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第6話

   4


「なるほどなるほど。ポプリのおかげで獣臭はしなくなったけど、家に帰ると自分の部屋が荒らされていて獣臭くなっていた、と」


 カウンターの向こう、白のノースリーブシャツを着た真帆さんはそう口にして俺の話を要約すると、小さく「ぷぷっ」と噴き出した。


「まぁ、そうでしょうね。ただ単に遠ざけられたところで、別の仕返しをやっちゃいますよねぇ、ふつう」


 そんな真帆さんの人を小馬鹿にしたような言動に、俺は当然のように苛立ちながら、

「笑いごとじゃない! どうしてくれるんだよ! こんなんじゃぁ、意味がないじゃないか!」


 そう思わず声を荒らげると、真帆さんは「おっと」という感じに居住まいを正し、

「――ごめんなさい。アカネちゃんもまだまだだなって思ったら、ついおかしくって」


 俺はそんな真帆さんの前で両腕を組み、仁王立ちで立っていた。


 あのあと、俺はすぐに家を飛び出して、魔法百貨堂にやってきた。


 古本屋のカウンターで呑気に本を読んでいた堂河内に喚き散らして、そのままバラの中庭を駆け抜けて。


 すぐ傍には、やはり私服の堂河内が立っていて、けれどよく似た顔のそいつは困ったように眉根を寄せて、

「真帆ねぇ、ふざけてないで、なんとかしてよ」


 すると真帆さんは「そうですねぇ」と口元に手を当てる。

「まぁ、サービス品のポプリだとこんなもんでしょうね。その場しのぎの魔よけにはなるけれど、根本的な解決にまで至るような魔法の道具でもありませんし」

 それから口元に笑みを浮かべながら、

「――それで、猪原くんは、いくらまでならお金を払えますか?」


 その言葉に、俺は思わず「えっ」と漏らした。


「お、お金?」


「そう、つまり、予算ですね。仮にもうちは魔法を売るお店ですよ? まさか、ただで魔法の力が得られるとでも思っていたんですか?」


「え、あ、いや、それは……」


 真帆さんに言われて、俺は口籠ることしかできなかった。


 何となく堂河内のクラスメイトってだけで何とかしてもらえると思っていたけど、確かにそんな甘い話なんてあるはずがない。あの魔よけのバラのポプリだって、サービスで貰っただけの代物だったんだ。それなのに、俺はなんておこがましいことを。


 堂河内に目を向ければ、やつは相変わらず眉間に皺を寄せたまま、真帆さんを睨みつけている。


 けれど真帆さんは、そんな視線なんて気にするふうもなくて、

「――一千万」

 突然、そんなことを口にした。


「……はい?」


 首を傾げたのは、俺だけじゃなく、堂河内もだった。


 真帆さんはニッと笑って見せると、

「あなたのその悩みを解決するには、一千万円の費用が必要です」


「え、えぇっ!」


 俺はその法外な金額に、眼を見開いて両腕を下に垂らした。


 それから堂河内に顔を向けると、堂河内は大きな溜息を一つ吐いて、

「真帆ねぇ? そんな大金、用意できるわけないでしょ?」


「働けばいいじゃないですか、学校なんて辞めて」


「そうじゃなくて、本当にそんなに費用がかかるの?」


「いいえ? さすがに今のは極端な額ですね」


「なら、そんな意地悪しなくても――」


「意地悪かも知れませんけど、それくらい価値があるモノを、彼は壊してしまったんです」


「えっ」

 と口にしたのも、やはり俺と堂河内のふたりともだった。

「それ、どういうこと?」


 すると真帆さんは、小さくため息を吐いてから、

「あそこの祠には、もう何十年も前から年老いたキツネさんが住んでいたんです」


「な、何十年って、キツネってそんなに生きるものなのか?」

 俺が訊ねると、真帆さんは、

「いいえ。キツネの平均寿命は、一般的には約十年ほどだそうです。これは犬や猫とそう変わりありません。多少の前後はあれど、何十年も生きるキツネなんていないでしょうね」


「なら、そのキツネって」


「解りやすく言えば、化け狐、でしょうか。魔力の強いキツネであればこそ、これまで何十年も生きながらえることができた、と言いましょうか」


「化け狐……」


 そうか、だからあんなに獣臭かったのか。


 耳元で獣の息遣いが聞こえたのも、きっと正体はそいつだったに違いない。


 今さらそれを否定する理由なんて、もはや俺にはどこにもなかった。


「猪原くん、あなたが石ころを蹴って割ってしまった鏡ですが、その鏡も古くからその祠に祀られていて、それなりの魔力を秘めていた代物だったんです。キツネさんは、その鏡の魔力から力を得て、長く生きてきたんです。その大切な鏡を割ってしまったことによって、あなたはそのキツネさんの怒りを買ってしまった、というわけです。お解りいただけますか?」


「――はい」


 俺は頷いて、そして全身から力が抜けていくのを感じた。


 だけど、

「で、でも、俺、あの後すぐに祠を綺麗にして、割れた鏡も接着剤でもとに戻して――」


「一度割れた魔力の鏡は、もう二度と元には戻りません」


 きっぱりとそう口にする真帆さんに、俺はそれ以上何も言うことができなかった。


 それは、つまり――もう、どうすることもできないということなのだろうか。


「じ、じゃぁ、俺は、どうすればいいんだよ、このままだと、どうなっちゃうんだよ」


 真帆さんは小さくため息を吐き、真顔になって、

「……魔力の根源を失ったキツネさんの寿命が尽きるまで、恐らくあなたに憑りついたままでしょうね」


「そ、そんな――」


「どうにかならないの、真帆ねぇ」


 それに対して、真帆さんは、

「だから一千万って言ったんです。あれだけの魔力を秘めた鏡なんて、そうそうあるもんじゃありません。たまに魔法使いの市やオークションで出てくることもありますけど、一千万までとは言わずとも、それなりに高値がつくんです。代わりの鏡をキツネさんに返せば或いは許してくれるかもしれませんが、あなたにその代金が支払えますか?」


 俺はしばらく考えて、けれど結論なんて最初から出ているようなものだった。


 俺は首を横に振って、小さく「無理です」と答えて肩を落とした。


 それからしばらく、沈黙がその場を包み込んだ。


 ただ壁にかけられた時計だけが、カチコチと音を立てて時間を刻み続けている。


 どれくらいの間そうしていたのだろうか、やがて真帆さんはすっと口元に笑みを浮かべて、

「――じゃぁ、こういうのはどうですか?」

 と両手を小さく打ち合わせる。

「わたしがその代金、立て替えておきます。支払いはいつになっても構いませんので、何とか代わりの鏡を用意しておきます」


「えっ、本当に?」


 訊ねると、真帆さんは「その代わり」と言って堂河内に手のひらを差し出して、

「これからさき、ずっとカケルくんの良い友達で居てくれるなら。それが条件です」


「も、もちろん! なぁ、堂河内」


 突然話を振られて、堂河内は少し面食らったような表情を浮かべて。


「え? あ、うん」


 首を傾げるように、小さく俺に頷いた。

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