一夜明けて、祝日の今日は学院もお休み。
そして、当然ながら先輩もお休み。
きのう、『休みの日の彼を見てみたい』って急に思い立った私は、彼の自宅へ初突撃することにしたの!
手土産は、お母さんの作ったあの『イモヨーカン』。こんな美味しい手土産があれば、彼だってきっと家に入れてくれるはずよね! 二人っきりの環境で、先輩の真意を確かめてやるんだから。
……って、これじゃあなんだか、クリスのゴシップ好きが私にも移ったみたいじゃない。ちがうちがう、そっちじゃないわ。私は彼のことが知りたいだけだもん。
◇◇◇
私はお昼を少し回った頃、先輩のおうちに向かったの。たぶん午前中は寝ているだろうからと思って。
通学路に立ち並ぶ、古いアパルトメントの一室のドアを、私はドキドキしながらノックしたわ。
そうして、ちょっと時間が経ってから、分厚い扉が耳障りな音をたてて、少し開いたの。そのドアの隙間から、ぐちゃぐちゃ頭にヨレヨレパジャマの彼が、恨めしそうな顔でこっちを見たの。
次の瞬間、
「どちらさまで……ええ⁉ ミ、ミラ⁉ ど、どどど、どうして」
突然の私の訪問にビックリした彼は、もう少しだけドアを開けてくれた。
うわぁ、ヒドい……。これホントに先輩?
普段とぜんぜん違う……。
正直、引いてしまいました。先輩ごめんなさい。
私は戸惑いを押し殺しながら、あらかじめ考えていた台詞のとおり、彼に挨拶をしたの。
「おっはよ、先輩。抜き打ち査察に来ちゃった♪ ほら、イモヨーカンもあるのよ! 入れて~」
「え……。さ、査察? イモヨーカン?」
先輩はまだ眠いのか、事態が呑み込めてないみたい。
寝起きのせいか彼の声はガラガラで、普段の美声はどこにいったのかしら……。
「先輩、おねがい、おうちの中に入れて~」
「いや、でも、部屋片付いてないし……身支度もしてないし…………」
「お掃除なら手伝うし、身支度するの待ってるから」
「だけど……君に、寝起きのこんな僕を見られるなんて耐えられないんだ!」
「もう見てるでしょ」
「そうだった……。じゃなくて、本当にごめん、今日は帰ってくれないか」
「なんで? 貴方の愛しのミラちゃんが来たのよ?」
「わかってる。心から君を愛してるよ。でもそれとこれとは違うんだ」
「どーして?」
「もっとちゃんと準備をしてから招きたいんだよ。わかってくれないかな……」
「いつもちゃんとしてるから大丈夫! 今日はそのままでいいから、ね?」
「しかし……」
だんだん彼が可愛そうになってきちゃった。
だけど、ここで退いたら負けなのよ、ミラ!
「本当にごめん。もう少し睡眠を取りたいんだ。頼むから今日のところは引き取ってくれ。じゃ、おやすみ……」
先輩は私との押し問答を切り上げて、ドアを閉めようとしたの。
「や、やだ~~~っ」
私は反射的にドアノブを引っ張って抵抗したの。ついでにドアの隙間につま先も突っ込んだわ。こうすると聞き込みの時にドアを閉められなくなる、ってクリスから聞いたのが役に立ったわね!
「困った子だな……」
彼はドアを閉めるのを諦めて、力を緩めたわ。
そして急に無言になって、私の全身に粘っこい視線を何周か這い回らせて……
「ダメ。いま飢えてるから」
と耳元で囁いたの。
国立庭園の時、馬車の中で見たのと同じ、あの妖艶な顔で。
「う~~~~~~~ッッッ!」
私は耳から顔まで、一瞬で熱くなっちゃった。
やっぱり、やっぱりあのとき、先輩は私のこと……!
「ねえ、僕に食べられちゃう前に、お帰り。ミラ」
と彼がささやいて、そしてまたドアを閉めようとするの。
でも、せっかくここまで来て引き下がるわけにはいかないわ。
私はドアのへりに手をかけて、ぎゅーぎゅーひっぱって抵抗したの。
無理に閉めると私の手足が挟まるから、彼にはそんなこと絶対出来ないわよね。
こんなに抵抗するなんて、もしかして……
「さては、中に誰かいるんでしょ!」
と詰め寄った瞬間――。
彼は急に『バンッ!』とドアを全開にして、
「な、なんだって!? まさか、君は僕が浮気してるとでも言いたいのか!! あり得ないよミラ!! 中をあらためもらって構わない!!」
って、すごい剣幕で怒鳴ったの。
わかってるわ、そんなこと。
ちゃんとわかってるもん。貴方が一途な人だって。
「ぷっ。ふはははっ。やっと目が覚めたね、先輩」
「え?」
「私ちゃんとわかってるもん、貴方が一途な人だって」
血相を変えた彼は一旦落ち着くと、はぁと大きくため息をついて、
「まさか……、ドアを開けさせるために僕を謀ったのかい? ああ、君に一本取られたな」
先輩は長い髪をかき上げながら、呆れ半分に笑ったの。
これはこれで悪くないかも? って思ったわ。
「コーヒー淹れてあげる。キッチンどこ?」
「君が朝のコーヒーを淹れてくれるのは大歓迎なんだが、飲んだらすぐ帰ってくれよ」
そう言うと、先輩は疲れた笑顔で部屋の奥を指さした。
やれやれ、やっと中に入れてくれる気になったのね。
◇
さぁ~て、先輩のお宅、拝見っと……。
先輩に続いて部屋に入った私はぐるりと中を見回して驚いたわ。
まるで安ホテルのような素っ気なさ……。
壁に一着の黒いロングコートが掛かってる他は、数個の木箱だけ。
荷物の片づけが終わらないって話、あれってウソだったのね。
「キッチンならあっちだけど。ん……ミラ、どうかした?」
急にテンションの下がった私に気が付いた彼が、気遣わしげに声をかけてきたの。
「ひどく寂しい部屋ね。生活感がまるでないわ」
「ああ……、そうだね。この街に引越して間もなく君と付き合い始めたから、今まで部屋に構うヒマがなかったんだ」
「これしか荷物がないのに、片付ける時間がなかったなんて嘘でしょ」
「……別に嘘ついたつもりはないよ。荷物は箱に入れたまま使ってるし」
「崩れるほど箱もないのに、ケガしたっておかしくない?」
「僕の言葉をよく覚えてくれてるんだね……。それとも警戒してる?」
「してないよ警戒なんて」
「そうか……よかった」
先輩は少し悲しそうな顔で、そうつぶやいた。
それから先輩は私をキッチンに案内すると、身支度をするからといって別の部屋に入っていったの。
「さて、と……」
残された私は、さっそくキッチンの中を見回した。コーヒーを淹れるって言ったとき断られなかったから、きっとどこかに豆はあるのよね。
狭いキッチンには、陶器タイル製のシンクと、作り付けの簡素なカウンター。そして食器棚があったの。
コーヒー豆とミルはカウンターの上に。そしてカップ類は食器棚の中で見つけたけど、最低限の食器しか入ってなかったの。
これじゃあ食事は外でとるしかないわよね。
カーテンがないから、朝日が部屋の中程まで差し込んでいたわ。
とりあえず、明るくていいキッチンね。
でも、せめて、お花のひとつもあればいいのに。
こんな寂しい生活を一人でしていたなんて、ちっとも知らなかった。
彼は、何も教えてくれない。
暮らしぶりだけじゃなく、何もかも。
いくら恋愛初心者の私だって、そろそろ愛玩動物は卒業しなきゃって思ってる。彼の想いにも応えてあげたい気持ちもあるの。
でも、手の内をぜんぜん見せてくれない先輩も悪いんだから……。
私はキッチンでお湯を沸かしているあいだ、コーヒー豆をミルで挽いたの。
家ではたまにお父さんがコーヒーを飲むから、そのお手伝いで子どもの頃からコーヒー豆を挽いていたわ。ミルをぐるぐる回すのって楽しいじゃない? だから、豆を挽くお手伝いが好きだったのよ。
用意をしている最中、バスルームから先輩が顔を洗ってる音がする。一緒に暮らすようになったら、きっと毎日聞くことになるのよね。
そういうの別にイヤじゃないし、いまでも毎日いっしょにご飯を食べてるから半分家族みたいだし。
このまま流れで彼と一緒に……って悪くはないけど、でもやっぱり、はっきりしておきたいことがいくつもあって。
だからここに来たんじゃない、ミラ。
そろそろ先輩の身支度が終わりそうなので、私はコーヒーを淹れ始めたの。
シンプルだけど質のいい道具が揃えてあって、先輩って身の回りのことを割とちゃんとしてる人なんだな、って思ったわ。そう思うと、だらしない姿を私に見せるのをあんなに嫌がってたのも、少し分かる気がする。ちょっぴり罪悪感……。