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第11話 酉施楼 壱

「……約束の場所って、ここで合ってるわよね?」


 箱馬車の窓から顔を覗かせた蘭花は、交領えりの合わせ目から文を取り出した。


の刻。北里ほくりの南曲、酉施ゆうし楼にて待つ』※現在の10時。


 文から視線を外して『酉施楼』と書かれた看板を確認すると、蘭花は文をしまって、同乗している小梅を見た。


「それじゃあ、行ってくるわね。うまの刻になったら迎えに来てちょうだい。もしもの時は、事前に打ち合わせした通りにお願いね」


 そう言うと、小梅は心配そうな表情を浮かべて、蘭花の衣の端をきゅっと握った。


「蘭花様。本当にお一人で参られるのですか? やっぱり危険すぎます! あたしも一緒に」


「駄目よ、小梅。ちゃんと話し合ったでしょう? 私一人で来いって指示されてるの。なのに、おまえを伴って行けば、何をされるか分からないわ。……お願いだから、言う通りにしてちょうだい。ねっ?」


 小梅の両手を握って微笑みかけると、彼女は蘭花の瞳を真っ直ぐに見つめたあと、しぶしぶといった感じで頷いた。


「それじゃあ、またあとでね」


「くれぐれもお気をつけて……!」


 蘭花は馬車から降りて地に足をつけると、被りかさから垂れる長いうすぎぬをわずかにめくり、朱色の柱と緑の塗り壁の華やかな建物を見上げた。


「まさか、茶会の待ち合わせ場所に、妓楼を指定してくるとは」


 たしか、第三王子は、蘭花の三つ歳上だったはず。


「十五のくせに、ませてるわね」


 蘭花は、うすぎぬから手を放して顔を隠すと、酉施ゆうし楼の敷居をまたいだ。


 しかし、玄関広間には、誰の姿もない。


「あのー……ごめんくださーい……」


 口の横に手を当てて遠慮がちに声をかけてみるが、まったく反応がない。


「皆さん、まだ眠ってらっしゃるのかしら?」


 どうしよう、と頬に手を当てたとき、ぎしぎしと音を立てて階段を降りてくる人影が見えた。


 蘭花はパッと笑顔を浮かべ、その人物に声をかけようとしたが、手を上げかけた体勢のまま固まってしまう。


 気だるげな姿で現れた女性は、美しく結い上げた髪を乱れさせ、着崩した衣の合わせ目から、豊満でふっくらとした胸を覗かせていた。


 ふわぁとあくびをした女性は、蘭花の姿に気がつくと、しゃなりしゃなりと近づいてきた。


「あら、おひいさん。……もしかして、シェン様のお客人かい?」


 声をかけられて我に返った蘭花は、うすぎぬを握りしめながら、こくこくと頷く。


 女性は蘭花を値踏みするように、頭の天辺から足の爪先まで観察すると、「ふぅん」と言って身をひるがえした。


シェン様なら奥の部屋にいらっしゃるよ。アタシが案内してあげる。ついておいで」


「えっ? あっ、あの……!」


 狼狽える蘭花を振り返ることなく、妓女は再び、しゃなりしゃなりと歩き出してしまう。


 蘭花はきょどきょどと視線を彷徨わせると、ごくりと生唾を飲み込んで、妓女のあとを追った。


 よく磨かれた板張りの床を真っ直ぐに歩いていくと、小さな池のある中庭にさしかかった。

悠々と鯉が泳ぐ池の上には橋がかかっており、妓女と蘭花はその橋を渡る。そうして再び、板張りの床を進んだ先に、目的の部屋はあった。


「ここが軒様のお部屋さ」


 その言葉にこくりと頷くと、

「それじゃあ、アタシはこれで」と言って、妓女はもと来た道を戻って行った。


「……ここからは、私一人ってわけね」


 蘭花は、精緻な飾り彫りが施された扉の前で大きく深呼吸をする。


 ――実を言うと蘭花は、第三王子の白軒虎バイシェンフーと、面と向かって話したことが一度もない。


(宴や式典で遠くから見たことはあるけれど、顔を合わせたことすらないのよね。……逆行前は、特に興味もなかったし)


 ふぅと息を吐いて、いざ! と戸口に手をかけようとしたところで、勝手に戸が開いた。


「きゃっ」


 驚いた蘭花が顔を上げると、うすぎぬ越しでもはっきりと見えた、柘榴ざくろのように赤い瞳と目が合った――ような気がした。


「なにをちんたらしている。さっさと入れよ。偽物公主」


 そう言うと、赤い瞳の男――白軒虎バイシェンフーは、気だるげに部屋の奥へと戻っていく。


 蘭花はポカンとしたあと、ハッと我に返り、怒りに肩を震わせた。


(なんて無礼な人!!)


 蘭花は捨てるようにして被り笠を脱いで、部屋に入り扉を閉める。


「好きなところに座れよ」


 軒虎はこちらを一瞥もせず、結い上げた団子髪から煙管を抜き取った。


「……ちょっと。そっちから呼び出しておいて、その態度はなんなの? 失礼にも程があるわ」


 蘭花が手に力を込めると、持っていた被り笠がミシミシと音を立てた。


「気の短い女だな。それが壊れると困るのはあんただぜ。その髪と目をさらしたまま出歩くつもりか?」


 言って、軒虎は先端の雁首に刻み煙草を詰め、火入れの炭で火をつけた。


「フゥー」


 軒虎は一服すると、格子がはまった硝子の窓を開け放ち、その窓枠に腰掛ける。――初めて真正面から対峙する軒虎は、老人のような白髪と紅味を帯びた深い赤色の瞳をした、十五歳らしくない大人びた少年だった。


 蘭花はフンと鼻を鳴らして手近な椅子を引いて座り、足元に被り笠を立て掛けた。


「――それで? 私はお茶会に誘われたはずなんだけど、妓楼ここではどんなお茶を楽しめるのかしら?」


「なぁ、あんた。それ、本気で言ってんの?」


 冷笑を浮かべた軒虎は、窓から離れて卓の近くにくると、蘭花に向かってフゥーと煙を吐き出した。


「えっ、な……っ! ごほっ、ごほっ! ……ちょ、ちょっと、あなた……っ! なにするのよっ」


 蘭花は涙目になって煙を払いながら、キッと軒虎を睨みつける。すると軒虎は、したり顔を浮かべた。


「なにって。煙草の味を楽しませてやったんだろ?」


「そんなことを頼んだ覚えはないわ!」


 軒虎は肩を竦めると、煙管を灰吹きのふちに叩いて灰を落とし、簪のように頭上の団子に差し込んだ。


「あんた。妓楼ここにのこのこと一人でやってきて、本当に茶を飲んで帰るつもりなのか?」


「そのつもりだけど」


 蘭花はツンとした態度をとる。軒虎は「プッ」と吹き出して、蘭花の腕を掴んだ。


「ちょっと。何するのよ」


「何って、こうするんだよ」


 軒虎はニヤリと笑い、蘭花を強制的に立ち上がらせた。そして軽々と、蘭花を横抱きに抱えると、そのまま寝台へと向かう。


「えっ。ちょっと、まさか……うそでしょう!?」


 ようやく何を目的に妓楼に呼ばれたのか理解した蘭花は、手足をばたつかせて必死に抵抗する。だが、所詮蘭花は十二歳の非力な少女だ。武芸で鍛えあげられた、軒虎の力に勝つことは出来ない。


 結局蘭花は、軒虎の腕の中から逃れることができず、放り投げるように寝台の上に落とされた。


「きゃあっ」


 乱暴に寝かされた蘭花は、混乱しながらも、すかさず身体を起こした。しかし、寝台に上がってきた軒虎に手首をつかまれ、布団の上に縫い付けられてしまう。それでも足をばたばたと動かして抵抗したが、股の間に膝が割り込んできて、まったく身動きが取れなくなってしまった。


「や、やめて……お願い……」


 蘭花は全身から血の気が引いていくのを感じ、全身をガクガクと震わせながら懇願する。


「……そんなそそる表情かおをして。それで抵抗しているつもりか? ……俺には誘っているようにしか見えないけどな」


 クックッと笑った軒虎は、蘭花の両手を片手で押さえ込み、深衣の合わせ目に手を掛けた。


「いやっ! やめてよ! 後生だからぁ……っ」


 髪を振り乱して懇願するも虚しく、グイッと交領えりを開かれ、蘭花のふっくらとした胸が露わになる。


「ふーん。ガキのくせに結構なモノを持ってるじゃないか」


 軒虎は感心したようにつぶやくと、蘭花の首元に顔を近づけ、雪のように白い肌に吸い付いた。


 ちゅっちゅっと肌に吸い付く音を聞きながら、蘭花は呆然と涙を流す。


(……たすけて)


 蘭花が無抵抗なのをいいことに、軒虎の愛撫が大胆なものになってくる。


(明杰……たすけて……っ)


 ついに蘭花の胸へと、軒虎の手が伸びたとき――


 大きな音を立てて、部屋の扉が開いた。

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