月曜の朝。
家に先輩が来たんだけど……。
「おはよう、ミラ……」
家の外から先輩の声がするけど、なんだか声に覇気がないの。
そして、ドアを開けてビックリ!
「どうしたの先輩! 顔色とても悪いし、目の下にクマまで作って……」
「あはは、何でもないよ」
「何でもないわけないでしょう? とにかく入って」
「うん……」
朝ごはんを用意していたお母さんも、新聞を読んでいたお父さんも、先輩の様子にビックリ。
「ユノス君、一体全体どうしたんだい!」
「はあ。ご心配をおかけして申し訳ありません。実は……」
聞けば遅くまで実験の資料作りをしていた、とのこと。
「仕事も大事だが、ほどほどにしておくれ。いくらウチで精のつくものを食べても、睡眠不足までは補ってあげられないからね」
「済みません……」
「ほらほらパパ、小言はもういいから。ユノスさん。さあ、どんどん召し上がれ」
「ありがとうございます。では、いただきます」
みんなそろって手を合わせて、食事を始めたの。ごはんを食べて元気になってくれればいいんだけど。
この光景も見慣れてきて、いつしか先輩が家族の一員になったみたいに思えるの。本当にいつか、そうなるのかな……。
◇
家を出て学院に向かって歩きながら、私は先輩に話しかけた。
「ねえ、やっぱり私にかまってると、お仕事に差し支えるんじゃない?」
だけど、先輩は無言で歩いてる。
答えたくないのかな。
「私の存在が、先輩の足かせになってるんじゃない?」
先輩は、まだ無言のまんま。
「私、先輩の将来が心配なの」
やっぱり無言で歩いてる。
「教授にも迷惑になるから、私のことはほどほどに――」
「僕がイヤだ! 君のこと、ほどほどになんて出来ない! そんなの無理だ!」
「でも今のままじゃ、先輩の体がもたないわ!」
「少しくらい寝なくたって大丈夫だ! お願いだから、少しでも君といさせてくれ。頼むから……ミラ」
こんなに必死にお願いされたら、ダメって言えなくなるよね。
「困った人ね……」
「お願いだよ」
「もう……。わかったわ。だけど、今晩こそちゃんと寝るのよ。いい?」
「ありがとう。心配かけて済まない、ミラ」
私からのお許しが出て、本当にうれしそうな先輩。
なんだか可愛いなって思えてきちゃった。
◇
学院に近づき、いつもの場所でクリスと合流。
すると、クリスが先輩の顔を見るなり、
「今朝のシンクレアさん、顔色すごく悪くない?」
「やっぱりクリスもそう思う?」
「誰が見たってそうでしょ」
クリスが先輩の顔を指差して言った。
「ううう……」うらめしそうな顔でうめく先輩。
「ただでさえ色白なのに、顔が白を通り越して青くなってるわ。おまけに目の下にクマまでつくってるんだから。うちの両親まで心配してるのよ」
「だいたい、彼はなんでそんなことになってるの?」
「寝ないで仕事してたんだって」
「ミラを構いすぎてるから仕事に支障が出てるのね」
「僕はね、仕事にはまだ支障を出してないんだが?」
「それは失礼しました。でもね、ずっとそんな調子じゃ、いずれ実習で事故でも起こすわよ。シンクレア助手?」
「だ、大丈夫よね? 先輩」
「あ、ああ。もちろんだとも、ミラ」
「やってらんないわね。休憩時間くらい寝なさいよ。死んじゃうわよ」
「でもミラに会いたい」
「死んだら会えなくなるでしょ。少しは寝なさいよ」
「わ、わかったよクリス」
「ミラもよ。もっとちゃんと言わないと、この男は命削っちゃうんだから」
「ごめん……」
先輩だけじゃなく、私までクリスにお説教されてたら、いつのまにか学院に到着しちゃってた。
今日の学院はちょっと空気が悪いかも。目に見えて先輩が弱ってるのをいいことに、こそこそと陰口を言ってる人がいる。
海藻頭がネギ頭とくっついたなんて言う人まで……。
見かねたクリスが大声で、
「それにしても、相変わらず周囲の生徒からは白眼視されてるわね~、私たち。ま、卒業したら無関係になる連中ばかりなんだから構わないけれど」
「私はいいけど先輩を悪く言われるのはイヤ」
「僕はいいけどミラを悪く言われるのはダメだ」
クリスはくすくす笑って、
「仲いいわね二人とも。しっかりしてよ、シンクレア先輩?」
と言って、先輩の肩を小突いた。
「うっ……つつ……」
先輩は、クリスに小突かれた方の腕を抱えて痛がってる。
クリスは小首を傾げながら、
「そこまで強く突っついてないんだけど……」
「先輩、もしかしてケガでもしてるの?」
「ああ……ちょっと自宅でドジっちゃって。まだまだ引越の片づけが終わってなくてね。荷物ひっくり返して腕を少し痛めちゃったんだ。心配かけてごめん」
「私がお休みの日に連れだしたりしたから……。いっぱい無理させてごめんなさい」
「かすり傷だし気にすることないよ。それに、寝不足で余計なことをした僕が悪いんだから」
「うん……」
「なんだ、シンクレアさんの自爆じゃない。おっちょこちょいねえ」
「そこまで言わなくてもいいでしょ、クリス」
「いや、クリスの言うとおりさ。僕の自業自得だよ」
「でもぉ……」
どうしよう……。
私が先輩の時間を奪ってたせいで仕事は滞るし、荷物は片付かないし、ケガまでさせてしまったわ……。
ごめんなさい、先輩……。
◇
けっきょく、先輩はクリスの言いつけを守って、お昼休みまで私に会いに来ることはなかったの。少しは体を休めることが出来ていたらいいのだけど。
私とクリスがいつもの場所に行くと、先輩がベンチで眠っていたの。
「どうしよう。起こした方がいいのかな?」
「お弁当持ってきてるんでしょ? なら起こした方がいいんじゃない?」
「う、うん……」
気持ちよさそうに眠っているので、起こすのがかわいそうな気もするけど。
「先輩、起きて。お昼ですよ~」
「ん……ミラ……僕のミラぁ……」
「きゃっ」
寝ぼけた先輩が、私を急に抱きしめたの!
先輩の力が強くて、ぜんぜん逃げられないわ。
「起きて、ねえ、先輩、放してってば、ねえ」
「ミラ……むにゃむにゃ……」
「もう、ホントは起きてるんじゃない? ねえ、はーなーしーてー」
「むふん……」
どう見ても怪しい……。かくなる上は。
「放してくれないと、お弁当あげないわよ」
「わっ、放す放す! お昼抜きは勘弁してくれよ~」
お弁当を人質にして、先輩がようやく私を解放してくれた。
「ランチを盾にするなんて、ひどいよミラ~~」
「タヌキ寝入りで私を拘束する人がいけないんですう~」
「ホホホ、仲がおよろしいことで」
「も~、クリス! 見てないで途中で助けてよ~」
「毎日あなたたちに見せつけられてる身にもなって欲しいものだわ」
「好きで見せつけてるんじゃないもん!」
ベンチからようやく立ち上がった先輩が、
「僕は好きでやってるんだけど?」
なんてとんでもないことを言ってる。
「好きの意味が違わない?」
「どちらの意味でも、だけどね」
「も~~~!」
「それはそうと、仮眠したせいか少しは顔色が良くなったみたいね、彼」
「ほんとね! 朝は真っ青だったのに、少し血色が良くなったみたい」
先輩は、う~んと背伸びをして、
「他の師範科の実習生に頼んで、実習の準備を代わってもらって睡眠時間を捻出したんだよ。あ~……、だいぶ気分が良くなってきたな。それに」
「ミラ成分を補給したからね! こうやって!」
「きゃ! も~~~」
先輩がまた私を抱きしめたの。ぎゅ~~っと!
「くるしいよう、先輩」
「もうちょっと我慢しておくれ、僕の可愛いミラ」
そう言って彼は、私の髪に顔をうずめるの。
「すう~~~~~……。ん~~~~~~~、ミラ最高!!」
「え、深呼吸? ちょ、やだ、放してええ~」
これ絶対に匂い嗅いでるよね! 嗅いでるよね!
人前でやるのホントにやめてえええ~~~~!
恥ずかしすぎて無理無理!
「でもシンクレア氏、すっかり元気になったみたいよ?」
「分かってるね~、クリスは」
先輩はくすくす笑って私を解放してくれた。
なんで彼って人前で恥ずかしいことばかりするのかな。
人目のない場所ではほとんど何もしないくせに。
でも、これで先輩が元気になるなら、いいのかな。
私に出来ることって、彼の愛玩動物になることくらいだもん。