「
明全は
「はい。金策に困っているようでしたので、そこに付け入るとすぐ話に乗ってきました」
慶虎はハッと冷笑する。
「相変わらず官吏は腐りきっているな。……
言って、
「官吏の不正は、どの王朝でも横行しております。高潔な第二王子殿下におかれましては、さぞご不快な事にございましょう。ですが、官吏が腐敗しているからこそ、我々の思惑通りに――王太女殿下の目的の為に事が進むのでございます」
椅子の肘掛けに肘を置き、宙を眺めながら顎先を触っていた慶虎は、ため息と共に頷いた。
「……それもそうか」
明全は軽く首肯し、立ち上がった。
「して。王太女殿下のご容態はいかかでございますか」
「
慶虎は額に指を当ててため息をついた。
「第二王子殿下が御側についておられるのです。王太女殿下も安心なさっておいででしょう」
明全の言葉に、慶虎はため息混じりに微笑んだ。
「……だといいのだが」
慶虎は蓋碗を手に取り茶を飲んでから卓子に置いた。それを合図に、明全は口を開く。
「
慶虎はフッと笑い、目を細めた。
「それは
「当初の予定では、
慶虎は両腕を組んで沈黙したのち、右手の人さし指で、肘掛けの先端部分をトントンと叩いた。
「なんとか早められないか? そうだな……できれば
明全は少し考え込んだのち、
「こちらでなんとかしてみましょう」
と言った。「まかせたぞ」と、慶虎は眼光を鋭くする。
「おまかせください」と言った明全は、そういえば、と顔を明るくした。
「私兵の件についてでございますが、
「伯父上が?」
慶虎は驚きに目を見張った。――伯父の偉氏は、宮中の諍いから一線を引いていたはず。
そもそも、王子が内々に私兵を持つことは禁じられている。王に悟られることがあれば、極刑は免れない。
「そんな危険な橋を渡るだと? あの思慮深い伯父上が……?」
どういうことだ、と明全に視線を向けると、明全は心得たと目礼した。
「すでに、偉氏の屋敷に
黙って頷いた慶虎は、話は終わりだと椅子から立ち上がり、部屋を出ようとして――立ち止まる。そして、身体を半分だけ明全に向けた。
「そういえば。……
「……平静を装ってはおりますが、王太女殿下のことを気にしております。……一度、面会をお許しいただくことは――」
慶虎は勢いよく振り向いた。
「ならん! ……蘭花には僕がついている。愛より信念を貫くと決めたのだろう? だったら死ぬまで、清廉潔白を貫き通すといい」
「……かしこまりました」
慶虎は、明全が頭を下げたのを見て、部屋の敷居を跨いだのだった。
同時刻――春宮。
蘭花は筆を筆置きに置くと、両腕を上げて伸びをした。ふぅと息を吐いて室内を見渡し、書物の整理をしている
「小梅。お兄様はいらっしゃった?」
小梅はふるふると首を左右に振った。
「早朝から外出なさったようです。ですので、蘭花様からの差し入れは、女官に預けておきました」
「そうなの」と、蘭花は書を閉じて、近寄ってきた小梅に手渡した。
「今日の午後は授業がお休みだから、久しぶりにお兄様とゆっくりお茶でも、と思ったのだけれど」
言って立ち上がり、窓辺に寄って、外の景色を眺める。今日は一段と冷えると思っていたら、ちらほらと雪が降り始めていた。
「……今年は良く雪が降るわね」
ポツリと呟いた蘭花の言葉に、書を整理し終え、文机の片付けをしていた小梅がふふっと笑った。
「『大雪は豊作の兆し』と言いますから! 来年は美味しいものが沢山食べられそうですねっ」
蘭花はふっと目を細める。「もう、小梅ったら。食いしん坊さんなんだからっ」と、声を上げて笑い、再び窓の外に目を遣った時、ズキンと痛んだこめかみを押さえた。その場に立っていられず、窓枠を掴んで板張りの床に座り込む。
「蘭花様……! どうしましたか!?」
蘭花の側に、血相を変えた小梅が駆けつける。
蘭花を支えながら、抱き起こそうとする小梅に、
「こうして少し休めば大丈夫だから」
と言って、微笑んでみせた。それから暫くして、症状の落ち着いた蘭花はゆっくりと立ち上がった。
「心配かけたわね。もう大丈夫よ」
言った蘭花に、小梅は泣きそうな顔をした。
「……蘭花様が、こんな風に苦しむことになったのは、あたしの責任ですっ」
「ええ?」
突然何を言い出すのかと、蘭花は目を丸くした。
蘭花は、自分を支える小梅の手を取って、優しく握りしめた。
「今回のことは、お前のせいではないわ。そうお兄様もおっしゃっていたじゃない」
でも、と続けそうになった小梅の唇に、蘭花は軽く手を当てた。
「もうこの話は終わり。まだ続けるっていうなら、今夜の夕餉は無しよ! それでもいいの?」
小梅はぶんぶんと勢いよく首を左右に振った。
蘭花は、小梅の手を借りて立ち上がると、木彫りの窓枠を触った。隙間の向こうに降り積もった雪が見えるが、再び頭が痛くなることはなかった。だが、ふとあるものが頭に浮かんだ。
「蝋梅……蝋梅は咲いているかしら……?」
蘭花の呟きを聞き取った小梅が、御華園に行けば見ることができると言った。
「……私。蝋梅を見に行ってくるわ」
言って、綿入りの外套を要求した蘭花に、小梅は狼狽える。必死に止めようとする小梅を宥めすかし、蘭花は外套を身にまとうと、傘をさして部屋を飛び出した。
「まあ。なんて綺麗なの」
雪をかぶった蝋梅の黄色く小さい花は、雪を通して花弁が透けて見え、まるでべっ甲細工のようだった。
蘭花は蝋梅の細枝を手折ると、胸いっぱいに香りを嗅いだ。
「甘くていい香り」
ふふっと微笑んで振り返った先に、
「ちょうどいいところに、鞦韆があるじゃない」
蘭花は傘を閉じてそこら辺に立てかけ、鞦韆の椅子に積もった雪を手で払い、外套を着たまま鞦韆に乗った。
蘭花は鞦韆をゆらゆら揺らしながら、蝋梅と雪景色を楽しむ。かじかむ手にはぁっと息を吹きかけ、
「――どこの天女が雪景色を楽しんでいるのかと思ったら、あんただったか」
蘭花の前に気だるげに現れた少年は、白髪の髪を団子に結い上げ、簪の替わりに
(白髪に赤い瞳。……白氏の王子ではないわね。でも、着ている常服袍は上等なものだわ。そして、御華園に立ち入ることのできる身分の持ち主……親王の御子息かしら?)
蘭花は足で鞦韆を漕ぐのを止めると、少年を見上げて頭を
「どなたかしら?」
少年は名をに訊ねられるとは思っていなかったらしく、ポカンとしたあとで顔を引きつらせた。
「はあ? 何言ってんだ、あんた。ついこの間、会ったばかりだろうが」
「あら。そうだったの」と、蘭花は口元に手を当てた。
「ごめんなさい。私、き……物忘れが激しくて」
おほほ、と笑った蘭花を見て、少年は呆れたような表情を浮かべた。
「激しい、なんてもんじゃないだろ……病か?」と、少年はつぶやくが、蘭花の耳には届かない。少年は、顎に拳を当てて暫し考え込み、蘭花を一瞥する。
蘭花はにっこりと笑って片手を振ってみせた。
「あ〜も〜、なんだよこいつ。本当に調子が狂う女だな……」
と言いながら、少年は頭をがしがしと乱暴に掻くと、吹っ切れた様子でニヤリと笑った。
「……まあ、いい。『記憶喪失
蘭花はクスリと笑った。
「遊戯って……面白いお方ね」
言って、蘭花はパン! と手を叩いた。
「じゃあ、まずは自己紹介からね。私の名前は――……小蘭。小蘭よ。あなたのお名前は?」
「……俺は
「軒様ね。どうぞよろしく」
言って、蘭花は鞦韆から降り、膝を軽く曲げて挨拶をした。
「『様』はいらない。あんたに様付けされると鳥肌が立つ」
本気で嫌そうな顔をする軒を見て、蘭花はぷくっと頬を膨らませた。
「まあ。失礼な人ね。じゃあ、軒って呼ぶことにするわ。その代わり、私のことも小蘭って呼んでちょうだい」
「……おう」
軒は不承不承といった感じで頷いた。