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第6話 作戦会議 弐

 蘭花の言葉に明全ミンチェンは、


「以前はそれほどでもなかったが、ここ数年、陛下は欽天監きんてんかんの天象を信じ込んでおられる」


「そのようですね」


「それを利用する、ということだな?」


 蘭花はこくりと頷いた。


 すると明全は、「わはは」と笑いだし、茶壷ちゃふうを手に取って自ら茶を入れた。それから緑茶を一気にあおると、酒が入ったあとのように上機嫌になった。


小蘭シャオラン。そなた、そのような情報をどこで手に入れた?」


 明全は髭をさわりながら、急須を手に取った。


「お母様にお聞きしました」


「なるほど。シェン婕妤から。なるほどなるほど……」


 楽しげに茶を飲む明全だったが、茶杯を机に置くと、神妙な面持ちで口を開いた。


「沈氏の家門は没落して久しい。朝廷での権力を失い、家門からの援助もなく、寵愛のみでよくぞここまで……と思っていたが……」


 手の中で空になった茶杯をもてあそぶ明全に、蘭花は不安な気持ちを隠せない。


師傅ししょうがなにをおっしゃっているのか……私にも分かるように、説明していただけませんか?」


 すると明全は、音を立てて茶杯を置いた。


「外朝は国事。内定は王の私事。……私はそう教えたな?」


 蘭花と明杰は頷いた。


占卜せんぼくは、たかが占いと切り捨てることもできるが、されど占い。欽天監は官職。つまり、欽天監の予言は国事と言える。それを耳にできるだけの寵愛を得ているとは……蘭花。そなたの母君は――妲己だっきになるつもりか?」


「師傅!!」


 蘭花は机を叩いて勢いよく立ち上がった。


 怒りで顔を赤くする蘭花を見て、明杰は焦った顔を明全に向ける。しかし明全は、素知らぬ顔で蘭花を見つめていた。


 蘭花は呼吸を荒くして、ぶるぶると震える手を強く握り締めた。


「……師傅まで。師傅まで、お母様を女狐めぎつね呼ばわりするのですか……?」


「いいや」


 激しい怒りの炎を閉じ込めた金色の瞳が濃さを増し、縦長の瞳孔が更に縮まった。


「ではなぜ! お母様を侮辱したのですか!!」


 蘭花が言い放つと同時に強風が吹き荒れ、ビュウ! と音を立てて、明杰と明全の間を通り抜けていった。その風圧に耐えれなかった明全が、ぐらりと体勢を崩す。


師父しふ!」


 かしいで倒れそうになった明全の身体を、明杰がとっさに支えて事なきを得た。すると、今まで吹き荒れていた強風が途端に弱まり、スウッと明杰の肌をなでて消え去った。


「これはいったい……」


 そう言った明杰が明全を支えたまま顔を上げると、そこには、獣の耳と尾が生えた姿の蘭花が立っていた。


「ら、蘭花……?」


 明杰に呼ばれてハッとした蘭花は、混乱しながら自分の両手を目の前にかかげた。


「なに……これ……」


 白くすんなりとした指の爪は赤く色づき、まるで獲物を狩る獣のように、長く湾曲した鉤爪かぎづめへと変化へんげしていた。


(そんな、まさかこれは……!)


 蘭花は、身をひるがえして四阿あずまやを囲う手すりに手を置き、池を覗き込んだ。湖面に映ったのは、虎の姿に――部分的にだが――転変てんぺんした、半分獣で半分人間の蘭花の姿だった。


「――うそでしょう?」


 湖面を鏡変わりに、蘭花は顔の角度を変えながら、自分の顔をまじまじと見つめた。


 金色の瞳は黄金に輝き瞳孔は鋭さを増して、吊り上がった目元には、紅化粧を施したような文様が浮かび上がっている。


 そして、べにを塗ったようにあかく染まった唇からは、口内に収まりきらない発達した犬歯が二本、上顎から生えていた。


 信じられない光景を、ぼうっと見つめていた蘭花は、タンタンと机を叩く音に振り返った。


「小蘭。……いえ。バイ蘭花公主」


 そう言って明全は、石畳に両膝をついて、そのまま上体を前に倒した。


「転変、おめでとうございます」


「師傅……」


 蘭花は、夢でも見ているような心地で叩頭こうとうする明全を眺めると、はぁと息を吐いて居住まいを正した。


おもてをあげてください」


「感謝いたします」


 と言って顔を上げた明全に、蘭花は苦々しい顔を向ける。


「……師傅。私をわざと怒らせましたね?」


「はて。怒らせるとは……?」


 白々しい態度で押し通そうとする明全に、


「そちらがそういう態度を取られるのならば、私もそれ相応の態度をとらせていただきます」


 と言って、蘭花は右腕を空に掲げた。すると晴れていた青空がみるみる雨雲に埋め尽くされ、遠くでは雷鳴が轟いている。


「ほほう。早速、天候を操りなさるか」


「お母様を侮辱したこと。謝ってください」


 明全と蘭花の視線が交錯する。そして――


「沈婕妤の慈悲深さは有名……にもかかわらず、その名声を貶める発言をしてしまったこと。誠に申し訳ありませぬ」


 再び叩頭した姿を見て、蘭花はようやく溜飲が下がった。すると、蘭花の感情に呼応して、雨雲は消え去り、青空が広がった。そして、蘭花の転変も解ける。


 蘭花は、元に戻った自分の両手を不思議な気持ちで眺めた。


「初めて転変なされたご感想はいかがですかな?」


 明杰の手を借りて立ち上がった明全に、


「こんなものか、と」


 想像していたよりも大したものではなかった。蘭花がそう言うと、明全は、わははと笑い声を上げた。


「我らが蘭花公主は、豪胆であらせられる!」


 ぽん! と膝を打った明全は、椅子に座って茶杯を手に取った。


「お茶のおかわりをいただけますかな?」


 蘭花は苦笑いを浮かべて、その場に小菊を呼んだ。


「蘭花様……っ」


 蘭花の側に戻ってきた小菊は、「蘭花様、まさか」と息を弾ませたが、蘭花が困った顔を向けると口をつぐんだ。


「……詳しいことは、朧月堂に戻ってから話すわ。小菊。お茶を入れてきてくれる?」


「……かしこまりました」


 小菊は軽く膝を曲げてお辞儀をすると、茶道具をのせた盆を持って、静かに下がっていった。その姿を見送った蘭花は、身をひるがえして椅子に座り、明全に向き合った。


「それでは、師傅。説明していただけますか?」


 明全は背筋を伸ばして顎髭を触りながら、


「己の命をかけるための理由が欲しかったのです」


「……それが私の転変だと?」


 明全はこくりと頷いた。


「これで私も覚悟が出来ました。欽天監の件。私がなんとかいたしましょう」


 蘭花は明杰と顔を見合わせて笑顔を浮かべた。


「しかし、条件がございます」


 喜びもつかの間、蘭花は怪訝な顔を明全に向ける。


「……条件とはなんでしょう?」


 ――この好々爺然とした男は、なにを要求するするつもりなのか。


 警戒の色を濃くした蘭花に、明全はほうの袖口を合わせ、頭を下げた。


「蘭花公主には、女王になっていただきたく」


「な……っ」


「師父!!」


 これまで黙って、ことの成り行きを見届けてきた明杰が、勢いよく立ち上がった。そのまま詰め寄ろうとした明杰の動きを、明全は片手を上げて制す。


「まあ、私の話を聞きなさい」


 言われた明杰は、納得できないといった表情を浮かべながら、渋々の動きで椅子に腰を下ろした。


「まずは、蘭花公主。おめでとうございます。これでようやく、敵と同じ土俵に乗ることができました」


「……どういうことでしょう?」


「誠に僭越ながら、あなた様には、殷氏と戦うだけの権力も後ろ盾もありませんでした」


 耳に痛いことを言われ、蘭花は苦笑するしかない。


「陛下の寵愛に頼り切った状態で、本当に復讐を成し遂げられると思っていらしたのですかな?」


「それは……」


「権力も後ろ盾も、財産もない一介の公主に、欽天監を丸め込めると? あなた様の師傅とはいえ、勝ち目のない戦いに、私が喜んで身を投じるとでも思っていたのですか?」


 蘭花は言い返すこともできず、衣をぎゅっと握りしめる。――自分の浅はかさに恥じ入るしかない。


「……しかし、あなた様は転変なさった。先程の天象は蘭花公主の転変によるものだと、すぐにでも宮中に広まるでしょう。これであなた様は、偽物の公主という存在から、王位継承権第一位の尊い存在になられました。価値ある存在は権力にも財産にもなる。おそらく、その権力――あなた様におもねろうとする者達が、ひっきりなしに訪れることでしょう」

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