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第6話 藍色

 十六時半。

 黒ノ森楽器店がある雑居ビルに四人は移動していた。

 このビルには七つの音楽スタジオがあり、その内三つは楽器店と同じフロアにある。

 この三部屋の特徴は簡易防音で多少狭いがレンタル代が安い。更に一番楽器店側の音楽スタジオは背面以外はガラス張りで外から見えるのが特徴だ。

 普段は黒ノ森楽器店で試奏ルームとして使われる事もあるが、外から丸見えと言う構造上、実力によっては試奏した後にどこかのバンドに引き抜かれるようなことも昔はあった。

 上の階には残りの四部屋があり、そのスタジオは更に多人数で使用出来るスペースがある完全防音室。外界から遮断された一般の音楽スタジオだ。


 彩が選んだのは、楽器店側の見えるスタジオ。


 聞きたい人は生配信を聞けばいいし、映像は観なくても目の前で本人が喋っている……と言う仕組みだ。そもそも多少の音漏れがする程度だ、何を弾いてるかくらいは分かる。


 そろそろ学生たちも駆けつける時間だ。

 店には他の店員とハランがいるが、蓮がここで見付かったら女子が押しかけて身動きが取れ無くなる。


 取り急ぎ、集客用のデモを録画して各所アップロードしなければならない。


 ドラムの位置が気に入らないのか、叩いては移動しを繰り返してる恵也。服装はいつも通り。

 調律が終わって、ひたすら宣伝のSNSを書き込む彩。朝から全身真っ白で、一応着替えてきたものの、霧香にも恵也にも気付かれない。


 一方、霧香は黒のデザインビキニに、自前の本日履いていた編み上げブーツ。立て膝で弾かなければならない巨大なベースの構造上、パンツスタイルがベストだが、あえてセクシーさを強調させる為、ストッキングとレザービキニの下着用と言うかなり際どいスタイルだ。

 メイクは一切の可愛らしさを捨てきった魔女の様な妖艶な仄暗さ。生き血を啜ったかのように真っ赤な口紅。


「おい、見つかる前にやるぞ ! 」


 申し訳程度に備えられたロールカーテンのそばで、ヘアスプレー缶を持った蓮が霧香を椅子に座らせる。


「彩、纏めるって言っても……少し派手目に散らした方がいいのか ? 何か付けるのか」


「華やかにクールな感じで。後は感性を信用してる」


「あっそ。どーも。

 じゃあ……」


 蓮はヘアコームを持った手で霧香の髪を躊躇いなくスイッとあげる。


「おぉあぁァァァァ……」


 どこからか悲鳴なのか苦悶なのか声がする。


「なんだ今の声。ここ、防音だよな ? 」


「うん。ケイが鳴いてる 」


「なんだ。恵也か」


 作業再開。


「なんか言えよ !

 いや、だってさぁ ! 」


 ドラムの後ろで完全に赤面した恵也が足をドムドムと鳴らす。


「考えても見ろよ ! もうっ ! もう〜〜〜っ !!

 さっきまで俺は、女に触れない男と一緒にいたんだぜ ?

 それが ! 今は、その美少女を、顔色ひとつ変えずに髪いじる ! イケメンヤローがいるんだ !

 あったま おかしくなんだろが !? バグるぞ普通 ! 」


「俺は今日はキリにそぉっと触った。服とか」


「痴漢みたいな言い方すんなよ……怖ぇよ」


 彩が不満そうにそっぽ向く。

 霧香はポカンとして、恵也の方に振り返る。


「……ケイは……蓮がイケメンに感じるんだ…… ? 」


 これには蓮も複雑な表情。


「じっとしてろよ」


 その様子に恵也は更に追いダメージを受ける。


「えぇ〜…… ? 美少女がイケメンをイケメンって言わない〜。その上、どんどん美少女が美少女なのに悪の総裁みたいに変身していく〜」


 恵也は悪い夢でも見ているかのように、タムタムに隠れてバグを治そうとする。

 思わず霧香を美少女と言い切ってしまっている事には誰も気付かない。


「彩、アクセサリーの色味は ? 全身 黒×黒で行くの ? 」


「髪の色がネックだったんだ。最初は眉弓に緑を入れようと思ってたんだけど、思いの外メイクで化けたな。完全な男装にしなくていいかな」


「ってか、ならない。顔の造りが男に寄せるには厳しいかな。

 えーと……黒の羽根飾りならあるか。あとは、ブローチに使った黒い薔薇、シルバーの髑髏」


「羽根の方がいい」


「オーケー」


 数分後、割と中性的になった霧香がスタンバイに入る。


「一応、カメラ回すから。放送中にカットインする。その後、改めてPV撮る。まだサンプル曲だけど、出来栄えに差は無いからコンセプトに一番近いの持ってきた。

 楽譜渡しておく」


 相変わらず全身真っ白コーデの彩が霧香と恵也に手渡したが、霧香は浮かない表情を見せる。


「どうかした ? 」


「えと……音源ある ? 」


「あるけど、いつもみたいに楽譜ガン無視で弾いてくれていいよ」


「あ、うん……」


 何か煮え切らない霧香に変わり、メイク道具を片付けた蓮が忠告した。


「彩。こいつ、楽譜読めないんだ」


「「えぇっ !? 」」


 今まで魔法だけに頼りきりで弾いてきた霧香は、人間界で使われる『音楽の基本』が分からないのだ。


「ん ? じゃあ、今まで弾いてたのは、どうやって ? 」


「……音楽聴いて、そこに……あればいいなぁ〜ってメロディを入れるだけ……」


「即興で ? 」


「うーん。一度、主旋律とかギターパート聞けば弾けるんだけど……。ごめんね黙ってて……」


 恵也が愕然とする中、彩は特に驚く様子も無く霧香から楽譜を受け取る。


「…………いや、たまにいるんだよ。そういう人。

 演奏は今まで聞いてるし、とりあえず音出してみよう。

 これが音源。四分三十秒の曲」


「すぐ聴く ! 」


 霧香は慌ててヘッドホンを耳に掛ける。

 恵也はふと、考え込むように腕を組んだ。


「待って ? ベースで、足りない音を弾いてるって……もしかしてメロディとかハーモニーって意味 ?

 リズム隊って俺だけ ? 」


「いや、必要なところではリズム取るから……感性とタイミングの問題だと思う。

 KIRIの動画観てない ? 」


「他人の演奏って興味ねぇんだよなぁ」


「大丈夫。必要なところではリズムに入ってくるから」


「にしても……楽譜読めないって……TAB譜も ? ドレミも分かんないって事 ? 」


「あいつ、TAB譜もドラムの名称も、バンドの構成も、全滅だと思うぜ。

 じゃ、俺帰るから」


 荷物を手に持った蓮がブースを後にする。


 扉がバタムッと締まり、彩と恵也は自然とヘッドホンでノリノリになっている霧香に視線が移る。


「マジか……」


 更に二人は、シャドウが個人宅配に頼んで先程届けた、布の被った謎の物体を見つめる。


「こんな意味不明なベース、自作すんのに ? 楽譜読めないの ? 」


 □□□□□□□


 蓮はメイク道具の件で、ハラン伝手で連絡を受けた。その後、早上がりだったのだが、配信ブースは職場と同じフロアだ。

 三人のいるブースから離れ、そそくさとエスカレーターに向かう途中で……予想通りというか嫌な予感が的中したと言うか……シフト上がりのハランに捕まった。


「おい、逃げんなよ」


「別に。逃げてないし。仕事中じゃないのに客に絡まれるの鬱陶しいから早く帰りたいだけ」


「霧ちゃんこれから配信だろ ? 観てってやれば ? あそこのブース一番見やすいとこじゃん」


「別に。上手くやれてるみたいだし、俺はもう帰るよ。人待たせてんだ」


 いつまでも霧香に素っ気ない態度を見せる蓮に思うところがあったのか、ハランは空きブースの中に蓮を引きずり込む。


「やめろ…… ! 何なんだよ」


「お前、案外ガキなんだな」


 挑発するハランの台詞に、蓮の赤い瞳がギロリと光る。


「……どう言う意味だ ? 」


「だってそうだろ。お前はお目付け役なんだよな ? 」


「はぁ〜……。世話なら今、焼いてきたよ」


「違うね。

 お前さ。霧ちゃんがバンドやるのが面白くないんだろ ? 」


「…………」


 蓮は何も言い返せなかった。

 だがこのままでは認めてしまう事になる様な気がして、心にもないことを言いがちなのが蓮の悪癖である。


「あのバンド。ネットがホームベースでもいずれ売れるぜ。

 俺たちはAngel blessの事を考えるべきだ。それじゃだめなのか」


 それはハランも重々承知している。ネット配信で活動するミュージシャンは多いが、あんな風に見えるブースに出てしまっては、いずれ外界に出て活動するようになるのは目に見えてる。


「分かるよ。でも、売れるものっていうのは誰にも止められない。どんなに隠れても……宣伝は誰もが自由に出来る時代になった。

 寿命のない俺たちは散々見た来たろ」


「別に反対はしてない」


 ハランは「ふぅー」っと溜息を付くと、丸椅子に座り、声のトーンを落とす。


「あのさ。俺、別にお前をイジりたいわけじゃない……いや、少しはあったかもしれない。

 けど、バンドの話が出てから急に不機嫌になったろ ?

 心配か ? それとも妬いてるのか ?

 もし後者なら、いい加減……女作るのやめろ。これはAngel blessにも関わる話だ」


「……別に妬いてなんかないって……」


「好きじゃない女の子と一緒にいても、どうせ空虚なんじゃないのか ? 」


 図星だった。

 霧香の髪を結い上げた感触の残った指の残り香をスン……と静かに吸い込む。


「……ただの火遊びだよ。それに霧香の事はそんなふうに見てない」


「本当に ? そう言い張るなら、俺、霧ちゃんとくっ付いちゃおうかな」


 この言葉に一瞬、蓮の指先が凍り付く。


「へぇ。お前、霧香みたいなのがいいんだ」


「可愛いじゃん。

 それに、俺は天使だよ ? 適当に霧ちゃんを汚そうなんて考えてない。今の煮え切らないお前に渡すより、余程幸せに出来ると思う」


「……」


「……」


 しばらく無言で座り込んだ二人。

 気まずくても、逃げ帰ったら負けな気がしてお互い平静を装う。


 だが、その時だった。


 ガヤガヤワイワイキャピキャピ


 とてつもない人数の気配がする。このブースは上半身部分は曇りガラスでモザイクがかかっている。顔を見られる心配は無い。

 だが、いつもの自分達目当てのファンとは……あきらかに客層が違う。


「いつものやつらか ? 」


「違うだろ。だってオッサンの声とかするぜ ? 」


 ハランが背伸びしてフロアを見渡す。

 既に楽器店の入口まで人が溢れ、エスカレーターも誰が停止ボタンを押したのか、行列が出来ていた。


「全然知らない客だし……年齢層がバラバラだ」


「あいつらのブースの客か。数は…… ? 」


「……これ、まずいぞ」


 その時、経営者から蓮に直電がかかってくる。


「お疲れ様です、泉です。はい。ハランも一緒です。

 はい……はい……。分かりました……」


 蓮は経営者からの通話を切ると、ハランと話す前に、彩に電話を掛けた。


「もしもし、俺だけど。うちの社長から移動願いが出たぜ」


「うわ、ほんとかよ……。まぁそりゃそうか……」


 ハランはもう一度外を覗き見、納得。

 人数は見えてるだけで三十人はいる。


「じゃあ、そういう事で」


 蓮が通話を切る。


「ハラン、もう一度スタッフの制服に着替えろ」


「どうなってるんだ ? 」


「このビルの一階まで行列が出来てる。楽器店の客が入れないくらいに」


「そんな事って……。まだ……今日結成した連中だぜ ? 」


「お互いのリスナーが多かったことと、たまたまリスナーが駆けつけられる範囲に住んでる奇跡でも起きたのかもな。

 とにかく俺たちはあいつらの荷物もって、フロア最奥に楽器を移動。客はフロア全体に入れていいって」


「まじかよ……今シフト明けたばかりなのに ! 」


 ハランはシャツを脱ぐと、下は幸か不幸かスタッフTシャツのままだった。


「長机と……あのベース素手で持てんのか ? 宅配のオッサン、ジャッキに乗せてきたもんな。先に彩を連れて舞台の確認作業してくる」


「ただのトーク配信だろ ? なんでこんなに集客出来るんだ…… ?

 これで配信も見てる人数換算したら……」


 pirrrr,pirrrr


 今度はハランに着信がある。

 再び黒ノ森経営者である。

 やり手のその女社長の名は黒岩 樹里。

 圧倒的なメンタルと判断力の速さで親をも蹴落として来た、この音楽ビルのオーナーである。


「はい。三番ブースにいます。……分かりました」


「なんだって ? 」


 ハランは不満気な顔をして蓮を見上げる。


「用意済んだら、舞台裏で待機だってさ。俺らのファンとごちゃごちゃになると危ないからって。

 警備員臨時で出るって」


「はぁ !? 素人のトークイベントに警備員 !? 今から !?

 そんな客来ねぇって !! 来ても途中で帰るやつもいるだろ ? 配信もしてるんだから !」


「エスカレーターのドミノ倒しなんかが対策取れてないからって。

 今日、俺たち夕方シフト組んでたらと思うと……」


「ゾッとするな……」


 □□□



「重っ……。これ運んだ宅配便可哀想……」


 霧香のベースを運んだ恵也がゼェゼェと息を上げている。


「個人宅配のおじいさんだった」


「更に可哀想 !! 」


「さてと、用意済んだな。配信まであと十五分か」


「ここにいていいのか ? 」


 すぐ目の前に客が突っ立っている状態だ。用意が終わってしまうとなんだか気まずい。


「予定通り一曲やる。

 キリ、仕上がってる ? 」


「バッチリだよ」


 霧香はベースにかけられた布をバサッと開き捨てる。

 静かに「おぉー」と上がる歓声。


 やはり六弦に変更せず、宅配ででも持ってきて正解だと彩は確信する。


 ギターの開放弦を一回。


 ジャー………ン……ギッ……


 彩と恵也の視線が合い、恵也がスティックを頭上に上げる。


 霧香は二人の気配を背後で感じながら、彩の隣り足元でベースを抱え込む。


「1、2、3、4 !! 」

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