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第15話 分かち合う痛み(2)

 私は噛み傷だらけの先輩の腕を見て、素直にこう思ったの。


「どうして……こんなにたくさん噛んじゃったの?」


 先輩は恥ずかしそうに、

「あんまり君が可愛くて、どうしても欲しくなってしまった時、噛んで紛らわしてたんだ。血を口に含めば、少しは収まるから……」


「ああ、やっぱり私のせいじゃない!」

「だからなるべく人目のある場所で会うようにしてたんだが……なかなか、ね」

「やだ、それって吸血衝動が原因だったの?」


「うん……。愛しいから抱きたいのと同じくらい、愛しいから飲みたいという欲がある。これは僕にとっての生理現象だから、止めようがなくてね……」 


「今日から自分の腕を噛むの禁止! 私の血を飲んで!」

「バカ言うな。誰が大事な君の血を……」

「先輩が苦しむ方がイヤなの!」

「僕は構わない」

「体の傷よりも心の傷の方が痛いの!」

「君は痛くないだろ」

「痛いわよ! 胸が痛いの! だからお願い!」


 う~、としばらく睨み合う私と先輩……。


「そりゃ……愛しい君の血は欲しいけど……」

「嫌がっても自分で血を採って先輩の口に無理矢理流し込んでやるんだからね!」

「素人が勝手に採血なんかしたら大変なことになるんだぞ!」

「でもでも、血がないと困るでしょ! ね!」


 はー、と大きなため息をつく先輩。

 とうとう私に根負けしてくれたみたい。


「……わかったよ。言い出したら本気でやりかねないからなぁ君は」

「やったあ!」

「でも、血を採るのは僕がやる。いいね?」

「うん!」

「じゃ、今日は少しだけ頂くよ」


 それから先輩はシャツを脱ぎ捨てて水道で腕を洗い、噛み傷の手当をすると、私を抱き上げて寝室へ向かったの。



 ああ……、なんかドキドキしちゃう。

 吸血鬼に噛まれるのって、痛いのかな。

 でも、彼だけに痛い想いをさせたくないもの。

 先輩のために、わたし、がんばる!



 先輩の寝室に入ると、彼がさっきまで着ていたパジャマが、椅子の上に無造作に掛けてあったの。

 慌てて準備をしてたせいか、カーテンは半開き、クローゼットの扉は開けっ放しだったわ。

 この部屋も他の部屋同様、ほとんど荷物はなくって、ふたの開いた木箱が三つほど床の上に置かれていたの。多分、家具がわりなのかも。

 よくよく考えたら、このアパルトメントって家具付きじゃなかったのね。どうしてかしら……。


 なんて考えていたら、私はベッドの上にゆっくりと下ろされたの。


「じゃあ、着替えたら注射器の用意をするから、ちょっと待ってて」

 そう言って先輩はクローゼットから新しいシャツを取り出したの。


 着替える先輩を横目で見ながら、

「え? 噛むんじゃないの?」


「噛まないけど……」

「腕噛んでたじゃない」

「普段僕がどうやって血を飲んでるか分かってるよね?」

「えっと……お店で買ってる」

「そう」

「その売っている血ってどうやって採ってると思う?」

「あ! ……注射器で、かな」

「そう。注射器で採血して、瓶詰めし、冷やして保存してるんだ。つまり僕は瓶で血を飲んでる。ということは?」

「噛んでない……」


 そうこうするうちに、先輩はシャツのボタンをすべて留め終わって、

「理解してくれてどうも。じゃ、注射器取ってくる」

 と言って、部屋を出ようとしたの。


「待って」

「ん? やっぱりやめておくかい?」

「違うの。私……注射はイヤ。先輩に噛まれたいの」

「え……? 本気かい?」


 先輩はベッドサイドに戻って来て、私を見下ろした。


「もちろん」

「牙の方がいいの?」

「そうよ」

「というか注射がイヤとか?」


 小首を傾げながら、次々に質問をする先輩。

 そんなに意外だったかな?


「私、吸血鬼に噛まれたことないから注射と比べられないけど……でも、貴方に直接飲まれたいの」


 先輩の顔が一瞬引きつって――

「う……。そういう可愛いことを言うのは……反則だ、ミラ」

 手を額に当てて、く~~~って言って、のけぞったの。


「どうして?」

「愛しさが爆発してしまうから」


 今度は私の方が、く~~~ってなっちゃった。


「も、もう! とにかく吸って! ほら!」

「わ、わかった。ミラ……、じゃあ……いただきます」


 先輩は私に向かって手を合わせると、ベッドの傍らにひざまずいたの。

 そして消毒液を含んだ脱脂綿で私の首筋を拭くと、静かに牙を立てたの。


 ――ぷつり。


「うっ……」


 痛い! ――でも、がまんした。

 言えば、先輩が吸うのやめちゃうから。

 ……あれ?

 痛いの最初だけ?


 そして首の皮膚が突き破られて、牙が入っていく感触。

 でも痛くない。不思議……。


 牙がすっと抜かれて、今度は吸い付く感触。

 先輩が私の血を飲み始めたのかな……。

 ときどき、チュッ、チュッと音を立てて飲んでる。


 なんだかミルクあげてるみたい……。

 かわいい……。

 先輩が、愛おしくなってきた。


「えーっと、……おいしい?」


 先輩は私の首から少しだけ口を離したの。

 そういえば、吸ってたらしゃべれないもんね。


「うん。最高だよ……。久しぶりの血が君の血だなんて……生き返るよ」

「よかった」


 吐息交じりに耳元でそんなこと言うから、ゾクゾクしちゃう。

 傷口から血が溢れてくるのか、彼は私の首筋をぺろぺろと舐めている。

 正直くすぐったいんだけど……。 


「久しぶりの血って言ってたけど、普段はその……血は、どうしてるの?」

「買いに行くヒマがないから、注射器で自分の腕から採血して飲んでる」

「え! 他人のじゃなくても、いいの?」

「よくはない。その場しのぎさ」

「やっぱり私のせいだよね……」

「原因ではあるが、ミラの責任では断じてないよ」


 そう言って先輩は、やさしく私の髪を撫でてくれたの。


「本当に?」


「もちろん。血液は保存の効かないものだから、タイミングによっては買いに行けないんだよ。買いだめしておければいいんだけどね……」


「じゃあ、こんど私が買いにいってあげる」

「……あのねえ、ミラ。おしゃべりは後にしてもらえないかい?」

「だってヒマなんですもの」


 先輩はため息をついて、

「もう、落ち着いて味わえないじゃないか、お願いだから大人しくしてくれよ」


「えへへ……でも私のだけにしてよ」

「ん? やきもち焼いてくれるのかい?」

「ええ。他の子の血は絶対吸っちゃだめなんだからね?」

「分かってる。ありがとう、ミラ。……でも、買うのはいいよね?」

「それは許してあげる」

「助かるよ。じゃ、大人しくしていてね」

「はい……」


 彼は遠慮がちに、チュッと小さく音を立てて私の血を啜りだしたの。

 一生懸命横目で彼の顔をのぞき込むと、本当にうれしそうに血を吸ってた。


「いっぱい飲んでね。今までずっと我慢してきたんだから」

「ん」

 先輩は私の首筋から口を離さずに、短く返事した。


 嬉しいな。

 彼の役に立てるんだもの。


 先輩……。

 今までつらかったよね。

 もう大丈夫だからね。

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