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第13話 コーラルピンク

 夕食が終わって、ようやく全員解放される。


 霧香の部屋にはシャドウがいるという事で、恵也は自由な時間になったが、どうにも落ち着かなかった。

 パフォーマンスに関しては、客観的にも恵也は意外にも賛成ではあった。

 だが、あくまで自分は霧香の護衛である。


 ハランを気軽に住まわせたことも、霧香が実際は誰が好きなのかを考えて行動しないといけないとも思える。

 周りが状況を整理してやらないと、「そんなつもりは無かった」と後になってから霧香が悩み、音を上げてしまうような気がして……それが一番心配で仕方がないのだ。


 本当にこれでいいのか ?

 ヴァンパイアとはいえ、ハランも人外である。

 ハランは本気で加入まで考えて来たのかも、分からない。


 ピンポーン。


 インターホンが鳴る。

 時刻は二十一時。そういえば、今日は最初から蓮が戻ってくる予定だったのだと思い出す。


「ふぇーい」


 玄関を開けると蓮が立っていた。

 護衛としての行動に一瞬狼狽える。

 勝手に家に入れるのも……しかし蓮は霧香のお目付け役と言う立場だし、仲もいい。

 何よりハランはもう中にいるわけで。


 そんな恵也の様子を知ってか知らずか、蓮は恵也を見てすぐ「おめでとう」と口にする。


「契約したんだな。少し安全になる。ほっとするよ。あいつ、我儘だけどよろしくな」


「い、いやいや。あ〜別にそんな ! うん。頑張るぜ ? 」


 契約者ができる事と言うのは眷属が出来るという事。

 ヴァンパイアにとっては子孫繁栄の次に喜ばしい事なのである。


「ハラン来たんだって ? 強引だったろ 」


「あ〜うん。色々と……」


「あいつ、多分引かないよ ? 加入の事も、散々ゴネるかもな」


「マジで ? 」


 複雑な顔をする恵也に、蓮もどう返せばいいか分からない。


「ところで。霧香、借りたいんだけどいい ? 帰りもちゃんと送って来るから……静かに呼んできてくれるか ? 」


「あえ ? いいんじゃない ?

 ??? なんでそれ俺に聞くの ? 」


「勿論、お前が第五契約者だからだけど ?

 いいか ? 霧香がどこかに誰かと行きたがっても、不審者だ危険だとお前が判断したら、家から出すな。もしくは同行。

 そういう役割なんだ。霧香も頭ではそれをわかってるから、ゴネても決定権はお前にある。頼むぜ ? 」


「ほぇ〜。結構ヴァンパイアって大変なんだな。

 あ〜。でも、別にあんたなら大丈夫だろ。今呼んでくる」


 蓮をエントランスのソファに座らせると、恵也は霧香を呼びに行った。


 エントランスのピアノの上に猫型のシャドウがいるが、狸寝入りをして我関せずである。蓮も特に話しかけたりはしない。


 □


「キリ、蓮が来てる。出かけるって」


「え ? 今から ? 分かった」


「待って待って ! 」


 そう言って、寝間着のまま部屋を出ようとする霧香を恵也が力付くで止める。


「お前……ちょっと着替えようぜマジで ! 」


「別にいいよ、このままで」


「良いわけねぇだろ !!

 どれだ !? あいつの趣味 !!

 可愛いのか ? セクシーか ? 蓮、どっちが好みだよ ?!

 なんでこんな時に限って早寝なんだよサイぃぃぃ ! 」


 まるでF1のピットインの如く、恵也は霧香を改造していく。


「キャミソールこれ ! 靴下これ ! 」


「別になんでも良いのに……」


「良くねぇよ ! どうしたらそんな、数時間で髪絡まるんだよ」


 恵也こそ「行かせたくない」と言う気持ちはあるはずなのだが、何故かこんな状況を目にしてしまうと放っても置けないのだ。


「ロリータじゃないとダメなんだった !

 可愛すぎなく、ロリータ…… ? 露出少なくロリータ…… ?

 こんな感じか !? 」


 恵也がチョイスしたのはシンプルなリボンブラウスに、上品な珊瑚色でエレガントデザインの膝丈ジャンパースカート。


「顔洗ったか !? 歯磨きしたか ? 」


「……わたし今、風呂入ったばっかりなんだけど」


「心配なのっ ! ほら、早く。待ってるから ! 」


 ようやく降りてきた霧香を見て、シャドウは笑いを堪える為に前足で顔を洗う。

 ぺろぺろ。

 何も聞こえてない。

 レロレロ。

 ズボラな霧香に恵也が世話を焼いてるのが面白かったなんて……思ってなどいない。

 ザリザリザリ。

 そう自分に言い聞かせる。

 激しい毛ずくろいで冷静さを保つ試みをする。

 ぺろぺろぺろぺろぺろぺろ !!


「お待たせ。どこ行くの ? 」


「色々。乗って」


 霧香を車に乗せると、蓮は国道に出てまっすぐ浜を目指す。


「わぁ、海 ! 好き ! 水魔力の回復量多い〜 ! 」


 はしゃぐ霧香とは逆に、蓮は少し物思いにふけった様子でハンドルを握る。


 駐車場にはまだ一台も人がいなかった。もう少し時間が経てば、近くの堤防で早朝釣りをやる人達が車中泊する駐車スポットである。


 車を降り、夜の砂浜を歩く。


「うわ〜広〜い ! お風呂とは違うね ! 本来の魔力が戻ってくよ !

 〜〜〜♪」


 海を見渡す霧香の後ろから、蓮が自分の羽織りものをそっと霧香の肩にかけ……


「え ? あ、ありが……と……」


 そのまま強い力で抱き込まれる。


 霧香は振りほどく事も無く、ただその体温に任せて頭を空にした。

 普段はしない、蓮の行動。

 そうしなくては。

 恥ずかしさと緊張で。

 何かがうやむやになる気がして。

 何も出来なかった。


「俺達の加入の話、聴いた ? 」


「……うん」


 耳元で囁く声色は深く、低く、心臓にまで届くよう。

 霧香は少し不思議でもあった。ドキドキすると言うよりも……恥ずかしくはあるが、何故か酷く落ち着くのだ。


「ハランはその気だけど……。お前が迷惑なら、本気であいつ止めるよ ? 」


「……分からないよ。ハランのギターは、うちに必要な物なのかどうかも……。わたし聴いたことない。

 それに、リーダーのサイが決めることだし」


「ハランがギター以外をやることは無いと思う。お前はSAIと演奏したかったんじゃないの ? 」


「そう……だね。うん。それは、ちゃんと伝えてある」


 ハランが加入したら、恐らくリードギターに付けるだろう、そう蓮は予測していた。


「蓮は ? 加入しないの ? 」


「して欲しい ? 」


 霧香は答えられなかった。

 して欲しいと答えたら、自分は何を割り当てられるのか……。自分にはベース以外、考えられなかった。


「ごめん。俺、加入はしない」


 蓮は首を横に振った。


「俺はお前のベース好きだよ。俺がもしベースやることになったら……お前、どうするの ? 」


「うん……そうだよね 」


 蓮は少し心配そうに霧香の肩に顔を埋める。


「ハランの我儘に付き合うなよ ?

 彩はなんでも出来るからいいとしても。お前をボーカルだけにするかもしれない 」


「えぇ !? そんな……わたし、ベース以外やる気ないよ ? ベースやれてるからボーカルもしてるだけだし。

 だったらハランがボーカルすればいいのに」


「だよな。よく考えた方がいい。

 ハラン……あいつは良くも悪くも意見がはっきりしてるから……彩が何か主張しても押し切りそうで……」


「なんか、意外。あの人、もっと優しい……温厚な人だと思ってた」


「勿論、真の悪人って訳じゃないよ。ただ、メリットデメリットでものを考えるところはあるかな」


「そっか……」


 少し間を置いて、蓮が霧香の肩で呟く。


「俺、ホントは加入したいよ ? 」


「 ? 」


 一体どういう事かと、蓮を見上げて振り返った霧香の首筋を左手でサラりと掬い……一瞬だった。

 右手で顎を上げられた霧香の唇と唇を重ねる。


 強い魅了がかかっている訳でも無い。

 何かを強制されている訳でも無い。


 しかし霧香は蓮をそのまま受け入れる。


 やっと唇が離れ、蓮がポソりと言葉を零す。


「お前のベースが聞けなくなるのは、嫌だから……」


 霧香のベースを優先させる為に蓮は身を引くという事だ。


「ん…………そっか」


 恥ずかしさを消すように、下を向き靴で砂をグリグリと掘り起こす。


 「俺は加入見送るよ」


「……うん。仕方ないね」


「少し貰っていい ? 」


 蓮は抱きついたままで霧香の腕を羽交い締めにしたまま。

 後ろからその白い首筋に吐息をかける。


「せっかく皆んなから契約で貰ったのに〜」


 抱きしめた腕を振りほどかないなら同意も同じこと。


 蓮は霧香よりほんの少し太く鋭い牙でプツリと穴を開け、すぐに痛み止めと催淫作用のある魔力を流し込む。


「……はぁ……はぁ……」


 たった数秒で出血と特殊魔力で、一気に息が上がる。


「ちょ……と……。強すぎ……るよ………」


 目の前がふわふわして、足元がおぼつかなくなる。痛みは無いはずなのに、首に吸い付く冷酷な牙に、絶対にあがらえない明確な上下関係。ねじ伏せられる抵抗心。


「飲料、持ってきてるし」


 目上のヴァンパイアが目下のヴァンパイアから血液を貰う事は、割とよくあることである。

 だが『上司』と言う『目上』では無い。

『尊敬する者』『認めた者』『恋人』『配偶者』、そう言ったものだ。

 霧香がそのうちの『どれ』として蓮を見ているかは定かでは無いが、これが初めてでは無かった。


 遂に立っていられず、しゃがみ込もうとした霧香をヒョイと抱えあげる。


「ごめん。調子に乗りすぎたか……」


「蓮……加入しなくてもいいよ。でも一緒に住もう ? 」


 霧香を抱えたまま砂浜入口の階段に腰を下ろして海を眺める。


「ハランが怖い ? 」


「分からない……。ハランがギターをやってサイがギターをやめたら……わたし、自分の存在意義を見失っちゃう……」


 サイと弾き合ってる時は何かが違う。

 言葉より饒舌で。

 恋より心が踊り。

 互いの存在を認め合える。


「二人でバイオリンを弾いた時もそうだったの。サイの音は……何故か凄く共鳴するの……」


「聞こえてた。あの音も凄く良かった」


「……蓮、なんか明日死んじゃうみたい」


「なんでだよ ! 」


「だって……」


 こんなにストレートに認めて貰えることが、今までは一度もなかったからだ。


「まぁ、加入は別にして。住むのはいいよ。

 俺の部屋残ってんだろ ?

 ハランがトラブル起こした時のために」


「うん…… ! 」


 霧香の顔がパッと明るくなる。

 なんだかんだで、蓮は霧香には甘い。何より二人っきりでいれば、余計な天邪鬼精神が働かない。


「これから楽器店に行くから。もう立てる ? 」


「うん。血成飲料飲めば大丈夫だと思う」


「まだ春でも寒いな。とりあえず、車に戻ろう」


 砂浜を去るまで、蓮は霧香を抱き寄せたままだった。

 そして霧香もまた、懐いた動物のように……一度覚えた蓮の温もりから離れる事はしない。


「楽器店、何しに行くの ? 」


 霧香が聞いても、蓮は曖昧に答えて血成飲料を手渡すだけだった。


 □□□


 彩は暗い部屋の中で床に転がり毛布に包まっていた。

 どうにもベッドは落ち着かなく、今はパソコンを触る気にもらなかった。


 無音のヘッドホンを付けたまま、目を閉じ頭の中を整理する。


 悩みの種はやはりハランの加入だった。

 京介に『加入と同居を早めるように勧めたのか ? 』と聞いたが、返事がいまいち曖昧で状況を理解していなかった様だった。そこまでしてハランが執着しているのは、自分たちの音楽ではなく霧香の存在なのだろう。

 ハランと霧香が並んでギターとベースを弾いているのを想像するだけで、彩は屈辱なのである。ハランの実力は認めてはいるが、ゲソはアイドルグループでは無い ! と。


 だが強味もある。

 それは霧香がどんな楽器も演奏できるという事だ。

 彩がバイオリンで弾かせた曲はどれも最難関レベルの曲ばかりだった。あれを一発で弾くポテンシャルは魔法であっても、活かすべきだ。

 もし、どうしてもハランがギターをやり、自分のギターがハランと相性が悪いと感じたら……。

 そして、いずれは蓮の加入も視野に入れていた。


 本人や周囲にまだその空気は感じないが、霧香がいずれ望む可能性が高いように感じたのだ。

 女性の恋愛感情は複雑で面倒で、我儘で難解。それなのに理由はシンプル。好きと言う感情の暴走。


 彩からすれば、に土壇場になってからバタバタ振り回されたくないのだ。

 少なくとも彩はそう自覚している。だが、それは霧香に優先順位を置いているからである。


 昨夜。

 バイオリンを二人で弾いていたのを聴いていた蓮が朝方、とある話題を振ってきた。


 随分演奏を気に入っていたようだが、霧香の指が鋭い弦についていけないことを話すと、とある提案が蓮から出た。


 楽器売りの職業柄か、同じヴァンパイアだからなのか……。


 彩はムクリと起き上がると、バイオリンを手にボンヤリとスタジオに向かった。

 悩み事が起きた時の、彩のルーティンでもある。


 途中、黒猫がエントランスにいるのが目に付いた。


「…… ? 」


 魔力を感じる。契約者になったから分かるようになったのだと、初めて理解する。


「もしかして……シャドウ ? 」


 黒猫は耳だけ彩の方に向けると、一言「おう」とだけ返した。


 □□□


 ビル隣の月極駐車場に車を停め、非常階段から二階に上がる。

 警備会社のシステムにキーを通しロックを解除し、非常ドアを開ける。


 真っ暗な中、バックヤードに足を運ぶ。

 夜目が効くから特に明かりは必要無いが、倉庫にまで辿り着くと、長机の上に書き置きがあるのを蓮が手に取る。


『私のツテとコネと権力だぞ ! バーカバーカ ! 』


 書き殴られたメッセージに蓮が苦笑いを浮かべる。


 下の方に申し訳程度のサイン。


『黒岩より』


 蓮がこの音ビルのオーナー黒岩 樹里に頼んでいた物が、しっかり届いていた。


「おいで」


 蓮が明かりを点け、霧香を呼ぶ。


 目の前にあるのは霧香の身長近くある大きな楽器ケースだった。


「一応、来週で人間界一年記念……あと、契約者も二人できた事だし……。誕生日とかの概念無いけど、何かしておきたくて。

 おめでとう」


「これ、わたしに ? 」


「開けて」


 触った事は無いけど、形くらいは知っている。


 中身はチェロのはず。


 霧香がハードケースを開け、思わず感歎の声を漏らす。


「凄……綺麗………… !! 」


 中身はガラス製のチェロだった。


「重量はそれなりに四倍くらいあるかな。でもお前のベース程じゃないよ。十キロくらい。

 耐熱ガラスで音も綺麗に鳴る」


「さ、触るの怖……」


「大丈夫大丈夫」


 とりあえず持ち上げ、そばにあった椅子に座り抱えてみる。


「わぁ〜。

 ……弾こうと思ったけど、チェロの曲って全然知らないや」


 そう言って笑う霧香に、蓮も頷く。


「そうか。でも教えてくれる奴がいるだろ。超適任がさ。

 最近はバンドで使う事もあるし」


「チェロを ? 」


「……コンセプトによるよ。シンセサイザーでチェロの音を出すのも良いけど……そうだな。

 弦楽器奏者のいるバンドの曲、何枚か借りてく ? 」


「うん。

 ありがとう蓮 ! 」


 こんなに簡単に受け入れてしまうなんて。

 勢いで唇を重ねた事も、それを誤魔化すように血を貪った事も、少しの嫉妬心で同居を決めた事も……ただの身勝手な欲だったのに、と蓮は自分を恥じてはいた。

 しかし少しだけあったその罪悪感が、霧香の嬉しそうにチェロを抱える笑顔で薄れていく。


 家に帰れば、これから他の男に囲まれる日常だ。特に契約者に断りなく連れ出す事も、規定としては違反なのだ。


 霧香は今年の更新で十九歳になったが、まだまだ中身は天界にいた世間知らずな天使のまま。悪魔らしさもなければ、人間界にも慣れていない。せめてハラン程の腹黒であれば余裕もあるのだが。


 ……このまま朝まで二人でいたい。


 そう言い出せなかった。


「車に乗せるか。

 そろそろ遅くなるし」


 ケースを担ぐ蓮に霧香が、思い出したように聞く。


「家に帰るの ? 今日から泊まったら ? 」


 一瞬、断ろうとした蓮だったが、それはそれで明日の朝、ハランの反応も見てみたいと考えてしまう。


「じゃあ、そうしようかな」


「皆で暮らして賑やかになるねー」


「はは。そうだな」


 霧香のこの楽観的な態度がハランの蜘蛛の糸にも絡んでしまう気がして、蓮は気が気でなかった。


 □□


 帰宅し、車からエントランスにチェロを運びこむ。

 スタジオの明かりがついていることに気付いた霧香が、中にいるのが彩だと魔力で嗅ぎ分ける。


「折角だから見せてくる ! 」


「分かった。俺、先に寝てるよ」


 足元にシャドウが寄ってきて、チェロのケースと蓮の足をスンスンと嗅ぐ。


「物騒な物じゃないよ、シャドウ」


「ふん。とち狂って爆薬でも仕込んできたのかと思ってな」


「無い無い。じゃ、俺も住むから朝食よろしくな」


 蓮は霧香の部屋の奥へ消えて行った。

 シャドウは人型になると、霧香からケースを受け取る。


「持つぞ」


「ありがとう。中身、ガラス製だから、慎重にお願い」


「成程。蓮から貰ったのか。

 だが、プレゼントだと思うかもしれないが、それは『お前が狩りが出来ない奴と認識しているから採ってくる』んだ。決してプレゼントじゃないんだ 」


「シャドウ君……寝惚けてるね ? 人間はプレゼントに蝉を持ってきたりしないよ……」


「そうか。蝉はダメか」

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