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「結局、取材では特に進展はなかったわけだ」

「そうなんですよ」

 景が言っていた世界について、新しい証言は得られた。しかし特に情報は増えなかった。おそらく景が一番あの世界の核心に近付いていたのだろう。彼が知っていること以上の情報は得られない。

「あとは姐さんが教えてくれた情報があるくらいで」

 私――緑川律樹が姐さんと呼ぶこの暗い色のベールを被った女性は、メアリー江津子という胡散臭い名前で占い師をしている。メアリーの占いは当たると評判で、オカルト事情にも詳しいため、オカルト雑誌のライターである私とはそれなりの付き合いがある。

「私が教えたのも人から聞いた話だからあまりあてにもなるまい」

「そうですね。でも、推測を立てるヒントくらいにはなってますよ。あとはまあ……うちの雑誌で度々出てくる多元宇宙論と関連付けたりとか」

 黄昏時というのは、狭間の時間だ。

 昼と夜が重なる一瞬。それがずっと続く世界は、私たちが観測できないだけで無数に存在している数多の宇宙を繋いでいるのではないか。編集長はそんな説を打ち立てていた。しかし当然ながらそれを裏付ける証拠は今ところ出てきていない。現状は編集長の与太話の域を出ていないのだ。

「実際のところ、正直私たちが解決できちゃったらうちの雑誌が廃刊になるようなことなんだとも思うんですよ」

 何度も何度も世界の真実だの古代文明の謎だのを取り上げられるのは、それが完全には解明されていないからだ。世界の全てが解明された暁には、オカルト雑誌は当然のことながら廃刊になるだろう。そして編集長のような人間は、それがわかっているから、未知が溢れる現状を愛しているといえた。

「それは確かにそうだねぇ。でも、解決しないと景くんはいつまでも気にしそうだな」

「それなんですよ……うっかり忘れてくれないかなって思ってるんだけど……」

 その世界での体験がよほど強烈に残っているのだろう。景はあの世界の謎を解くことと、カラスと名付けた存在を救い出すことに執着している。執着は大きなものを生み出すこともあるが、それが決して良いものだけでないことを私は知っていた。

「一人の人間の妄執が怪異を生み出すことすらありますからね。特に景は素質があるから」

「霊感っていうのも厄介だな。この世のものでないものが見えてしまうわけだから」

「姐さんもそういうの感じられたりするんじゃないんですか?」

「うーん……私は星の巡りとかを見ているだけだからな。空を見て未来を予想するってだけなら天気予報みたいなものだよ」

 占いには特殊な能力など必要ない、とメアリーは言う。確かに時代が時代なら、星を見て未来を予測する人は学者のような扱いを受けていた。景のような持って生まれた特殊な感覚とは少し違うのかもしれない。

「ちなみに律樹には釈迦に説法かもしれないけど、多元宇宙っていうのはちゃんと物理学で研究されている領域だからね」

「それは知ってますよ。まあ内容は説明されてもわからないんですけど」

「確かに、専門用語も多いからな」

 メアリーが席を立ち、二人分のお茶を持って戻ってくる。メアリーが淹れてくれたハーブティーには気持ちをスッキリさせる効果があるらしい。私は透明なカップに注がれたそれを一口だけ飲んだ。

「ちなみに、占ったら何か出たりします?」

「占いはそんな万能なものじゃないとわかっているだろう?」

「ですよね……」

「律樹は何をそんなに焦ってる?」

 私は息を吐き出した。焦っているというのは確かにそうかもしれない。簡単に答えに辿り着けるようなものではないとわかっているのに、どうしても答えを求めてしまう。

「この前、分散型SNSのサーバー管理者が怪異を作り出した事件があって……あれを応用したら、意図的に目的を達成するための怪異を作り出すこともできるんじゃないかって考えてしまって」

 人の感情が集まる場所を作り出し、その感情を一つの方向に誘導すれば、新しい怪異を作り出すことは可能だ。景なら人の感情をひとつに集めるための核を作ることもできるだろう。あくまで能力的には、という話だが。

「でもあの子、わりと脳筋っぽい気がしたけどな」

「幽霊も元人間なら筋骨隆々の男は怖いんじゃないかって思ったらしいんですよ。あと、筋トレ始めたら筋トレ仲間ができてハマっていったって」

 子供の頃に感じていた疎外感はそれによって少しは軽減されているらしい。筋肉は全てを解決するとまでは言えないが、筋肉が解決することもそれなりにあるということだ。実際、怪異を生み出したのが人間であった場合は、景がそこにいるだけで怯んでしまうこともあった。

「それならそこまで心配することはないんじゃないか?」

「そう思いたいんですけど……傘が大きすぎるんですよ」

 私の目は他人の感情を靄のような姿で映し出す。靄の色や形でその人が考えていることが大体わかるのだ。景が普段私に見せる感情は青色の大きな傘。憂いと心配。それ自体は珍しくもない感情だが、景の場合はそれがあまりにも大きすぎる。

「大きすぎる心配か……まさか、その狭間の世界のカラスと律樹がすごく似ているとかそういう話なのか?」

「違うんですよ、それが。むしろそうだったら単純な話だったんですけど」

 少なくとも話に聞いた見た目とはかけ離れている。カラスはその名の通り真っ黒だったらしいが、私は地味だが明るい色の服を着ていることが多い。顔はあまり見えていなかったと景は言っていたが、断片的に見えたと言っているものを組み合わせればかなりの美人だ。平凡な顔の私とは違う。

「景くんには同じ何かが見えてるとかは?」

「そう思って聞いたことがあるんですけど、それもないって。まあ私が色々連れて来ちゃいがちだからってだけかもしれないですけど……」

 仕事柄、そして人の心が見えるという特性上、良からぬものを連れ帰ってしまいそうになることもある。景にはそれが見えるので、私のことを過剰に心配するのだ。しかし編集部の福利厚生としてちゃんとそういったものは祓ってもらっているので今のところ大きな問題はない。

「まあ、様子を見るしかあるまい。どうしても気になるようなら、一度私が彼を直接見ようか?」

「そうですね……それがいいかも。景も話してみたいとは言ってましたし」

「それなら今度、都合がいい時にここに来るといい。何も解決はしないかもしれんが、茶くらいは出せるからな」

「ありがとうございます」

 私は礼を言って、メアリーの部屋を出た。メアリーの専門は占星術だが、占い師として相手を観察することにも長けている。彼女なら私が見つけられていない突破口を見つけられるかもしれないと思った。



 傾いたままの太陽。西陽が彩る世界をぼんやりと眺めながら、カラスと呼ばれた少女――柊由真は溜息を吐いた。外の世界ではどれだけの時間が過ぎているのだろう。そもそもあらゆる世界に繋がる場所で、繋がっている時間さえもバラバラだから、そんなことを考えても仕方ないとわかっているが。

「……暇だなぁ」

 緊張感のない言葉を吐くと、背後から笑い声が聞こえた。その瞬間に空が少し暗くなった。時間が進んだのだ。

「暇なら、もう少し真剣にここを出る方法を考えてやったらどうなんだ?」

 流暢な日本語だが、それを発している人が日本人でないことは知っている。派手な橙色の髪は、その姿が闇の中に包まれていても目立つ。

「出る方法が、私の代わりに他人を差し出すっていうのだったら、それは駄目」

「それが私みたいな死人でも? 死人はどうせ夜から解放されても死ぬだけで、生き返るわけじゃないんだけど」

「でも、新しい世界で生まれ変わることができるんでしょ?」

「それはそうだけどね。でも、考えようによっては、それはとても苦しいことなのかもしれないよ」

 この世界を維持するために囚われた女――生前の名はイヴェット・ローゼンタールは優しい声で言う。彼女が今でもその役割を引き受けているから、現在の由真はこの世界の中でなら比較的自由に動けるのだ。

「君は君以外の全ての人に生きていてほしいと願うけれど、人によっては、それはとても残酷な願いだ」

 生きるのに苦痛を感じている人にとっては、苦痛の中に留まっていろと願っているのと大差ないのかもしれない。それでも自分の目の前で散っていった命を思うたびに、自分の命と引き換えに誰かを救えるならそれでも構わないと考えてしまう。

「まあ……その残酷な願いが私たちをここに留めていると考えることもできるけれどね」

「私には、そんな人なんて」

「少なくとも君の中に一人。あとは……違う世界に行ってみたらもっと沢山いるかもしれないよ。十万人くらいいるかも」

「十万人は多いでしょ……」

 それは彼女なりの冗談なのだろう。けれどたった一人の存在が今ここに由真を留めているのは感じている。けれどその願いが時に重く感じるときもあるのだ。

「まあ、自殺した私が何言っても説得力ないだろうから、あんまり言うつもりはないんだけど」

 イヴェットはあっけらかんと言うが、そんな口調で話していいことなのだろうかとも思ってしまう。それともそんな風に話せるだけ時間が経ってしまったということなのだろうか。

「君は背負いすぎなんだよ。一人の人間が一生かけたって一人救えるかどうかなんだよ。それなのに殺すことは指先一本で簡単にできる。少なくとも私が死ぬ前に君が私を救うことはどうやっても無理だったんだよ。だって住んでる世界が違ったんだから」

「……でも、私は」

「君はとても優しいけれど、時々すごく傲慢だね。私の弟子なら『思い上がるな』ってキレてるところだよ。神ですら万人を救うのは無理なんだから、人間にそれができるわけがない」

 ――だから、自分を犠牲にすればいいなんて考えは捨てた方がいい。

 その言葉を残して、イヴェットは夜と共に去っていった。接触できる時間はいつも短い。この世界に誰かが迷い込んでいるときに出てきてしまえば、夜の中にいるあの透明なものが自動的にその誰かを取り込んでしまうし、イヴェットが長く由真と接触していると、由真が取り込まれてしまう。自分たち以外誰もいない束の間だけ、二人は言葉を交わすことができた。

「……傲慢、か」

 言いたいことはわかる。人間にできることなんて大して多くはない。自分が生きるだけで精一杯なのだ。でも、心のどこかで思ってしまう。自分は助かってはいけないのだと。幸せになってはならないのだと。

 これが罰なら甘んじて受け入れよう。けれどこの場所は、罰と呼ぶにはあまりに静かで穏やかだった。

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