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第10話

   10


 真凛は口元に笑みを浮かべながら、広髙くんをじっと睨みつけ、

「昨日からおかしいとは思ってたんだよね。彼氏って言うわりには彩名はあんたのこと、名前で呼んでなかったし」


 言って、あたしの左肩にぽんと手を置き、


「――彩名もこんなやつの事、放っとけばよかったのに。人のことつけ回して、マジでキモいんだけど。なに? もしかして彩名、また元カレの時みたいにコイツをボコるとでも思ったの? だからコイツのこと助けたの?」


「そ、それは」

 と口を開こうとしたあたしの言葉を遮るように、真凛は広髙くんの前に立つと、

「あのねぇ、悪いけど、私の大切なオトモダチに変なことしようってんなら、私が許さないから」

 広髙くんはそんな真凛を不安そうな表情で見つめ、次いで首に腕を回している作業着を着た真凛の彼氏――斉藤琢磨に視線を向けた。


「そうそう」

 と琢磨はぐっと腕に力を込めて、彼の首を締めあげながら、

「これ以上こいつらを付け回すんなら、ここらでちょっとシメとかないといけなくなっちゃうんだよ。ねぇ? わかる?」


 その腕に抗うように、広髙くんは苦しそうに呻きながら身じろぎする。


 真凛はそんな広髙くんの姿を見て、にんまりと気味の悪い笑みを浮かべながら、あたしの方に顔を向け、

「あのさ、彩名。彼氏が欲しいんなら、あたしに言いなよ。琢磨が良いやつ知ってるからさ、紹介するよ」


「ち、違うの、あたしはそんなつもりは――」


 首を振るあたしに、けれど真凛は「いいからいいから」と口にして、

「彩名はさ、真面目だし、良い子ちゃんだし、優しすぎるんだよ。だからこんな変なのをつけ上がらせちゃうんだよね。やっぱ、あんたは私が見てないとダメみたい。安心しなよ、これからも私が面倒見てあげるから。だって私たち“オトモダチ”でしょ?」


 ね? と微笑みかけてくる真凛のその顔は、けれどまるで化け物のように気持ち悪くて、とても怖くて、あたしはその顔をまともに見ることができなかった。


 思わず助けを求めるように視線を向けたのは広髙くんの顔で、だけど彼も琢磨に首を絞めつけられたまま、身動きなんて取れなくて。


 どうしよう、どうしよう……!


 あたし、どうしたらいいの? 


 こんなの、あたしは望んでない。


 誰が面倒を見てあげるって?


 誰がいないとダメだって?


 ……オトモダチ?


 ふざけないで! こんなの、友達でも何でもない!


 こんなトモダチ、あたしは要らない!


 涙が溢れ出そうだった。


 苦しそうに藻掻く広髙くんを前にして、あたしには何もできない。


 あたしのせいだ。


 あたしのせいで、広髙くんは――!


 その時だった。


「くっそ! 離せ!」


 広髙くんが大きく叫んだかと思うと、琢磨の顔を思いっきり殴り飛ばし、腕の力が緩んだのであろうその一瞬を利用して、締め付けから抜け出したのだ。


 琢磨は殴られた鼻先をさすりながら、

「この――クソがっ!」

 広髙くんの肩に掴みかかり、大きく右拳を振り上げた。


「やめて!」


 あたしは必死に叫んだけれど、やっぱり何もできなくて。


 彼が殴られるところだけは見たくないと両目を閉じたその瞬間、ふわりと濃いバラの香りが辺りを包み込んだ。


 なんだろう、いったいどこから……?


「先輩、借ります!」


「――えっ」


 思わず目を見開くと、どこから現れたのだろう、一人の少年がそこに居て、あたしが肩に提げていた赤いバッグと手にしていた忘れ薬を奪い取り、琢磨と広髙くんへ向かって駆けだした。


 当のふたりは突然現れた少年に気づいたが、琢磨のその勢いは止まらなかった。


 広髙くんの顔面を力いっぱい殴りつけようとしたその時、少年は赤いバッグの口を大きく開くと、ふたりの間に割って入り、まるで振りかぶるような動作で、開いたバッグの口を琢磨の拳に突き出した。


「えっ? あぁっ?」


 琢磨の拳はまるで吸い込まれるようにバッグの中へ収められていき――そのままの勢いで腕まで――やがて頭、胴体、足――一瞬にして、琢磨の身体は赤いバッグの中へと飲み込まれていった。


 あとに残されたのは、目をまん丸くして尻もちをつく広髙くんと、口元に手をやって立ち尽くす真凛、そしてあたしの三人で。


 確かに、マホさんはこのバッグを貸してくれた時、『実際の見た目から四倍くらいのものが入るんです』なんて言っていたけれど、とんでもない。


 四倍どころか、人ひとり飲み込んでしまうほどのその容量に、あたしは戦慄せずにはいられなかった。


 マホさん、なんてものをあたしに貸してくれたのよ――!


「な、なにしたの、今――琢磨? 琢磨はどこへ行ったの?」


 動揺を隠せない真凛は叫び、けれど今にも逃げ出してしまいそうな姿勢で、少年から数歩あと退る。


 少年はバタバタと暴れるように揺れるバッグの口を閉めると、そのまま真凛の方へと歩み寄り、

「すみません」

 そう小さく口にしたかと思うと、左腕で口元を覆いながら、忘れ薬のスプレーを真凛に向けて、躊躇することなく、しゅっと彼女の顔に噴きかけた。


 その途端、真凛は白目をむいて、ばたんと地面へ崩れ落ちる。


 え、なに? これはいったい、何が起こっているわけ?


 戸惑うあたしを尻目に少年は――見れば、彼は昨日魔法堂で出会った翔くんで――広髙くんに腕を伸ばしながら、

「大丈夫? 立てる?」

 と微笑みながら声を掛ける。


「あ、あぁ」


 広髙くんはおずおずとそんな翔くんの手を取り、腰を上げた。


 それから翔くんの手にしている、暴れ続ける赤いバッグを指さしながら、

「お前、これ――」


「あぁ、うん」

 と翔くんは苦笑しながらバッグを少し上に掲げて、

「あとでマホねぇに何とかしてもらうよ。あの人、こういうの誤魔化すの、得意だからさ」


「誤魔化すって……」


 眉間にしわを寄せる広髙くんに、翔くんは「そんなことより」とあたしに視線を向けながら、

「先輩に話があるんでしょ? 俺は先に帰ってるから」


「あ、あぁ」


 戸惑うように頷く広髙くんに、翔くんは「じゃぁ、頑張って」と微笑みかけると、地面に投げ飛ばされた茶色い上着──蓑?を拾い上げ、すたすたと、足早に公園から出ていった。

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