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第4話

   4


 胸に刺さったふたりの笑顔は、家に帰ってからもいっこうに消えてくれる気配はなかった。


 つまらない両親とつまらない食事をして、つまらないテレビをぼんやり眺めてから風呂に入り、布団にもぐる。


 いつもと変わらない、つまらない一日だった。


 記憶にも残らない夢を(たぶん)見て、再びやってきた一日の始まりをスマホのアラームによって叩き起こされ知らされる。


 まだ眠たい瞼を無理やり開くと、そこには見慣れたいつもの天井。


 何とか上半身を起こし、大きくため息を吐く。


 アラームを止め、カーテンを開く。


 窓の外はどこまでも続く青空に代わり映えのない住宅街。


 その光景を見ながら、俺は再びため息を吐いた。


 制服に着替えてダイニングへ向かい、両親と共に食事をすませ、家を出る。


 体が――心が重い――


 何もない自分の何もない一日は、快晴の空のもと、やるせない思いを抱えたままで今、始まろうとしていた。


 このまま学校へ向かい、授業を受けて、ただ帰る、それだけの一日。


 こんなにいい天気なのに、俺の心はどこまでも暗かった。


 いつも通りの人ごみの中、とぼとぼと歩いていると、数メートル先を歩く翔の背中が眼に入った。


「よう、カケ――」


 声を掛けようとしたところで、俺は思わず口籠る。


 翔の隣には小野寺先輩の姿があって、ふたりは仲良さそうに笑いあっていたのだ。


 その姿を見ていると、声を掛けることすらためらわれた。


 あぁ、俺はあの中には入れない、入りたくもない。


 ただ、みじめになるだけだ。


 良いよなぁ、翔は。


 あんな可愛い彼女がいて、綺麗なお姉さんと一つ屋根の下で暮らせて、放課後にはその家の手伝いで古本屋のバイトをしているんだろ?


 本が好きで、映画が好きで、色々なことを知っていて、いつもどこか澄ましたような顔をしてパッとしないくせに、毎日が満たされているその姿が羨ましくて仕方がなかった。


 ひるがえって俺はどうだ?


 ――何もない。


 彼女も居ない、趣味もない、部活もしてない、やる気すらない。


 変わらぬ毎日に辟易しつつ、変わろうという行動すらしてこなかった。


 空っぽだ。

 俺は中身のない、空っぽな人間なんだ。


 俺は立ち止まり、翔と小野寺先輩の姿が見えなくなるまで見送った。


 通勤途中の会社員や登校中の学生たちに次々追い抜かされながら、けれど俺の足はいっこうに前へ進もうとはしてくれなかった。


 真っ青な空を仰ぎ、目を細めて大きくため息を吐く。


 踵を返し、俺は学校とは反対側へと足を向けた。







 学校をサボったのは、生まれて初めてのことだった。


 何だか心がざわざわしたけれど、後悔はない。


 代り映えのない一日から外れたことに、何とも言えない昂揚を感じる。


 散歩気分で歩く歩道を吹く風は気持ちよく、ビルに反射した陽はとても眩しかった。


 たまに自転車で駆け抜ける川沿いの遊歩道に入り、大きなイベントホール脇に設置されたベンチに腰掛ける。


 そうしていると、少しだけ心が晴れ渡ったような気がした。


 道行く人たちが制服姿の俺にちらちらと視線を向けてくるけれど、誰も何も言わなかった。


 すぐに前を向くか、歩きながらスマホに顔を戻すだけ。


 結局他人のことなんてどうでも良いのだ。


 それがとてもありがたくて、俺は暖かい陽のもと、いつしかウトウトし始めて――


「あら? 君、こんなところで何してんの?」


 不意に声を掛けられて、俺は驚きながら声の主に顔を向けた。


 そこには一人の若い女性が立っていて、口元に笑みを浮かべながら俺を見下ろしていた。


 後ろに束ねた髪は茶色くて長く、耳にはハートのピアスがきらりと光る。白のワイシャツにぴっちりとしたデニムのジーンズがその足の長さを美しく際立たせていた。歳はたぶん、二十代かそこらだろうか。思わず見惚れてしまうほど彼女は美しく、そして可愛らしかった。


「え、いや、あの――」


 口籠ってしまう俺に、彼女は、

「あ、大丈夫、別に怒るつもりはないから。その制服、基安高校だよね?」


「あぁ、はい」

 頷く俺に、その女性は優し気な微笑みを浮かべながら、

「隣、座ってもいい?」

「え? えぇ?」


 俺の返事も待たずに、女性は俺の隣に腰掛けた。


 それから「ん~!」と唸りながら胸を逸らせて大きく伸びをして、

「いい天気だね。そりゃぁ、学校サボりたくもなるわ」

 にかっと笑いながら、俺に顔を向けてくる。


 漂ってくるその甘い香りに、俺の心臓は早鐘を打つ。


「どうかした? 何か、悩み事でもあるの?」


「――えっ?」


 思わず目を見張る俺に、彼女は、

「なんか、そんな顔してるから。解るんだよね、仕事柄」


「仕事?」

 と訊ねると、

「そ、仕事。困ってる人をちょっと手助けしてあげる、そんなお仕事してるんだ、私」

 まぁ、バイトなんだけどね。そう言って、彼女はへらへらと笑って見せた。


「はぁ、そっすか……」

「だからね、ほら、言ってみ?」

「な、何をですか?」

「悩み、あるんでしょ? 特別に、おねぇさんがタダで聞いてあげよう」

「いや、いいっす」

「あれぇ?」


 困ったように、首を傾げるおねぇさん。


 だって、あまりにも怪しいじゃないか。


 あとから大金を要求されたりなんかするんだろ、絶対。


「私、そんなに怪しい?」


「え、あ、いや、そんなことは――」


 言えるはずもない。


「あ、じゃぁ、アレだ。あまりにも私が可愛いから、気後れしてんだ!」


「……それ、自分で言います?」


「だって、事実だもん」

 言って、彼女はニヤリと笑い、

「私、ナユタアカネ。アカネでいいよ」


「――アカネ、さん?」


「何だい、少年?」


 胸を張って口にするその姿に、俺も思わず笑みをこぼした。

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