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第5話 アイリス

 タクシーが停る。

『光の里児童養護施設』の古めかしい表札。その門の前で降ろされた。

 門の先は遊具のあるグラウンドになっていて、左に施設と思われる建物と寮がある。

 そしてグラウンドを挟んで反対側に、隣接する住宅地やマンションに紛れるように小さなアパートが建っていた。

 最初からアパートの方に停めて欲しかったと思った二人だったが、アパートの前にあるフェンスは、間違いなく光の里の敷地の境目である。


「……お前、なんか知ってた ? 」


「ううん。だって今日会ったばっかりだし。年齢も聞いてないや。でもお酒絡みの話はしたから、二十歳は過ぎてるよ」


「ふーん。まぁ、今は十八歳までって規定が無くなってきてるらしいからな」


 恵也は門に付いたインターホンを押す。


『はい』


「あ、アパートの方の深浦 彩の友人です。家に招待されてるんですが、敷地に入ってもよろしいでしょうか ? 」


『あぁ !! ええ。どうぞどうぞ〜』


「あざっす !!

 よし、行くぜ」


「あんたちゃんと喋れんだね」


「何それ、酷っ ! ってか、成人して仕事してりゃこんなの普通の事だろ ?

 だいたい喋れねぇサイの方が心配だぜ、俺は」


「そういえば、アバター配信だと流暢に喋ってたね」


「な ! 俺もビビったわ。だってアイツのファン半分以上女じゃん」


「多分、慣れれば……いや、今日見てた感じだと、音楽絡みになると急に壁が無くなる気がする」


「プロ意識ってやつかァ ?

 えーと、201号室ここだな」


 部屋は二階だった。

 表札も何も無いが、部屋に明かりがついてるのは外廊下からでもうっすらガラス越しに見える。


 恵也がインターホンを押すが……


 カシュ ! カシュ !


「うわ、インターホンの音切ってやがんぜ」


「配信の雑音になるしね」


「おーい !! 来たぜー ! サーーーイ ! 」


 トトトト……と、軽い足音がした後、すぐにドアが開いた。


「どうぞ」


「おう。あがるぜ」


「お、お邪魔します」


 古い。第一印象はそれだけだ。

 恵也が玄関を上がり、廊下を歩いて行く。それだけでドッドッと床が鳴る。


「……」


 言葉が出ない。

 台所は別だが、一部屋しかないはずの造りに、ベッドとパソコンしか無い。

 液晶が二台、ハードが床に四台、背景用のスクリーンと簡易照明はデスクに立てかけられている。

 他はテーブルもソファも何も無いのだ。

 気になったのは業務用ミシン。普段から使ってる形跡のあるものだ。


「やばっ ! どうやって暮らしてんのコレ」


 こんな時にパッと言ってしまえる恵也の性格が、霧香は少し羨ましくもあった。


 物を持たいないタイプの人間なのだとは思うが、あまりに寂し過ぎる部屋だ。


「服とかどこに置いてんの ? 」


「隣も借りてるから。古くて誰も住んでないし、家賃の心配ないから」


「成程。でも配信……音取りどうしてんの ? 」


「小型アンプをパソコンに繋いでるかな。でも目の前の家二軒もたまたま空き家なんだ。三曲くらい弾いても苦情来ない。さすがに一日中引く時はここじゃ無理だけど」


 恵也は荷物を端に置くと、壁に掛かったシンプルな時計を見上げる。


「じゃ、買ってきたもの確認して足りなかったらダッシュで行ってくるわ」


「そうだ。キリ、化粧品持ち歩いてる ? 」


「フルじゃないけど……お直しするくらいだよ。ファンデとかパウダーとか」


「アイシャドウとアイライナーは ? 」


「あったと思う…………うん。ある ! 」


 パレットを広げて彩に見せる。

 だが、ふと考え込むと、メモを取り出しリストを作る。


「黒系が足りない。茶色じゃだめだ。後、緑も欲しい。口紅はその一番赤いやつと、一番ピンクが強いのどっちも使う」


 リストを書く彩に霧香は「うーん ? 」と考える。


「緑って、中々売ってなくない ? 普段使いするような色じゃないし」


「誰かメイク道具持ってそうな……」


 そこで恵也がさも当然と言うような顔で答える。


「Angel blessの泉 蓮って知り合いなんだろ ? 」


 霧香の肩がギクッと飛び上がる。


「ハランはともかく、蓮はダーク系のメイクしてるよな ? 聞いてみれば ? 」


「い、いや。まままままさかぁ〜。今バイト中のはずだし、流石に持ち歩かないでしょ〜」


「聞けばいい」


 その背後で、彩は早速ハラン経由で話をつける。


「………今から持ってくるってさ」


「いやぁぁぁぁ」


 霧香が頭を抱えてしゃがみ込む。


「なんだよ。仲悪いのか !? 」


「そうじゃないけど、〜〜〜っ」


「でもこれでメイク問題解決だな。

 服は大丈夫か ? 」


 買ってきた服をハンガーにアクセサリーと掛けて、値札を取っていく。


「ああ。問題ない」


 並べられた、男性物の黒系の服と、天使の様なフワリとした甘ロリの全身コーデが二つ。


「まず、最初に写真を撮る」


 バックスクリーンを壁に掛け、霧香に着るように指示したのは甘ロリの方だった。


「え !? っていうか、ずっと気になってたんだけど、なんで女の子らしいのが必要なの ? 」


「いいから」


「んも〜。変に今日中にスケジュール入れまくるから忙しすぎ ! 」


 ぶつくさ言いながら、霧香は服を抱えて脱衣所に消えていく。


「はいっ ! 着替えたよ ! 」


 ヴァンパイアとはいえ、元天使である。この可憐な洋装が似合わないわけが無い。純白とは言え生地の質感で色々なシーンを魅せる服と霧香の美貌。

 これだけで十分絵になる様な存在感だ。


「ほはぁ〜……」


 思わず感歎の息を漏らした恵也が、慌てて口元を手で隠す。


「日付を誤魔化して、数日前の写真として公開する」


「え…… ? どこに ? 」


「俺が見て検索した感じだと、インスタは放置状態になってるだろ ? そこがいい。

 KIRIとは書いてなく、尚且つあの個性的なベースはアップしてた。

 今日写真アップしても二日前に撮ったって書いて欲しい。


 つまり、一度舞台を降りたら『とんでもなく少女趣味』と言うキャラを貫いて欲しい。


 そしてステージでは真逆に刺激のあるキャラを演じて『男性的に破天荒に振舞って』欲しい」


「それって…… ! 」


「KIRIの人物像は未だ独り歩きを続けてるし、あの炎上を見た時に思った。

 必要なのはネタの多さだ。

 ただ上手い、だけでは駄目だ。

『人に噂される事』。これが大事。炎上の後、俺の登録者数もKIRIの登録者数も大きく跳ね上がった。


 SNS、ブログ、配信サイトは腐るほどある。YouTubeをベースとして、他のアプリやツールでも『ヒント』を残して配信する。

 分かる者にはファンサになるし、分からない者は辿りつける。そして新しいファン獲得の場にもなる。バレたらバラしていいアカウントを作る」


 霧香は概ね承諾の無言。

 恵也は文句は無いが、不安の無言。


「とにかく背景は合成でいいから」


「合成でいいの ? 」


「『おにゅうの服買ってきたけど、着てみたら可愛いのぉ〜見て〜』みたいな感じで撮りたい」


「ロリ服のわたし、IQ下がってない !? 」


「雰囲気雰囲気」


 とりあえずグリーンの前に立ち、ピースをする霧香に恵也が吹き出す。


「ブハッ !! もっと、あは、もっとなんかフヒヒ、違うポーズねぇのかよ ! 」


「は、恥ずかしいよ」


 顔を手で仰ぐ霧香に彩が追い打ちをかける。


「『この世でぇ一番可愛いのはア · タ · シ 』。はい、お願い」


「だっははははは !! 」


 真顔で要求してくる彩に、更に恵也はツボにハマる。


「出来ないっ ! えぇ〜 ?

 可愛い ! アタシは可愛い ! うーん。可愛い ? 多分……平均くらい ? 服は可愛い ! アタシの服可愛い ?? 」


「フヒヒ。はぁ〜……あんな顔してんのに、ナルシシズム低ぇな……」


 あんな顔、とは恵也も霧香が美少女だという認識はあるようだ。

 そこへ、霧香のスマホが鳴る。


「え !? まさか !

 ……はい」


『インターホン鳴らねぇんだけどなにこれ、玄関に置いて帰ればいい訳 ? 』


「ごめん、今開ける」


 事態を把握して恵也が玄関へ向かう。


「お疲れっす」


「恵也か、久しぶりだな。

 メイク道具とスタイリング剤一式持ってきたんだけど、随分急だな。今日配信だろ ? 」


「あ〜、キリも混乱してる。

 サイの方が、スイッチ入っちまったって感じなんだよ。

 とりあえず上がれよ。俺ん家じゃねぇけど」


 部屋に通された蓮が霧香を見て固まる。


「なにあれ、頭打ったか ? 」


「いや、見た目は可愛いんじゃねぇの ? 」


「いや、そうじゃなくて。

 彩が女の写真撮ってる……」


「あ、ああ……なんか仕事モードに入ると男女の垣根無くなるみたいだぜ……」


「訳分からん」


「蓮、ごめん。確実に持ってると思えんの他にいなくて」


「別にいいけど」


 蓮に気付いた彩が、軽く挨拶を済ます。

 そして……


「突然で悪いんだけど、ベージュ系と髪の色邪魔しない程度のチーク入れて」


 無茶振りをぶっ込んだ。


「俺がやんの ? なんで ? 」


「だって俺カメラ持ってるし。

 恵也出来る ? 」


「俺が化粧なんて出来るわけないじゃん」


「そういうこと」


「なんで !? 自分でやるよ !! 」


「動かないで ! なんか面白そゴフッ……メイクのシーンも後々公開するかもしれないから。『アタシが自分でメイクなんかしませんわ』。はい、どうぞどうぞ」


「……全く……。どうなってんだ……。

 なんだっけ ? ベージュ系 ? ナチュラルな感じ ? 」


 蓮も「帰る」とは言い出さない。

 寧ろ、一つだけ不安要素があった。


「ふぇぇ……く、くすぐったい〜」


 蓮の筆が動く度、霧香がムズムズとニヤける。

 霧香と蓮。この二人の距離感を客観的に見て、彩はふと思った。


「二人の付き合いは長いんです ? 」


「いや、知り合ってまだ一年弱だよ」


「もしかして、付き合ってるのかなって……」


「「はぁぁぁっ !? 」」


 これに対して霧香は返答に詰まる。

 交際などありえないはず。

 だが否定した後、次に飛んでくる質問は「どこで知り合ったか」だ。黒ノ森楽器店だとしたら、あのファンの子達のようにハランと蓮に群がっていたか、と言う事に想像がいきがちになるだろう。

 だが事実そんなことは無い。そうなると、今までライブハウスに出入りしていない霧香が、どう蓮と知り合ったのかは誰もが疑問に思うところだ。


「えっと……知ってはいたけど、親しくなかったって意味で」


 その点、蓮は冷静だった。


「実はこいつが高校行ってないの俺のせいなんだ」


 霧香は聞いたこともない語りに「何を言い始めるのか」と引き攣り顔で蓮を睨む。


「子供の頃近所に住んでて知ってたんだけど、こいつの学力までは知らなかったし、同じ高校に誘ったら、こいつ受験落ちたんだよね」


 まさかの高校に行ってない理由 !


「お……音楽にせせ、専念できたから……べべべ別に後悔してないし ! 」


「まじ !? 二次試験とか受けなかったの ? 」


「もう、諦め早かったっていうか……うん、そんな感じ」


 しどろもどろだ。

 人間の若者が高校に行ってない理由を、こんなふうに聞かれる事を知らなかったからだ。


「こいつん家金持ちなんだよ。だから郊外の一軒家に一人で住んでんの。親が甘いんだよ」


「なるほどなぁ〜。そりゃ考えもんだな。俺もあんま行ってなかったけど、在籍はしてたからなー」


 恵也は丸々と信じたようだが、彩には蓮と霧香は気の置けない仲に見える……それだけは揺るがない事実だと確信した。


「じゃあ、唇は〜。薄いピンクにオレンジ系のグロスで。キリ動かないでそのまま」


「無理 ! ダメ !! 自分でやる !! 」


「動くなって……」


 これには自分でも顔が真っ赤になってるのが分かるくらいだった。霧香は近付いてくる蓮の顔を見ないようにギュッと目を閉じるが、かえって唇の感覚がリアルに感じる。


「かっ……かふ……かふ……うぅ」


「何その鳴き声。塗りにくい。真面目にやれ」


 グロスの筆が左右に動くくすぐったさに身悶えている霧香と、容赦無しにやる事をやる、蓮のクールさが限界だった。

 声を殺して肩を震わせている彩を見て、恵也は玄関に行き「もうダメだ〜っ」と腹を抱えて笑って一旦出ていった。

 外から「だーっはっはっ !!!! 」と豪快な声が聞こえる。


「こんな感じ ? 」


「うん。面白i……いい感じ」


「あっそ」


 しばらく、写真撮影が続きようやく終わる頃には霧香もヘトヘトだった。

 恵也は戻ってきたが、もう輪に入らず未だ笑いを堪えている。


「あ〜……キッツ。服買ったくらいでこんな気合い入れて撮影する女、引くんだけど……大丈夫なの ? 」


「普通普通。みんなツイートとかしてるじゃん。

 加工してる間、もう一着のロリ服に着替えて」


「えっ !? まだ着るの !? 」


「これは今日の移動用。帰りもこれで帰って」


「私服も指定制限付けるのか ? なんか意味あるの ? 」


 蓮のダイレクトな質問に彩は頷きながら霧香の脱いだ服を元のハンガーにかけ直す。


「『影じゃ何してるか分からない』って言われる有名人っているだろ ? 俺たちはおそらく、『言われて当たり前なパフォーマンス』を配信でやっていく。当然、私生活も探られる」


「先に私生活を作るって訳か……」


 無謀としか言いようのない計画だと蓮は一瞬思った。だが霧香の自宅は、人間の目では見えない。自宅ではくつろげるだろう。

 それに加えて、無知で何をしでかすかも分からない所を踏まえると、こうして彩に管理させることで自分も一歩引いて霧香を見守れる。


「成程な」


「これから私生活は家以外、このスタンスでいて欲しい。近所のコンビニくらいならカジュアルでいいけど……。

 どうしても目立つんだよなぁ。変装したところで髪の色が……。青い髪なんてそこらじゅうで見かけるのに……何が違うんだろう……」


 彩が首を捻る。

 蓮の不安要素はまさにこれだった。

 先手を打つしかない。


「ちなみに、霧香の髪、俺が切ってんだけど……」


「「「えっ! 」」」


 全員が驚く。

 出来れば霧香には声を上げて欲しくも無かったが、そう言うしかない。


「実は美容師免許取ってるんだ。バンドで食いっぱぐれた時の為に」


「へぇ〜。でも今、楽器屋じゃん」


「美容師なんてやったら忙しいし、バイトって訳にいかないだろ」


「あ、そっか」


「スタイリング必要な時は言って」


 ここまで来て、ようやく霧香は『人間界の美容室には行けない』と統括から言われていたことを思い出した。

 地毛で生えてる霧香の青い髪は勿論毛根も、まつ毛も、体毛全てが青い。

 それ故、美容院に行ったら驚かれる事は間違いない。美容師は言いふらしたりしないかもしれないが、人間としてありえない体質であることは変わりない。


「わ、わたしも美容院苦手で……蓮意外には触られたくないかなぁ〜……」


「なんだ、仲良いじゃん」


「別に……悪くないよ」


 霧香が事ある毎に蓮に拒否反応を示すのは、心のどこかで惹かれているからかもしれない。

 しかし二人の関係は統括に定められたお目付けだと言うだけ。

 霧香は職場の先輩……くらいの距離感だと、自分で蓮の存在を決めつけてしまっている。

 時間が経てば経つほど、余所余所しくなっていく。


「よし。これで写真OK。スマホに送るから、インスタに公開して」


「分かった」


「次にバンドのミーティングに移る」


 全員が輪になって座り込む。

 蓮はそれを遠巻きに眺める形で参加することになった。

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