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第5話 作戦会議 壱

 明杰ミンジェと会った日から数日後のひつじこく。※現在の14時。


 蘭花は、御華園ぎょかえんの一角にある四阿あずまやで、人工的に作られた池の中で悠々と泳ぐ鯉たちを眺めていた。


「……自分たちは自然の中で、自由に生きていると思っているのでしょうね」


 ――ここが作られた囲いの中だとは知らずに。


(逆行する前の、何も知らない無邪気な自分を眺めているようで……息苦しいわ……)


 蘭花は強く目を瞑ると、池からふいっと視線を外し、小菊シャオジュが用意してくれた菓子を摘んだ。


 小梅シャオメイが作ってくれた栗と乳酪にゅうらくの点心は、蘭花の好物である。


 逆行してから数日が経過した今も、蘭花の食欲は戻らない。そのことを心配した小梅が、わざわざ作ってくれたのだ。


 一口大に美しく丸められた点心を、栗鼠リスのように前歯でかじる。するとほろりと崩れた欠片が舌の上に乗り、乳酪でしっとりとした栗の食感が、蘭花を自然と笑顔にさせた。


「……おいしい」


 蘭花の言葉を聞いた小菊は、いつも無表情な顔にかすかな笑みを浮かべ、


「もっとたくさんお召し上がりくださいな」


 と言って、茶杯ちゃはいに緑茶を注いでくれる。香ばしく仄かに甘い香りが風に運ばれ、蘭花の鼻腔びこうにふわりと広がった。


西湖龍井シーフーロンジンの香りね」


「はい。栗の点心に合うかと存じます」


 蘭花は茶杯を手に取り香りを楽しむと、飲み口に口をつけて温かい茶をこくりと嚥下えんげした。すると、さわやかな渋みが味蕾みらいを刺激し、のどの奥から甘く華やかな香りが口の中に広がった。


「甘くて美味しい点心と、味わい深い茶の組み合わせは偉大だわ。だって、こんなにも幸せな気持ちになれるんだもの」


 そう言って、再び点心をかじった蘭花の姿を見て、小菊が珍しくころころと笑った。


「ついこの間まで、乳菓子と乳茶ツァイがお好きでしたのに。突然、大人になられたようですね」


 蘭花はドキーッとして、思わずむせそうになってしまい、慌ててお茶を飲み干した。


(しゃ、小菊は鋭いところがあるから……小梅を連れてくればよかった……!)


 蘭花は小菊にお茶のおかわりを頼むと、「んんっ」とわざとらしく咳払いをして、何事もなかったかのように食べかけの点心を皿の上に置いた。


「お、お母様にも言ったけれど、私はもうお嫁に行ける歳なんだからっ。嗜好しこうだって変わるわよっ」


「そうでございますか?」


「そうよ!」


 これでこの話はもうおしまい! と片手を振ると、小菊は楽しそうに微笑みを浮かべて、淹れたての茶を机の上に置いた。そして、ちょうどそのとき、蘭花の待ち人――明杰と明全ミンチェンが現れた。


「明杰! 師傅ししょう!」


 勢いよく椅子から立ち上がると、蘭花は大輪の笑みを浮かべて、明全に駆け寄った。そうして明全の前で立ち止まると、礼儀正しくお辞儀をする。それが済んでから、蘭花は笑顔で頭を上げた。


「師傅。お久しぶりです! お元気でしたか?」


 そう蘭花が訊ねると、ひとえほうを羽織った、好々爺然こうこうやぜんとした初老の男性――明全が笑顔で頷いた。その後、膝をついて礼を尽くそうとした明全を、蘭花は慌てて止めた。


「師傅! おやめください! 私は、師傅の弟子なのですから!」


「しかし、本日は『男装』をなさっておられません。ですから、弟子ではなく『蘭花公主』に対する礼を――」


師父しふ! 硬いことを言わずに。このままだと日が暮れてしまいますよ!」


 明杰にいさめられた明全は、渋々といった様子で、軽い挨拶をするにとどまった。


 相変わらず融通が利かない明全に、蘭花と小菊は苦笑しながら、二人に席を勧める。二人が椅子に座ると、小菊が手際よく茶を出した。


「小菊、ありがとう。三人で大事な話をするから、少し離れていてくれる?」


「かしこまりました」


 と言って、小菊は、四阿から離れたところに控えた。


「師傅。お休みの日にご足労いただきありがとうございます」


「いいえ。とんでもない。蘭花公主のお召しですから」


 へりくだった態度を崩さない明全の様子を、蘭花は困った顔で眺める。


「師傅。明杰から話をお聞きになりましたよね? 本日はその件でお呼びしたのです。できれば、時間は有効に使いたいわ。そのためにも、私のことは『弟子の小蘭シャオラン』として接してください。……これは命令です」


 そう言うと、明全はようやく納得した様子で頷いた。


「小蘭。話は明杰から聞いた。信じられない内容だったが、小蘭が嘘をつくはずがない。……ひとりで大変だっただろう。辛い思いをしたな」


「師傅……」


 明全の蘭花を気遣う温かい言葉に、思わず涙腺がゆるみそうになる。


 必死で涙をこらえる蘭花に優しい眼差しを注いだ明全は、湯気の立つ茶器を手に取りズズッと茶をすすった。そして、茶器を机に置くと、机の上で指を組んだ。


「さて。話し合いという名の作戦会議ということだが……お前たちは何をするつもりだ?」


 蘭花が明杰に目配せすると、明杰はこくりと頷いた。


「蘭花の話によれば、殷氏が動き出すのは、これからおよそ半年後。そして、最初に行われるのは、私と白蘭玲公主の婚姻です。ですからまずは、私の婚姻を阻止することが目下の目標になります」


「阻止する、か。なんとも簡単に言うが、お前の婚姻は陛下の勅命によるものだろう? どうやって陛下のご意向を覆すというのだ」


「それは……」


 言い淀む明杰を見て、明全は鼻を鳴らした。


「お前が、私を頼るということは、自分では成せないことをやらせる為だろう? おおかた、陛下へ奏上してほしい、といったところか」


「全てお見通しでしたか」


 明杰がポリ、と頬を掻くと、明全は「当然だろう」と口の端を上げた。


「しかし、明杰よ。陛下からの勅命は、まだ下っておらぬのだぞ。なにをもって奏上する? それに、どのような経緯で、殷氏が勅命を拝したのかもわからぬ」


 もっともな意見に、明杰が苦笑いを浮かべる。


「一応、二つほど策を考えてみたのですが、聞いていただけますか?」


 明全は茶杯を手に取り頷いた。


「まず一つ目ですが、陛下に蘭花との婚姻を認めてもら――」


「馬鹿者っ!」


「なに言ってるのよ!」


 明全と蘭花は、それぞれ違う理由で顔を赤くしながら声を上げた。


「え。駄目、ですか?」


 真面目な顔をして首を傾ける明杰を、残念な生き物を見るような目でみた明全は、握りしめていた茶杯を机に置いた。それから、顔を赤くしている蘭花に向き直ると、


「明杰の一つ目の策とやら。……小蘭はどう思う?」


「……私、ですか?」


 突然、水を向けられた蘭花は、心を鎮めるために、目を閉じて大きく深呼吸をした。どうにか、気持ちを落ち着けることに成功すると、蘭花は真っ向から明全を見据えた。


「愚策です」


「うぐっ!」


 目の前で胸を押さえて苦しむ明杰の姿を見ないようにして、蘭花は口を開いた。


「まず。私が目標としているのは『復讐』です。有り体に言えば、殷氏を滅ぼそうと思っています」


 明全は顎の髭を触りながら、「続けなさい」と言った。


「明杰の婚姻の阻止が目標であれば、明杰の策でも構いません。ですが私は、復讐を遂げたいのです。……昨日、明杰と話し合いましたが、どうやらこの一連の事件には、ラウ賢妃も関わっている様子」


 明全は、親指と人差し指の腹で顎先をなでる。


「ふむ……劉賢妃が第三王子殿下の養母になれるように、陛下に推薦したのは――たしか、殷貴妃だったはず。そのとき殿下は、」


「まだ赤子でございます。……私もまだ、生まれておりません」


 もう過ぎてしまったことだが、第三王子の母親は、殷氏の手にかかったのだろう。


 やるせない気持ちを抱えながら、蘭花は、


「殷氏の謀略は、第三王子殿下を劉賢妃が養育するところから始まっているのです。……たとえ、本当に、私と明杰の婚姻が成立したとしても、殷氏は別の手段で王太子殿下をしいすことでしょう」


「第三王子殿下は御年十四。……十四年余をかけて練った謀略を、殷氏が簡単に諦めるわけがない、か……」


 この程度のこと、明全ならばとっくに見抜いていただろうと思いながら、蘭花は頷いた。


「師傅。殷氏を野放しにしておけば、この三年の間に同じことが繰り返されるでしょう。ですから私は考えました。まずは、欽天監きんてんかんを味方につけたいと思います!」

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