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――夜。
僕がリビングで本を読んでいると、お風呂上がりの茜さんがやってきて、
「何読んでんの?」
と声をかけてきた。
僕はその表紙を茜さんに見えるように向けながら、
「今日友達になった子が書いた小説だよ」
「は? 今日?」
と茜さんは首を傾げて、
「それ、友達なの?」
「友達だよ。たぶん、これからも何度か来てくれると思うんだ」
「なにそれ、どゆこと?」
わけわからん、という顔の茜さん。
そこへ、珍しく自分から食器洗いをしてくれた真帆ねぇが戻ってきて、
「――あの時計ですよ」
「時計って……あぁ、あの壊れてた大きなのっぽの柱時計?」
そうですそうです、と真帆ねぇは頷いて、
「ついにあの時計が修理できたので、翔くんにお願いして、久しぶりにお店に出してもらったんです」
「へぇ、まさか直るとは思わなかったなぁ」
茜さんは感心したように目を見張り、
「あれって確か、もう直す部品もないし、時計を作った魔法使いの一家にも技術が伝わらなくて、時を超える理屈も何もかも、解らなくなってたんだったよね?」
「……なにそれ、そんな危ない魔法道具だったの、あの時計」
せめて理屈くらいは解っているものだとばかり思っていたけれど、まさかの理屈も何も解らない状態で使っていただなんて、正直僕には信じられなかった。
これだから、僕は魔法使いになりたいと思わないのだ。
いい加減でわりと適当。やってることは凄いのに、実はその魔法を使っている本人にすら、どうしてその魔法が使えるのか解らない、というのが日常茶飯事過ぎて、魔法使いというものが、どうにも僕の性格に合わなかったのだ。
夢を壊さないために、宮野首くんには、適当に答えておいたけれども。
宮野首くんがやってきたのは、真帆ねぇに頼まれていた古い魔法の柱時計の設置が終わり、試しに起動させてみた直後のことだった。
もちろん、最初僕は彼が誰なのかすぐには判らなかった。まさか起動してすぐに過去からお客さんがやってくるとは思わなかったし、それがあの僕と同い年の高校生作家だなんて思いもしなかったのだ。
僕は表紙に描かれた少年と若い女性のイラストを指さしながら、
「これ、僕と真帆ねぇがモデルだったんだよ」
「なにそれ、なんでそんなことに?」
マジマジと表紙のイラストを眺める茜さんに、僕は説明する。
「去年のいつごろだったかな? 隣町に住んでる僕と同い年の子が小説家としてデビューしたってニュースが流れてたから、ずっと気になってたんだよ。この間ようやくこの本を買ったんだけど、ほら、タイトルを見てみて」
そこには『魔法百貨堂 ~小さな魔法の物語~』というタイトル、そして作者の名前にはカタカナで『ミヤノクビマモル』と書かれていた。
「え、なにこれ。まんまうちのお店の名前じゃない」
「そう、そうなんだよ。物語も凄い既視感を覚えるようなことばっかり書かれてて、なんでだろう、たまたまかな、ってずっと不思議に思ってたんだ」
そこまで言ったところで、茜さんはなるほど、と両手を叩いて、
「あの時計を起動させたことで、過去と今が繋がったってわけね。作家になる前のその子がうちの店にやってきて、ここでのことをモデルに小説を書いてデビューした、そういうこと?」
「そう、そういうこと」
彼の名前を聞いた時、僕はすぐにこの事実に気が付いたのだ。
この小説を読む限り、彼は今後も何度かうちを訪れることになるらしい。
今日は僕が魔法を使えるという話をしたくらいだったけれど、他にもまだ話し切れていないたくさんの話が、短編集としてこの小説には描かれているのだから。
「ふうん。でも良いの? こんなこと小説に書かれちゃって、変にお客さん来たりしない?」
心配そうにいう茜さんに、真帆ねぇは三人分のお茶を注ぎながら、
「――大丈夫ですよ、そんなことにはなりません」
「なんで?」
首を傾げる茜さんに、真帆ねぇは、
「小説は小説、現実は現実。それくらい、たいていの人は解ってますから。私も軽くその小説に眼を通しましたけど、翔くんが魔法を使えたり、うちに小さな女の子が別にいたり、実際とはちょっと違うことが書かれてましたし。それに、わざわざ創作の中のお店が本当にあるか調べる人なんて、そんなに多くはいないと思います。特にうちは魔法のお店なんですよ? 現実的に考えれば、普通はそんなの誰も信じませんって」
「まぁ、それはそうだろうけど……」
「それに、ですよ?」
「それに?」
「もし本当にお客さんがたくさん来てくれたとして、それだけ儲かって良いじゃないですか」
「……なにそれ。真帆さん、そんなにお金ほしい人だったっけ?」
「別に、お金が欲しいわけじゃありませんよー」
と真帆ねぇは唇を尖らせつつも、
「でも、あって困るものではないでしょう?」
「へぇ、意外。真帆さん、あんまりそんなこという人じゃないと思ってたのに。ねぇ、翔くん」
僕もそれに対して頷きながら、
「もしかしたら、僕らの知らない真帆ねぇの裏の顔とかあったりして」
「例えば?」
「僕らに店を任せてどっかに行っているのも、実は魔法協会からの依頼とかじゃなくて、ただ単に一人旅を満喫しているだけだったりとか」
「え~! だったらズルいよ、真帆さん!」
笑って抗議する茜さんに、真帆ねぇはわざとらしく「ギクリっ」と口にしてぷぷっと噴き出すように笑い、
「これはこれは、次からは別の手を考えないと……」
と言って湯呑に口を付けた、その時だった。
「――っ」
突然、真帆ねぇの動きがピタリと止まった。
それはあまりにも不自然で。
「どうしたの真帆ねぇ」
「お茶、のどに詰まらせました?」
すると真帆ねぇは慌てたように湯呑を置き、口元に手をやりながら、
「……ちょっと、お花摘みに」
小さな声でそう言って、足早にリビングを抜けてパタパタとトイレの方へと駆けていった。
そんないつもとはちょっと違う真帆ねぇの後ろ姿を見送って、僕は茜さんに視線を向ける。
すると茜さんは眉間に皴を寄せながら、じっと廊下の方を見続けていて。
「――茜さん、どうしたの?」
「え? あぁ。うん」
と茜さんはふと我に返ったように僕に顔を向ける。
「何か気になることでもあった?」
「べ、別にそういうわけじゃないんだけど……」
言い淀み、唇に手をあてる茜さん。
しばらく黙っていたけれど、やがてゆっくりと口を開く。
「……もしかしたら近いうち、真帆さん、結婚するかも」
「――はい?」
僕は意味が解らず、「いやいやいや」とそれを否定した。
「だって、さっきもプロポーズされ続けたいって理由で結婚はしないって言い張ってたんだよ? シモハライさんも、わかったわかった、って感じで今回も引き下がって――」
「それはまぁ、そうなんだろうけど……」
言いながら、茜さんはもう一度廊下に視線を向けて、
「たぶんだけど、そのプロポーズも受けることになるんだろうなぁ」
「えぇっ? なにそれ、なんで? どうして? いったい、どういうこと?」
ワケが解らなかった。今の一瞬で、いったい茜さんには何がわかったのか。
どうして、突然そんなことに……?
困惑する僕に、茜さんは机の上に置いたあの小説を指さしながら、
「もしかしたらこの小説、私たちの未来を描いた予言書なのかもね」
「な、なんで? どういうこと?」
「だってあの柱時計がある限り、うちの店は過去とも未来とも繋がっちゃうんだもの」
「え、そ、そうなの? 過去とだけじゃなくて?」
真帆ねぇからは、過去と繋がるとしか聞いてないんだけれど――
そうだよ、と茜さんは頷いて、
「ってことはだよ? 当然、今わたしたちが居るこのお店よりも何年か未来のお店に、このミヤノクビくんが行っちゃう可能性もあるわけよ」
「そ、それって、つまり」
「さっき真帆さんも言ってたけど、この小説の中には今は居ない、小さな女の子のことが描かれているんだよね?」
その瞬間、僕は全てを悟ってしまった。
もしこの小説が僕の過去や今だけじゃなくて、未来のことも交えて描かれているのだとしたら――
「もう、わかったでしょ?」
「う、うん……」
それは、今まで想像もしていなかったことだった。
まさか、真帆ねぇとシモハライさんの間に――
「はぁ、間に合った……」
そこへパタパタと足音を立てながら、真帆ねぇが戻ってきた。
真帆ねぇは「えへへ」と笑いながら、
「いきなりお腹が痛くなっちゃうんですもの、焦っちゃいますよねぇ。すっきりすっきり」
何事もなかったかのように、再び湯呑に手を伸ばして口に近づけて。
「――え、あの、どうかしましたか? そんな目で私を見て」
茜さんは「あ、いえ」とはぐらかすように自身も湯呑に手を伸ばして、
「急にトイレに行くから、何かあったんじゃないかって心配してたんですよ。ねぇ?」
突然話を振られて、僕も慌てながら、
「あ、あぁ、うん。真帆ねぇ、もう大丈夫なの?」
すると、真帆ねぇはアハハっとわざとらしく笑ってから、
「大丈夫ですよ! 出すもの出したので、もう平気です!」
いつもだったら「汚いこと言わないで」と突っ込みを入れるところだったけれども、僕も茜さんも、それ以上何も言えなかった。
何となく僕も湯呑に手を伸ばして、三人して、ずずっと音を立ててお茶を飲む。
真帆ねぇはそれから目を伏せるようにして、机の上に置かれた小説を眺めながら、聞こえるか聞こえないかくらいの、本当に小さな声で呟いた。
「――小さな魔法、か」
……魔法百貨堂 ~小さな魔法の物語~・了