朝食を食べ終えると蓮は早くに出勤して行った。夕方にはまた戻ってくる。キリの長い髪の扱いを彩が教わる為だ。
シャドウはササミだけを食べると、庭の一番陽の当たる場所に日向ぼっこに行った。
残された彩と恵也だけがモサモサとトーストとサラダのプレートを食べる。
「キリは ? 」
「起こしたけど起きない」
「もう十時だけど……。お前の部屋にいんの ? 」
「朝まで弾き倒れた。別に何もしてない」
未だ未契約の恵也は、彩の首筋に貼られた絆創膏に少しモヤモヤとしている。
「今日もキリの服買いに行かないと……。作れる分は作ってあるけどブラウスが多めだな」
「え !? 服自作すんの !? 衣装 ? 」
「衣装もキリのはやろうかな」
「……それは……趣味 ? 」
「ん。元々金なかったし、自分で服縫うの好きなんだけど……女性服の方が装飾多くて好きだな。今まで誰にも着せる機会無かっただけで。
ロリータ路線で行けって指示しておいて、本人に全部買わせる訳には……」
「そりゃ確かに。昨日の全身一式で五万越えだもんな……」
「昨日の衣装代も後で返す。
あと引越しの手配……引越し業者ってここに来れるのか ? シャドウに聞かないと分からない事だらけだ」
昨日に引き続き、二人はシャドウが猫と言うことをまだ聞いていない。
「……お前さ。もう全然、キリに触っ……たりとか……大丈夫なの ? 」
「……よく分からないな」
「分からない ? 」
「昨日の夜、キリの家に来てから薄々気付いてはいたから本人にも言ったんだけど……。
あいつって、女らしい ? そんな言うほど美少女かなって」
これに関しては、既に惚れてる恵也に聞いては難問にしかならない。
「いや……女だろ……まぁ。可愛い方だと思うんじゃ……ななないの ? あくまで ? きき客観的に ? 」
「それは分かるけど。
韓国アイドルとかさ、顔も良くてスタイルもいい子いっぱいいるじゃん。あーゆーのに比べると、子供っぽいって言うか……。
しかも寝る時スウェットじゃん……風呂とかも凄い早いしさ」
「好みの問題じゃね ?
お前の中の女像って、なんかファッション雑誌の中とか芸能人のインスタみたいな偏りだな。
俺の元カノとかもっと酷かったぜ。例えば…」
「ふぁ〜〜。おはよ〜。あぁ〜くっそダルぅ〜」
霧香が起きてきた。
穴のあいたスェット。ゴムがゆるゆるでショーツが少し見えてる。髪は根元があらぬ方向に盛り上がり、何よりちょっと臭う。
「喉乾いた。まだ寝るから起こさないで〜」
片手で尻をボリボリと掻きながら食堂の扉を足で閉めて出ていった。
「うん。サイ。悪かったわ。あれはやべぇーわ」
「女兄弟とかいるわけじゃないけど、施設の環境上、女の生活って一応俺も見ては来た。けど、寮母が厳しい人だったからな。だらし無いのはNGだった」
「あ〜。朝とか早いって聞いたことある。
でも、キリの場合あの格好で外に出なければ大丈夫じゃないの ?
別に俺たち、そんな売れっ子じゃないし」
「そうだけど」
「あれ ? そう言えば、あいつもしかして夜行性だったりする ? 」
「さぁ。陽の光で火傷はしないようだけど。それでさっきの話だけど、キリに関して触れないほどの拒否感があるかと聞かれたら……無い。契約のせいなのか ? 謎だ」
「そ、そうか」
「けれど、人としては面白い。嘘はつかれていたけど、隠し通せるタイプじゃない。顔に出るよな。
なにか純粋に……敵でもいれば変わるのかもな」
「敵 ? それ、俺が戦うんじゃないの ? 護衛だし」
「あー違う違う。ライバルって事。
別のバンドでもいいし、恋のライバルでもいいし。そーゆーやつ」
「恋のライバルねぇ……でも、あいつの周囲って……蓮とハランか ?
恋のライバルどころじゃねぇぞ。一部ではスキャンダルだぜ。
え ? 俺、ストーカー女からキリ守んの ? やりずれぇ !! 女相手に喧嘩は出来ねぇし……」
恵也は二人分の食べ終わった皿を片付け、食洗機に入れる。
「あ、ごめん」
「別に。ただの職業病。
なんか飲む ? 」
「じゃあ紅茶、ストレートで」
「お前乳製品も卵もダメ ? 」
「うん」
紅茶のストックがかなり入っていた。霧香の趣味だろうかと悩み、恵也は中間価格帯の物を選び、ポットに入れる。
湯を入れたポットの蓋を眺めながら、彩の微妙にズレた感覚に首を傾げる。
「……思うんだけど。敵を作るんじゃなくて、好きな男を作った方が変わるんじゃないの ? 」
「なるほど。
……じゃあ、蓮かハランか ? キリを見てると蓮の方が仲良いのかもな」
「えぇ ? ハランの方がいいんでないの ? あーゆー、優しくてイケメン ! みたいなのが人気なんだろ ? 」
「でもどの道、別なバンドさんだし。ネタになってくれとは言い出せないな。本人たちガチ臭いし。
かと言って俺たちじゃなぁ……」
そこに関しては恵也は「ですよね……」としか返せない。あの二人がガチで霧香に好意があるとしたら、自分には付け入る隙が無いように思えて尻込みしてしまう。
恵也から紅茶を受け取り、彩が広々としたテーブルの上でタブレットを起動する。
「ぅあぁぁぁ……」
暫くして、彩は天を仰ぐように顔を覆い椅子で仰け反る。
「ど、どうした ? 」
「ケイ、やっぱりキリを呼んできて。ミーティングする」
□□□□□
シャドウが戻り、引越しの手配を済ませた二人の前に霧香が座る。
霧香の寝起きの悪さに二人はクタクタに疲労していた。
既に時刻は十二時過ぎ。
場所はスタジオの中。地ベタに座り込み、三人で顔を付き合わせる。
この屋敷のスタジオは入り口側の壁に一面の鏡があり窓側は庭が見える。
右奥に楽器庫があり、必要な物は使用可能と聞いて、恵也は練習用ドラムを所望した。
霧香のベースモドキと並べられている。
「まず一つ。俺のフォロワーは今まで通りだ」
「うん 」
「次にキリのフォロワーは10000人越えになった」
「わぁ、やったね ! 魅了が効いてるんだと思う。
でも、永遠にかかる魔法じゃないの。暗示みたいなものだから、継続して活動はしないとね」
「チャンネル登録者数は ? 」
「それが二つ目だ。
……なんと30000人に跳ね上がってる」
「えっ !? なんか……急に数字が……。一曲しか弾いてないのに ? 」
霧香と恵也は呑気に緩み切っているが、どうにも彩は浮かない表情をしている。
「それで、ここから本題なんだけど。
チャンネル登録者の割に再生回数は伸びてない。
これが三つ目の問題に繋がる。
今日 X とインスタみたか ? 」
「ううん。見てない」
「ケイ、インスタはどうなってる ? 」
恵也が自分のスマホを取り出す。
「えっと……あ〜……増えたよ人は……。あれっ !? 」
「炎上してるよな ? 」
「えぇ !? なんで !? 」
彩がタブレットで恵也のインスタグラムの写真を霧香に見せる。
ヘラヘラと自撮りしている恵也の写真。
内装はどう見ても……男性の部屋という雰囲気では無い。
「これウチじゃん !! いつ !? 夜上げたの !? 」
恵也は昨晩、この屋敷内の自室に割り当てられた部屋で撮影、公開していた。
「それだけじゃない。炎上の理由はここ」
彩が指で部屋の片隅をスィ〜っと拡大する。
「昨日、配信で公開したキリの黒猫の写真が写ってる」
引き攣った顔で霧香が恵也を振り返る。
「えっ !!!? ごめん気付かなかった !! え〜黒猫なんてみんな同じだろ ? 」
「いや……生配信もあとから見れるし、X では猫好き勢に同猫とお墨付きされてる」
「ネット……怖……」
「……って事は ? 俺って今……」
「噂では『ケイはキリの家に夜更けにいたって事実』が、尾ヒレに尾ヒレも腹ビレもトサカも付いて『愛人疑惑』にまでなってる」
「愛人 !!? 」
何故『彼氏』では無いのか。
X 民のサーチ能力は更に予想の上を行っていた。
「キリ、この猫どこにいるの ? 部屋 ?
なんにしても、どこで貰った ? 」
「モール近くの保護猫カフェで一目惚れして……数日通って決めたんだよ」
もう彩は声の出ないほどの嘆きの顔だ。
「その猫引き取った時、写真撮ったろ ? 『この飼い主に決まり』みたいなの」
「うん。撮ったよ ? 」
「蓮も一緒だったよな ? 」
使い魔にするには犬か猫か。
散々、蓮と相談してシャドウに決めた。当然、蓮もその時同行している。
「…………あは……あー……そう言えば……」
「マジかよ ! その写真今も貼ってあんの ? 」
「店に事情話してお願いして、さっき剥がして貰ったよ」
霧香はホッと胸を撫で下ろすが、時すでに遅しである。
「既にその週、Angel blessのファンからは目撃情報があったらしいんだけど、蓮のプライベートだし、年齢的にもお前は未成年だから妹かもしれないしって。散々、議論があったんだってさ。
今日、俺のフォロワーがご丁寧に説明DM寄越してきた」
「そんなの……全然聞いてない。蓮もヴァンパイアだし先に人間界にいるからって、生活が整うまで面倒見てもらってただけだよ。
本当に何も無いんだよ」
「確かに、そうかもしれないけど。それに関してはファンの子の計らいで、今までは見逃された。
けど……昨日になって齟齬が出てしまった」
「あ、昨日のトークん時 !! 」
恵也がしつこく霧香に振る、蓮とハランの話題に対し、彩が「自分の知り合いだ」と断言した事で、嘘を見抜かれてしまった。
「やば、やっぱ俺、蓮のストーカーと戦うの !? 」
恵也は面倒くさそうに頭を抱える。
その傍で霧香は顔を覆い、半泣き状態で他人に状況を説明できないもどかしさを噛み締める。
「うわ〜ん、そんな事考えて無かったァ。
その時は顔出して活動する気は無かったし」
三人、呆然と暫くエゴサで邪推ツイートを読み漁る。
「確かに、男と一緒に猫引き取りに行くとか……もう同棲してんじゃんって想像されるレベルだよな」
「ところがバンドのメンバーの男の写真にその猫が写ってるとか、もう軽い女のイメージしかないよ……泣きたい……」
「どうにか蓮にも否定して欲しいところだが……今やったら火に油か…… ? 」
まさか音楽性の違い等を話す様な関係になる前に、結成二日目に痴話話でミーティングが開かれるとは。
「わたしのインスタも人増えてるけど……あ、でもアンチは少ない。同じ服の趣味の子が推してくれてる……。え……嬉しい。皆んな天使じゃん……うわぁ、この子とか凄い可愛い」
霧香のロリータ衣装は案外ハマり役だった。ロリータ〜クラシック、ゴシックを含め、この界隈はとにかく皆、アンテナが鋭く更には仲間意識も強いようだ。
「読モしてる人からフォロー来てる……。見てこれ、背景も可愛い ! 雰囲気の完成度高っ !!
え〜ロリータファッションってこんな種類あるの ? わたし偽ロリータなのに大丈夫なのかな……」
女の子が写っている霧香のスマホを、恵也は密かにチラ見している。本当はガッツリ見たい。
「X は ? 」
「X ? 今見てみる。えーっと……。
うげっ !! 」
「どうした ? 」
「わぁあああ……DMめっちゃ来てる」
頭を抱える霧香のスマホを恵也と彩が覗き込む。
『蓮君とはお付き合いされてますか ? 』
『ドラムと出来てんの ? 』
『ここだけの内緒にします教えてください』
霧香は頭を抱えて、スマホを伏せる。
「この問題は、俺たちの中に女性が一人でもいれば、必ず探られて当然の事だから覚悟はしてた。美人なら尚更。
現に皆んな気になるから、わざわざフォローを解除したりはしてないんだ」
もし炎上商法のようなものを最初から仕掛けたとしたら、これは成功と言える。
だが、事実そんな事は望んでないし、何しろ三人のバンド以外の男性で噂されているのが問題だ。
「じゃあ、この昨日から増えた分の登録者って、ゴシップ好きが登録してきた感じか ? 」
音楽とかに興味は無いけど、どうやらあのバンドの男とこっちのバンドの女がいい感じかもしれないという、下世話な話に浮かれた視聴者がノリで観察しているのが現状だった。
「やばいな。 変に噂がたったら……。ハランのファンなんかは熱狂的だし……」
「あのさー……キリには言い難いけど、俺のとこに来てるメッセージ……。何か様子がおかしいんだけど」
「おかしい ? 」
全員で恵也のスマホを覗き込む。
ほぼ機能してなかった恵也のフォロワーは彩と同等にまで跳ね上がり、その殆どがダイレクトメッセージを送信して来ていた。
「うわ〜怖っ !! 何件あんの !? 」
「見せて」
彩が上たらメッセージを開いていく。
『蓮くんとキリちゃん推しです ! 二人付き合ってるんですか ? 』
『初めまして。わたしはキリさんとハランのファンです。面識があると言うことは二人の仲は良いのでしょうか ? 』
『わたしの推しは蓮なんです ! キリも推し ! コラボ予定とかないんでしょうか !? 』
まさかのファンの一部が、『推し×推し』の状況に期待をしている。
「まじか……」
「なんでケイだけこんなメッセージなんだろ ? 」
「あ〜、多分だけど。蓮とハランが入る前、臨時でドラム入ったことあったからじゃねぇかな」
「なんだ。じゃあ、結局ここにいる全員がAngel blessのメンバーと繋がりはあったんだね」
「無理に隠そうとしたのが不味かったかな。Angel blessの熱狂的ファンによる監視者もいるかもしれないと思ったからなんだけど、まさかファンに恋人候補を望まれるとは……」
霧香と同様、蓮も魅了魔術は使っている。更には女性関係を複雑にしながらも揉め事が起きないのも魅了に魅了を重ね、争う気も起こさせない程術をかけているからである。
ハランに関しては天使という性質上、『平和』が優先的に人の心に影響する為、彼は彼でファンが多くてもいがみ合いは少ないのである。
そしてこのヴァンパイア二人と天使一人の全員の特色としては、異性だけに影響を与える魔法では無いという事だ。
そもそもフェロモンに近い構造上、自分で意識して抑える事は難しい。
「どうすんの ? 」
「俺はこれからAngel blessのリーダーに謝罪と話し合いを持ちかけようかと思う」
「そりゃそうか」
「お前たちは……キリ」
「ん ? 」
「ケイと契約を済ませるんだ」
霧香が一瞬ギクッとする。
「え、え〜 ? やっぱしなきゃダメ ? 」
この霧香の反応には恵也も凹みたい気分である。
だが、そうも言ってられない。
「Angel blessのファンが過激じゃなければいいけど、物騒な世の中だしな」
「うぅ」
彩はタブレットを抱え、自室へと戻って行った。相手が交渉に乗ってくれればいいが……。
残された恵也と霧香は、少し気まずい空気が漂う。
「…………」
「…………」
少しじゃなかった。
だいぶ気まずい空気である。
何か喋らなければと霧香はスマホをスイスイしながら、目に付いたものを適当に口にした。
「ケ……ケイとわたしにくっ付いてって言う人は……一人もいないんだね ! 」
「お前……こんなタイミングで、よく俺に言えんね ! よく言えんね ! 」
「いやぁ、だっていないから……」
「どうせ魅力ありませんよ俺ぇ ! 」