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第19話 ミスティピンク

「蓮くん〜動画観ました〜」


「さっきキリちゃんが歩いてて……」


「デートとかしないんですかぁ ? 」


 蓮の背負ってる、この花の中に入って行ける者と言えば、業務連絡のある店長かハランくらいのものである。そもそも蓮とハランは夕方は女子に囲まれ作業にならないことが事実である。

 店長も最初こそ雇用を悩んだがこれはこれで悪くなかった。


 十七時を待たずして、花束の中から蓮を引き摺り上げる女性が現れる。

 しかし女子たちも「あ〜ん」と残念な声を上げるだけで、喧嘩にはならない。


 蓮を摘み上げる手は蹄のように丸く固そうで、開運ジュエルブレスレットがジャラリと付いた手首は豚のように白く太い。三重あごに真紅の口紅。


「ほら、何やってんの ! 忙しいんだから ! 行くよ !! 」


 そう言って蓮をバックヤードに突っ込み、着替えさせる。


 この三十代前半の大女が黒岩 樹里だ。


 一言。

 一言で分かりやすく彼女を形容すればだ。


『痩せたら超絶美女』。


 京介曰く、不健康系美女だと言うが、誰も理解出来ない。京介自身はグラビアアイドル好きである。しかし交際はこの樹里が相手で、周囲は混乱している。付き合う女性は中身と言うことなのか、それとも資産の関係か。

 彼女の強みは人柄の良さである。義理人情に熱く商売もうまい。欠点は口の悪さと強引さ。愛嬌が良く、案外彼女を嫌う人間は少ない。


「樹里さん ! まだ五時になってないですよ」


「会議ずらしたの ! あたしが良いって言ったらいいんだよ。だってあんた、この時間使い物にならないじゃないか」


 ごもっともである。

 だが蓮とハランをここに連れてきたのも樹里である。

 楽器に興味の無い女子に、夕方店を占領されてでも、彼女は店に客足が乏しくなるのを何より嫌う。人のいない楽器店で音を鳴らしたい奴はいない、と……店長はしつこく指導された。


「なぁーにやってんの ! 遅いよ ! 」


「ちょ、まだ着替え中ですよっ ! 」


 ただエプロンを外し、Tシャツを脱ぐだけなのに変な汗をかいて出てくる蓮を遠目に見て、店長は心で応援している。


 □□□


「これで揃ったね」


「じゃがいもと人参……うん。あってる」


 霧香はメモを見ながら買い物袋を確認する。


「この材料だと……カレーかな ? 」


「そうなの ? 料理しないから分かんないや」


「え ? じゃあシャドウくんはどうやって料理を勉強してるの ? 」


「最初はこれ一箱で一日分料理出来る ! みたいな通販をとってて、それにレシピが付いてた。

 それをファイリングし始めて……わたしがパソコン使ってない時、料理系配信者の動画観まくってたよ」


「……あの家は動画で成り立ってるんだな……」


「う、うん。そうだね」


 ハランは八百屋の壁時計を見て考える。

 時刻は十七時半。


「これがもしカレーの材料なら早く帰る方がいいかな。

 バスに乗っちゃおうか。駅を経由してタクシーに乗り換えよう」


 八百屋の側に立つバス停に二分と待たずにバスが来る。


 学生が多く乗っていたが、どうやら自分たちに気付かれていないようだった。


「年齢層が分からないな」


「なんの事 ? 」


「俺が一度街に溶け込んだらファンにも気付かれないって言ったじゃない ? 」


 霧香を窓際に押し込み、運転手の真後ろに座る。


「Angel blessのファンって、地元の子が多いんだよね。学生を中心に……卒業してからもライブに来てくれたりさ。

 でも、モノクロームスカイはムラがあるよね。学生全員が知ってるって訳じゃなくて……あのライブハウスの前に集まった子を見ててもサブカル系の子が多いかなって感じた」


「……ん〜。でも、それって当然なんじゃないの ? わたしたちネットがホームなんだし。まだ活動始めたばかりだし」


「そう。つまり、ライブハウスの前ならまだいいけど、まだまだ世間の認知度は低い。ゴシックも好き嫌いの激しく分かれるジャンルだし。

 でもチャンネル登録者数は多いから、それが何処に集中しているのか……サブカルに強い地域に行ったら好きじゃなくても知ってるって人が多かったりするかもね……彩は多分そういうのも観察してるはずだけど」


 ハランの中では、存在感が薄い彩が一番出方の分からない人間でもあった。


「んー。じゃあ、わたしたち今度はそっちに行ってみる ? 」


 それを決めるのは彩だが、二人が自主的に……個人的に出掛けると言うのであれば彩も止めはしないだろう。


「そうだね。行ってみよう。

 今度の土曜日とかどう ? 人も多そうだし、天気もいいから外歩き出来るしね」


 隙を見逃さず、確実に約束を取り付ける。


「一日歩いてたら疲れちゃうしさ。どこか他に行きたい所とかない ? 」


「行きたい所かぁ。

 わたしね、サイが前にいたっていう楽団の演奏……聞いてみたいの」


「え ? ……オーケストラに興味があるの ? 」


 あのオーケストラのホールに行くのであれば、実験で行こうとしてるサブカル街とは全く別方向になる。早々に切り上げてオーケストラの公演日に出掛ける手段もあるにはあるが、霧香の興味の対象は自分やファンではなく、やはり彩なのかとハランは不機嫌さを隠せない。


「どんな感じなのかなって。それにチェロの人も多く見れるし」


「ふーん。まぁいいけど」


 おそらく蓮なら喜んで同行するだろう。それを察した以上、ハランは意地でも断る訳にはいかなかった。


 霧香に他意は無い。彼女の頭の中には基本的に彩の『音色』しか無いのだ。四六時中、音に執着し、息を継ぐ様に聴いていたい。例えその曲を知らなくても、思わず歩く足は止まり、食べ物を口に運ぶ手すら止めてしまうほどの……霧香にとっては最早、フェチシズムに近いほどの欲求なのだ。


 霧香はハランにはっきりと返事を返さず、窓の外の景色を眺める。

 ハランがあまりノリ気で無いことを悟り、やっぱりやめようかと悩んだ瞬間だった。


 駅近の交差点で、蓮がいるのに気付く。


 赤信号の歩行者道路で親しげに談笑する姿。


 同行者は女性。


 樹里のその年齢も外見も。


 普通は見かけても気にはならない。醜女では無いが大柄で太ましい体型はとてもじゃないが美しいとは言えない。職場の女性か、何らかの顔見知り程度なのではないかと街ゆく人も思うだろう。


 だが霧香の目にはそう見える事は無かった。


 バスは赤信号で止まり、蓮と樹里はバスの前を横切るようにして横断歩道を歩いて行く。


 目で追ってしまったらハランに気付かれるような気がして、窓の外の一点を見たまま視線を逸らさない。

 しかし、一度目に焼き付いた二人の姿が写真のように霧香の脳と身体の深い場所に焼き付く。


 体型こそビア樽でも、元は眉目秀麗の樹里である。服のセンスも、キツくかかった華やかなパーマヘアも、全てが大人で、十代の外見を与えられた自分には備わっていない大人の美しさだと感じたのだ。


 蓮が誰といようと関係ない事であるし、自分は今ハランといる。

 突然、我に返る。

 モノクロのKIRIとして役目を終えた今、霧香はハランといる事に酷くパニック状態に陥った。


「……わたし、駅で降りる……」


「え ? どうしたの ? 」


「……もう、今日の予定は済んだし。

 大丈夫、真っ直ぐ帰るから。そのじゃがいも頂戴」


「……ごめん。急に誘ったりなんかしたから……びっくりしたよね」


「え …… ? あ……そうじゃないの……」


「じゃがいもは重いよ。他にも入ってるし、真っ直ぐ帰るからすぐ着くよ。大丈夫」


「……じゃあ、荷物はお願い。

 わたし、ここで降りる」


 霧香が無理矢理通路へ出てステップへ向かう。


「霧ちゃん ! 一人じゃ……」


「触んないで !! 」


 掴まれた腕を反射的に振り払ってしまった。

 ハランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに身を引いた。


「分かった。じゃあ別々に帰ろうか。

 気を付けてね」


 そう言って微笑む。

 蓮の事など気付かなかったハランは、恐らくモノクロの恋愛パフォーマンスは、女性の霧香にとって無意識的にも負担があるのではないかと思った。

 今はそっとしておくのがいいのだろうと。

 時間差で学生達が降りてから、ハランもバスを降りた。駅ビルの中に霧香が入って行くのを確認したが、あの様子ではすぐに家に戻らなそうだと考え込む。


「参ったな……」


 ハランはため息をついて、スマホを取り出した。


 □


 霧香はフラフラとエスカレーターに足を運ぶ。


 ハランにした事は完全な八つ当たりだと自覚していた。

 しかし、何故そんな事をしたのか……。例え蓮に自分が意識せずとも気があったとしても、ハランには関係の無い事なのにどうしてあんな態度を取ってしまったのかと思った。

 そのまま平然と一緒に家に帰れば良かったのにと後悔もしたが、今からハランの元へ戻ろうと言う気にもなれない。


 自分が、今の蓮と同じ事をしている気がした。

 あの女性がもし恋人でなくとも、だ。

 霧香にとってハランはまだまだ友人とまでの関係では無い。

 では、自分とハランは何なのか。

 蓮の事は責められないし、責められる関係でもない。

 ただ、蓮もハランもバンドのメンバーです、と言うだけでは納得が出来ないところまで来てしまった気がして。

 他のバンドには人外はいないだろう。同居もしないだろう。恋人のようなパフォーマンスなんてしないだろう。

 普通では無い。

 普通とは ?


 グラグラするような頭を抱え、併設するショッピング施設に向かおうとしたが……どこからかピアノの音がするのに気付いた。


 生の音源だ。店がBGMで流しているようなものでは無いが、少し遠い。


 溢れるような音。猛烈に刺激があるのに、繊細で深く沈むような奏音。


 音に釣られるように霧香は駅の改札前へ向かった。そこにストリートピアノがある事は知っていた。


 どんな人が弾いているのか。

 どんな風に弾いているのか。

 音を聴いたら、今抱えたグラグラが無くなる気がした。


 □□□□□□□□


「知らん」


 居酒屋の個室で、完全にはっきりと言いきられる。

 樹里は清水 森人と名乗る人物を知らなかった。


「失礼します、こちらお通しです」


「とりあえず生」


「このメニューのお酒、上から順番に持ってきて下さいね」


「かしこまりました〜」


 お手拭きで手を拭きながら今一度、樹里は蓮に向き直る。


「だから心当たりないって。最初に言ったけど、Dream rabbitってブランドも知らないし、アパレルブランドで知ってる奴に清水なんての居ないけどー ?

 あんたのリーダー、変なもんに引っかかったんじゃないの〜 ? ぷくく」


「変なものって……えー ? 」


「お待たせしました」


 テーブルにビールとカクテルが並ぶ。


「よし、面白そうな鴨の話にカンパーイ」


「カンパー……いや、まだ鴨られた訳じゃないですよ。乾杯」


「お姉さん、揚げ物の盛り合わせお願い ! 」


「かしこましました ! ではごゆっくりお寛ぎ下さい」


「えーっと。

 でもさぁ。分かんないじゃん ? リーダーの彩っての、まだ若いんでしょ ?

 誰でも一度は騙されるよ。買うか買わないかは別にしても、街中ネズミ講だらけだよね〜。最近聞いたのは〜。あ〜んと……そうだ ! 六十万円のシーリングライトだ ! あはは」


「シーリングライト……何畳用ならそんな高いのあるんですか……シャンデリア買えますよ」


「なんか宇宙とガイアの聖なる光が自宅でどーのこーのってやつ。どう ? 笑えるでしょ」


「いや全然笑えないし。

 ……あいつに限ってそんな物に騙されるようなことは無いですね……。それに兎子アパレルの会社を名乗ってたらしいです。明後日会うことにしたとか」


「ゲプ ! あーやしーい。あははは」


「今ゲップしたでしょ ? 樹里さんペース早いですよ……。相談終わるまで潰れないでくださいよ」


「あたし潰れたことないもんね ! 」


「はぁ……」


「なんならそういう可愛気欲しいわぁ。

 そうそう。あんたのバンドのチェロの子、可愛いじゃないの ! うげぇ〜あれがヴァンパイアとはねぇ〜」


「声デカいです」


「で ? あんた、好きなの ? 」


「……なんでそんな話になるんです ? 」


「んも〜この歳になると仕方ないのよ。京介とももう長いし ? そういう成分が足りてないのよぉ。枯れる一方だわ。

 京介もそう感じるわね。だから二人で動画観ながら毎日爆笑してるんだけど」


「恥ずかしすぎる」


「ふーむ。まぁ、面白い売り出し方だよね。アレみたい。ほら、知らない男女数人を同じ環境において観察する番組」


「お見合い番組とかですか ? 」


「そうそう。蠱毒みたいな ? 」


 蠱毒は寧ろ潰し合いである。


「樹里さん、ふざけてるでしょ」


「ふざけたいわよ〜。あんたはあちこち女と遊んでたけど、あの子が本命ってのは、な〜んか生々しいもんね ! へ〜って納得しちゃった !

 ふざけてんのはハランじゃないの ? あーゆー子タイプじゃないでしょ多分」


「俺もそう思ってたんですけどね」


「あんたが好きだからちょっかい出したいのよ。青いわね。それにあの女の子も男慣れして無さそうだし。ま、それがまた可愛いんだわ ! 今度紹介してよね」


「別に俺は好きとかじゃ……」


 見え見えの嘘に樹里は畳み掛けるように蓮の懐にダイナミック・ダイビング !


「あえー ? そうなの ? それじゃあ、あの子が可哀想じゃない ?

 だってハランがあの子を手に入れたら、きっとあんたから奪った達成感でさぁ〜。あとは捨てるだけ〜ってならない ? 長続きするとは思えないものね。ハランのタイプ的にさぁ〜あ ? 」


 こればかりは蓮も否定出来なかった。


「…………」


「うふふ。まぁ応援してるわ」


 □□□□□


 足早に改札口横の交流スペースへ行くが、途中でピアノの音は止まってしまった。

 霧香が人混みをかき分けて辿り着いた頃には、既にギャラリーが解散し始めていた。

 肝心の奏者。

 どこを見てもいない。


「はぁ、はぁ……」


 隣には拍手をしていた素振りの男性二人のサラリーマンがいた。


「あの、今演奏していたのは、どんな方ですか ? 」


「どんな…… ? うーん、学生さんかな ? 若い人だったよ」


「中学生くらいじゃないか ? 背が低いだけで」


「そうかな ? とにかく男の子だったよ ? 」


「そうですか……」


 近くで聴きたかった。

 霧香はガックリ項垂れると、息を整えてから、元来た道を引き返しショッピングへ向かった。

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