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「ただいまぁ」
がらりと表の引き戸を開けると、
「おう、おかえりぃ」
と、本棚にはたきをかけていた下拂さんが、こちらに顔を向けた。
夕方、閉店間際。
猪原くんの一件に片がついて、僕は彼と別れて帰宅した。
小脇には割れた方の鏡を抱えたまま、僕は引き戸を閉めながら、
「真帆ねぇは?」
「あぁ、奥にいるよ。アカネちゃんと一緒に」
「そう」
僕は短く返事して、
「この鏡を真帆ねぇに渡さないといけないから、閉店作業、お願いしていい?」
「んー、わかった」
何とも言えない、気のない返事。
そんな下拂さんの横顔を、僕は思わずじっと見つめる。
その横顔は、確かに鏡で見る自分の顔によく似ていて。
よく親子に間違えられるけれど、こうしてまじまじ見てみると、確かに雰囲気は僕と一緒だ。
けれど、下拂さんと僕に血の繋がりはないはずだし、他人の空似、とでも言えばいいんだろうか。
しかし、それにしても似すぎているその事実に、僕は内心疑いを持ちつつあった。
もしも、もしも僕の予想が当たっているのだとしたら――
「……どうした、カケル。そんなにじろじろ見つめられてたら、仕事しづらいんだけど」
「え? あ、ごめん」
慌てたように我に返った僕に、下拂さんは苦笑しながら、
「そんなに埃の払い方が雑だったか? もうちょっと丁寧にした方が良かったか」
「う、ううん、大丈夫」
「そうか? ならいいけど」
言って、下拂さんは隣の本棚にもはたきをかけ始めた。
僕は「じゃぁ、行くね」と改めて声を掛けて、「んー」という下拂さんの返事を背に、カウンター横の扉をくぐり抜けた。
バラの強い香りに包まれながら中庭を抜けて、四阿の前を通り、奥の母屋へ足を勧める。
そこには古い日本家屋が建っており、看板には達筆で『魔法百貨堂』と書かれている。
いったい誰が書いたのか知らないけれど、いつ見ても『魔法』とは不釣り合いな印象だ。
僕はそんな『魔法百貨堂』のガラスの引き戸に手をかけて、先ほどと同じように、
「ただいまぁ」
言いながら、戸を開け中に足を踏み入れた。
そこには真帆ねぇとバイトの茜さんの姿があって、
「おかえりなさい、翔くん」
「おかえり、カケル」
ふたりとも、笑顔で僕を出迎えてくれた。
こちらも表の古本屋同様、閉店前の掃除に取り掛かっていたらしい。
僕は真帆ねぇの前に歩み寄ると、例の割れた鏡を差し出しながら、
「はい、これ。割れた鏡」
すると真帆ねぇは微笑みながら、
「はい、確かに受け取りました」
言ってから、それをカウンターの上にことりと置いた。
「それで、どうでしたか? うまくいきましたか?」
「あぁ、うん」
僕は頷く。
けれど、あのことは口にはしない。
猪原くんが古狐に襲われかけて、それを僕が魔法で助けたことは。
「そうですか、それは良かったです」
にっこり微笑む真帆ねぇのその顔も、やっぱり僕によく似ていた。
真帆ねえと似ているのはまだ解る。だって、真帆ねぇは僕のお父さんの従兄弟だし、それなりに血の繋がりはあるのだから。
――そう、血の繋がりがある。
僕は中学生になるまで、そのことを全く意識していなかったのだ。
僕が初めて魔法を使えることに気づいたのは、中学二年生の時だった。
上級生たちに因縁をつけられて、呼び出された校舎裏。
そこで殴られかかった時、必死に抵抗しようとして、気付くと僕は魔法を使っていた。
どうやってかは解らない。
それまで魔法なんて使ったことのない僕にとって、それは驚愕の出来事だった。
たぶん、身の危険を感じて、本能的に魔法を使ってしまったんだと思う。
上級生たちは物凄い突風に巻き上げられて上空に浮き上がると、最初こそ狼狽した様子だったが、やがてそれが僕の力によるものだと理解すると、涙を流して謝り始めた。
それ以来、その上級生は僕を見るだけでそそくさと逃げ出すようになって……
今となっては、懐かしい過去の出来事だ。
僕はこの魔法が使えるという事実を真帆ねぇに相談するか悩んだ。
まさか自分も魔法が使えるだなんて思ってもみなかったし、この力をどうすればいいのか判らなかったから。
それもあって、高校受験の際に、こうして真帆ねぇの家にお世話になる道を選んだのだけれど――いまだに僕は、この力のことを真帆ねぇに言えないでいた。
もしも真帆ねぇにこの事実を話して、果たしてどうなるのか。
僕も真帆ねぇや茜さんがそうだったように、魔法の修業をして、魔法使いの道を歩むことになるのか。
色々と悩んでいるうちに、僕は幼い頃から何度か会っている全魔協の下拂さんに魔法使いについて話を聞いて、これからのことを考え続けて。
それでもまだ、僕はただただ悩み続けていた。
「――どうかしましたか? そんなに私の顔をじろじろ見て」
「え? あ、なんでもない」
慌てて首を横に振ると、茜さんがニヤニヤしながら、
「翔くん、ホントに真帆さんのこと好きだよねぇ、いつもじろじろ顔を見てるし」
「そ、そんなことないよ!」
言い返したけれど、真帆ねぇは「ぷぷっ」と噴き出して、
「良いんですよ、翔くん! 私も翔くんのこと、大好きですから! そんなに恥ずかしがらなくても!」
急に頭をよしよしされて、恥ずかしさのあまり僕は一歩あと退る。
「や、やめてよ! 恥ずかしい!」
「もう! そんなに恥ずかしがらないでくださいよ! お姉さん、悲しくて泣いちゃいますよ!」
しくしく、しくしく、とわざわざ口に出して泣きまねをするあたり、おふざけするにもどうかと思う。
「そ、そんなことより、この鏡、どうするの? 割れちゃってて、もう使えないんでしょ?」
そうですね、と真帆ねぇは鏡の表面をさすりながら、
「これを直すには、少し手間がかかるかもしれませんね」
「え、直せるの」
訊ねると、
「はい、一応」
と真帆ねぇは頷いて、
「でも、凄く時間がかかると思います。そもそも接着剤でつなぎ合わせちゃってますから、まずはそこから直していかないといけません。一度バラバラにして、修復魔法で元の形に戻して」
「修復魔法で?」
「えぇ。でも、直るのは形だけ。飛散した魔力まで戻るわけじゃありませんから。そこからは地に宿る魔力……地力を年月をかけてゆっくりと浸透させていって。こればかりは何十年もかかるので、今回ばかりは代わりを用意するより他に方法はありませんでした。まさか、魔よけの魔法道具を使い続けて古狐さんを遠ざけ続けるってわけにもいきませんでしたし」
真帆ねぇの小さなため息に、雑巾を手に棚を拭き掃除していた茜さんは、
「はいはい、どうせ私はまだまだ駆け出しの魔女ですよぉー」
どこかいじけたように、そう口にする。
「だってさ、まさか古狐の恨みがあそこまでとは思わないでしょ、普通。魔力が宿っているとはいえ、ただの鏡だよ? あの古狐だって、そろそろ――」
「茜ちゃん、そういうことは言ったらダメですよ。茜ちゃんにもひとつやふたつ、大切にしているモノがあるんじゃないですか? それを突然壊されたらどう思います? そうそう簡単に許すことができますか?」
真帆ねぇにたしなめられて、茜さんは、
「まぁ、それは、そうだけど……」
口を尖らせ、それっきり何も言い返さなかった。ただ黙々と雑巾がけを続けるばかりだ。
真帆ねぇはそれを見て、小さくため息を漏らしてから、
「あ、そうそう、例の鏡を手に入れた時のお土産、乳団子! まだ食べてませんでしたよね。そろそろこれくらいでお店も閉めちゃって、みんなで食べましょう! 茜ちゃんも食べますよね?」
すると茜さんはにっと笑いながら顔をこちらに向けてから、
「もちろん!」
真帆ねえはこくりと頷くと、
「それじゃぁ、私、お茶を用意してますから、翔くんはシモフツくんを呼んで来てもらえますか?」
「うん、わかった」
僕は返事して、西日の射さるガラス戸に手をかけた。