雑居ビルの中にある黒ノ森楽器店は、少量の管楽器とギター、ベース、ドラム……そしてメジャー音楽の楽譜を中心に扱っている。中・高生御用達の店舗でもあり、多くのミュージシャンの卵達で賑わっている。
年配の客が来ない訳では無いが、売り物が安価で量産型も多く、ベテラン勢がこぞって来店する店に比べると質は劣る。店舗のレビューはそこそこで、入門者には気兼ねなく入りやすい店、ということらしい。
閉店の二十時直前。
エスカレーターを折り返し帰宅足の同世代とは逆に、店舗を目指す一人の少女がいた。
白い肌に目の覚めるような青色の髪。純白のブラウスに波打つように流れる、水面の様な輝きを放つストレートヘアは周囲の視線を虜にする程美しい。
少女の名は水野 霧香。
だが偽名だ。
そもそも彼女が周囲の視線を釘付けにする事も、男女問わず虜にしようとも何らおかしい事では無い。
霧香はヴァンパイアだ。
周囲の視線に気付いた霧香は、そっと口元にマスクをかけ、気配を消す様にその美貌を隠す。
楽しげに帰路に着く同世代の高校生達は、楽器を抱えた男子。そして、お喋りに花を咲かせる女子のグループで溢れかえっている。
その女性達の半数が、今ショーケースの鍵を確認している二十歳前後の若い男性店員が目当てである。
「お疲れ様。契約書取りに来たよ」
霧香が声をかけると、彼……
「今から ? もう店終わるんだけど」
霧香に負けず劣らず、男性客でも思わず振り返ってしまう程に蓮もクールな顔立ちをしている。
「わたし二時間前にも来たんだよ ? でも、とてもじゃないけど……あんたをバックヤードに連れてったらファンの子達に刺されるわ」
溜め息混じりに言う霧香の冗談に、彼は否定するでもなく「そうだね」と笑って返す。
バックヤードに霧香を通すと、蓮はいくつかの書類を机に広げた。
「まず、これが統括から発行された『人間界での活動許可証』だから。必ず携帯して」
「蓮も ? いつも持ってるの ? 」
「ああ。前に一度空き巣にあってさ。パスポートとかと纏めて置いた所を丸ごと盗られたんだよな。人間からしたらただの玩具にしか見えないだろうけど、俺たちにとっては金より大事なものだから」
「分かった」
蓮と霧香は同胞だ。家系こそ違えど、同じく人間界に行くとあって、統括者は霧香のお目付けに蓮を当てがったのだ。
「次は『血成飲料の配達依頼書の確認書類』。これは許可が出てるし、住所も確認しておいて。家に届くから」
他数枚、纏めて封筒に入れていく。
「新居はどうなの ? 」
「シャドウ君が色々してくれてる。素っ気ないんだけど、几帳面でね」
「使い魔は素っ気ないくらいでちょうどいいんだ。猫にして正解だったろ ? 犬は干渉しすぎる」
「それは分からないけど……猫なせいか、ツンデレなんだよね」
そこへもう一人の男性店員が戸締りを終えて戻ってきた。
「あ、霧ちゃん。来てたの ? 」
こっちはこっちで……店主は狙って雇っているのでは ? と疑問を持たれてもおかしくない程の男前だ。蓮がクールなのに対し、この男は甘いマスクで物腰も柔和な印象を受ける。
「こんばんは、ハラン。今日は書類受け取りに来たの」
「そっか。ヴァンパイアは人間界の出入り制限厳しいからね」
二人の状況を知る、このリ · ハランも人間では無い。本人曰く天使……と言う事だけ明かされている。李と名乗るからには韓国出身かと聞かれればそれも怪しいもので、この三人全員が人間界で生活する上での身分証に過ぎない。
現に霧香は日本人と西洋人のハーフの様に見えるし、青い髪も地毛である。蓮は黒髪ではあるが、やはり得体の知れない妖艶さがあるし、ハランに至っては最早中性的過ぎて人種の判断も難しい。
だが、それが女性の心を惹き付けてやまないようだ。ここにはハランのファンも多く出入りしている。
「生活はどう ? 資金繰り大変じゃない ? うちでバイトしない ? 」
「あ、それなんだけど、今ネットで音楽活動してて……」
「あ、そっか。観てるよ。ベースのやつでしょ ? 」
「絶賛炎上中のやつな」
「いや、そんなつもりじゃなかったのに。相手が意地悪するから……」
霧香がKIRIとして活動してる動画は瞬く間に有名動画として若者を中心に周知された。だが、手元だけを映した動画なために、男か女か、年齢は、住まいは……とにかく詮索が多く、霧香も頭を抱えていた。
更にはアンチも多く「実際弾いてるのはオジサン」「こんなの他の配信者の方が上」等と悪質な煽りやコメントを送って来る者も多かった。
「所詮、再生回数の伸びないクリエイターの腹いせさ」
「俺達も対バンライブとか初めに出た時、キツかったよな。誰アレ ? みたいな空気」
二人は天使と悪魔と言う間柄ながら、同じバンドで活動している。
「でも、まともなメッセージとかファンレターもあるだろ ? 」
「ファンはまぁ、いいんだけど。なんか気になるメッセージくれる人は居て……」
「へぇ……。どんな奴 ? 」
霧香の話を遮るように、蓮は眉を寄せてハランをシッシッっと追い飛ばす。
「そんなのいいから。
とりあえず書類な。無くすなよ。もう遅いから帰れ」
面倒そうに話を切り上げる蓮に、ハランは少し意外そうに霧香と蓮を見る。
「もう夜遅いよ ? 用意された住まいって郊外でしょ ? 送ってやればいいのに」
「必要ないだろ。襲われても魔法でどうにか出来るんだから」
「そーゆー……人間界で無闇に魔法を使うなって書類だろ ? それ」
これには蓮もぐうの音も出ないようで、ムスッとしたまま席を外した。
「俺が送るよ。と言っても徒歩だけどね」
「えぇ ? そんな悪いよ」
「夜道は危ないから」
「そう……かな ? じゃあ、お願いしようかな」
「荷物取ってくる」
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「あいつ素直じゃ無いんだよ。俺、黙ってれば良かったかもね」
確かに天邪鬼な蓮のことだから、ハランが何も言わなければ霧香を家まで送ったかもしれない。
「蓮は最近小言多い ! 」
「心配なんだろ。同胞だから余計に。人間界には音楽がやりたくて来たの ? 」
「……聞いてないの ? 」
「何も ??? 」
キョトンとして霧香を見下ろすハランは、嘘をついているようには見えなかった。
霧香は少し考えると、歩幅を緩めて話し出す。
「堕天使になると、悪魔として地獄に堕ちるじゃない ? わたしの場合はヴァンパイアにさせられたんだけど……」
「ごめん、失礼な質問だったらあれなんだけど……なんで堕天したの ? 」
「……ふふ。内緒」
ハランは特に気を悪くもせず、続きの話を待つ。
「でも、『水の天使』だったから、ヴァンパイアになっても魔法は水魔法が使えちゃうわけで。
それがね、前例がないんだって」
「水の天使が堕天する事が ? 」
「うん。地獄に水は無い。飲水が極めて少ない。
だからわたしがヴァンパイア領土にいると、戦争の引き金になりうるって。
それで体良く人間界に追い出されたの。わたし、家族なんていないしヴァンパイア領土にも帰る家無いの」
「そう……。複雑な理由だね」
天使は人間界への行き来にそれほど制限がないが、悪魔の類は別だ。それでも霧香は地獄に置いてはおけなかったのだ。
「でも、今はこれで良かったかなって」
「地獄にいるより ? 」
「うん。食べ物も美味しいし、人間の文化面白いから」
楽観的な霧香の言葉に、ハランの表情も和らぐ。
霧香とハランは蓮を通して楽器店で知り合った。天使とはいえ、同じく人外同士ともあれば、打ち解けるのにそう時間はかからなかった。
「わたしん家、ここ」
足を止めたのは、住宅地の奥にある雑木林の前だった。
「へぇ。これは空き巣の心配はないね」
ハランから視るとしっかり屋敷が建ってはいるが、人間はこの屋敷を視認できない魔法がかかってる。
「これがまた音楽やるには丁度いいんだ。音が漏れないから」
「配信、次も観るよ」
「ありがと」
「ねぇ、聞いていい ? さっきの気になるメールくれる人の事」
蓮は別としても、ハランはただ面倒見がいいのか、それとも霧香に気があるのか定かでは無い。
「あ、そうそう。
その人ね、VTuberも実写もどっちも上げてる人でSAIって言う人。
知ってる ? 」
「ギタリストの ? 色白の奴だよね ? 」
「え !? 」
ハランは、さも知っていて当然の如く頷いた。
「知ってるの !? 」
「知ってる知ってる」
「ハラン、リスナーなの ? 」
「あははは ! 違うよ ! うちの客なんだよ」
「えぇーっ !!?」
「そういえば最近来るの減ったな。あいつ人見知りでさ、どこのバンドでも上手くいかないみたいで。
ネット配信とか性に合うんだろうな」
「そ、そうなんだ……」
急にたじろぐ素振りを見せる霧香を、ハランは面白いものを見るように観察する。
「霧ちゃんはリスナーなの ? 」
「え ? うーん。ちょっと違うかな ? 」
「 ? 」
霧香はSAIとのやり取りをハランに話す。何がきっかけで、何に悩んでいるのか。
そして出たハランの答え。
「俺、仲取り持とうか ? 連絡つくよ。
明日にでも会ってみたら ? 」
「うえぇっ !!? きゅっ…… !! 急にそんなSAIに会うとか !! き、緊張する !! 」
「大丈夫だって。危険なタイプの人間じゃないし、蓮にも……いや、あいつは関係ないか。
でもせっかくだし、会ってみれば ? 」
「うぅ。うん。わかった。
はぁぁぁ〜今から緊張する !! 」
霧香も人気配信者であることは間違いないのだがピンキリの世界だ。
SAIは霧香よりずっと上にいる存在である。
ハランによる急激なブッキングに、霧香はふわふわとした様子で屋敷に帰って行った。
その姿を見て、ハランは声を殺す様にして笑いながら自分も家路に向かった。