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第18話 撫子色

 ハランに手を握られ、霧香もそれとなく握り返す。

 これが演技だと思うと、逆に緊張してしまう。俳優のようなクオリティは求められないにしても、モノクロームスカイのKIRIとしてこの場に存在する事。

 今まではネットで演奏動画を上げるだけの生活だった。まだまだ人前に出るのは慣れてはいない。


「凄い人だね。ライブって何時からなの ? 」


「今日は十七時から。Eosエイオスって名前の男性四人のロックバンド。東海地方拠点で全員美男」


「ふーん。……まだ十三時なのにもう待ってんの ? 」


「物販が十五時から。並ぶには早いけど、かと言って絶対買い逃ししたくないって人はこのくらいの時間に来て……土地勘があれば周囲に散らばる。向かいのカラオケとか混んでると思うよ」


「物販かぁ〜。確かサイもVtuberの時のタコグッズ売ってた気がする」


「彩はデザインとか、そう言う学校出身なの ? 音大に行かなかったのが意外過ぎて、他の経歴知らないな」


「ううん。独学って言ってた。

 でも、わたしサイの作る服……好きなんだ……。服だけじゃなくて、音楽もギターもヴァイオリンも全部」


「センスが同じってことかな ? 」


「わたしはセンスないから……どうだろう。同じってより……」


 その時、背後から「すみません」と声をかけられる。


 来た。


 二人が振り向くと、そこには三人の女性が立っていた。


「もしかして、モノクロのKIRIさんですか ? 」


 モノクロ……とは ? モノクロームスカイは既にモノクロ呼びが定着しているのか。

 しかし確かにKIRIであることは間違いない。


「あ、あの。そ……そうです」


 霧香がはにかみ答えると、「きゃー」と声が上がる。


「ハランもいる ! 」


「一緒に歩いてる ! 」


「えぇ !? 蓮君じゃないの !? 」


「あの、写真いいですか ? 」


「いいけれど、ここじゃ邪魔になるから少し移動しようか」


 流石にこれからライブをするアーティストに失礼極まりない。だが、通りかかったものは仕方がない……と言う体である。

 僅かだが、小路一本程挟んで混雑から離れる。しかし気付かれてしまってからは人はどんどん集まるばかり。

 恐らくこの群衆の半分もモノクロを知らない者たちだが、何となく押し寄せる者、その場で検索して把握してから反射的にノリで来る者、Angel blessのファン……色々だ。


 最初に声をかけて来た女子グループと霧香が写真を撮る。話さなくても集まった群衆の殆どはとにかくスマホ片手に当然のごとくカメラを向けてくる。だが、ハランがツーショットを希望されたのを最後に、何やら雰囲気が変わる。

 皆興味はこちらに向いているが、ヒソヒソ照れ照れと何か言い合っている。


 そのうち、代表に押し出された女子がハランにお願い事を口にした。


「あの !! お姫様抱っことか…… !! してもらっていいですか !!? 」


 ハランは完全に営業スマイルで「お安い御用ですよ」と答え、女子に近付くが「ぎゃあ」っと悲鳴が上がる。


「わ、私じゃないです !!

 KIRIさんをです ! 」


 これにはハランも一瞬ポカンとほうけてしまった。


「私たちは !! ハランさんとキリさん推しなんです ! 」


「あ、ああ。そう言う……」


 そうだったと思い出す。

 モノクロームスカイのコンセプトは蓮とハランによるキリの取り合いである。


「じゃあ……」


 ハランの笑みがより一層キラリと輝る。

 これは役得。


「霧ちゃん、こっちにおいで」


 まるで、飼い慣らした猫を呼ぶように霧香に手を差し出す。

 だが、霧香はすぐ来ない。

 そもそも、蓮やハランには彩はあれこれ要求するが、霧香に対しては何も指示していないのだ。二人が言い寄って来る、とは説明されてはいるが、自分がどうしたらいいかは言われていない。ケースバイケースで判断しろと言うことなのだろう。女性である霧香に彩もモラルとして「やれ」とは言えないのだ。


「は、恥ずかしいよ……」


 モジモジと赤面する霧香にまた声が上がる。


「んかっわいいっ !! 」


「はぁわぁぁぁ天使じゃん〜」


「同じ女とは思えない。尊い……」


 群衆は一度スマホを向け終わると、半分ほどに減った。

 残った女性達は、恐らく自分たちより年下であろう霧香の初々しい反応に悶え狂っている。


「もう ! ガッとイっちゃって下さい ! 」


「ハラン ! イって ! 」


「あはは ! じゃあ遠慮なく」


 ハランは霧香の肩を抱き寄せると、一気に抱えあげる。


「霧ちゃん、ちゃんとシャッターチャンス作ってあげて」


 耳元で囁かれる。

 霧香もいよいよスイッチを入れなければならない。


 少しはにかんだ様子でハランの胸元にぴっとりくっつき、視線を彼女たちのスマホのレンズに向け微笑む。笑顔を向ける。

 そして少しハランと「恥ずかしいね」と言い談笑する仲むずましい様子を魅せる。


 ハランに降ろされた頃、今度は通行人の一グループが立ち止まる。今度は男性もいる。


「あれ ? KIRIじゃね ? 」


「あ、ほんとだ。ギターもいんじゃん」


 ハランは気付いているが、明らかにいつもの自分のファンの層では無い。

 全員モノクロームスカイを知っていてここに集まって来ている。

 彩に報告するにも、更に情報は欲しいところだ。


「モノクロームスカイで活動始めたんだ。よろしくね〜」


 何となく声をかける。返答が欲しい。


「知ってるッスよ ! ゴシックと和ロックっすよね ? 」


「あたしはお部屋行く動画観ました〜」


「本当に ? 凄く嬉しい。な ? 」


 ハランが霧香にも話を振る。こういうのは割と理解が早い霧香である。すぐに意図に気付く。


「うん嬉しい。

 でも、まだ全然みんな知らないって思ってたから」


 淡いグリーンのドレスに透明感のある蒼い髪。小さいはずが全員にしっかり届く声色。微笑んだ瞳は瑞々しく、桜色の唇は人とは思えないほど柔らかそうで張りもある。

 ここで霧香は、目にする全てを魅了していく。


「知ってますよ〜 ! 」


「地元だから余計にだよね ? 」


「うちの部員とかみんな知ってますよ」


 ギターを背負った女子が明るく言う。


「君は軽音部 ? 」


「そうです ! OGの先輩とかAngel blessのファンだったし、男子はKIRIさん好きなんですよ」


「へぇ〜 ! 嬉しい !! 」


 音楽をやる人間に支持されるのはまた別の喜びも然り。


「あたしは家で絵を描く時に聴いてます。友達はオケやっててSAIのバイオリンめっちゃ推しです」


「あ、そうだ。うちの大学は工業系なんすけど、KIRIさんのベースすげぇ話題っすよ。意味が分からないって。

 これ先輩作ったんですけどぉ」


 スマホの液晶に写る、霧香のマシンの複製品。


「うわ ! 凄い ! 」


「いやー実際作ったら超重くて、ヤバいっす。マジでマシン ! 」


 ドッ ! と笑いが上がる。


「ライブとか予定ありますか ? 」


「絶対行きますー」


 今のところは予定無しである。

 ネット活動がメインである。彩はどう考えているのか。

 だが、少ないとは言ってはいたが、やらないとは言っていなかった。


「まだ未定ですけど、いつかやると思います」


「やった〜」


 そのうち、反対側に居た大人しめの女子が霧香に告げる。


「あの……蓮君ともいるところ写真撮りたいです」


「あ、うん。蓮は今日仕事で……。

 外出した時、会えるといいね」


 蓮×霧香 推しもここには居た……。


「じゃあ、他の方にもご迷惑になるから失礼しますね。

 皆、Eosさんのライブに来たのかな ? 楽しんでね」


「はーーーい」


「キリちゃんバイバイ」


「みんなありがとう。バイバイ」


 ここからは猛スピードでそそくさと気配を消し、通りを歩く。


「「はぁ〜〜〜」」


「疲れるだろ ? 」


「うん。これは……疲れるね。嬉しいけど疲れる」


「ちょっとどこかで休憩しようか ! 」


「うん」


 未だにハランに抱えられた時の感覚……体温の熱さが身体に残っている。

 僅かに感じた早い鼓動。

 客前で緊張してただけだと自分に言い聞かせる。自分のせいだなんて自惚れだと。そう思わないと今、ハランの目を見れなくなる気がして。


 だが、ハランは全くその通り。

 抱かれた霧香がにっこりと自分を見上げる仕草は、まさに妖精のように純新無垢な存在に思えた。

 それが自分の腕の中に収まっている事も。顔が近い事も。全てが別の欲に変わっていく。


 ハランは霧香の手を繋ぎ直し、その小さい手の感触をただただ感じた。


 □□□□□□□□


 その頃、彩は清水 森人と通話中だった。


「つまり、要約すると『ギャラは無いけれど動画の際に御社の服を着て欲しい』と…… ? 」


『ええ。他にもV系メンズもやってますんで』


「ギャラは別に構いませんが……流石に全部は……」


『二割引……もしくはあの、試作品なんかは差し上げられますけど……』


 何かと引っかかる。

 本当に関係者なのか怪しいと感じた。


「何にしても有難いお話で嬉しいです。あの……これは会社の皆さんで相談された企画……とかなんでしょうか ?

 いや、あの。俺たち本当に駆け出しですし、ちょっとびっくりしたと言うか……」


『企画…… ? あ、いやー。僕の独断なんですけどぉ』


「……あ、ああ。そうでしたか」


 まさかの独断。

 怪しい。

 後々、トラブルにならなければいいが。

 結局、この広報の森人がモノクロに目をつけて、勝手に動いているだけなんだろう。


 彩としても予防線が欲しいところではある。


「俺、服改造しちゃうんですよ……そのまま綺麗な状態で返せないと思いますし……」


『うう〜ん』


「衣装は大事ですけど、俺たちは基本的にネットミュージシャンです。ステージに立つのは少ないので……広告塔にはなれないと……」


『そこですよ ! 市販の服はリアルクローズ寄りです。ネット配信は強みですよ。

 お部屋紹介の動画観させて頂きましたけれど、いいですよねパジャマパーティ。

 だって、皆さん普段から衣装着てる訳じゃないでしょ ? 』


 確かにアーティストの配信動画は二つに分かれる傾向がある。


 着飾り、ファンのイメージを崩さないよういつでも完璧なアーティストを演じる配信。


 そして、生々しい生活感を見せてファンとの距離を近く感じさせるために飾らない自分を観せる配信。


 このうち、先日のモノクロの動画のうちPVは前者、お部屋動画は後者である。


 彩も悩んでしまう。

 二割引。もしくはレンタル。それもメーカー側からの声がけ。

 何より音ビルをいくつも持つ黒岩 樹里からの取り次ぎの電話である。


 断るのは……。

 ただ怪しいのが悩みだ。ここは会って話を聞かなければはっきりしない。


「こちらとしても、是非よろしくお願いいたします。

 出来ればお会いして、互いの認識を確認してから……と言うのでは…… ? こちらもご挨拶に伺いたいと思いますので……」


『本当ですか !? ありがとうございます ! 断られないかドキドキしました。

 では、明後日の午後二時はお忙しいですか ? 』


「大丈夫です」


 断るのはモノクロでは無く、森人の上司なのでは ? と思ってしまうが……あえて言う必要もないだろう。


『それでは、場所は……うちの会社の建物って、知ってますか ? 』


 彩はパソコンの液晶に映っている住所と地図を確認する。


「勿論、存じ上げております。では二時にお伺いしても宜しいですか ? 」


『是非〜。ではお待ちしております ! 』


 プツン。


「はぁ〜〜〜……」


 元々は人見知りの激しい彩である。こんな少しの電話でも緊張していない訳では無い。


 しかし、衣装提供の話が出てくるとは……あまりに出来すぎた話だ。

 もしも黒岩 樹里のツテだとしたら。なんにしろ、Angel blessの繋がりでモノクロもある程度目に掛けてもらっている……と考えるのが普通なのか。

 そうなると、挨拶程度でも樹里に声をかけない訳にもいかない。


 彩はスマホで蓮に樹里の連絡先を聞きたい旨をメッセージで送る。


 これなら蓮が間を取り持ってくれるだろう。


 ピコン♪


『樹里さん……お節介なんだよなぁ……。

 了解。俺から連絡先の事話してみる』


 これで一先ず、明日を待つのみ。


 あとは明後日、誰を同伴させるかだが。

 霧香は絶対だ。

 あと一人。Angel blessの蓮かハランが妥当だが、ハランは強い自己主張がどう作用するか不安だった。


 蓮と恵也に同行させるのもいいかもしれない。二人ともタイプが真逆の顔つきと体つきだ。


 彩は椅子から降りて冷たい床に転がった。


 目まぐるしく変わっていく生活に、疲労感と、ちょっぴり忘れていた感謝。


 彩は目を瞑ると、そのまま眠れもしないのにずっと床の冷たさで頭を冷やし続けた。


 □□□


「店長」


 蓮は休憩室に入って来た楽器店の店長に声をかけて事情を話した。


「へぇー黒岩さんがねぇ。

 Angel blessの時もそうだったけど、案外黒岩さんって影で凄くファンだったりしてね」


 古いマリッジリングをつけた温厚そうな黒縁眼鏡の男。黒ノ森楽器店の店長である。


「お世話になってはいますけど……ファンとは思えないですよ」


 蓮が苦虫を噛み潰したような顔で腕を組む。


「絶対、面白がってますよ。京介と付き合ってるって……もう、同じ感性としか思えないです。ライブで演奏ミスとかあった日は特に弄られますもん……」


「お茶目な一面はあるかもね。

 モノクロに関しては……あれは誰が観てても面白いよ。僕は蓮もハランも身近な人だからね。つい見ちゃうよね」


「……まぁ、そういうのが狙いではありますけど……」


 店長は腕時計を見ると、スマホを取り出す。


「丁度今日は会議なんだよ」


「え、そうなんですか ? 」


 会議とは。


 黒岩 樹里が持つ音ビルのテナントや責任者、管理者などが集合し、隔月行われている報告会議だ。


「今日は駅前のコンベンションホールでやるんだ。今ならまだ時間もあるし……聞いてみようか ? 」


「……ん。じゃあ、お願いします。早い方がいいですもんね」


「そうだね。黒岩さんって案外、外野の人間関係絡みは厳しい人だし、そう言う話であれば」


 そういい、店長は型遅れのスマホで連絡を入れる。持ち物は決して高級品ではないが、身なりは清潔で物持ちの良さが売りの店長である。楽器のリペアマンとしてここに来てから客入りも多くなり、皆安心して店長に楽器を預けるのだ。


「お疲れ様です、黒岩さん。実は蓮がアパレルブランドの話でお話があるとかで。

 今変わります」


 スマホが蓮の手に渡る。


「お疲れ様です樹里さん。お忙しいところ……え ? なんでそんなキレてんすか……。まぁいいや。

 実はうちのモノクロのリーダーから連絡が来て、アパレルブランドの広報の清水さんという方から衣装協力の話が……え ? 関係ない ?

 いやいや、その方は樹里さん経由でうちのリーダーに話を……は ? 知らない ?

 え…… ? 」


 間違いなく、彩は『清水は樹里から自分の連絡先を聞いた』と言ってた。


「いや、カモとか言わないでくださいよ……俺も全部把握してないですし……。はい。俺、シフト入ってますよ 。

 えぇ ? じゃあ聞いておきます、夕方……ええ。分かりました。失礼します。

店長、俺十七時で上がります」


「それはいいけど。

 ……え ? 何 ? アパレル男、怪しい人だったの ? 」


「どうでしょう ? 詐欺師が本社に来てとか言いますかね ? 」


「でも、黒岩さんの紹介じゃなかったんだ」


「らしいです。これからリーダーに話聞いて、会議の後少し樹里さんと会ってきます」


 店長は心配そうに蓮を見つめる。


「ちゃ、ちゃんと言うんだよ ? 変な人かもしれないから気を付けなよ ? 」


「は、はい……」


 警戒心の強そうな彩がそんなモノに引っかかるとは思えないとも思ったが、もしものこともある。

 せめて樹里の知り合い……顔見知り程度でも接点があればいいが……。


 蓮は一度スマホを取り出そうとしたが、先ずは樹里の話を聞いてから彩に連絡する流れでもいいかと思い直す。

 スマホのステータスアイコンに大量のXマークが並んでいる事に気付く。

 開くと殆どが京介のいいねボタンの通知だった。


 開くと、街角で撮られたと思われる霧香とハランの写真だった。今日の予定は把握していた分、驚きは無かったが。仲良さそうに……それは良しとしても……繋がれた手と手に、名前の知らない感情が湧くのを感じる事にモヤモヤとした。

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