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第7話 作戦会議 参

「そんな……! 私はどうすれば……?」


 明全は、タン! と机を叩いた。


「その者達の権力と財産を、己のものとして使うのです」


 蘭花はハッとする。しかし、


「……その者達は、私に見返りを求めるはずです。でも、私にはなにもない……」


 しゅんと肩を落とす蘭花の頭上に、わはは! と豪快な笑い声が降った。


「女王におなりなさい。そして無事、女王になられた暁には、その者達を取り立ててやればよろしい。彼らはあなた様から、金銀財宝を貰おうなどとは思っておりませぬ。将来、あなた様が女王になられたとき、高官に取り立ててもらうため――自身の立身出世のために、あなた様に投資するだけなのですよ」


「女王になる……そのために一歩一歩上り詰めれば、私の願いは叶いますか?」


 明全は不敵な笑みを浮かべて頭を下げた。


「すべて、あなた様の意のままに」


「……!」


 蘭花は笑顔を浮かべて、胸の前で両手を握りしめた。高揚した気持ちのまま、ぐっと目蓋を閉じる。


(お母様。生まれてくることが出来なかった弟。小梅と小菊。そして阿明。……私、やるわ。必ず、女王になってみせる。復讐を遂げてみせるわ!)


 ――ようやく道が開けた気がする。


 蘭花は笑みをたたえて、明杰を振り返った。


「ミンジェ――」


「私は承服できかねます」


 険しい表情を浮かべた明杰が席を立つ。そしてそのまま四阿から離れようとしたのを、蘭花はとっさに引き止めた。


「待って、明杰! どうして行ってしまうの?」


 蘭花が掴んだ明杰の手首は驚くほど冷たく、やり場の無い怒りに震えているようだった。


「……明杰。あなた、怒っているの……?」


「っ、」


 明杰は、拳をさらに強く握りしめると、ためらう事なく蘭花の手を振り払った。


「きゃあっ」


「蘭花様!」


 均衡を崩した蘭花の身体は、盆を手放した小菊の胸に抱きとめられて、事なきを得る。石畳の上に、割れた陶器が散乱しているのを見て、蘭花は背後を見上げた。


「……小菊……戻ってきたのね」


「はい。ただいま戻りました。しかし蘭花さま。この状況はいったい……」


 状況を飲み込めず、不安そうにする小菊に支えられ、蘭花はよろりと立ち上がった。


「明杰! 蘭花公主になんと無礼なことを! 今すぐ、膝をついて頭を下げよ!」


 明杰は、顔を半分だけ後ろに向けると、顔を赤くして怒る明全を睨みつけた。


「……師父は私に、清廉潔白であれと教えてくださいましたね」


「ああ、そうだ」


「ならばなぜ! 権力者にびる奸臣かんしんのようなお言葉を口になさるのですか!」


 泣き叫ぶように放たれた言葉の刃は、明全ではなく、蘭花の心に深く突き刺さった。すると、蘭花の心に呼応した空が、鉛色に塗りつぶされていく。それから幾ばくもなく、さみだれのような雨が降り出した。


 明杰は、ゆっくりとした足取りで四阿の外へ踏み出すと、雨をその身に受けながら、


「蘭花。この雨は君の涙なんだね」


 と言って、傷ついた表情を浮かべた。


 蘭花には分かった。――この男も、自分と同じ涙を流しているのだと。


(あなたも傷ついているのね、明杰。だったらどうして、私と一緒にいてくれないの? どうして急に、私から離れて行こうとするの……?)


「……明杰よ。お前は、蘭花公主を愛しているのではなかったのか?」


「愛しています。いまも変わらず」


 苦しそうな声音だったが、雨音の中でもはっきりと聞こえた「愛している」の一言に、蘭花は涙が出そうなほど胸が締め付けられた。


「であれば、なにゆえ離反しようとする? お前の大切なお方が、ようやく日の目を見るのだぞ? なぜそれを喜ばぬ!」


 雨脚が強まり、明全の怒号が雨音にかき消されていく。


「明杰」


 囁くような蘭花の声に、明杰はゆっくりと振り向いた。


 雨に打たれているせいで、几帳面に結ってあった黒髪は、ところどころ崩れて頬に張り付いている。そして健康的な色をしていた肌は青白くなり、唇は紫色に変色していた。――このままでは風邪を引いてしまうだろう。


 けれど、蘭花の雨が止む気配はない。


 言葉を発することなく、蘭花と明杰は見つめ合う。そして――


「っ、……ミンジェ……」


 先に視線を外したのは明杰だった。


 明杰は藍色の瞳を暗くして、迷うことなく蘭花に背を向けた。


「すまない、蘭花。私は、清廉潔白なままでいたい」


 そう言って四阿から遠ざかって行く明杰の背中を、蘭花は涙を流しながら、目に焼き付けるように見つめ続けた。


 ……どれくらいの間そうしていただろう。


 永遠に止まないかと思われた雨が小雨になった頃。蘭花はよろよろと歩き出し、汚れたころも姿のまま、四阿の椅子に腰を下ろした。


「――貴重な時間を無駄にしてしまいましたね。では、師傅。欽天監の件についてですが、あなたに任せてもよろしいですか?」


 まるで、何事もなかったかのように喋り始めた蘭花の姿は、見る目にも痛ましい。


「蘭花様……」


 くしゃりと表情を崩した小菊に気がついた蘭花は、


「ああ、そうだったわ。小菊。怪我はない?」


 と言って、精巧に作られた人形のように美しい微笑みを浮かべた。


 小菊はその笑みに薄ら寒さを感じながら、こくりと頷いた。


「そう。ならよかったわ。申し訳ないのだけれど、もう一度、お茶を入れてきてもらえる?」


 若干十二歳だとは思えない気迫を感じながら、小菊は、


「かしこまりました」


 と言って、軽く膝を曲げた。そして、足元に散らばる茶道具を片付けると、頭を下げてから四阿を後にした。


 小菊が去ったあと、四阿に残った蘭花と明全だったが、お互いに向き合ったままどちらからも言葉を発する気配はない。


 さてどうするかと、明全が手慰みに髭を触ったのを皮切りに、蘭花が口を開いた。


「師傅。先ほどの返事は、」


「ああ。おまかせくだされ。こちらで上手く手を打ちましょう。それから、欽天監が関わったと思われる、明杰と白蘭玲公主の婚姻についてですが……」


 蘭花は、はらりと垂れてきた銀髪を耳にかける。


「明杰と白蘭玲公主の婚姻の目的は、明杰を王太子殿下から引き離すことだったと思われます」


「ならば」


「はい。私が皇位継承者第一位になったことで、王太子殿下は私に継承権を譲ることになりしょう。そうなれば、殷氏が標的にするのは私になります。明杰と白蘭玲の婚姻の話は白紙に戻るでしょう」


 明杰は、ふむと頷いて、


「しかし、明杰は王太子殿下の春宮傅しゅんぐうのふですぞ。……もしかすると明杰の抵抗に合うかもしれませぬ」


 と言った。


 しかし蘭花は迷うことなく口を開く。


「全ては陛下がお決めになること。王太子殿下――お兄様はもともと王位に執着がありませんし、私が王太女になるのは、ほぼ確定したといってよいでしょう」


 明杰はフッと冷笑を浮かべる。


「殷氏の計略が白紙に戻りましたな」


「それはどうでしょう」


 すかさず否定の言葉を口にした蘭花に、明全は、


「……なにか心配事がおありで?」


 と訊ねた。


「心配事、というわけではありませんが……あちらにはまだ、劉賢妃と第三王子殿下という手札があります。私が逆行する前とは異なり、殷貴妃が王子の養母になる時期が早まる可能性がある以上、こちらも慎重を期する必要があるでしょうね」


「たしかに。……殷氏は狡猾こうかつな男ですからな」


 蘭花は頷くと、机の上に身を乗り出すようにして、明全を見つめた。


「師傅にお願いがあります」


「なんでしょう?」


「……必ず、お母様を守ってください」


 明全は片眉を上げた。


「蘭花公主ではなく、沈婕妤を……ですかな?」


 蘭花はこくりと頷くと、居住まいを正した。


「師傅がおっしゃられた通り、私は私が持つ全ての力を使って殷氏を討つつもりでいます。……その上で無責任なことを言いますが、私の身はどうなってもいいのです。私に群がる奸臣たちがどうなろうが知ったことではない。ですが、お母様や小菊たち……私の大切な人たちには、一片たりとも傷ついてほしくありません。ですから、師傅。あなたには、お母様の後ろ盾になっていただきたいのです」


 視線が交錯する二人の間を、ビュウ、と風が過ぎ去る。


 蘭花は瞬きをせず、強い眼差しを明全に向け続けた。そして、目をそらすことなく蘭花の視線を受け止め続けた明全は、フッと口元に笑みを浮かべると鷹揚に頷いた。


「師傅……! ありがとうございます!」


 ようやく年相応の笑顔を見せた蘭花の姿に、明全はまなじりを下げる。


「それでは我が女王陛下。次の手はどのように?」


 蘭花は表情を引き締め、東の空を仰いだ。


「お兄様……第二王子殿下に会いに行きます」


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