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第9話

   9


 学校に着き、保健室経由で教室に入ると、

「おっスー」

「おはよー」

 詩織と真凛が小さく手を振る。


 あたしはそれに対して、

「おはよう、ふたりとも」

 と答えながら、バッグを机のフックにかけた。


「昨日、どうだった?」

 真凛に訊かれて、あたしは首を傾げながら、

「昨日? 何が?」

 すると真凛はわずかに目を細め、少し低い声で、

「……カレシとのデート、楽しかった?」


「へっ」

 とあたしは思わず変な声を漏らして、どこか訝しむような眼を向けてくるふたりに、慌てて両手を振りながら、

「――あ、うん。そりゃぁ、もう。楽しかったよ」

 と我ながら取ってつけたような笑みを浮かべて、そう答えた。


 真凛はしばらくあたしの表情をじっと窺っていたが、やがて「ふうん、そう」と口元に不敵な笑みを浮かべると、

「良かったじゃない」

 頬杖を突きながら、詩織の方へと視線を戻した。


「だね」

 と詩織も苦笑するように返事して、ふたりは顔を見合わせる。


「……?」

 けれどその表情は、まるで何かを企んでいるようにあたしには見えて、

「なに?」

 と思わず訊ねると、真凛は「別に何も」と小さく答える。


「そんなことより、今日のニュース見た? やっぱり出てたでしょ、例の話」


「……何だっけ、例の話って」

 首を傾げるあたしに、

「ほら、隣のクラスのナカタエミ」

 詩織が笑顔でそう言って、あたしは昨日の話を思い出す。


 あぁ、また例の、その手の話か――


 真凛と詩織はくすくすと笑いながら、見知らぬナカタエミと、そのお相手であるどこぞの先生の話に夢中になる。


 あたしはそんなふたりを眺めながら、気づかれないよう、小さくため息を吐いたのだった。








 その日の放課後。


 あたしはふたりと別れて、魔法百貨堂へ向けて一人、大通りの歩道を歩いていた。


 あの後、お昼過ぎに茜さんから、

『真帆さん戻ったよ。鞄直ったらしいから、取りにおいで』

 と連絡が入ったのだ。


 あたしは赤いバッグを肩にかけ、足早に道を歩き続ける。


 コツコツと後ろから聞こえてくる足音に、気付いていないふりをして。


 時折カーブミラーやお店のガラスに反射して見えるその追跡者に対して、あたしはいつこの忘れ薬を使おうかと悩んでいた。


 彼は――広髙くんは昨日と同じように、あたしの後ろをつかず離れずついてくる。


 いったい、どこまでついてくるつもりなんだろうか。


 思い、あたしは大きくため息を吐くと、すぐそばの公園に道をそれた。


 木の陰に身を隠し、あとからやってくる広髙くんの様子を窺う。


 彼は遅れて公園に入ってくると、慌てたようにあたしの姿を探し始めた。


 あたしはその背後に歩み寄り、

「――誰、探してるの?」

 と声を掛ける。


「えっ!」

 広髙くんは目を見開いて振り向き、あたしの姿に気が付くと、

「……ごめんなさい」

 そう、小さく謝った。


「あたしに、何か用事?」


 すると彼は眉間に皺を寄せるように、真剣な眼差しで、

「はい」

 とはっきり口にする。


 昨日とは打って変わって落ち着いたその態度に、あたしは少しばかり気圧されて、思わず一歩あと退った。


 覚悟を決めた、という感じの表情を見つめながら、あたしはポケットに手を突っ込む。


 茜さんから貰った忘れ薬の小瓶。


 その感触を確かめながら、けれどあたしは彼を目の前にして、まだこれを使うかどうか決めかねていた。


『使う時はよく考えてから使ってね。使われた方からしてみれば、突然記憶が無くなっちゃうんだもの。本人はそれまでに何があったのか、自分が何をしていたのか、全部きれいさっぱり忘れてしまう、そう言う魔法の道具なの』


 茜さんのその言葉が脳裏によみがえり、小瓶を握る手にぎゅっと力をこめる。


 あたしがこれを広髙くんに使えば、彼のここ一週間の記憶は失われてしまう。


 そうすれば、彼があたしをつけてくる、なんてことはもうなくなるのだろう。


 彼の記憶からあたしとの出会いは失われ、その感情も消えて無くなる。


 だけど――本当にそれでいいの?


 彼の記憶が失われたとき、あたしは何を思うだろう。


 ……たぶん、きっと、後悔する。


 あたしの勝手の所為で、彼の記憶やあたしへの感情が失われてしまったその事実を、ずっと気にして生きていくことになる。


 果たしてあたしは、それに耐えられるのだろうか。


「――彩名先輩」


 広髙くんがあたしの名前を口にして、あたしはふと我に返った。


 そこには神妙な面持ちの彼が居て、大きく深呼吸をしてから、意を決したように、

「俺、彩名先輩に――」


「――よう、何してんの?」

 突然、彼のクビに見覚えのある男の腕が回されて、

「やっぱり、付け回されてたんじゃん」

 あたしの背後から、真凛が姿を現した。

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