夜が明けて翌日。エマニ通りにある聖母グリウェン教会へ。
「あの男は大丈夫かな」
教会前の広場で、アッシュがヴェロニカに呟いた。
昨晩、ジゼルの家で襲った男だ。そのまま拉致して、市外の木に縛りつけている。
「狼に食われているかもな」とヴェロニカ。
「悲しいな」
「心の底からそう思ってるのか?」
「同情はしてるよ」
教会前の広場には人が集まっている。
「すごい人気だな」
ヴェロニカは呟いた。
「貧乏人ばっかだ」
「そういうな。教会税が安くなれば、皆幸せになる。長老派のやり方は汚いしな」
「こっちは阿片の密売人だぞ」
広場が沸いた。仮設の壇上に、人が上っていく。広場にいる人々が拍手を始めた。
「あれがアーティバッハだ」とアッシュ。
朱色の祭服を着た長身、長髪の老人が民衆に手を振っている。首と腕には金色の宝飾品。祭服には白い十字架に薔薇の刺繍。窪んだ目元、鷲鼻、顔には斑のシミ。鎖骨まで伸びた長い髭は、白髪交じりだった。
「やっぱり、左腕がないんだな」
ヴェロニカが腕を組みながらいう。
言葉通り、アーティバッハは左腕。肘から先がない。左の裾が、風で旗の様に揺れる。
「後ろに並んでいるのが、カリオペ騎士団の幹部達だろうな」
「ああ」
アッシュは頷いた。
二人の視線の先には、アーティバッハの後ろに立つジゼルの姿があった。
アーティバッハが聖書を開いて、説法を始める。広場の人々が耳を傾ける為、静まった。
抑揚、身振り手振りを駆使し、視線を隅から隅まで動かしながら、アーティバッハは話をしていく。
「詐欺師だな」とヴェロニカ。
「ジゼルはどうする」
アッシュは息で手を温めた。ずっと外は寒い。
「隙を見て接触する。尾行するぞ」
ヴェロニカがそう言った時だった。
女が走り込んで来た。アーティバッハに向かって突っ込んで行く。
「お、何だ」
ヴェロニカが言った。
「あの女、ナイフ持ってるぞ」とアッシュ。
女がアーティバッハに突っ込んで行く。茶色く長い髪の女だった。
「気合入ってんな」と女を見てヴェロニカが呟く。
「おい、その女を止めろ」
どこかから声が飛んできた。ジゼルが動き出す。アーティバッハが危険を察し、身を屈めた。広場の人々から声が上がる。
「ハンク、その女を止めろ」
ジゼルが叫んだ。
ジゼルともう一人、肩幅の広い大男が、女とアーティバッハの間に飛び込んだ。大男がハンクという名前か。
ジゼルがアーティバッハを守り、ハンクがナイフを持って走り込んできた女に突っ込んだ。ハンクが女の手元を掴んでナイフを落とすと、そのまま首に腕を回し、拘束した。
「アンタのせいであの人が殺された、私の夫は殺されたの!」
拘束された女が叫んでいる。足をじたばたさせながらも、執拗に叫びを続けた。市の衛兵がやってきた。叫び続ける女を連行する。広場は騒然としている。混乱は続いていた。
「誰かが殺されたらしいな」
ヴェロニカが言った。
「人間はいつか死ぬからな」とアッシュ。
嫌な予感がした。話をはぐらかす。
「あの女に会うぞ。匂う、濃密な金の匂いだ」
「やっぱり――」
「嫌そうだな」
「アンタの考える事は嫌いなんだ。ジゼルはいいのか?」
「女に話を聞いてからだ。面白い話が聞けそうじゃないか。手元のカードが多い方が役を揃えられる」
「楽しそうだな」
「アッシュ、牢獄に行く方法を知ってるか」
「断れないのか? その提案」
「知っているか、と聞いただけだぞ」
「分かってるくせに」
方法なら知ってる。
「伝手がある。死刑執行人時代の組合仲間が、グラオトレイの首斬りだ。まぁ俺の叔父なんだけどな。その人に頼めば地下牢に入れる」
「よし、行くぞ」
「待て。本当に会うだけだろ? さっきの女に会うだけだよな」
念を押す。
「何を心配してる。脱獄を手伝うとでも思ったか」
成程。そういう事か。
「地下牢の鍵を手に入れてこい」
アッシュは「クソ」と呟いた。
この女が大人しくしてるとは思えない。