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第3話

   2


 その少年の名前は堂河内翔といい、僕と同じ高校二年生、十七歳だった。親戚であるこの家に居候させてもらいながら、近くの高校に通っているのだそうだ。店主である楸真帆さんは昨日から出かけているらしく、帰ってくるのは明日以降なのだという。


 彼の顔を見つめながら戸惑っていた僕に、堂河内くんがそう教えてくれた。


「一応、ある程度は僕も真帆ねぇから魔法道具の扱い方を教えてもらっているから、相談の内容によっては何かできるかもしれません」


 堂河内くんは言って、僕を店の中に案内してくれる。


 魔法道具? 相談の内容? ここはいったい、何のお店なんだろうか。見た感じ、アクセサリーショップではなさそうだ。なんだか古めかしい柱時計やカウンター、その奥に鎮座する何だかよく判らないものが並べられた大きな木の棚。店の隅の方にはこれもまた古そうな籐椅子に、枯れ木か何かの大きなオブジェ?が置かれている。


「もし僕で不安なら、明日の朝にはバイトの方が来られるので、彼女に依頼することもできますよ」


 その言葉に、僕は首をかしげながら、

「……バイトの方?」


「はい。うちの店には魔女が二人いるんです」


「魔女」


「はい」


 さも当たり前のようにそんな単語が飛び出して、僕はますます動揺した。


 怪しい。怪しすぎる。僕は入ってはいけない店に入ってしまったんじゃないだろうか。この少年はいったい何を言っているんだろうか。魔女? そんなもの、この世に存在するはずがない。魔女って言ったらあれだろ? それこそファンタジー世界に出てくる、魔法を使って何かしてくるやつ。


 ……いや、それだけじゃないか。たぶん、彼の言っている魔女っていうのは、薬草やハーブ、或いはお守りとか、そういったグッズを販売している人のことだろう。それだったら、テレビなんかで見たことがある。今でも海外ではそんなお店が町中にあって、自称魔女の店主がインタビューに答えていたような記憶があった。よく見れば、カウンターの向こう側にある商品らしきものも、なんだかそれっぽいような気がしてきた。そうだ、そういうことなんだ。


 僕は納得して、うんうん頷く。それからそのカウンターの向こう側、棚に並べられた商品を指さしながら、

「あれ、全部魔法の道具なの?」

 と彼に訊ねた。


 すると堂河内くんはひとつ頷いて、

「はい。でも、中には僕にも何のためにあるのか判らないものもあるんですよね」


「例えば?」


「そうですね……」


 堂河内くんは少し考えるような仕草をして、おもむろにカウンターの後ろ側に移動すると、腰を屈め、次に頭を上げた時にはその手に一本の黒い傘を持っていた。何の変哲もない、本当にただの黒い傘だ。なんとなく表面が濡れているような感じがするけど、それを僕に見せながら堂河内くんは、

「これとか、何のためにあるのか本当に判らない魔法道具ですね」


「……これが?」


 はい、と堂河内くんは頷いて、

「これ、差すと傘の内側に雨が降り出すんです」


「……は?」


「意味が解らないでしょ?」


「ごめん、どういうこと?」


「開いてみましょうか?」


 言って堂河内くんは再びカウンターの向こう側からこちらに戻ってくると、そのまま店の出入り口を抜けて外へ向かった。僕も彼に続いて、外へ出る。


 バラの咲き乱れる庭園を前にして、堂河内くんは「ちょっと離れていて下さい」と僕に言った。僕は数歩後退り、そんな堂河内くんをじっと見つめる。


 堂河内くんはやや腰を引くようにして前屈みになると、恐る恐る手にした黒い傘をゆっくり広げた。



 ――バサッ



 その途端、開いた傘の内側から、ざぁざぁと大量の雨が降り始めた。その雨は地面を濡らし、堂河内くんの足元もびしょびしょになっていく。


「ね?」

 言いながら、彼はさっと傘を閉じた。


 地面には大きな水たまり。堂河内くんの手足も濡れており、何が何だかわからない。


「……これ、なんて手品?」


「手品じゃなくて、魔法です」


「本気で言ってる?」


「まぁ、信じられないですよね」

 困ったような笑みを浮かべながら、彼は肩をすくめた。


 いったい、どういう仕掛けで傘からあんな大量の水が出てきたんだろうか。この程度の手品なら昔テレビか何かで見たことがあるような気がするけど、さすがにその種なんて僕は知らない。けれど、これが本当に魔法だなんて言われたって、信じられるわけがない。


「……他にもあるの?」


「まぁ、色々と」


 僕と堂河内くんは再び店内に戻る。


 それから彼は、もう一度カウンターの向こう側に入ると、棚に置かれた望遠鏡のような筒を手に取って、

「どうぞ、覗いてみてください」

 僕に差し出してきた。


 僕はそれを受け取り、矯めつ眇めつする。一見するとただの望遠鏡だ。何の変哲もない、普通の、ちょっと年季の入っただけの望遠鏡以外の何物でもなかった。


 僕は首を傾げ、それからその望遠鏡を覗いてみる。


 ……うん、やっぱりただの望遠鏡だ。堂河内くんの顔が間近に見える。よくよく見ればなかなかに端正な顔立ちだ。女性的と言ってもいい。ぱっと見はそんなに気にならなかったけれど、きっとクラスの女子の間ではそれなりに人気があるんじゃないだろうか。或いは彼を取り合いに女子同士の熾烈なバトルが――なんて想像してしまう。


「じゃぁ、ちょっとこれを見てください」


 そう言って、どこからともなく堂河内くんは小さなボールを手に掲げた。四、五センチくらいの緑色のボールだ。彼はそれをポーンと店の隅に向かって軽く投げ、とん、と軽い音を立てて床に落ちたボールはころころと転がり、籐椅子の辺りですんと止まった。


「その望遠鏡で、あのボールを見てみてください」


「あぁ、うん」

 僕は返事して、言われた通り望遠鏡を覗き込んで、緑のボールに焦点を合わせた。


 やはり、どこからどう見ても普通のボールだ。小さな子供がきゃっきゃっしながら遊んでいるボールプールに使われていそうな、中身が空洞の、ただのボール。


「では次に、望遠鏡越しにあのボールに手を伸ばしてみてください」

 言われて足を一歩踏み出したところで、

「あ、そこから動かないで。ただレンズの前に手を伸ばして、ボールを掴むような感じで」


「――意味が解らない」

「やってみてください」


 仕方がない、やってみるか。思い、言われた通りに右手で望遠鏡を掴み、それを覗き込みながら、反対側の手でボールに触れようとして、



 コロコロコロ――



 伸ばした手がボールに触れたような感触があって、その途端、ボールが床の上を小さく転がる。


「……え?」


 望遠鏡から目を離し、首を傾げながら堂河内くんに顔を向ける。彼はカウンターの向こう側に居て、面白そうに微笑んでいた。もう一度ボールの方に視線を向けて、わずかに転がって移動しているボールまで歩み寄り、どこかに糸が繋いであるんじゃないかと拾って確認してみたけれど、そんな様子はどこにもなかった。或いは今の一瞬で、ボールに繋いであった糸を引っ張って回収したのか。目にしたわけではないけれど、そうでないと説明がつかない。


「堂河内くんは手品が上手なんだね」

 ボールを投げ返しながらそう口にすると、堂河内くんは投げたボールをうまいことキャッチしてから、

「……まだ、信じてもらえませんか」


「だって、どう考えたって手品の範疇じゃないか。開いた傘の内側から水が出てくるのだって、望遠鏡を覗きながら手を伸ばしただけでボールが転がっていったのだって、種があれば誰でもできそうなことじゃないか。魔法とは言えないよ。やっぱり、ここは手品を売る店? それとも、あんなので人を騙して金を巻き上げるような詐欺師の店?」


 すると堂河内くんは、困ったように苦笑しながら、

「確かに、それはそうかも知れませんね。それなら、こういうのはどうですか?」

 言って右手のひらを上に向けて、眼を細めて小さく何か言葉を口にした。


 今度はいったい、何をやっているんだろうか。思いながら見ていると、ふわりふわりと店の中に小さな風が巻き起こり始めたのを僕は感じた。それは彼の手のひらを中心に渦を巻くように流れており、最初緩やかだったその風は徐々に徐々にその勢いを増していき、やがて堂河内くんの手のひらに、小さな竜巻がくるくると蛇のようにとぐろを巻いていた。その手のひらは小刻みに震えており、僕はまじまじとその様子を窺い見る。


 驚いたことに、どこをどう見ても何の仕掛けも見当たらなかった。間違いなくその小さな竜巻は彼の手のひらから発せられており、これを魔法と言われては疑いようがないように思われた。


「……これ、マジ?」

 そう呟いた時だった。


「――あっ!」


 堂河内くんが小さく叫んだ瞬間、手のひらで渦巻いていた竜巻が急に勢いを増したのだ。


 それはどうやら彼の制御から離れてしまったようで、びゅんっと風切り音を響かせながらもの凄い勢いで籐椅子の方へと飛んで行って――


「しまった!」


 バキバキバキ!


 そんな音がして、僕らの眼の前で、その籐椅子はものの見事にバラバラに砕けてしまったのだった。


「……え、あっ――」


 開いた口が塞がらなかった。


 辺りには、ボロボロに飛び散った籐椅子の欠片と、もはや椅子の形を失ったガラクタが転がっているだけだったのだ。

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