「えっと〜。契約者が、俺じゃ嫌 ? 」
「え ? いや、そんな事ないけど……。
その……他の契約者とは違って……つまりサイとか蓮とか、そーゆー人が居ない時は、常にわたしのそばに居る的な契約だよ ? 」
「寝る時とかは ? 」
「今は狙われたりとか無いから大丈夫だけど……」
「割とガチのSPだな」
「それに、一緒にいたら本当に噂が止まらなくなるかもじゃん ? 」
恵也は軽く息を吐くと、そのままゴロリと床に寝そべる。
意外にも恵也は霧香との噂や、ネットの誹謗中傷を気にもしていない様子だった。
「……でも、誰かはお前を守らないとさ。
嫌かもしれねぇけど、俺やるわ、第五契約者」
「あぅ……別に嫌って訳では無いよ」
霧香としては、一番距離感の近くなる第五契約者に、一番気が合わなそうな恵也と組むのが不安なのだ。
だがそれは霧香の私見であり、この二人の本質は似たもの同士な上に、恵也は面倒見がいい寛容な男である。
「……そのうち噂になるだろうから先に言っとく。
俺さ。兄貴いたんだよ」
唐突な語りに霧香はドキリとする。
彩から、触れない方がいいと言われていた話題だったからだ。
しかし会話に乗らないのも不自然だし、恵也が自分から身内の故人について話すのなら、何か伝えたいものがあるのだと悟る。
そっと恵也のそばに、同じく仰向けで寝転ぶ。
「ふーん。そうなんだ……。仲良かったの ? 」
無機質な蛍光灯が眩しくて、手で光を遮る。
「俺の実家って寺なんだよ。でも、俺も兄貴も寺なんか継ぎたく無くてさ。兄弟揃って、スティックだけ持ってこの街に来たってわけ。
でも俺には才能なんか全然なくて、兄貴にはあった」
「お兄さんもドラマー ? 」
「うん。パンク。インディーズからメジャーデビューに駆け上がるのが早くて結構人気もあった。上京前から結成してたバンドだけど、こっち来て一年ちょいくらいですぐメジャー」
「凄いね」
「そう。すげぇ妬んだね。同じ兄弟なのに何が違えんだよって。俺、ガキだったし。その兄貴に食わせて貰ってたのに 」
恵也の表情から笑みが消えた。
霧香は横向きになり、恵也の次の台詞を待つ。
「すげぇ人気だったんだよ。出待ちの女の子とかチョーいっぱいいてさ。
で、九ヶ月前。
いつも出待ちで来てる子が目に止まって、そんときに限ってファンサのつもりでサイン書いて渡したんだ」
「……普通にある話だよね ? タイミングと気まぐれの問題でしょ ? 」
「……そう。でも、他のファンにはそう映らなかった。
それを見てた一人の女が、凶器を持ってるヤバい奴だった。
その場でサインを貰った女の子と、兄貴を刺した」
「……九ヶ月前だなんて……最近じゃない」
かける言葉がない。
人気バンドの普通の日常だ。
出待ちに目もくれず車に乗り込むバンドもいるが、ファンサービスが旺盛なバンドもいる。
たった一人の女で、全てが変わってしまったのか。やり切れない事件だ。
「……お前、魅了魔術なんか使わんくても、十分、その……可愛いし ?
……いつ何が起こるか分かんねぇじゃん。
俺、お前を守れたら……なんか気持ちよくなれる気がするんだよね」
「気持ちよく ? 」
「うん。二度とそういう事、起こって欲しくねぇし、目の前で起こることも許さねぇ。
攻撃するための力じゃ無くて、守るための力が貰えるなら喜んでやるぜ」
霧香は横になったまま恵也を見つめる。
半袖から出る腕の筋肉は、ドラムだけで付けた筋肉じゃないんだと改めて思う。
「守るための力か……それなら、必要だね」
「うん。必要」
上を向いてボンヤリと過去に思いを馳せる恵也の上に、ソッと霧香が視界を覆う。
「分かった。じゃあやる。
大掛かりな魔法は使えないけど、体力とか力は上がるはずだよ」
恵也の頬に霧香の青い髪が流れ当たる。
「まじかー。ムーンサルトキックとかパワーボムできっかな ? 」
平静を装い、減らず口を叩く恵也に馬乗りになると、首に顔を寄せる。
「ん〜。汗臭いなぁ〜」
「わ、悪かったな」
プツリと首筋に牙を埋め込むが、霧香の小さい牙ではなかなか太い場所に到達出来ない。
何度も喰む喰むと唇をつける霧香に、思わず良からぬ感情が膨れていくのがわかる。
「えーっと……だ、大丈夫か ? 」
「だって首、太いんだもん……筋肉で硬いし……」
ようやく場所が定まったのか、霧香の瞳が赤く染まる。首筋の感触と鼻腔にかかるキラキラとした青い髪。恵也の方が緊張が止まらない。
霧香は一度身を起こし、彩の時とは違う魔法陣を描き出す。
更に滴る赤い雫を舌で絡め取る感触に、思わず恵也は身を起こし、霧香を下に自分がのしかかる。
「……キスしていい ? 」
「はぁ ? なんで ? 」
恵也が首筋の血を指で拭い、そのまま霧香の口元に寄せる。
「いや普通、そうなんだろ」
血のついた指をぺろりと舐めとる仕草は、まるで挑発しているかのように妖しく、紅い眼差しは恐れもなく恵也をじっと見据えている。
「契約者の恋愛は禁止でーす」
「まだ契約、全部済んでないじゃん」
近付いてくる恵也の唇を、霧香は避ける素振りはない。
何故なら……
「おい。護衛が襲ってどうする……」
顔面筋肉ビキビキ丸になったシャドウが恵也の首根っこをツマミ、霧香から引き剥がす。
「ふふ、因みに。シャドウ君もガーディアンだから、仲良くね。
契約終了だよ」
「えぇっ !? なになに !? 他にもいるの ? 護衛 !!!? 」
シャドウに摘まれたまま、恵也は「ふぇ〜ん」と情けない声を上げて廊下に放り出された。
「あいつは信用ならんぞ。既に好意を感じる」
「分かりやすいとも言えるよ。それにもしかしたら、頼りになりそう」
「ならいいが。アイツは蓮に比べると欲望と本能だけで生きているタイプに見える……」
「……猫に見下される奴、初めて見たよ」
「いいや、それは違う。俺は人間全て見下してる」
「それは……それで問題発言だよ……」
「猫はみんなそんなもんだ」
まだ続いているが、恵也と彩は未だ猫がシャドウだと気付いていない。霧香は完全に言い忘れている。
□□□□□
黒ノ森楽器店の一階はカラオケ店が入っている。
彩は予定された時刻通りAngel blessのリーダーと面会していた。
このバンドは、結成当時高校生男子二人組。
ギターボーカルの土屋 千歳と同じくギターの新崎 京介の二人である。
その二年後、ハランの加入で千歳がボーカル専門に変わり、元々存在しなかったベースに蓮も加入した。
千歳も京介も人間だが、ハランと蓮が人外であることは既に知っていた。
今日、彩は直接話すのは初めてである。
来たのはリーダーの千歳とサブリーダーの京介のみである。
カラオケ店の密室で、まさに蛇に睨まれた蛙のようになっている彩。
いや、正確には睨まれてはいないのだが。
「面白いことになってんねぇ〜」
リーダーの千歳は彩に来たダイレクトメッセージを見せて貰いながら、ニヤニヤしている。更に京介はテーブルを仕切りに叩く程、大爆笑している有様である。
「ばっかじゃねぇの !! 『付き合ってください〜』って。んなメッセージ初めて見た ! 」
京介は完全に他人事である。
千歳は落ち込む彩に「ごめんねー」と軽く京介の態度を詫びる。
「ん〜俺たちは二十代も後半に差し掛かるし、蓮とハランの人気は嬉しい限りだけど。
それにしても、確かに不思議な方向に話が進んでるねー」
「くっ付けくっ付け ! そんでもっと話題になれや ! 」
簡単に言う京介に千歳は悩み込む。
「まあ、それでくっ付くとも思えないけどねー。特に蓮はあの調子だし。ハランは八方美人なだけに見えるけど……。
でもその子は……霧香さんだっけ ? 蓮の方が脈アリなの ? 」
千歳がスマホを彩に返す。
「俺も出会ったばっかなんで何とも。ただ、接点は蓮の方が多いみたいで」
リーダー二人、割と真剣に話はしているのだが、京介に関してはファンよりタチが悪い茶々を入れてくる。
「一緒に猫選びに行くんだもんな ! くくっ ! 若ぇ〜 ! はっきり好きだって言えば良いのに ! ゼッテェあいつ「別に」とか「好きじゃないし」とか言ってんだろ ! 想像つく〜 ! 」
古株二人がする、恐らく図星な蓮の行動パターンに、思わず彩も吹き出す。
「あはは ! いいじゃない。硬派でさぁ」
「くふっ !
……いやぁ、確かに俺としても、見てる分には面白いですけどね。
でも二つのバンド間でこう言う問題になるとは思わなかったし……本当に申し訳ないです。
しかもキリにはそういう自覚ないし」
彩はまず謝罪のつもりで来ている。
「だな。話し聞いてる限り、霧香ってのもボンヤリしてんだろうな。
昨日、あんたの部屋にバイオリン取りに行くの二人で行ったんだろ ? それでなんも進展無しとはなぁ。
あいつ結構、本命の女にはビビり散らかすんだな」
だが京介は恋愛相談のつもりで話を進める。
「いいじゃん、可愛いじゃん」
何とか千歳は彩の意図をくむが、京介は楽しくて仕方がないようだ。
「可愛いって、マジかよ。あ〜腹痛てぇ」
全く相談になっていない。完全にネタである。怒っていないのだけが救いではあるが。
「ハランと霧香さんはどうなの ? 」
「ハランも……俺が見た感じだと、有り得るかなと……」
「あいつら何やってんの。同じ女取り合うのとかめんどくせぇ〜」
京介は笑い袋になっている。
「ここだけの話……俺達はもう、そろそろ身の振り方考えてたからねー」
「え ? まさか解散するんですか ? 」
「そうでは無いけど……京介も来年辺り結婚考えてるし」
京介は黒ノ森ビルのオーナー、黒岩 樹里の交際相手である。楽器店やライブハウスの店長は雇いだが、樹里の持ちビルはあの楽器店のある場所ひとつでは無い。
「俺も今やってる仕事で落ち着こうかと思ってて。メジャーデビューとか断ってたし、定職は無いとね。今の職場、人間関係良好だし」
千歳は家電量販店でネット配信者向けのブースを担当し、かなり客足が多いようだ。初心者向けの機材を丁寧に解説、販売している事で成績を残しているようだ。
個人で『VTuberの始め方』や『ゲーム実況に必要な物』等を動画で撮り、店頭で流している。ちゃっかりチャンネル開設もしている。
「でもキツイんだよねぇ〜。
若い子の文化に付いてくの精一杯だよ。家電って、毎年新しくていいモノ出るしさぁー。YouTuberからTikTokが流行したかと思いきやVTuberとかも出てきてさ。Twitterも X に変わって……。
忙しいんだよね……電気屋きつぅ……。
昔は徹夜とか全然だったのに最近急に朝起きれないもん」
「じじくせぇ話すんじゃねぇよ ! 」
「いやホント、年齢感じるよー。
だからさ、俺らもAngel blessの不人気材料になって来る年頃だし。蓮とハランにはもっと違うところで活動して貰ってもいいかなって京介とは話しててさ」
「掛け持ちで……と言う事ですか ? 」
「うん。別に自由じゃん ?
今のうちに新規立上げしたゲソだっけ ? そのバンドに入って、後々Angel blessはフェードアウトしてくれてもいいし」
「二人にその話は…… ? 」
「まだしてない」
彩にとってハランのギターは正統派な割に煩わしい音が多いと感じることがあった。恐らく自分のギターとは合わせても噛み合わない。
更には蓮が来たらベースが二台になってしまう。
と、なると当然、霧香の十弦ベースは封印となりかねない。
「編成が上手くいくかどうか……」
「じゃあ、少し相談してみてよ。
それまで蓮とハランには、俺らが言っておく」
あの二人を加入させた方が話題にもなるだろうし、何より集客効果はあるだろう。
だが、自分の音に他人の良質な音を合わせることを優先したい彩にとって、悩みどころではあった。
「一度、加入についてはメンバーと相談してみます」
「うん。加入させなくても、なんか合同練習とかさー。そういうのは俺達も協力出来るから。
企画は遠慮なく言って。ライブでもいいし、対談でもいいし」
「はい。ありがとうございます」
□□□□□
彩が帰宅し、事の顛末を聞かされる。
「なんで謝罪に行って、加入の話持ってくるの ? ……えぇ ? あの二人とわたしバンドやるの ? あっちはもうガチ活動じゃん ? わたしたちは『楽器の演奏配信者』だからね ? 」
「いや、演奏配信者もピンキリだけど……割とオメェら二人はガチ配信勢じゃん」
「リーダーとサブリーダー二人に会ってきたんだけど、凄い大人な人で。
えーと……」
「言いくるめられたんじゃないの ? 」
彩は千歳と京介のプライベートな話をどこまで言っていいものか暫く悩み、話始める。
「えっと、まず二人は蓮とハランが人外な事は知ってて……それで、蓮経由で霧香がヴァンパイアなことももう知ってて」
「えぇ……そうなんだ」
戸惑った霧香だが、蓮が警戒心無く自分の素性を明かしていると言うのは意外に思えた。
「それで、蓮とハランは後輩で二十一くらいだろ ? でも歳も取らないじゃん。だから、Angel blessを徐々にフェードアウトさせて、どこかに移籍させてもいいよねって事になってるらしい……」
「体良く、俺らに引き取らせる気、満々じゃねぇか」
かと言って、次のステップとしては悪くは無い二人である。ファンも多いし、若く美男で技術もある。何より健全である事も大事だ。法に触れる事はしていないのは絶対条件と言える。
「加入させるとしたら……更に炎上させんの ? 」
「加入の場合はそうなるかもな。ここまで視聴者にバレてるなら、そこを売りにして言ってもいいかなと。
キリはどう思う ? 」
この計画にはキリの賛成無くして成立しない。セクハラ行為になってしまう。
「普通にステージでも街でも配信コメントでも常に『二人のどっちを選ぶの問題』をやっていくわけだけど」
「あぁ、それ本当に言ってんだ。
わたしは別に構わないよ ? 」
「ま〜じで !? 」
「だって、それヤラセじゃん ? 」
彩も。
恵也も。
言い出せない。
「あいつらガチ惚れだぜ ? 」って。
言い出せない。
「ま……まぁ。じゃあパフォーマンス的な事は置いておいて……。
加入としたら、どうなのかなって現実的に話そうか」
彩が一旦、仕切り直す。
「加入かぁ。それって意味あるのかな ? ネット配信してくのに、人数ばかり増やして……まだ曲もアップロードしてないうちに…… ?
パートとかどうするの ? 」
その問題が一番最初に出る疑問である。
ハランはギター、蓮はベースだ。
特にリードギターをやっているハランが、加入後リズムギターに行くとは考えられなかった。
基本、目立ちたがり屋で華やかさを好むハランである。彩の隣で……とは考えられない。
「その場合、俺がリズムギターかキーボードとかに回ろうかと」
「それは嫌」
これに関して、霧香の反応は早かった。
「わたし、サイが隣に居ないと嫌。だったら今まで通りネットの中だけで活動する」
更に。
「俺、ギターとベースがお前らじゃ無かったらドラム降りるぜ」
恵也も同意。
突然の解散の危機。
もう一緒に住んでいるのに !
「じゃあ、今まで通りでいいって結論だね」
「そうなるな。サイ、先方さんによろしく」
「……」
彩が言いにくそうにしている。
スマホを取り出し、苦い表情をしている。
「あっちはリーダーが二人に話すって言ってたんだけど、さっきLINE来てさ。
……ハランはノリ気なんだ……」
「はぁ ? いや、断れよ」
「……じゃあ、ハランにリズムギターお願いするのを条件にするとか ? 」
「ちょい待ち。蓮はどうなんの ? 」
「うん。それな。ベースは二台いらないから 。正直、ハランより蓮の方が扱いに困る。ベースの役割としては、恐らく蓮の方が正統だ」
「え ? じゃあ、もし蓮が同じバンドになったら、わたしベース出来なくなる ? 」
「多分。もしくは曲によってパート変えるしか……」
「えぇー !? 」
「だから ! 蓮がベースやるなら俺ドラム叩かねぇよ ! 」
三人悩み込む。
どう考えても加入の話はデメリットしかないような気がするからだ。
千歳と京介が身の振り方を考えているのは理解したが、蓮とハランの行く末はゲソじゃなくていいとも思える。
「断った方がいいと思うぜ ? 」
「そうみたいだな。じゃあ、加入なしで」
「うん」
「それでいい」
「ハランが……。誰かハランを説得してくれ」
彩が頭を抱えるのを見て、恵也が霧香に聞く。
「ハランってお前のストーカーなの ? 」
「そんなはずないんだけど…… ? 」
そうには見えないと言う彩の反応に、恵也に少しの不安がよぎる。
「少しハランと話してからの方が……」
ハランが何かに執着を持つのは珍しい事だった。
恵也は持ち合わせる予想全てを脳内でフル再生させる。
「なぁキリ。
ファンがさ、『蓮かハランとキリをくっ付けて』って言ってんなら、ハランと蓮の加入は同時だよな。もし、そういうパフォーマンスをするなら。ハランだけ来られても……」
「それ、バンドでやる必要あるのかな ? なんなら毎回ネットで顔出し配信したとして、食べ歩きとかじゃダメかな ? 」
「誰が知らねぇガキの昼飯食うのネットで見るんだよ……せめて演奏しろ。
そうじゃなくて、お前はどうなのかなって。
そういうパフォーマンスに抵抗無いの ? そこが一番大事じゃね ? 」
「あくまでパフォーマンスだよね ??? 別にいいけど」
なんだか、霧香の様子を見ていると100%伝わってない気がして仕方がなかった。
「じゃあ、ネット上でさ、どっちか選べってトークふられたらどうする ? 」
「視聴者に臨時アンケートとってその日の勝者を決めるとか ! 」
「うん。もういいや。人の事言えないけど、結構お前もおバカなんだね……」
「バカじゃないよ……」
「バカだよ……」
その時だった。
ノックと共にシャドウが入って来た。
「邪魔してすまない。
霧香、客だ」
「え ? 客 ? 蓮じゃなくて ? 」
「よく分からんが『蓮の相方』だと言っている」
三人。
全員が呆然とシャドウを暫く見上げて固まってしまった。
□□□□□
「ハ……ハラン…… ? 」
「こんばんは。なんか折角だし、早い方がいいかなって思ってさ」
「いや、まだ……えぇと……」
ハランはキャリケース一つとギターだけ背負って来た。
「ここ、引越し業者来れるの ? 」
「あのさ ! 」
戸惑う三人の中、恵也が一番最初に口にする。
「あのさ、ハラン。
俺ら今、加入の話は断ろうって事になったんだけど……」
「え………… ? 」
これにはハランもポカンと全身の動きが止まる。
「俺は加入決まったからすぐ行けよって言われたんだけど ? 」
「誰に ? 」
「京介」
彩は立っていられず、ソファに沈み込む。
あの笑い袋になっていた京介に、してやられたと言うのか。引っ掻き回したいイタズラっ子の言葉に、ハランは乗せられて来たと言うわけだが……。
「え、どうしよう俺。京介のドッキリだったの ? 」
「ドッキリって言うか……早とちりって言うか」
勘のいい彩はひと目で見抜いた。
京介が言ったなどとは嘘だと。
ハランは加入の話題を口実に、霧香に急接近するつもりだ。
「本当に ? うーん。じゃあ、なんだかややこしくなっちゃったみたいだしごめんね。
俺、じゃあ帰るよ」
「あ、いや。折角だし、泊まってけば ? 客間あるし」
この霧香の提案に、恵也と彩の脳内は世界の終末を迎えた。
全てはハランの予定通り。霧香はポンコツだった。
「え、ここってそんなに部屋数あるの ? 」
「うん。それなりに」
彩の空気を読んだハランだが、霧香がそう言うなら図々しくも居座る事を決める。
更には追撃も容赦無く打ち込んで行く。
「蓮の部屋もあるの ? 」
「ねぇよ ! 」と、言おうとした恵也の台詞を遮り、言ってしまう……霧香だけが知る、皆んなが知らない秘密。
「あるよ 」
「「あんのかよ !! 」」
これには彩と恵也、二人が絶叫。
「え ? なんで ? なんであんの ? 」
恵也はチュパカブラの様に手を彷徨わせながら霧香を中腰でヨロヨロと問い詰める。
「だって同じ空間でくつろぐの気を使うじゃん」
「そうじゃなくて。いつ住んでたの ? 」
「最初の二週間だけ住んでたよ ? 」
「……あー……えっと。それは……人間界来たばっかりの時にってこと ? 」
「うん。でも部屋はそのままにしてあるの」
「そんな部屋あったか ? 」
「わたしの部屋の隣。奥の部屋だから、わたしの部屋に入口があるの。そっか……だからみんな気付かなかったんだね」
「じゃあ、俺が住むスペースもある ? 」
「こんなとこに住みたいの ? バスの時間とかイマイチだよ ? 」
「いいのいいの」
決まってしまった。
バンドとかパフォーマンスとか色々言う前に。
まさかの同棲から始まってしまった。
彩はソファに沈んだまま、壊れかけのゼンマイ人形になっている。
恵也は多少の理性が働いたのか、蓮にLINEを送った。
『ハランの同棲決まったんだけど、お前らなんなん ? 』
蓮から来た返信はただ一言だった。
『俺、関係ないから』
それはつまり蓮は加入しないと言う事なのか。
一番危惧していた「ハランだけの加入」と言う形だけは避けたい。
「いや、まだ同棲だけで、加入とは……決まってねぇもんな」
恵也は自分で自分を励ます事しか出来なかった。
「サイ……どうする ? 」
彩はギギギ……と恵也を見上げると、絶望的な表情で小さく呟いた。
「……けば良かった……」
「え ? なんて ??? 」
「今の歴史的瞬間を動画撮影しておけば良かった ! 」
「動画脳、怖っ !!!! ろくでもねぇ事すんなよ ! 悪魔かよ !
ちょっと……これ、やばくね ? 一緒に住んでるとか……もう……キリがやばい女みてぇじゃん」
彩は混乱に混乱を重ねておかしくなっている。
「そうだ。蓮も住まわせて、バランス取ろう ! 」
「猫のヒゲじゃねぇんだよ ! 余計おかしくなんぞ ! ?」
「もうダメだこれ。はははは。もうゲソじゃなくなった。ってかなんだよゲソって……。どうせ俺はタコ野郎だよ……」
「しっかりしろぉ〜っ !! 」