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しばらく歩き続けて辿り着いたのは、町の南側。
隣町へと続く国道の左右が舗装された法面だけになり、如何にも山の中っぽい雰囲気を醸し出している、そんな辺鄙な場所だった。
後ろを振り向けば、ぽつぽつと家の建つ田畑の広がる盆地。
ちょうどこの境目に、山の上に立つ古い神社?へと続く細い階段があった。
「ここからなら、町全体が見下ろせるでしょ?」
わたしが言うと、堂河内くんはその長くて急な階段の先を見上げながら、
「そうだね」
と困ったような笑みを浮かべた。
「なに? これくらい大したことないでしょ?」
「どうかなぁ。僕、ここ行ったことないんだよね」
「嘘、マジ? この町で育ったのに?」
まぁ、こんな片隅の神社に行く人なんて、本当にごく少数のお年寄りだけなんだけれども。
すると堂河内くんは盆地の方を指差しながら、
「ほら、うちって町を横断するあの川の北側でしょ? あっちの方の、うちに近い神社にはよく行ってたんだけど、こっち側にはあまり用事がなかったから。タクミはよく来てたの?」
問われてわたしは、
「あはは、んなわけないじゃん。一回しか来たことないよ!」
「なんだよ、それ」
堂河内くんは小さく笑って、肩をすくめた。
なんだろう、その所作すら心惹かれる。
これはもう恋だ、恋かもしれない。
だけど、堂河内くんには好きな人がいるわけで……わたしの付け入る隙、ないんだろうなぁ。
そんなことをぼんやりと考えていると、
「どうしたの、タクミ、行くよ」
いつの間にか階段を上り始めていた堂河内くんが、わたしを見下ろしながら声を掛けてきた。
「あ、待って!」
わたしも慌てて階段を駆け上がると、堂河内くんのすぐ後ろをついて上がる。
階段は上れば上るほど周囲を木々に覆われていき、影が多くなってきたけれども、階段を上り続けているわたしたちにはあまり意味がなかった。
時々休みながら上ったけれど、思った以上にその階段は長く、だんだん緩やかになってはきたけれども、汗が噴き出してどうしようもなかった。
「あ、暑い……」
わたしはたまらずシャツの首元を掴んでパタパタと胸元に風を送り込んだ。
そこでわたしは、はっと我に返り、数段先で立ち止まりこちらを見下ろす堂河内くんの視線に気づいて、
「……見たな」
それとなく睨みつけてやった。
けれど堂河内くんは特に気にするような様子もなく、
「なにを?」
と、すっとボケたように口にした。
わたしはそれが何だか気に食わなくて、
「わたしの胸、覗いてたでしょ」
口元をニヤリとさせながら答えれば、
「あぁ、いや、見てないよ、大丈夫」
「なにそれ、わたしの胸は見る価値ないって?」
なんでそんなことを言ったのか、わたしにも解らない。けれど、ちょっとでもわたしを意識してくれればな、と思ってしまったのは確かだった。
それなのに、堂河内くんは小さくため息を吐いてから、
「ふざけないでよ」
至極冷静に言って、どこからともなくタオルを取り出すと、
「はい、タオル」
とわたしに向かって投げて寄越した。
「あ、ありがと……」
わたしは受け取ったタオルで身体の汗を拭いて――はっとする。
これ、もしかして、堂河内くんが使ったやつなんじゃぁ……?
思わず堂河内くんの方に顔を向ければ、
「……な~んだ」
そこにはもう一枚、別のタオルで汗を拭っている堂河内くんの姿があって、なんでだろう、わたしはちょっと落胆した。
堂河内くんはそんな私に対して、
「え? なに?」
と首を傾げる。
わたしは肩をすくめて、
「……なんでもないよ」
「そう?」
きょとんとした堂河内くんの表情が、何とも腹立たしく思えたのだった。
それから再び階段を上り、ようやくわたしたちは山頂の神社――というより、小さな祠の前に辿り着いた。祠には丸い鏡が祀られていて、その前には白い徳利と盃が置かれている。やはり毎日誰かが来ているのだろう、綺麗に掃除もされているようだった。
堂河内くんはその祠に立つと、気持ちの良い音を立てて柏手を打ち、緩やかな動作で頭を下げた。
わたしもそれに倣い、けれどかしこまることもなく、適当にお参りする。
それから見晴らしの良いへり(町を一望できるようにちゃんと手すりが設けられていた)に向かい、町を見下ろした。
「こうやって改めてみると、ホントに何もない田舎だよね」
わたしが言うと、堂河内くんは「そう?」と首を小さく傾げて、
「綺麗な川があって、大きな山があって、国道沿いには道の駅もあるし、商店街も寂れてはいるけど、なんか良い雰囲気だと思うよ」
「それ、いかにも市街地に住んでる人が、たまに遊びに来た田舎に対して言いそうなセリフだよね。住んでる側からしたら不便だし、遊ぶところないし、つまらないし」
それからわたしは堂河内くんの顔を覗き込みながら、
「なに? 一年ちょっとでもう都会人になったつもり?」
堂河内くんはそれに対して、
「違うよ、そんなつもりないよ」
と首を横に振って、
「時々恋しくなるんだ。だって、十年以上、この町で暮らしてきたんだから」
「わかんないなぁ。わたしはこの町から出たら、二度と戻ってきたくないけど」
「タクミはそうかも知れないね」
言って堂河内くんは、小さく笑った。
それからふと気づいたように川沿いの一点、町の東側に抜けていく川と、北側から流れてきた別の川が合流する地点を指差しながら、
「あれ、何してるの?」
とわたしに訊ねた。
見れば、何か工事でもしているのか、数台のトラックとショベルカー、あと名前も知らない機械や機材が、そこにはたくさん積まれていて、
「さぁ? 何の工事だろ」
「いつから工事やってるの?」
「いつだったかなぁ…… 夏休みに入る前には、もう始まってたような気がするけど。わたしも意識して見てないから、よく知らない」
「そう……」
堂河内くんは小さく答えて、じっとその一点を、眼を細めて見つめ続ける。
その様子に、わたしは何だろうと首を傾げて、
「なに? 何かあるの?」
「……いや」
と堂河内くんは口元に手をやり、
「そうだね、ありがとう、タクミ。もしかしたら、あれが原因かもしれない」
「え? アレが? 月の形がどうのって話じゃなかった?」
「そうだよ」
「意味わかんない」
「僕もわからないけど」
堂河内くんはそう口にして、真剣な眼差しでわたしに言った。
「たぶん、アレが原因で間違いないよ」