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第12話 私の知らない彼(3)

 私が、コーヒーの用意を終えたころ、着替え終わった先輩がやってきたの。

 神速で髪を整え、私服に着替えた彼がやってきたとき、これがさっきまでの彼と同じ人なのかと信じられなかったわ。


「お、おかえりなさい。コーヒー淹れたわよ」

「ありがとう、ミラ。待たせたね」

「ううん。むしろ思ったより早かったかな」


 先輩は、質素なダイニングテーブルの上に並んだカップを眺めると、すっと目を細めて微笑んだの。

 それは、普段の繕ったわざとらしい笑顔ではなく、素顔の彼に見えたわ。


 このひと、いつも芝居じみた行動ばかりするわりに、実は演技が下手なのでは? って思う。だって私に見破られてるもの。


 そして先輩はダイニングセットの椅子を引くと優雅に腰かけ、テーブルに両肘をついて指を組み、その上に尖った顎を載せると、微笑みながら私を見つめたの。

 これはやっぱり芝居がかってるって思うけど。


 ……ん? 何か違和感が……。


「先輩、眼鏡は?」

「あれは伊達眼鏡。あった方が助手っぽいでしょ?」

「助手っぽさを出すためだけにかけてたの⁉」


 まさか、それっぽさを出すためのアクセサリーだったなんて。


「うん。かけた方が君の好みなら……」

「む、無理にかけなくてもいいよ」

「そうかい? ふうむ……」


 と言って、先輩は残念そうな顔で私の淹れたコーヒーを啜り始めた。


「ん……。美味しいね。ありがとう」


「良かった。うちじゃお父さんくらいしかコーヒー飲まなくて、ときどき私もお手伝いで淹れてたんだけど、上手にできたかどうか、ちょっと心配だったの」


「大丈夫。ミラはちゃんと上手に淹れられてるよ」

「ありがとう、先輩」

「うん」


 私たちはコーヒーを飲みながら、私が持って来たイモヨーカンを頂いたの。

 無言で。


 だってなんか話しづらいし、先輩も話さないしで。

 だけど飲み終わったら追い出されちゃうから、なんとかしなきゃ。


「ねえ……先輩は私のどこが好きなの?」

「い、いきなりどうしたの? ……全部だよ」


 先輩は、白い肌をほんのり染めて、はにかんだ。


「ごまかさないで! おかしいじゃない。先輩みたいな大人が私なんかに入れ込んで……」


「えええ……。ホントに純粋に好きなんだけど、それじゃあダメなのかい?」

「納得のいく理由を教えて。じゃないと私、帰らないから」


 先輩は、ふぅむ、と顎に手をあてて暫し思案を巡らすと、

「……知りたい?」

 と意味深な顔で言って、隣の部屋から一枚の写真立てを持って戻ってきたの。


 彼はダイニングテーブルの上に写真立てを置いて、私の隣に椅子を置き直して腰かけたの。そして、そっと写真立てを私に手渡したの。


「一緒に見よう、ミラ」

「ええ……」


 つたかたどった青銅ブロンズ製のフレームに囲まれたセピア色の世界の中で、少年と綺麗な女の人がソファに腰掛け微笑んでいたわ。


「……先輩と、お母様?」

「ああ。母はこの写真を撮ってすぐ病で亡くなった。ここを見て」


 と彼が指さした先には、柄織物の民族衣装をまとい、黒髪を眉でまっすぐ切り揃えた、丸顔の少女人形があった。


 私はこのお人形のこと、よく知ってる。

 だって、うちにもあるから。

 その人形の名は――


「ヤシマ・ドールだわ」



 それは、私の両親の故国「八州ヤシマ」で作られる伝統人形のことよ。女の子のいる家庭に、親類から贈られるものなのだとか。


 先輩と初めて会ったとき、彼が私に向かって言ったのよ。『ヤシマ・ドールがしゃべった』って。確かに私の髪はヤシマ・ドールみたいに黒く長くて、そして眉の高さで真っ直ぐ切ってあるけども。


 でもそれと、彼が私を好きな理由との間に、どんな関係があるの?



「このヤシマ・ドールはね、母の形見だったんだ」

「そうだったの……」


「母が他界してから数年後に父が再婚してね。新しい母親が、懐かない僕への腹いせに、この人形を捨ててしまったんだ」


「ひどい……」


「僕はそれ以上、継母にいじめられないようにと、家では息を潜めて生きていた。父は僕の味方になってくれないし、そんな気もなかったようだ。そして、父と継母との間に子供が出来ると、僕への関心は全くなくなり、やがて成長した僕は寄宿舎のある学校に入り、もうそれきり家には戻らなかった」


 先輩はあまり家庭に恵まれてなかったのね。

 だからあんなにうちで食事をするのを喜んでいたのね……。


 でも、不幸な過去を淡々と語りながら、写真を見つめる彼の細い横顔は、不思議と悲しそうじゃなかったの。


「この人形を無くしてから、僕の心には長らく大きな穴が空いていたんだ。でもね……」


 彼は写真立てを私の手から、そっとテーブルの上に移すと、潤んだ瞳を私に向けた。


「やっと見つけたんだよ。僕だけの『ヤシマ・ドール』をね」

「……私が、貴方の、人形?」


 彼は愛しさに満ちた眼差しで私に微笑むと、私の手を取り静かに頷いた。


「済まない。どう思われるか心配で、今まで君に言い出せなかったんだ……」


 彼は私の顔をしばらく伺うように見ると、

「ダメかな、こんな理由じゃ」とちょっぴり悲しそうに笑った。


「ダメじゃない」

 私は頭を小さく横に振って、言葉を続けた。

「重い理由ですこしびっくりしたけど、話してくれてありがとう、先輩」


「よかった……。本当にありがとう、ミラ」

「いいえ、私の方こそ……」



 私の方こそ、本当にありがとう、先輩。

 やっと貴方の本心が聞けて、今日、ここに来てよかった。


 やっと、もう一歩、貴方に踏み出せる気がする。

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