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佐藤はたたけば増える
0和田理史
文芸・その他ショートショート
2024年10月29日
公開日
3,454字
連載中
「わたし佐藤だから。ごめんね」
ルームメイトになった佐藤さんには、何か秘密があるらしい。

いや別に秘密でもなんでもなくて、佐藤はたたけば増えるらしい。
狭いシェアルームのなかで、佐藤さんの増殖が止まらない。


佐藤はたたけば増える

「わたし佐藤だから。ごめんね」

四月からルームメイトになった佐藤さんはそう言った。

よく意味が分からなかった。

私が卍山下まんざんかなんて珍苗字だからだろうか。対して佐藤は全国一位の圧倒的多数派でごめんね、みたいなコトか。でもそんなの私は気にしない。いちいち気にしてたらキリがない。私より少ない苗字を探す方がたいへんだ。

だから「よろしくね」、それだけ言った。

これから一年間、私たちはこの狭い宿舎の部屋で二人暮らしを始めるのだ。


佐藤さんの言った意味は三日後にわかった。

慌ただしい朝の時間のことだった。

私たちは二人とも朝が弱かった。ぐずり続ける目覚まし時計を殴って黙らせること三回目、気が付くともう八時過ぎ。

今すぐ宿舎を出ないと一限目に間に合わない。

「やばいよ佐藤さん。はやく起きて」

ベッドを飛び出して彼女の身体を揺すった。この状況でも佐藤さんの寝顔は安らかである。草を食むヤギみたいにきゅりきゅり歯ぎしりしている。浅い眠りにむにゃむにゃさすらっている。

はよ起きろや。

もう置き去りにして行こうかなと思い始めたとき、ぱちりと彼女の目が開いた。目が合った。寝起きとは思えぬほどのきりりとした二重まぶたと力強い眼光だった。

「起きなくちゃ」

断言して勢い良く起き上がった佐藤さんの額と、覗き込んでいた私の額が激突した。

星が散った、などという生易しいものではなかった。部屋中のガラスが砕け散るほどの衝撃波が発生したように思えた。とにかく痛かった。視界が回った。ぐわんぐわん揺れる頭を抱えてその場にうずくまり、床の冷たさをふくらはぎに感じながら痛みが治まるのを待った。たぶん佐藤さんもベッドの上で同じ状況だったろうと思う。

「ごめんね、まんちゃん」

後ろから佐藤さんの声がした。無論、まんちゃんとは私のことである。

「立てそう?」

背中と肩を抱いて、そのまま助け起こしてくれた。立ち上がって目を開けてギョッとした。ベッドの上で佐藤さんが額を抑えているのである。

じゃ、後ろにいるのはだれ?

振り返るとやっぱり佐藤さんが立っていた。赤く腫れた額をさすりながら、申し訳なさそうにこう言った。

「ごめんね、わたし佐藤だから。増えちゃうの」


佐藤はたたけば増える。

ぜんぜん知らなかったが世間の常識らしい。

だから佐藤は全国一位にまで上り詰めたのだ。

増えたぶんの佐藤さんは当たり前のように同じ部屋で暮らし始めた。二人の佐藤は同じマグカップで交互にお茶を飲み、二枚のシャツを交互に着回し、交代で学校へ行き、夜が来れば同じベッドで眠った。

「寝てる間に二人がぶつかって、また増えちゃうんじゃないの?」

「それは大丈夫。佐藤同士では増えられないの」

「だってそれができたらあまりにもアンフェアでしょ?」

佐藤二人は顔を見合わせてくすくす笑う。なにがアンフェアなのかよくわからなかった。

じゃ、この状況はフェアなのか。

ただでさえ狭い部屋が、三人になったことでさらに窮屈になった。トイレとお風呂は部屋の外にあるから関係ないけど、ルームメイトで共有する洗面台は使える時間が短くなったし、なにより片方の佐藤さんが出かけている間も、もう一人の佐藤がいつも部屋にいるのだ。

とにかく落ち着かない。

しかも佐藤さん同士が妙に仲良しなのがムカつく。元は同じ佐藤さんなのだから当然なのかもしれないが、二人にしか聞こえない声量でひそひそ話をされると、ひどく疎外感を感じた。

話を聞く限り、他のシェアルーム(田中と鈴木とか、とにかく非佐藤同士のペア)では、もちろんこんなことは起きていないらしかった。

私だけだこんな目に遭っているのは。

アンフェアだ。


三人暮らしはあっという間に四人暮らしになり、ほどなくして五人暮らしになり、瞬く間に六人暮らしになった。

とにかく佐藤は増えるのだ。笑っちゃうくらい簡単に。

もちろん私がうっかり身体をぶつけちゃうから増えるのだが、こんな狭い部屋で気を付けろと言われても限度がある。今や室内は佐藤の王国である。

洗面台もテレビも机もクロゼットも、完全に佐藤さんたちが独占してしまった。ベッドだけはなんとか死守しているが、侵攻されるのは時間の問題と思われた。

佐藤さんは五人に増えたのに、相変わらず学校に行くのは一人だけだった。交代で登校するから、実質佐藤さんは週に一回しか授業を受けられない。別に佐藤同士で知識経験を共有できる…なんてこともないから、みるみるうちに佐藤さんの成績は落ちていった。でも当人たちはあんまり気にしてないらしい。むしろ学校に行かずに済んでラッキーと言わんばかりに、惰眠を貪ったり映画を観たりマンガを読んだり、平日昼間の時間を満喫している。正直羨ましい。

でももっと気にしろや、と思う。

私はと言えば、もうすっかり神経質になっていた。これ以上佐藤さんが増えたらどうなっちゃうんだろう。夜もおちおち眠れない。寝ている間にうっかり増やして、大量の佐藤さんに押しつぶされないか不安だからだ。

そこでアイスホッケー部の知り合いに頼んで、プロテクターを借りることにした。これで全身を覆えば、うっかりぶつかっても佐藤は増えない。安心だ。でもごついからすごく動きづらい。とてもまともに暮らせるものではない。

「もう無理だよ。私耐えられない」

限界だった。疲労と睡眠不足とストレスで憔悴した私は泣いた。プロテクターが震えてカタカタ音をたてた。五人で人生ゲームをやっていた佐藤さんたちが慌てて振り返る。

「あ」

「ごめんごめん」

「そんなに追い詰められてたなんて」

「ぜんぜん気付かなかった」

「じゃ、消えるね?」

佐藤さんたちはごにょごにょ話し合って頷き合って、四人と一人にわかれた。四人は窓側の壁を背にして並び、手をつないで部屋の端から端に立った。狭いからちょうどピッタリだ。

「見ててね」「ほら」「いくよいくよ」「それっ」

ぽん。

白い光が一閃し、軽やかな音とともに佐藤さんたちは消えた。四人同時にいなくなってしまった。何が起きたのかわからない。

残った一人の佐藤さんは平然として言う。

「横一列で揃うとこんなふうに消えちゃうの。佐藤だから」

すごい。私はしばし絶句して、あんぐり口を開けていた。

まるで人智を超えている。でもあとで周りの人に聞いてみると、これも世間の常識らしかった。三方を壁に囲まれた場所で隙間なく並ぶと、一気に消えるらしい。

佐藤は増えたり減ったりするのだ。

「これからは多いなあ、と思ったら言ってね。すぐ消えるから」

他の佐藤さんは消えてしまったわけだが、佐藤さんは大して気にしてもいないようだった。またどうせ増えるから、と思っているからかもしれなかった。


事実、佐藤さんはすぐに増えた。それから二十分後のことである。

理由はシンプルで、私が完全に警戒を解いたからだ。どうせ消せるなら増やしちゃってもいいじゃん。なーんだ、今まで私は何を気にしてたんだろう。

ああバカみたい。

プロテクターを脱ぎ捨てて、部屋の真ん中で佐藤さんと押し相撲をした。以前は考えられなかったことだ。お互いの手がぶつかるごとに、佐藤さんが増えていく。観客ゼロ人から始まった試合だが、気が付くと周りはすっかりギャラリーで埋め尽くされていた。私以外全員が佐藤という超アウェイの試合だったが、私が勝った。ブーイングが起こる。

でもうるさい佐藤は消せばイイ。不平を言いつつ佐藤さんたちは従順で、「またね」と言って並んで消えた。

ぽん。

ふと思いついて夜の学校に忍び込んで、教室で佐藤さんを三十人に増やしてみた。

「よーし、出席とるぞー」

おどけて言ってみる。私は卍山下先生だ。着席する生徒たちは全員佐藤。

「佐藤」

「はい!」

佐藤さんが元気よく返事する。

「次、佐藤」「はい」「佐藤」「はーい」「佐藤!」「はいはーい」「五番、佐藤」「ほい」

「先生、佐藤さんが居眠りしてまーす」

「先生、佐藤くんがトイレに行きたいそうでーす」

「よし、新しい転入生を紹介するぞー」

「よろしくお願いします佐藤です」

当たり前だけど全員佐藤だ。もうおかしくてたまらない。

「ほらみんな、並んで!写真撮るよ!」

机をどけて、三十人の佐藤さんたちを教室の後ろに整列させた。十五人ずつ、ちょうど二列でピッタリだ。私はスマホを取り出してカメラを起動する。

「はい、チーズ!」

ぽん。

私がシャッターを切ると同時に、教室内が一瞬だけ真昼みたいに瞬いた。

「あ」

声が出たけどもう遅かった。

三十人の佐藤さんたちはみんな消えてしまった。元になった佐藤さんも増え出た佐藤さんも、みんな。

真っ暗な夜の教室で、私は一人だった。


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