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第30話 卯の花色

 咲はすぐに南川に連絡を入れたが、ようやく話せたのはこの時間になってからだった。


「という事なの。そういう話がアイテールの方に行くかもしれないんだけれど……。ごめんなさいわたしも、まさかミミにゃんが霧香さんにそこまで敵意が向くとは思わなくて……。あくまでモノクロのリーダーはミミにゃんへのアドバイスとして提案しただけであって…… 」


『ええ、理解しました。そうですか……。まぁ。彼ら若者も必死でしょうからね。

 でも深浦君の考えは鋭いですね。主人公は確かにまだ決まってないんですよ』


「えぇ !? 主人公も実在の人物を使うんですか ? 」


『あまり深いネタバレは出来ないですけどね。今回参加してもらってるアーティストさんは、性別や音楽ジャンル関係ないんです。リズムゲームファン層全般対象で制作しますので……プレイヤーが主人公にする人間を選べた方がいいかなと案はありました』


「……という事は男女選べるってこと ? 」


『ええ。性別や年代とか。それが何人になるか、どんなタイプになるかは未定ですけどね。藤白さん、転職してきたキャリアウーマンって感じで立候補します ? 』


「やめてよ……」


『ははは。

 しかし、ミミにゃんではストーリー上、若すぎますかね。テレビ局の新人って設定なので。中学生では流石にアルバイトでも通用しないし、可愛すぎる。もっと、平凡でいいんですけど。まぁ、善処しますとしか言えないですね。

 だから歌の方にと思ったんですけど……歌が歌えないとは……。それも、こうして又聞きとなると……参っちゃうなぁ。もし無理にリリースしても、本人が叩かれてしまうでしょ ? 』


「そう……ですよね。どのくらいのレベルかは分からないですけど……」


『お付き合いされてる方に関しては、そこまでは干渉しないです。けれど潤さんの方が楽曲提供をするとなると……それはお断りします。

 今後としては……あくまでミミにゃんだけならば……どうにか何かしらの形で起用する事は出来ますが……。例えば公式実況やCMの出演ですかねぇ』


 潤単体でも、絶対にジャンク ダックを許さないスタイルだ。

 これ以上押したら、咲も立場上まずい。


「なんだか、本当に申し訳ございません」


『いえ、もし何かありましたらいつでもご連絡ください。藤白さんも大変だね』


「はぁ〜〜〜……。みんなそれぞれ良い子なんだけどねぇ」


『仕方ないよ。今は情報の発信力が進化してるもんね。ネットでカラオケしてる子が歌い手と呼ばれて、ヴァーチャルシンガーの音楽家が有名アーティストの楽曲を作る。そういう、何をきっかけに表の世界に出てくるか分からない時代になった。

 扱ってる我々も頑張って時代についていかないと』


「それは感じますね……。一人一台ゲーム機を持っていなきゃ出来なかったソフトが、今はスマホ一つで出来るんだもの。……って、わたしが時代遅れのおばちゃんみたいに ! 」


『ははは、藤白さんがお若いのは分かってますよ。

 まぁ安心してください。臨機応変に対応していきましょう』


「ありがとうございます。失礼いたします」


 通話を切った咲が、身体の芯が抜けたように椅子に座り込んだ。

 場所は樹里の事務所のプライベートスペースだった。

 隣には、やり取りを聞いていた樹里がソファに沈んで見ていた。


「んもう〜あの子達〜 !

 緊張で死にそう ! きっと新米高校教師ってこんな感じよ」


「馬鹿ね大袈裟な〜 ! 南川っての ? いい男じゃないの ? あんた相性良さそうだけど ? 」


「やめてホントに。あの人怒ると怖いのよ」


「付き合い長いの ? 」


「わたしがこの仕事始めたきっかけ。一番最初の仲介先なのよ」


「はは〜ん ! 頭上がんないわけだ ! 」


 樹里がコーヒーを差し出し、やや熱いというのに咲はそれを一気に飲み干す。


「ソロミュージシャンの早河 夢子っているじゃない ? あの子よ。ネットで同人バンドしてたのをゲームのオープニングに起用して貰ったの」


「あの子、あんたの発掘だったっけ ? へぇ ! 今や一流ミュージシャンだもんね。

 本っ当に……人の人生って分かんないよね〜。今回だって……ジャンクダックは彩にミミにゃんとの交際打ち明けてたけど、未成年淫行だって分かってるのかしらね ? 」


「それが明るみに出たらジャンク ダックは終わりね。同時にモデルとはいえ、アイドル的な立ち位置のミミにゃんも、男性ファンからはどう見られるのか……」


「それそれ。バレたらミミにゃんもファンが激減かもね 」


「…………どの道、モノクロにはキツく言っておきます。

 この状態なら、相手がボロを出す方が早い

 わ。潤君の希望にも従わないように言っておかなきゃ。個人的に霧香さんとはもう、会わせたくないぃ」


「そうだわね。それが一番よ。雉は鳴かして撃たれ待つ ! 」


 悪女。

 ここに極まれり。

 だが、霧香の無茶な行動で更に咲は胃痛と頭痛に悩まされる事になるのだった。


 □□□□□


 彩と霧香は、中学校が近いとある住宅地に辿り着いた。周囲は団地やアパートも多い地区だ。

 時刻は深夜0時を過ぎた。

 シャッターと二重窓という完全防音の一軒家の二階。

 月明かりも入らない八畳洋間に置かれたアップライトピアノ。

 そのピアノには同じ場所にいつも指紋が付いている。母親からの責苦を受ける時、いつもその場所に手を付き、痛みに耐えるからだ。


 希星は楽譜から霧香に貰ったメモを取り出し見つめた。

 貰ったはいいが、彼は通信機器類の類は一切持たされていなかった。パソコンや机すらない環境で、床に鞄と教科書が纏めて置いてあるだけ。トイレは二階にあるが、階段には鍵の付いた扉。食事はその小口からやり取りされる。

 ほぼ監禁されていると言っても過言では無い。

 父親は無く、無職の母だけが借金に手を染め希星と住んでいる。家は父親が離婚の際置いていったもの。その父親も最早、再婚した後、海外に飛び行方知れずである。祖父母も他界。誰も母を止めるものはいなかった。


 二時間半にも続いた折檻に、身体が悲鳴を上げる。

 ピアノの椅子にソッと座るが、激しく鞭打たれたせいで、背中から臀部までベルトの痕がくっきりと残っている。


「痛っ……」


 メモを再び楽譜に挟み、名残惜しくそれを見つめる。


 連絡のしようがない。絶望的だった。

 だが、来月には学校へ通学する予定がある。通学の前には、母親の暴力は鳴りを潜める。

 放課後なら、公衆電話で連絡が取れるかもしれない。

 けれど何を話していいかは分からないまま。


 今まではピアノさえ弾ければ……ステージの上に立てればそれでいいと思っていた。

 けれど、母親に内緒で寄り道をした事があった。楽譜を買いに黒ノ森楽器店の中に入ったが、あまり種類が豊富ではなく帰ろうと店を出たところで、突然聴こえて来た霧香のベース音と美しい姿。

 あの店の試奏室は完璧な防音では無い。それが幸か不幸か。希星は霧香のベース音が忘れられなくなってしまった。

 野次馬に紛れて演奏を聴く。

 四弦のピンク色のベースを店員に持たされあれこれ弾いてみるも、どうもしっくり来ないようで首を傾げながら音を流している。

 臓物を抉る様な激しい重低音。


 自分はクラシック以外の音楽にも、興味があるのだと。その時、初めて気付いたのだ。


 それからだった。

 駅にストリートピアノが置いてあるのは知っていた。ふらりと座ると指を滑らせる。


 コンクールの歓声とは違う観衆と雰囲気。

 飛んでくるリクエスト。

 ダイレクトに楽しんでくれる聞き手のいる場所。

 楽屋で母親と過ごす時間と無言で自分のピアノを審査されるピリついたステージより、圧倒的な自由とやり甲斐。


 それが癖になった。


 最初は駅でもクラシックしか弾かなかった。いや、弾けなかった。他の曲を知らなかったからだ。

 しかし楽譜を買うお金が無くとも、街頭や店内で聞こえてくるポップスを瞬時に耳コピする事など、この天才少年には容易い事だった。


 けれど、現実はこの八畳のピアノ部屋が希星の全て。


 逃げられない。


 邪心を振り払うように鍵盤に触れる。

 ……そう。母親に逆らうなど、邪な心なはず。

 頭では異常な事とは分かっている。けれど、そう思わないと自身の精神が狂ってしまう。

 そうするしかないのだ。


 その時。


 部屋の灯りがフッと消える。

 母親は一階でくつろいでいる時間だ。

 停電なのか故障なのか ? ブレーカーを確認してもらわないとならないが、母は気付いているだろうか ?

 外が見れない希星にとって近所も停電してるのかどうかは確認出来ない。


「……」


 立ち上がり、ドアを開けようとすると背後に気配を感じた。


「だ、誰 ! ?」


 暗い部屋の中、開かないはずの窓が一箇所開いている事に気付いた。夜風で遮光カーテンがなびく。


 その月明かりの当たる場所に、霧香が立っていた。


「こんばんは、希星君」


「……ベースのお姉ちゃん…… !? 」


 霧香は窓を閉め、そっと近付くと「キリでいいよ」と床に座る。


「ど、どうやって開けたの…… ?

 駄目、逃げて ! バレたら大変な事になっちゃう ! 」


「しー。静かに。大丈夫。防音なら静かに話せば大丈夫だよ」


「……うん。そっか……確かに……」


「少しお喋りしたくて来たんだ」


 微笑む霧香に、希星もゆっくりしゃがみこむ。だが……。


「あいたた……」


「……治してあげる。見せて」


「え ? 」


 恥ずかしそうにするものの、希星にとっては耐え難い痛みだった。霧香が謎の力で傷を治療出来るのは知っていたし、医療行為として割り切れば従った方がいいと思った。

 何より暗いから霧香も見えないだろうと思っている。実際はヴァンパイアは夜目が効くが、勿論霧香にも下心などありはしない。


「キリ……は、魔法使いなの ? 」


「うーん。魔法は使えるけど、そんなにいいモノじゃないんだ」


「 ??? 」


 彩は外から母親の動向を見守っている。

 霧香はこの短時間で希星の本音を聞き、落とさなければならない。


「わたしもキラって呼んでいい ? 」


「うん」


 霧香は平静を装ってはいるが、切り出し方を考え込んではいた。

 どうすればキラが自分を信頼してくれるのか。人の顔色や動作に敏感な子だ。嘘を言ってもすぐに不信感に変わるだろう。


「この傷ってさ、キラの人生を妨害、してるよ」


「え…… ? 」


「もっといい環境で弾くべきだよ。

 黒ノ森楽器店でのわたしのベース覚えててくれたっていうのが凄く嬉しくてさ」


「それは僕も同じ ! 駅のピアノ……今日は他で弾いてないチャイコフスキーだったのになんで音だけで分かったの !? 」


「…………それは………。わたしが元々は天使だったからだよ」


「天…使…… ? 」


 霧香は少し上を見上げ、遠い過去を思い出し、ポツリポツリと語っていく。


 1999年7月。

『恐怖の大王』、『ノストラダムスの大予言』と言われていた『世界滅亡』の予言。

 聖書を元に計画が伺える『世界の終末』。


 本来ノストラダムスの大予言は当たっていたのだ。

 数年前から天使たちも用意に追われ、地球上の種族の生き残りリストもピックアップされた。


「信じられない。僕が生まれる前の話だよ ? 」


「予言してた人間がいたのも凄いよね」


 当時、霧香は音楽の天使 サンダルフォンの元で仕える天使だった。

 その時の名は『リヴァイエル』。

 リヴァイエルは世界の終末を迎える日、ある大役を務めさせられる予定があった。


 世界の終末は三体の獣によって起こるとされる。

 その一体、神獣 リヴァイアサン。リヴァイエルはリヴァイアサンとなり、海の災害をもたらす元凶になる事。


 更には、生き残った地球の生物に食料として蝕まれる。海水に浸され、塩漬けとして食料になるのだ。

 それが神獣の定め。


「つまりキリはリヴァイアサンだったって事 ? 」


「うん」


「でも……1999年に世界は崩壊してないよ ? 今、僕達生きてるし」


「期限が迫ったある日、身体を慣らすために水中生活になったの。リヴァイアサンの大きな身体を動かす訓練ね。

 そこで、見つけたの」


「…… ? 」


「人間界が見える窓」


「窓 ? 普通の窓 ? 」


「そう。見た目はね。水中神殿の最奥にある、神具」


「水中から窓で何が見えるの ? 」


「……人間の世界よ。生きてる人間の暮らし。わたしね、人間っていう生き物をその時、初めてみたの。

 ……自由に生きる姿が……きっと魅力的に見えたのね。今になって考えると、わたしリヴァイアサンになんかなりたくなかった」


「窓を見て……気が変わった…… ? 」


「うん」


 あろうことか、リヴァイエルは人の世界を壊すことに疑念を抱くようになった。


 世界の終末は必要なのか ?

 人はこのままでは駄目なのか ?


「それで、1999年当日。リヴァイアサンは世界の終末に加担しないって宣言したの。

 つまり……神様の決めたルールに従わないって断言したの」


「それ大丈夫だったの ? 」


「あはは ! 全然大丈夫じゃなかったぁ。

 もう……マジでぇ〜。羽はもがれるわ、殴られるわ、罰が酷くてさ」


 思い出したくないほどの激しい体罰。地獄に行く迄の間の刑罰は想像を絶する残忍さだった。

 希星は無言で聞いていた。


「遂に地獄に堕とされる時が来た。天使が地獄に堕ちるなんて……とんでもなく野蛮で、恥ずかしい事なの。

 ……いえ、そう教育されてたの。

 でも実際は違った」


「違った ? 」


「自由だったのよ。悪魔になったら後は自由。

 水の無い地獄で、水の魔法が使えるわたしがいるとまずいんだって。だから人間の世界で暮らしてくれって言われてここに来たの。

 わたし、今ヴァンパイアなんだ」


 希星は腑に落ちない様子で話を聞く。


「悪魔になる時、魔法は消せないんだね。

 回復魔法が使える悪魔って、なんか変だね」


「そうだね。回復魔法は水魔法の応用だからかな。でもそれだけじゃないんだ。

 どんな楽器も演奏できる音魔法も持ってるの」


「何それ、すごい ! 」


「でも、こないだメンバーとバイオリンで対決したら負けちゃった。

 そいつ、小さい頃からバイオリンの鬼みたいな奴でさ。結局努力した人間には、付け焼き刃の魔法なんて勝てないのよ」


「それは残念だね」


「そう ? 魔法使うなんて最低って思ったりしないんだね」


「人間に負けるような力なら別にいいんじゃないかな ?

 キリは楽団にはいないよね ? バンド組んでるの ? 学校の部活 ? 」


「バンド ! みんな一緒に住んでるの !

 一人一部屋あるし、執事もいるからご飯は時間を守れば食べそびれないよ。

 スタジオもあるから夜でも朝でも好きな時間に弾けるし……」


「いいな。楽しそう……」


 霧香が希星に手を差し出す。


「行こう ! 」


「え !? 」


「絶対ここより楽しい !

 音楽を楽しむの ! 全力で ! 仲間と !

 キラ ! 一緒に来て ! 貴方のピアノが欲しい ! 」


「…………」


 希星も分からなかった。

 どうして差し出された手を取ってしまったのか。

 母親の支配から逃げたい ?

 違う。


 ストリートで弾いた、コンクールとは違うあの空気、選曲、刺激。

 霧香について行けば、手に入る気がしたのだ。


「うん……… ! 」


 だが運悪く着信。


『キリ !! 母親が ! 』


 階段を上がる音がする。


「やば……」


 逃げる間もなく、部屋の扉が音を立てて開かれる。


「やっぱり !! あんた、ファンのふりした児相の連中でしょ !!? 帰って !! 痛い目見るわよ ! 」


 この母親に魅了は効かない。


 霧香は希星の手を取ると、鍵の開いた二階の階段を一気に駆け下りる。

 母親も必死の形相でおいかけてくる。


「キラ、逃げて。外に仲間がいる ! 」


「駄目 ! キリが怪我するよ ! 一緒に逃げて ! 」


「いいから早く」


 揉み合いしているうち、彩が玄関を開けて入ってきた。


「早く、こっち !! 」


「キラ、行って ! 」


 だがキラは全く違うものを見ていた。

 台所にかけこんで行った母親が奇声を上げて駆け寄ってきた。

 その手には天ぷら油。


「キリ !! 」


「離れて !! 」


 反射的に霧香が希星を彩の方へ突き飛ばす。


 ジュアアァァッ !!


 やられた !

 避けたら希星にかかってしまう。絶対に死守する覚悟があった。


「あああああぁぁっっ !! 」


 しかし、そうそう耐えられる痛みでは無い。服が皮膚とくっついて行くのが分かる。


「出てけぇ !! 」


「キリ !! 母さんやめて !! やめて!!」


「サイ !! キラをお願い !! 連れてって !! 」


 この騒ぎに近所の人間も寄ってくる。今度はフライパンを振り回し始めた母親を、隣人の男性が制圧する。

 彩が救急車を呼んだが、魔法を使っても水属性の霧香にとって、火傷はどうしようも無い。傷は再生力が遅いし、魔法でも痕は消えない。


 母親は地面に押し付けられたまま、無抵抗にうずくまる霧香を見て薄笑いを浮かべていた。


 □□□□□□□□□□□□□□


 霧香がベッドで目を覚ましたのは二日後だった。

 火傷は左肩から右腰にかけて斜めにだが。ほぼ背中半分だ。


 思わずガバっと起き上がる。


 寝ていたのは自室だった。

 救急車を呼ばれたなら、病院行きだと思っていたからだ。


「…… ? 」


 痛みは無いが、ソッと手で肩を撫でる。ケロイド状になった皮膚の感触。

 立ち上がって鏡を見る。

 視力も問題ない。顔も、首も、普段見える様な場所に火傷は無かった。背中だけだ。


 ガチャ !


「 !? 」


 ドアを開け、見知らぬ男が入って来た。


「あぁ、起きたか」


 白髪混じりの髪に、黒縁メガネを掛けた背の高い七十代程の男性だ。

 服は白衣。


 霧香の意識が鮮明になっていく。

 この男は天使だ。


「貴方は誰 ? 」


「医者だよ。全く人使いの荒い息子で困る」


 尚もポカンとする霧香に医者は溜息を付いた。


「ハランの父だ。李 · ロイだ。いやぁ、ヴァンパイアのお嬢さん……駄目だぞ、普通の病院に行っては。息子に呼ばれて総合病院から連れ出すのにかなり魔法使ったよ……年寄りには堪える」


 そういえば蓮から聞いていた。ハランの親は実父では無い上に韓国で医者をしていると。


「貴方が……ハランのお父さん…… ? ラファエルの眷族ね ? 」


「サリエルだ。

 息子とは書類上の関係だが、長い付き合いになるな。

 さてお嬢さん。君の寿命を五年払えば傷跡を完璧に消せるが ? 」


「寿命 ? 天使がそんな取り引きを持ちかけるなんて……」


「お前さんに『代償として神に祈れ』と言ったら祈るかい ? 」


「……それは絶対ない」


「だろうな、リヴァイエル。お前は天界に不満しか無いだろう。

 だからお前の寿命五年と引き換えに……」


「あの ! ヴァンパイアは不老不死ですけど ? 契約条件に寿命と言うのがおかしいです」


「あんた知らんのか。ヴァンパイアから寿命を吸ったら老いる。つまり君の外見は一瞬で五歳は老け……」


「大人になれるのっ !? 」


 乗り出して来た霧香に、ロイはひいている。


「あんたね……若い事に感謝しなさいな」


「だってこのままじゃお酒も飲めないし、未成年のままですよ ? この人間界で生きていくのにずっと未成年なんてあんまりです ! 」


「な、なるほど……」


「寧ろお願いします」


「寧ろ ? 」


「老けたいぃ……」


「……これでは契約にならん……」


 ロイが困惑していると、声を聞きつけたメンバーが皆入って来た。


「キリ ! 」


 彩が飛んでくる。


「一緒にいたのに、すまない……」


「サイ……。仕方ないよ。あんなに暴力的な人とは私も思わな……」


 ふと思いだした。

 あの後、どうなったのか。


「キラは !? 」


「警察に。キラにはちゃんと話すように説得して、俺がいた施設長に来てもらった」


「そう……。じゃあ、母親の所に戻った訳じゃ無いんだね……」


「まぁ……な」


 だが、母親は虐待と霧香への傷害で逮捕、措置入院となった。

 母子の仲を引き裂く発端になったのは言うまでもなく自分たちである。後味がいいとは言えない。


「おい、ハラン」


 ロイが息子にあたるハランを呼ぶ。


「この娘は契約にならんぞ。寿命を代償には出来ん。喜びの方が強い。全く老人バカにし腐って」


「別に馬鹿にしてるとかでは……」


 焦る霧香にハランも不思議そうにする。


「霧ちゃん、今から五歳も取られるんだよ ? ちゃんと考えないと」


「だって今、十九だよ ? 二十四になれるんでしょ ? 」


 蓮は霧香の楽観的な様子に、少し安心したようだ。


「……いいんじゃない ? 元が童顔だから、多分余計に危機感ないよな。身分証が二十四になったところで、見た目二十歳くらいだろ。俺たちがいい例じゃん」


「まぁ。今も高校一年生くらいだよな」


 しかし、霧香もとんでもない事をポロリと呟く。


「傷じゃなくて、違う願い事でもいいですか ? 」


「えぇ !? 霧ちゃん、結構な傷痕だよ ? 」


「治せるんだったら治そうぜ。だってお前の衣装、結構露出多いし」


「別に構わないよ。傷が全部治っちゃうなんて方が、この世界では不自然なことなんだしさ」


 霧香の言葉にロイが「素晴らしい !! 」と声を荒らげる。

 隣にいた彩が、その声量に飛び上がり驚く。


「リヴァイエル、まさに『人間好き』と言う噂は誠だな 」


「はぁ……。わたし、そんな噂になってます ? 」


「よろしい。俺は寿命は欲しい。そろそろ体力的にもキツいんでなヴァンパイアから五年貰えば、俺の身体は五十代まで若返る」


「ちょ……父さん、やめてくれよ」


 ハランの制止は聞かない。

 ロイは霧香を覗き込む。


「寿命五年と引き換えに、その望み一つ叶えてやろう」


「待った ! 」


 蓮が険しい顔でハランに問う。


「これが天使の契約の仕方か ? 悪魔契約と同じじゃないか」


「霧ちゃんに信仰心があれば別だけど……そうじゃない場合は、等価交換だよ。

 でも天使だからね。後出しで不幸な条件を持ち出したりはしないよ」


「無論だ。心配なら誓紙でも作ってお前さんに持たせようか ? 」


「……霧香。お前が傷痕に拘らないならこんな契約意味が無いだろ ? 」


「いやぁ、悪いようにはせんよ。これを機に日本に移住して新しい医院を建てるのもいい。俺も制約の多い天界には戻りたくないんでね。

 人間はいい。娯楽や文明、自ら生み出していく知恵。素晴らしい」


 ロイは取り分けどちらでも構わなそうだが、再出発に向けて若返りはしたいようだった。何より悪人と言う様には見えなかった。


「まぁ、よく考えなさい。今すぐなんて事は言わんよ。

 じゃあ、滞在先のホテルに戻るから、後は頼むぞ」


「はい……」


 ハランに見送られ、ロイは出て行った。


「サイ、ごめんね。でもちゃんと衣装は着るから」


 自分がしてしまったこと。

 それに対して忘れてはいけないという戒めの為に、傷は残したかった。


「お前がいいなら別にいい。俺たちの責任だから」


「うん。これがキラじゃなくて良かった……」


「あの時、お前が突き飛ばしたから爪先だけで済んだよ」


「児童保護…施設 ? は、どうすれば引き取れるの ? 」


 この一言には彩含めて全員ギクッとする。霧香が希星を欲しがっているのを分かっているからだ。


 蓮がベッドに座る。


「霧香。人助けは別にいい。でも今回は静観するべきだ。

 まずは母親から法的に親権が離れるかも分からない。第一、引き取り側も職業、家柄、収入、家庭環境、全て審査される」


 諭すように霧香に話す。希星を救えただけでも、十分だ。だがそれ以上は、自分たちに出来ることは無いのだ。


「まして未成年のお前や、不安定な収入の俺たちじゃ引き取るのも無理だ。

 あの子の本当の幸せを考えろ」


 同じくハランも頷く。


「キラ君がさ、学校に健全に行けるようになってから、徐々に活動に勧誘するなら分かるけど……」


「健全に育ててくれる裕福な人の元で、優しそうな人に引き取って貰えばいいんだよね ? 」


「……まさか ! お前、嘘だろ !? 」


 勘のいい蓮とハランだ。霧香の浅い考えに気付き愕然とする。


「いや、だって全部当てはまってるなって」


「どんな奴か分かんねぇだろ」


「ハランなら知ってるんじゃない ? 親なんだし」


「いや、でも年齢がさぁ」


「だからわたしの寿命と引き換えだよ」


 ここでようやく最後に気付くポンコツ恵也。


「なるほど ! ロイさんか !

 日本に移住してくるなら丁度いいんじゃね ?

 実際、ハランを養子にした実績もあるわけだし」


 ロイの養子にしてしまおうという無茶振り。これには希星とロイの本人無しに言い争いが勃発してしまう。


「犬猫じゃないんだぞ !? 簡単に言うな ! 」


「でも、どうせ暮らすのはここじゃん ? 」


「いや、それがまずおかしい。お前、契約者にする気満々じゃん ! 本人まだ何も知らない未成年だぞ !? 」


「最初に言ったじゃん。わたし、あの子が欲しい」


「話が早すぎんだろ ! そもそも、キラが本当にお前がヴァンパイアだなんてのも、信じたかどうか ! 普通は信じない。良くてマジシャンだよ」


「マジシャンはガチで怪我治したりしないよ」


「揚げ足取りすんな」


 その日から二日は全員で揉めに揉める。


 霧香の案に賛成派は恵也のみ。

 反対派は彩と蓮。


 肝心のハランは基本的に反対ではあるが、父親に関しては決して悪人じゃないと言う。養子に関しては賛成というところだ。何が気にかかるかと言われれば、希星が弟になると言う事に複雑な気持ちは隠せなかった。

 彩は霧香の簡単な行動に腹を立てただけで、実際あの施設で、ピアノやバンドなどと……そんな活動ができない生活になるのは知っていた。


 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□


 六月が終わり、七月の末に差し掛かった頃。


 ハランの父。李 · ロイは養護施設を訪れていた。同行者は養子のハラン、そして施設長と顔見知りの彩。


 ロイは霧香から話を聞くと、すぐ寿命を貰い、身軽になった中年の姿で施設に通い続けた。更にロイはノリ気だった。

 その間、日本に移住とは言え近所でなければならない。ハランと恵也が土地を探すのに四苦八苦していた。


 ちなみにあまり寿命に外見の変化が現れずガッカリしていた霧香は、蓮から散々説教を受け、更に条件を設けられた。


 十八歳までは希星を学校に通わせることを優先し、同居はしない事。

 同じく、十八まではヴァンパイア契約はしない事。約束もしない。強制もしない。

 他……人間として先に学ばなければならない事は多い。音楽だけに専念させるのも程々に本人の様子を考えながらと。


 ちなみに希星に、ロイが引き取ると言う話をする際、施設長の深刻な切り出しに対して、希星は一言「やったー ! 」と満面の笑みで喜んでいたというから驚きだ。


 そして話はトントン拍子に進み、外出から始まり、希星の李家行きが決まった。

 特にロイの反応は凄まじく溺愛状態で、成人してから書類上息子になったハランに比べ、幼い子供を引き取った事が心底嬉しそうにしていたのが全員の意表を突いた。


 ピアノを用意すると言い出したロイに希星が真っ先に要望したのはシンセサイザーだった。

 希星も既にモノクロに加入する気満々で、それならとロイはピアノもシンセサイザーも含め、必要そうな物全て揃えていった。

 寧ろ、甘やかし過ぎないようにと施設長から注意を受ける始末。


 霧香の屋敷のある住宅地の入り口。

 歯科、眼科、内科……と、病院が建ち並んでいる場所がある。その並びに自宅兼外科·整形外科を建て、希星とロイは新しい人生をスタートさせたのであった。

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