 」


「そうですね。一緒に頑張りましょう」


 撮られているのが分かっているため、完全に営業スマイルを振りまく。無駄に。

 ハランは彩のいるパラソルの方へ行き、作業を手伝うようだ。

 蓮はもう諦めて石に座り続けた。

 恵也は釣竿持参だが、全く浅瀬続きの河原の為どんどん上流へと登って行く。


「これ、キラの紹介動画か。今日公開するんだ」


「そう。夏休み終わってからと思ったけど、今日の放送に出るし……予定より早いけど。

 綺麗に撮れてる」


 予め屋敷で撮って置いた、希星の加入歓迎会の様子である。

 シャドウと恵也の料理に囲まれ、ケーキプレートを笑顔で受け取っている。


「今日化粧を変えたからどうかなってチェックしてたんだけど、こうして改めて俺たちと並ぶと……」


「本当に女子に見えるな……化粧いらないくらいだよ……」


「さて、これをアップロードして、今ゆかりさんと撮ってるカメラの動画でX用のショート動画撮る。『今日の生配信見てください動画』だな。全員いるよな ?

 あれ ? ケイ、どこいった ? 」


 一度上流に行った恵也を呼び戻す。


「もしもし、彩が戻れって。登れない ? 段差 ? 知らないよ。釣りの事なんか。

 生配信用の宣伝動画撮るからってさ」


 十分後、ようやく恵也が戻ってきた。


「んあぁぁあ〜、なんかダムみたいなのあって、釣れる所どこも無かったぁぁぁ〜」


「はい。ケイ急いで」


「汗止まんねぇよ ! 俺、一人だけ暑苦しいじゃん」


「「いつもだろ」」


「誰だ今言ったの ! 二人いたぞ ! 」


 一人滝のような汗を流す恵也を、彩が川へ引き入れ並ばせる。霧香をメインにして進行。

 ゆかりに向かって彩が手を上げ、合図を送る。


「3,2,1ーーー」


 REC


「こんにちは ! モノクロームスカイです !

 今日午後7時から、ゲーム会社のアイテール公式生放送に出ます ! 」


「音ゲーで有名な会社だよね ? 」


 恵也は流石だ、切り替えが早い。すぐにトークに絡んできた。


「そうそう。

 実はアイテールのX公式アカウントでは既に広告の画像が上がってるんですが、リアルに存在するアーティストさん達の曲を使ったリズムゲームが秋にリリースされます。そして、わたしたちも出ま〜す ! 」


「物語調になってるんでしょ ? 今回の生放送、今カメラ持って貰ってるけどシナリオライターの田中 ゆかりさんとトークだしね」


「楽しみ ! 」


「あとはうちの新メンバー、キラです」


 パチパチ !


「こんにちは。キーボード担当キラです ! ピアノも弾くよ ! よろしく ! 」


「紹介動画はYoutubeに投稿したから、是非観てください。リンクは下に貼っておきます。

 では ! 十九時からアイテール公式チャンネル生放送でお待ちしてます ! 」


「バイバーイ」


 カメラを構えていたゆかりがokサインを出す。


「慣れてますね。噛まないですか ? 」


 カメラを受け取った彩が顔を顰める。


「俺はたまに噛みます。なるべく喋りたくない……ケイとキリに任せてます。歌とか演奏ならどこでも出来るんですけど……喋るのはいつもドキドキで……」


「そ、そうなんですか ? どちらも変わらない気がしますが……」


「変わりますよ……」


「それ、僕も分かるかも ! 今、緊張したぁ〜。ステージでピアノ弾くのはあんなに気持ちいいのに」


「へぇ……そんなもんですか。慣れでしょうかね」


「多分、一種のトランス状態に近いですよ。緊張してない訳じゃないんですけど、凄く快感でまさに絶頂というか昇天というか……俺、今セクハラしてます ? 」


「してません、大丈夫です」


「……アイテールでの一件から、なんか凄く気にしてしまって。ゆかりさんも名前で呼んでいいのかとか……」


「あぁ、苗字で呼ぶべきとか、ああいうものですね ? うちの職場はそこまで厳しくないですよ。

 それにわたし田中なんで社内に何人かいるし、名前の方が個人を呼ばれてる実感があるんで好きです。気にしていません」


「なら良かったです」


 川では何やら霧香の取り合いになっているのか声が大きく聞こえる。すかさずカメラを回す彩に、最早ゆかりは無言である。


「霧香は霧香だよ。今更、キリって呼ぶの ? 俺、無理だな」


「え、レンレン恥ずかしい ? 」


「そのレンレンも止めて欲しいけど……」


「お前はもう無理だよ。ネットでもレンレンって皆呼んでるじゃん。

 俺はキリちゃんにしても霧ちゃんにしても同じだからな〜。良かった ! 」


 今更、メンバーの呼び方で議論していた。


「じゃあ、放送中にハランが急に「霧香」って呼び捨てするボケやってみる ? 」


「それボケかな ? 」


 トーク中の絡みの相談。そもそもこのコンセプトは彩が考えたものである事を思い出し、ゆかりが単純に好奇心で尋ねる。


「深浦さん、少女漫画とか胸きゅんモノ好きだったりします ? 」


「いえ、普段はクリーチャーしか出てこない様な漫画しか読まないですね」


「余計、意外です」


「怖がらせる方が難しいと思うんですよ。だから今日の怪談の方が楽しみです」


 真顔で楽しみと言われてもゆかりにはピンと来なかった。


 □□□□□


 旅館に戻り、着替えを済まそうと部屋に戻ると工具箱を持った千歳と合った。


「霧香さん。鍵直ったから。これ、その鍵ね」


「わぁー良かったです ! ありがとうござ…… 」


 手渡された鍵は三つだった。


「え……部屋の鍵ですよね ? 」


「……なんかさ……防犯上、鍵を付け直してたら……『この鍵に他人の安全の全てがかかってるんだ』と思い始めて……気が付いたらいっぱい付けてた……」


「え …… ? 」


 全員でドアまで行くと、そこには上・中・下三つの鍵穴が並んでいた。


「こんなに必要ねぇだろ……ドアノブ三つ付けるとか頭おかしい。腕三本欲しい」


 蓮が困惑した様に千歳を見る。


「過剰反応 ? 強迫観念 ? なんでこうなった ? だったらこの分、俺らの部屋も直せよ」


「だって ! ピッキングとかされたらどうすんだよ !? 三つもカチャカチャしてたら流石に気付くかと……」


やからを想定し過ぎ ! 精々、二個だろ」


「その前にピッキングする様な音では起きないですよ、キリは」


 恵也がノブを回す。上を右手で持ち、右手肘で真ん中を回し、左手でしたを回す。


「いででで ! 怖い ! 何このドア ! 」


 新しい板を貼り付け、取り付けられたドアノブはしっかりと固定されている。


「これをピッキングするようなヤバい奴、もっと他に行くとこあんだろ……。キリの部屋に入った所でなんもねぇのに……」


「それは霧香さんに失礼では ? 」


 霧香は口を尖らせて恵也を睨む。


「色々あるもん ! ジュースとか」


「せめて財布とか下着って言おうぜ。

 それにさ、逆に考えたら……。もし外で犯罪者に追わて、自分の部屋に逃げ帰ってきて、この鍵の量見たら絶望するぜ ? な ? 」


「ケイは映画見すぎだよ ! 」


「それ、俺経験したことある……鍵ひとつだけど」


 彩の意外な挙手に、全員固まる。


「ま、まじで ?! 」


「そ、それどうなったの !? 」


「噛まれた」


「え !? ゾンビ的な !? 」


「…………野犬……」


「しょうもな…………」


「笑い事じゃない。その日の惣菜弁当持っていかれた……」


 ゆかりがカメラを持ったまま肩を震わせている。


「もう ! ケイも護衛なんだからちゃんと千歳さんに感謝しなよ !

 じゃあ、着替えたら中庭ね」


「おー」


 霧香はそう言い、三つのドアノブを器用に開け中に入って行った。


「「「「「…………」」」」」


 男性陣、皆が不安になる。

 恵也がドアを叩き霧香を呼ぶ。


「おい ! 鍵かけろよ ! 着替えんだろ !? 鍵しろ ! 」


 ドス、ドス、ドス、ガチャ !!!!!

 ジャコ !!


 苛立ちのシリンダー音とチェーンロック音。


「くっ。護衛おれの心配も考えないで…… ! 」


「苦労してんな……」


「ふぐぅ〜 ! カーテンも閉めて着替えろよ ! 」


 □


 霧香は羽織ったラッシュガードと水着を脱ぎ、スマホで彩の投稿した希星のメンバー紹介動画を確認する。


「あは ! キラ、まだ日焼けしてないな〜」


 下着に手をかけた所で動画が途切れ、着信音が鳴る。

 LINE通話。

 相手はミミにゃんだった。


「…………」


 霧香は一度、手に取りアイコンを数秒眺めると何となく察する。


 突然決まった公式生配信。

 そして、最後に彩が会った時、ミミにゃんに主人公枠を勧めた事。

 TGCを彩と二人だけで相談して断り、メンバーに伝えていないこと。


「……はい」


『あ、あの。実々夏です』


「久しぶり。珍しいね」


『……実はヴィーヴォの出演が決まって……。あ、多分これまだ正式発表前だと思うんですけど……モノクロの希星さんと二人で主人公に……』


「えっ !? キラと !? 」


 ゆかりがメンバーに伝え忘れしたのではなく、配信中に公表の予定だった。


「あ〜聞いてないや。本人もまだ知らないかも」


『えっ !? そ、そうですか……』


「でもちょうどいいや。今日生配信するんだけどミミにゃんも来たら ? 」


『あ、それでわたし明日の配信からお邪魔しようかと思ってたんですけど……』


「今夜は仕事なの ? 」


『いえ……。あの、キリさん……怒って無いんですか ? 』


「ん ? 超怒ってたよ ? バレた ? 」


『うぅ……』


「ふふ。でも、もうどうでもよくなっちゃった。

 ……モデルって大変だね。あはは、わたしには務まんないなって思って、そういう仕事の話は断ってるんだ。

 そう考えるとさ、ミミにゃんが頑張ってて、本気なんだなって思ったら、怒るようなことでも無いなって思っちゃって。聞いた時はイライラしたけど」


『……ニュース観ました ? 』


「え ? なんのニュース ? ごめん、今日一日移動とかあったからバタバタしてて」


『潤……警察に……』


「え…… ? 」


『ジャンクダック……薬物の所持で……』


「ミミにゃんは ? ミミにゃんは身体無事なんだよね !? 」


『は、はい。わたしは、大丈夫です。潤もやってないんです……他のメンバーの方がしてたみたいで……』


「……ミミにゃんが無事なら、いいんじゃないかな。無理に使用させられたりされてないなら……凄くラッキーだよ」


『ラッキー……ですか……』


「うん。ラッキー !

 今からバーベキューするんだけど、流石に間に合わないね。

 でも良かったら前日入りしちゃったら ? わたしの部屋、さっき鍵新品にして貰ったしさ」


『……ありがとうございます。マネージャーに言ってみます』


「決まったら連絡して」


『はい』


 通話を切った双方が思う。


 人を許すのは、こんなに容易いのか、と。


 詰まるところ、許しを乞う時に自信が無いのだ。許す自信も許して貰える自信も。


 だがそれは相手を理解すればこんなに容易いのだ。

 霧香は裸のままジャンクダックの逮捕騒動を、検索する。

 有名な程、失脚した時の損害が大きい。


「お薬か……人間は変な物にハマるな……。……潤はお気の毒様、かな。ミミにゃんにいい影響を与えてるとは思えないし……」


 スマホを置き、考える。


 突然のジャンクダックの逮捕。

 ミミにゃんの主人公起用。

 自分たちの合宿への合流。


 全て仕組まれたとしたら。


 南川はそんなに物事を焦って仕事をするタイプでは無いように見える。ミミにゃんが歌が歌えない事に関しても、嘘を嫌うタイプに思えた。ジャンクダックに対する出禁の早い決断力は、時に無慈悲に動く事もあるだろう。

 その南川を灘めて、橋渡しする存在がいるとすれば、スタッフのゆかりか咲だが、ゆかりは今日は丸一日自分と同行している。


「お姉さん、お節介だなぁ〜」


 霧香は一度彩に連絡するか迷ったが、直接咲に連絡をいれる。


『霧香さん ! 意外 ! リーダーが掛けて来ると踏んでたんだけどな〜』


「ミミにゃんから直接謝罪があったので、多分お姉さんだろうなって思ったんです」


『バレバレかぁ〜。

 ま、ミミちゃんにも悪い話じゃないのよ。TGCのランウェイ、アイテールの親会社がブランドさんとコラボしてたのよ。それでゲーム関連の方でも一着着ない ? って声掛けたの』


「どーせそれはミミにゃんを納得させるためでしょ ? あの子は「そういう事なら、仕事だから。仕事の為に仲直りしなきゃいけないんだ」って思わせれば素直になるからって」


『ええ〜ん ? お姉さん、バレバレ ? 』


「バレバレです。ミミにゃん、想像より遥かに頭のキレる子ですから、ミミにゃんにもバレバレだと思いますよ。

 だいたい、TGCがそんな軽いコネとかノリだけで出れるわけないじゃないですか。

 最初から決めてたって言ってあげた方が……」


『あれれ〜 ? 結構、ミミちゃんの心配してる ? 』


「……まぁ……一度は怒りましたけど。

 でも、わたしの今って、色んな人にインスタでも支えて貰ってて……一番最初にフォローくれた子がミミにゃんだったし。恩 ?

 それに、サイの言う通り、キラと同じ中学生ですよ ? 大人気ない態度をとって馬鹿にされたくないですよ。


 今は……潤さんを忘れさせるくらい……塞ぎ込まないように周りがサポートする時期だと思います。かなり覇気が無かったんで……」


『……そう。そうね。霧香さん、優しい !!

 よーし ! お姉さん、頑張っちゃう ! 』


「キリー ! 用意出来た〜 ? 」


 廊下から希星の呼ぶ声がする。


「キラ……。じゃあお姉さん、切ります」


『はーい』


「今行く ! 」


 霧香は手早く下着を着ると、シンプルなリボンワンピに袖を通す。

 別に優しさなど霧香には無いのだ。

 だが、希星の母親を許す姿勢が霧香を柔らかくしたのかもしれない。


「人付き合いって大変だな……」


 髪を服から手で引き上げ、姿見を一度見て廊下に出る。


「お待たせ」


「京介さんがね〜、顔が真っ黒なんだって ! 早く見に行こー」


「炭かな ? 面白いね」


 □□□□□


 時刻は十七時半。

 檜の間に集まった全員が食べ過ぎた腹を抱えながら、楽器のスタンバイをしている。チューニングを終えたところで、各自スマホの着信音の確認やトーク用のマイクを付けていた。

 アイテール広報からは、木村と言う一人の男性が派遣されてきた。主にゲームの紹介などをメインに喋るようだ。


「さっきのXの動画見ました。YouTubeの方も、昼も楽しそうでしたね。何より、動画上げるの早くてびっくりしましたよ」


 この時点で、彩は今日の到着からバーベキューまでの動画をモノクロのチャンネルにアップロードしていた。

 話しかけられたハランが木村に返す。


「全員配信とか慣れてるんで、撮ってるって分かってれば一貫して余計な一言も出さないんで。カットだけですね。持ってきたパソコン、エンコード長くてリーダーはうんざりしてましたね……」


 普段の生活感のある会話や、新メンバーの希星の存在はかなり好評で、特に霧香と蓮、ハランの絡みに興味のない層のファンには、人懐こい希星の様子とそれを全力で甘やかすメンバーの姿に笑いを見出し始めた。


 ヘビーユーザー側は、霧香の水着姿に関して、以前は存在しなかった背の火傷痕がどうしたのか議論された。


「あの……キリさんとサイさんは…… ? 」


 ゆかりがカメラを回したまま、キョロキョロと見渡すが姿が見えない。


「あの二人なら多分……御堂の方にいるかもっすね。でも、邪魔しない方がいいっすよ」


 恵也に言われたが、何をしているのか興味深く思ったゆかりは三脚を固定し、この場は木村に任せてソッと縁側へ出る。

 日本庭園を抜けると廃寺が見えてくる。明日はこの道もライトアップされ、二曲目は廃寺の御堂で歌うことになる。


 決して防音と言う訳では無い為、ゆかりも途中で足が止まる。


 音色。

 聞こえるのは二台のバイオリンの音。


 ハイドンのディヴェルティメント変ロ長調。弦楽五重奏に起こした楽譜の演奏。


 一台が精密にメロディパートを奏でる。

 もう一台のバイオリンは時折チェロパートに偏ってあちこちの音を拾う様に繋げて音を出す。


 その二台の音は、片方が軽くしなやかで清らかな一途なイメージ。もう片方は重く強く、はっきりと弾き手の頑固さが伝わるような印象。

 ……光と影、白と黒の様な……全く真逆のイメージの二台の音色。

 どんなメロディに入っても、弾き戦うような攻撃的な演奏に思わず足を止めたまま聞き入ってしまう。

 それまでの疲れや緊張がストンと落ちる。

 元々、バイオリニストの彩とチェロを弾く霧香だ。特に違和感なくそれを受け入れる。

 そして曲が終わるとゆかりは時計を見て慌てて戻った。


「あれ…… ? 用事あった訳じゃないのかな」


 霧香が消えた気配を辿りながら、血成飲料を口にする。


「突然居なくなったから探しに来ただけだろ。早目に戻るか」


「……結局、ミミにゃん開始には間に合わないか〜」


「ジャンクダックの噂は蓮から聞いてたけど……自滅するとは思わなかったな」


「魔法かけなくて正解だったかもね」


「咲さんも反対してたし、これで結果オーライだな」


「ねぇ、演奏スペースの隣に雛壇あったけど、わたしはレンとハランと並んで座ればいいの ? 」


「今回はキラが主人公決定と、加入のお披露目も兼ねるから、お前の隣にキラとケイにした方がいいかもな。えと、そうすると俺が真後ろで、レンとハランはAngel blessとの境目がいいだろ」


「公式の広告に第一弾ってなってたから、次のアーティストもここで合宿するのかな ?」


「場所は違うんじゃない ? 」


「好き好んで来るような場所じゃないもんね。

 そろそろ時間か。戻らなきゃ。

 サイはゆかりさんとは結構喋るんだね」


「……強めの飲んでる……」


「なんだぁ……手強いね……結構いい感じだと思ったんだけどなぁー」


「変にキャーキャー言わないから喋りやすさはある。これでも最近は免疫ついたと思う」


「サイ……女性はウィルスじゃないんだよ……」


 霧香がふと彩のズボンを見ると、ポケットに入れたスマホのLEDが頻繁に点滅していた。


「なんか、鳴ってるんじゃないの ? 」


 言われてようやく、彩は自分のスマホに来ていた大量のLINEと着信を目にする。


「あー……昔、楽団にいた人だ」


「生配信のポストしたからかな ? 」


「いや……。樹里さんからも……。あれ ?

 これ……まさか…… ! 」


 二人でスマホを見る。

 彩が開いたのはYouTubeのモノクロームスカイのホーム画面。


 そのチャンネル登録者数が2万人まで激減していた。


「あれ ? 元は何人いたんだっけ ? 」


「……………じゅ……15……万……」


「嘘…………」


 15万。

 13万人に何があったのか。

 二人とも一瞬で全身から血の気が引く。


 彩がXを開くとすぐに原因が明らかになった。


『偽善者過ぎる ! 』

『母親から子供取り上げた部外者』

『天才を手に入れたいがために売れないバンドがここまでする ? 』


 予想外の話題でモノクロームスカイはトレンド入りしていた。

 希星の加入に関しての噂だ。

 そもそも、希星がロイのところに来るまで完全に内密にと言うのは難しい。ただでさえ母親は警察沙汰になったのだ。

 どこからか話は漏れ、心無い噂に変わって、それが連鎖してしまった。


『モノクロームスカイをフォローしてる奴ブロックする』

『モノクロ擁護してる奴合わない』


 これが全てを支配した。


『チャンネル閉鎖しろ』

『ジャンクダックってコイツらに羽目られたんじゃないの ? 』


「やばいよ ! あと十五分だよ !? 」


「とりあえず戻ってゆかりさんの所に…… ! 」


 着信 !

 光るLED。

 液晶には南川の文字。


「はい。深浦です」


 霧香はこれまでに無いほど動揺している。


「……分かりました」


 通話を切った彩が難しい顔をする。


「生配信、コメントは書き込めないようにするって」


「……ア、アイテールはこのままでいいの ? 問題にならない ? 」


「……炎上してからはもう……鎮火するのを待つしか……」


 霧香と彩はダッシュで檜の間に戻ったが、全員状況を把握していた。

 ゆかりが南川と液晶越しに話していた。隅の方で福原も不安そうに見守っている。


「南川さん、せめて一時間ずらせませんか ? 」


『ズレても意味なんか無いでしょ。

 もしくは、煽りコメント覚悟の上で流すかい ? 』


「それは……」


『特定のユーザーを弾いても意味なんかないよ』


「あの !! 」


 モニターに映った南川に希星がゆかりを横に入り込む。


「僕が直接、言葉を述べます ! 」


 手には彩に借りていたスマホ。

 両親の承諾済だ。


『……普通の顔して続けた方が、確実に炎上が収まるのが早いと思うけど……。

 それでも ? 』


「正しく知って欲しいです。噂じゃなくて。

 今日の配信は暗くなるかもですけど……。でもこのままゲームして欲しくない ! 」


 あくまでゲームのプレイヤーを気遣った言葉に、南川はニヤリと笑みを浮かべた。


『分かった。本人がそう言うなら。

 千歳君、深浦君。構わないかい ? 』


「キラがいいなら。全力でサポートします」


「俺も、少し論点がズレた炎上に納得いかないんで。構いません」


『よし。では五分前だ。

 頼むよ、諸君』


 全員に緊張が走る。

 三十秒前。

 希星を中心に彩と霧香、恵也が並んだ。

 天使組はAngel bless側として後ろに。


「5秒前 ! 3.2.1 ! 」

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