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第9話 ブリザードブルー

 霧香は全て打ち明けた。

 自分が何者であるか。

 人間界に来た理由。

 音楽魔法と魅了フェロモンの事。

 契約者の説明。


「……と、言う事なの。でもこれだけは安心して。ヴァンパイアだけど、人に危害加えたりしないから」


 その状況に、いち早く順応したのはやはり恵也だった。


「まじか。なぁその血成飲料って俺が飲んでも大丈夫なの ? 」


 テーブルの上に置かれた青い瓶に興味津々である。


「はぁ ? いや、害はないけど……飲んでも魔法は使えないよ ? 」


「飲ませて飲ませて !

 おぅぇっ ! マッズ !! ぐえぇ〜。

 シャドウく〜ん、水〜 ! 」


「くっ……自分で汲めよ」


「ほら、他人の家勝手に歩き回るわけいかねぇしさぁ〜。まぁ侵入したのは俺なんだけど。

 でもさー。俺、ファミレス数時間の安月給だし。ここに来れんなら超VIP生活じゃん。

 別に魔王倒せとか言うんじゃないし、キリの護衛だろ ? SPって事だろ ? 俺ちょっと格闘技齧ってたの、昔。

 しかもここスタジオ完備だし。いれたりつくせりだよなぁ〜。なぁなぁ、俺も部屋豪華なの ? やべ〜〜〜。

 俺、別にいいぜ ? よろしくなキリ〜」


 判断力があるのか決断力が早いのか……恵也は既にノリ気である。元より楽観的な性格のせいだろう。


「あのねぇ……あんた躊躇いって無いの ? 」


「別に。それよりシャドウくんの飯すげぇ美味くね ? 俺の店より美味いんだけど。

 あれ執事 ? すげぇデケェな。ってか筋肉超かっけぇ !! 」


 口を挟む余裕の無いほど喋りっぱなしの恵也に、霧香はシャドウが猫だと言うことを伝え損ねている。


「うん……頼りになるよ……」


「だよなぁ〜。俺一撃で沈んだもんなー。逆に怒りとか消えるわ〜。かっけぇ〜」


 騒がしい恵也と対象的なのは、巻き込まれた挙句に脅され、急いで来てみたらこの有様……と言う彩の方だった。

 春野菜のガレットを食べ終わり、ガシャンと音を立ててナイフとフォークを手放す。食事と言うよりヤケ食いをしていた雰囲気だ。

 表情は相変わらず読みにくい彩だが、それでも態度で伺えるほど怒りを顕にしていた。

 ナプキンで口元を拭うと、恵也のマシンガントークが終わった頃、ようやく切り出してきた。


「……ずっと魔法使ってたの ? 音楽……」


「……ごめんなさい……」


 こればかりは霧香も平謝りするしかない。


「動画も ? 」


「うん」


「今日も ? 」


「……毎回。全力ではないけど……九割くらい……」


「……そう」


 彩は霧香に見向きもせず、目の前の皿に視線を落としたままだ。


「でもよぉ。残り一割自力で弾けてんならいいんじゃね ? 」


 恵也と彩のテンション差が冠婚と葬祭である。


「……もう使わない……方がいいかな ? 」


「楽譜も読めないのに ?

 寧ろ、納得。あんな音、そうそうプロでも出せない。最早……ドーピングだ 」


 やはり最初から知っていれば、彩は霧香を誘わなかっただろう。


「初めは軽い気持ちで……。向こうでは魔法使っても当たり前の事だったから……」


 俯く霧香に恵也がフォローとも言える一撃を彩に叩き込む。


「いや、そんな偉そうに責めるけどよぉ。

 今日の客、ほとんどサイの仕込みだろ ? だからオーケストラの話お前に振ったんだけど ?

 それだってお前、最後まで俺たちに言わなかったよな ? 」


「……あれは、俺が頼んだ訳じゃない。同じパートの連中が気を利かせて来ただけだし。仕込みでは無い」


「だったら尚更、後ろめたいことねぇし、来てくれたあの人たちにはっきり礼ぐらい言うのが筋ってもんじゃねぇの ?

 畑違いの連中が、わざわざ辞めたお前の門出祝いに来たんだろーが。

 おめぇ俺に言わせたよな !? タブレットで指示して」


「今はそんな話してない」


「聞けやっ !!

 考え無しに、お互い知りもしねぇ奴と組むからこうなんだろ !! 俺は別にいいぜ。このままこのバンドで活動しても。

 でもお前らは、アレコレ秘密だらけじゃねぇーか ! それを打ち明けもしねぇうちに、客前に出んなよ ! 」


 霧香にこの喧嘩を止める権限はない。

 ただ待って、自分への制裁を待つのみである。


 だが、問題は時間経過だ。

 霧香が言い出す訳にはいかない。それを悟ってシャドウが声をかける。


「スマンが。円満に帰って貰うなら記憶を早く消したいんだが」


「「消すわけねぇだろ !! 」」


「このまま、おめおめ引き下がれっかよ !! 上等だ ! やってやんぜ」


 恵也は記憶消しに関して怒髪天である。

 野生の思考だろうか。とにかく許せないようだ。契約に関しては問題無さそうだ。


 一方、彩は別な事に気が行ったままだ。


「音楽魔法が悪いとは言わない。けれど、人に術をかけて、音の魔法まで使って演奏するなんて……恥ずかしいと思わないのか ? 」


「……そうだね」


 蓮の危惧していた事は、やはり現実のものとなってしまった。


「歌も ? 」


「歌は魔法無しだよ。変声も。天使の時は性別が無かったから、そういう風に創られた。今は女だけど。

 魔法も今日は……全力で使ったわけじゃないの……。なんの楽器でも演奏出来るし、便利な魔法ってしか……思ってなかったの。

 本当にごめんなさい。どうしても……の時は……わたし、バンド辞めるよ…………」


「なんの楽器でもか…… 」


 彩はテーブルに肘を付き、頭を抱える。


「はぁ……。

 少し……考えさせてくれ……」


「う、うん」


 部屋を出ようとした彩を、シャドウが立ち塞ぐ。


「悪いが。記憶があるうちは外に出す訳にはいかない。

 手荒な真似はしない。部屋に案内する」


「……もうどうでもいい」


 放心状態の彩の後ろ姿を見て、霧香は言い知れない程の罪悪感に駆られた。

 人間界……魔法のない世界で魔法を使うことがどれ程罪なのか……霧香は改めて思い知った。

 蓮が口煩く自分を心配していた意味が、今までは明確に分かっていた訳では無かった。

 書類に印を押しても、警告されても、どこか他人事だったし、自分の音楽で皆がハッピーになれると思い込んでいた。


 だが現実はこれだ。


 一番、身近な人間を傷付けてしまった。


「ま、サイの言うことも分かるけどな。

 でも俺がお前だったら正直に言わねぇでシラを切り通すな、絶対。

 ちゃんと謝ったんだし、大丈夫じゃね ? 」


 恵也なりに慰めてくれているのだろう。だが霧香は、部屋を立ち去る時の彩の顔が忘れられなかった。


 □


 霧香は呆然と窓の先、何も無い庭を見つめるだけ。

 シャドウは恵也の食べ散らかした食器を片付けている。


「なぁ」


 そんな霧香を見た恵也が、実にあっけらかんとして声をかけた。


「お前はその……契約する奴 ???

 サイはダメなの ? 良いの ? 」


「え ? 」


 そんな事は自分に決められる資格などないと思っていた矢先の恵也の言葉だ。

 霧香は何故恵也がそんな事を聞くのか理解出来ていない。


「だって、この契約ってお前が一方的に決めれんだろ ?

 あいつが解約するかは別として」


「そうだけど。

 それって凄く……残酷な行動じゃない ? 」


「でも断れんじゃん。突然襲って喰う訳じゃあるまいしさ。

 生物が違った、文化も違った。それじゃ駄目なの ? 」


「……その文化の違いが……不味かったんだよ……」


「でも、引き止めねぇと。

 このまま軟禁してても仕方ねぇだろ ?

 あいつも混乱してるけど、記憶を消してくれとは言って無い。

 お前がしっかりしねぇと。サイの決断を遅らせるだけだ」


 浮かない表情のままの霧香だが、皿を洗っていたシャドウが顔を上げる。


「その通りだ。

 契約がどうなるにしろ、このネズミにだけ言って、あの良き観察眼を持つ蝉男に隠すなんてのはどの道、通用しなかっただろう。

 これでよかったんだ」


「シャドウ君、小型生物に例えるのやめて……」


「あはは ! そうだよなぁ。あんたみたいなパワーモンスターから見たら、俺はネズミみたいなもんだよな ! 」


 重ね重ねだが、恵也は未だシャドウが猫である事を知らない。


「ま、後でバシッと言ってこいよ ! なんかこう、『あたしのもんになりなさぁい !! 』ってな」


「簡単に言う〜……」


 恵也だけでもそう言ってくれるなら、少しは慰めにはなったが、気分が浮上するとまではいかない。


「少し……散歩してくる……」


「えっ !? こんな時間に !? 」


「……大丈夫だよ。庭に出るだけだから」


「なら、いいけど」


 霧香は玄関を出ると、そのまま階段に座り込んだ。夜風が頭を冷やしてくれるかも、と外には出たが中々気分は晴れない。

 かと言って彩の部屋に行く度胸もない。


 どのくらいそうしていたか、林道の方から落ち葉を踏みしめるバキバキと言う車の音が聴こえて来る。

 霧香は顔を上げると、運転席から降りてくる見慣れた男の姿に何故かとても安堵した。


「蓮……」


「そんなところで何してるんだ ? 」


「蓮……わたし…… ! 」


 急に胸に飛び込んできた霧香を、蓮は冷静に見下ろす。


「こんなことになっているんじゃないかと思ったら、案の定だ」


「人間界で生活していけない気がする……。でも、帰るところもないの ! 」


 蓮はそっと霧香の髪を指で梳きながら、穏やかに声をかけた。


「何度でもやり直せばいい。失敗しても当たり前。別な世界から来たんだから」


「……蓮は ? 」


「俺 ? 」


「全部上手くやれてる」


「俺だって初めは違った」


 霧香は蓮の腕から離れると、再び玄関前にしゃがみこむ。


「……サイを傷つけたの。軽蔑されたと思う」


 蓮は霧香のそばに座ると、頷き、空を見上げる。


「丘の上だから星が見えるかと思ったけど、そうでも無いな」


「ここ、そこまで高い丘じゃないよ」


「俺、彩がオーケストラやってた時、よくホールに聞きに行ってた」


「そうなの ? 」


「そもそも人間の世界に来るまで、電子楽器の類いに知識なかったし。古典的な音楽の方が馴染みやすかったんだと思う。

 でもある日、チケットから彩の姿が消えて。楽器屋に来た団員に聞いたんだけど、ミスをしたパートにかなり厳しい言葉を吐くからって理由で」


「……そうだったんだ……」


「俺はさ。どっちの言い分も分かるんだよな。だってお互い違う人間なんだし、考え方だって……。

 ……俺、なんでこの話始めたんだろ ? 」


 蓮はぼんやりと空を見上げたまま、溜め息をついた。


「俺、お前が蓮と組むって聴いて、少し妬いたんだよなぁ」


「え…… ? 」


「俺、お前のベースも、好きだよ」


「そ、そう ? 」


 ベースが、好き。

 あくまでベースが。

 霧香は鼓動を押さえ付けるように、言い聞かせる。


「同じ曲を俺が弾いても、違う曲になると思う。

 音楽魔法はあくまで演奏技術の魔法。表現力や創造力は魔法に関係ない。

 それは彩に言ったの ? 」


「そこまでは言ってない……。どの道、サイにとっては同じだよ」


「お前は彩と演奏してみてどうだった ? 」


「……。気持ちよかった。自分の望んだ音が望んだ時に来る感じ」


「なら、全力で引き止めないと後悔する。今から練習したっていいんじゃないか ? それでも技術が追いつかなかったら、その時考えれば」


 その時だ。

 蓮のポケットでスマホが震える音がする。


 液晶を見た蓮が、少し面食らった様子で呟いた。


「彩からだ」


「な、なんて ? 」


「アパートに行って、バイオリン取ってきて欲しいって」


 同時に、玄関のドアが開く。


「蓮、来てたのか」


「シャドウ、会うのは久しぶりだな」


「ああ。

 それより霧香。細い方の奴がバイオリンを用意しろと言っている」


「それなら俺がこれから取りに行く事になった」


 蓮がスマホを持つ手を見せるが、どうも違ったようだ。


「いや、霧香の物も見せろと言っている」


 霧香と蓮、顔を見合わせ首を傾げる。


「な、なんでだろ ? 」


「お前の楽器って、統括からの支給品……っていうか、餞別だよな ? ぞんざいに扱ってたり…… ? 」


「し、してないよ ! 多分……保管庫にあるけど……でも使ったことは無い……」


「分かった」


 シャドウが不安そうにする霧香を見て頷く。


「状態を確認してみる。

 そっちも早く持ってきてくれ、だそうだ」


 そう言って保管庫に向かって行った。


「バイオリンなんて、どうするんだろう?」


「さぁな。じゃあ、彩のバイオリン取りに行くか」


「家、施錠されてるんじゃないの ? 」


「鍵の場所聞いた」


 蓮は車に乗り込むと、フロントガラスの前の玄関先を見て、助手席の霧香に苦笑いを浮かべる。


「あいつ耳いいな。会話聞かれてたのかも」


「えぇっ !? なんで !? 」


「だって俺、ここに来ること誰も言ってないし 」


 蓮が今、霧香と敷地内にいると分かっていたから蓮に頼んだわけである。

 つまり話し声で気付いたのか。


「サイの部屋、二階の端っこなんだけど……耳良すぎ。しかも電気ついてないし……」


「あーゆー天才って、感覚的に強い照明とか雑音って煩わしいんじゃないか ? 」


 蓮は一旦シートベルトをしてハンドルを握ったが、そのまま数秒間、無言で固まった。


「どうしたの ? 」


「俺、なんか恥ずかしい事言った ? 言ったよな ? 聞かれたかな ? 」


「サイのバイオリンが好きってこと ?

 別に照れなくてもいいじゃん」


「こう言うのは野郎同士が一番小っ恥ずかしいんだよ」


「分かった分かった。出発進行」


 □□□


 アパートに着き蓮がスマホのメッセージを確認しながら、部屋のドアの前で立ち止まる。

 202号室。


「あれ ? 昼間の部屋って201号室だったよな ? 」


「二部屋借りてるって言ってた」


「あぁ、なんだ」


 蓮はポストに指を突っ込むと、張り付けられた鍵のテープを剥がす。


「狭い……」


「不用心だね」


「アイテテ ! 不用心ってか、これ慣れてないと剥がした瞬間鍵落とすぞ」


 取り出した蓮の指はぷるぷると鍵をカニバサミしていた。


「痙る ! もっとこう、植木鉢の下とかじゃねぇのかよ」


「そんなの置くスペースここにないよ」


 差し込んだ鍵がガシャンっとシリンダ音を立てる。


「じゃあ、生活用品は全部こっちにあるんじゃないの ? 隣は作業部屋でさ」


「そうだね。びっくりしたよ、だってあっちの部屋には何も無…………」


 廊下の電気を点け、蓮と霧香二人。

 言葉を失う。


 部屋中に置かれたハンガーラックが廊下にまで溢れ出し、迷路のように入り組んでいた。


「衣装部屋…… ? 」


「ううん、違うよ」


 霧香は一番玄関に近いラックにかかっていた洋服をハラリと捲る。


「これ、今日来てたもん。

 これ……ポケットだけ手縫いになってる……」


 そこで霧香は、隣部屋にミシンがあったのを思い出した。


「これ、全部自分で作った服なんだ…… 」


「えぇ ? 」


 蓮が部屋の奥まで見渡す。


「バイオリン弾く奴が針仕事なんてするかな ? 」


「古い服の匂いじゃないよね。最近のなんじゃない ? 隣の部屋にミシンあったじゃん」


「とりあえず、バイオリンだな。このクローゼットの中にあるはず……」


 クローゼットにも洋服。

 それは全て、女性物の服だ。


「……あー。あー……っと……。そういう……。そういうやつも……居るよな」


「違うよ蓮。ここには子供服もあるもん」


「……じゃあ、作りまくって置いてるって事か ? なんのために……」


「施設の子供たちにあげてるのかも ? 」


 掛けられた服をかき分けると、ケースに入ったバイオリンがそっと置かれていた。

 今でこそ色々なデザインケースが売られているが、これはオールドスクールな革張りのハードケースだ。


「あったね」


「アンティークっぽいな……。こーゆーの預かる時ってバクバクする」


「楽器屋さんでも緊張するんだ」


「当然だ。壊れたら替えがきかない、生命そのものだろうからな」


 蓮は両手で持ち上げると、持ち手でぶら下げたりせず、置いてあったそのままの向きで運び出した。


「これを真っ先に心配して手元に置いて起きたいにしても、お前のバイオリンは何しに使うんだろうな ? 」


「練習用とか ? わたしには必要ないし、使ってくれるなら、それはそれで良いんだけどね」


「そうだな。

 バイオリン持って来いって言うくらいだから、明日の朝出て行く気は無いんじゃないか ? 」


 霧香は曇った心のまま、「そうかな ? 」と答えた。

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