「いやぁーーっ! お母さまぁーーっ!」
母――
その光景は恐ろしくも美しく、まるで、狂い咲いた梅の花びらが舞い散る姿に似ていた。
そうして血と雪の花びらは花見客を酔わせるように、甘く爽やかな香りを撒き散らしながら、沈氏の命と共に散っていった。
――初雪が降った日。
第四
物々しい足音が
蘭花と沈氏は、震える身体を寄せ合い、息を殺していた。
やがて足音は門の前で止まり、怒号と共に門戸を打ち壊し始める。
そうやって数十人もの
「何事です!? ここが沈
「無礼な! ここには、第四公主の蘭花様もおわすというのに!」
侍女たちが口々に喚き立てると、睨みを利かせる衛士たちの間から、巻物――黄色地に金糸で刺繍が施されている――を持った
陛下の御前に仕えている太監が、『
現状に納得がいかなくても、不安を抱えていても、聖旨の前ではひざまずいて
蘭花たち一行は、よろよろと石畳の上にひざまづいた。
聖旨の内容が読み上げられる。
「陛下の
が、その内容は事実無根の驚くべきものだった。
「……私が、陛下の娘では……ない……?」
頭を下げることも忘れ、蘭花が呆然としている間に、沈氏が太監に追いすがる。
「わたくしは密通などしておりませぬっ! 蘭花は正真正銘陛下のお子でございます! なにかの間違いです! こんな……ありえないこと……。これは……これは陰謀……陰謀に違いありません……!!」
白く細い腕のどこに眠っていたのか、沈氏は凄まじい力で太監服の裾を握りしめる。
「それは私が判断することではございません。私は陛下のご意思をお伝えしたまで。あまりしつこくなさるようならば、その場で切り捨ててもよいとのご命令を
太監の言葉に、ただでさえ白かった沈氏の顔色が、白を通り越して真っ青になる。
「そんな……嘘だわ! 陛下がそんなことをおっしゃられるはずがないっ!!」
滝のように涙を流し髪を振り乱して反論する沈氏を見て、太監は額の汗を拭いながら、やれやれと首を左右に振って
「――誰か」
太監の指示に従った衛士が、太監にすがりついたままの沈氏を、荒々しく引き剥がそうとする。
しかし、沈氏の意思は強く、太監から離れようとしない。
やがてしびれを切らした気の短い衛士の手にかかり、沈氏は正面から
「いや……嘘よ、ねぇ、お母様……おかあさま……? ……ぅ、あ……うぅ……っ、いやぁーー! お母さまぁーー!」
しんしんと雪が降り積もる中、キンと冷え切り澄んだ空気が、蘭花の慟哭を響き渡らせた。
(お母様が死んでしまった……)
だというのに、蘭花は
付き人は
蘭花は第四公主を語ったという謂れのない罪によって、身分を剥奪され、死ぬまでこの部屋から出ることは許されない。
「……太監も官女も
……そうなるくらいなら。
「そんな
蘭花は、扉の横に置物のように突っ立っている官女に声をかけた。
「ねえ、あなた。頼みがあるのだけど――」
そうして、官女に用意させた毒杯を煽り、蘭花は十五年の短い生涯に幕を下ろした。
……はずだった。
「……お母様のお好きな香りだわ」
そうつぶやいて目を開けると、
「ここは……私の寝台……? あれ……私、死んだはずじゃ……?」
天蓋を眺めながら混乱していると、桃色の
「蘭花様。お目覚めですか? 今日は良いお天気ですよ」
帳を寝台の端で束ねながら快活に話すのは、蘭花付きの侍女――
「どうなさったんですか、蘭花様。先程からぼうっとして。それになんだか顔色が悪いです」
「えっ。そ、そうかしら?」
蘭花は自分の頬に手を当ててみた。すると、驚くほど指先が冷えていた。
「……蘭花様。やっぱりお加減が悪いので?」
小梅は眉尻を下げて首を
(
その事実が嬉しくて、すぐにでも小梅に抱きつき泣き出したかったが、蘭花は涙腺が緩まないようにぐっと奥歯を咬みしめた。
(突然泣いたら心配させてしまうわ)
蘭花は気を引き締めると、心配そうにこちらを見ている小梅に、
「……大丈夫よ。ちょっと夢見が悪くて。大したことないわ」
と言って、にこっと笑ってみせた。
「さようでございますか」
ホッとした表情を浮かべた小梅から視線を外した蘭花は、自分の小さな手のひらを見つめながら口を開いた。
「ねえ、小梅。私って、いま何歳だったかしら?」
すると小梅は、一瞬きょとんとしたあとで、くすくすと笑いながらその場にしゃがみ込んだ。
「本当に、今日はどうなさったんですか? 蘭花様は
「十二歳……嘘でしょう……?」
蘭花は囁くようにつぶやくと、寝台から飛ぶように降り立った。
履物を履かずに
そして、台座に置かれた銅製の化粧鏡をひったくるようにして手に取り、おそるおそる覗き込んだ。すると、鏡に映ったのは、大きな黄金の瞳と絹糸のように艶のある銀髪。そして、つるりとした白皙のまろい肌――十二歳の蘭花の幼い顔だった。
「なんてこと……」
蘭花は、子どもらしく丸みを帯びた輪郭にそっと手を添えた。
(子どもの頃の姿だわ。私、本当に三年前に戻ってきたのね……)
信じられない思いで頬をなでていると、抱えるようにして持っていた重い鏡を、背後からさっと奪われてしまった。
「銅鏡は重いのですから。落としてしまわれたら危のうございますよ」
頭上に降り注いた、鈴の音に似た可憐な声に振り向くと、もうひとりの侍女――
「小菊……?」
「はい、なんでしょう?」
小菊は姿勢良く
(小菊……あなたも生きて……)
侍女の
(無残になぶり殺されたふたりが生きている……)
……ああ、もう、無理だ。
ついに、蘭花の涙腺が決壊した。
蘭花の大きな金色の瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
「ら、蘭花様!?」
「えっ! 蘭花様!? 突然どうなさったんですか!」
あわあわと慌てふためく小菊と小梅の姿を見て、蘭花は泣き笑いを浮かべると、
「なんでもないの。……なんでもないのよ」
と言って、手の甲で涙を拭い取った。
涙を拭きながら、すんすんと鼻をすする蘭花の姿を見て、小菊と小梅は顔を見合わせた。
「あの気のお強い蘭花様がこんなにお泣きになられるなんて」
「きっと余程怖い夢を見たのだわ」
頷き会う二人の姿に、本当に奇跡が起きたのだと、蘭花は胸が熱くなるのを感じた。
(この
――この機会を無駄にしてはならない。
(今から準備を整えれば、あの惨劇から逃れられるはず)
蘭花は夜着の合わせ目をぎゅっと握りしめた。
「……お母様たちを殺した黒幕を見つけ出して、必ず復讐してやるわ」
そのためには、まずは動き出さなければ。
(……
蘭花はさっそく、