ジゼルの屋敷へ移動する。市庁舎と自由中央広場の間にあるオウル通りを西へ。大きくはないが、品のある屋敷がジゼルの住処だった。直ぐ近くにイルタック川がある。
衛兵の姿が見える。アッシュとヴェロニカは木の影に身を潜めた。陽は落ちて、もう夜になっていた。
「儲かってんだな」とアッシュ。
息が白く濁る。今夜も寒くなりそうだ。
「騎士団の幹部で、阿片密売の実行係だ。儲かっていない筈ないだろ」
ヴェロニカが嬉しそうに言う。金の匂いが好きなのだ。
「食ったらかなりの金汁が溢れ出るだろうな」
思考が常に最前線だ。ヴェロニカは欲望に対して、忠実過ぎるくらいに忠実だ。
「侵入するのか?」
「難しいだろうな」
正面門、窓、バルコニー、屋敷の周りにも衛兵。
「流石に裏の実行者だけあって、警備が厳重だ。衛兵の装備にも、カリオペ騎士団の刻印がある。日雇い傭兵が警備している訳じゃなさそうだ」
「アンタなら勝てるんじゃないのか? アンタは強そうだ」
「強いんだよ」
「行って全員気絶させてきてくれ」
「騒動は避けたい。全ての証拠を消されたら、脅しも何も出来ないだろ」
「脅しって、まるで悪党だな」
アッシュが自虐する。
「正義と金の両立はどうした」
「正義は犠牲の上に立つ。相手は楽園派の指導者、アーティバッハだ。奴は市参事会員だぞ。騒動になったら指名手配されて、都市追放なんて簡単だ。あくまでゆっくり静かに気付かれずに近付き、喉元にナイフを突き立てて、金を貰って嵐の様に去る。そういう必要がある」
「随分と難しそうだが」
「私は元諜報員だぞ」
「抜かりないって訳か。おい――」とアッシュが指差した。
馬車がやってきた。引いている荷物には、布を被せている。そのままジゼルの屋敷に向かいそうだ。衛兵が門に手を掛ける。間違いないだろう。
「乗り込むぞ」
ヴェロニカは動き出した。
「待てよ」
「早く来い、ノロマ」
屈みながら素早く移動し、荷台の後ろについた。そのまま布の下へ入り込む。積荷の角が頭に当たって痛い。馬車は二人を乗せたまま、ジゼルの屋敷へ入っていった。
「いつ降りる」
アッシュが言った。
「止まったら」
「へぇ、そりゃ簡単だ」
馬車が止まった。
**
荷台の先から、声がした。何かを喋っている様だ。
「今の内に出るぞ」
ヴェロニカの指示に従って、荷台から降りる。搬入先は倉庫の様だ。無数の箱が積んである。
向こうにある扉を合図される。そこへ向かうという事だ。アッシュは頷いた。横目で前にいる使用人達を見た。
「ヴェロニカ」
背中に触れ、動きを止めた。
「今、馬から降りた奴。村にいた」
ヴェロニカは立ち止まり、馬に乗って使用人と話している男を見る。箱の影に身を隠した。
「確かに。見覚えがあるな」
その内、に使用人が奥の扉から立ち去った。見覚えのある男一人になる。馬から降りて、荷台の方へ。こちらに来る。
「襲撃だ」
呟いた時には動いていた。
ヴェロニカが飛び出し、男の顎に拳をお見舞いした。
「ふざけんな」
出遅れたアッシュ。ヴェロニカは倒れ込んだ男をうつ伏せにして押さえ込み、腕を決めていた。
「何やってるんだよ」とアッシュ。
「お前の希望だろ」
「それはアンタの希望だろ。俺の希望をそんな風に扱うな。希望ってのは尊いものなんだよ」
「まだ人は死んでない」
「最悪だよ」
「殺せって事か?」
「殺すな」とアッシュ。
何が騒動を起こさずにいたい、だ。
アッシュは心の中で悪態をつく。
「分かってる。おい、お前、動いたらぶっ殺すぞ」
ヴェロニカが抑え込んでいる男に言う。
「何者だ」と男。
「何なんだ、一体」
「知ってるだろ、阿片だよ」とヴェロニカ。
「ジゼル・ローゼンに話がある。どこにいる」
「阿片なんて知らない」
男がしらばっくれる。
「アッシュ、痛めつけろ」
「何で俺なんだよ」
「お前も働け」
「クソ」
背中を踏みつけた。
「お前、それでも死刑執行人か? 拷問はしてなかったのか」
「一瞬で殺すのが、一流の首斬りってもんだよ」
「確かに。拷問されて、冤罪を着せられた奴を殺すのが仕事だもんな」
「いちいち嫌味な奴だな」
アッシュは再び背中を踏みつけた。
「ジゼルはどこだ?」
男に言う。
「お前ら、ヤバいぞ」と男。
「ご心配どうも。親戚の叔父さんでも、そんなに私の事を思ってくれないよ」
ヴェロニカはそんな忠告も意に介さない。
「だが今、ヤバいのはお前だぞ」
「聞いた事を話せよ」とアッシュ。
「死ね」
男が吐き捨てる。
「出来る事なら今直ぐにでも死にたいね」とヴェロニカ。
後頭部を叩きつけ、地面に顔面を押し込んだ。
「ジゼルはどこだ。奴と話がしたい」
「いない、ここにはいない」
「嘘は嫌いだ」
ヴェロニカが腕を折った。乾いた音が響いた。男が呻き声を上げる。直ぐに男の顔から脂汗が染み出してくる。
「嘘じゃないッ」
男の口調が変わる。懇願する様な喋り方。声量も小さくなった。呼吸が乱れている。
「阿片ならそこにあるからもっていけ」と男は続けた。
「けどジゼル様はいない、今夜はここにいないんだ」
「何故いない?」
「明日は楽園派の集会だ。その晩、幹部は修道院に集まる」
「何故集まる?」とヴェロニカ。
「何か緊急事態があったらしい、明日は集会もある。だからだ」
成程。幹部達の情報共有か。緊急事態の理由は俺達だ。
「アッシュ。お前がエドワールに渡した紙切れ、覚えてるか」
「ああ、コイツが言ってるのはその集会だよ。指導者のアーティバッハが布教の為に説法する」
「私達も行くぞ」
「本当に?」
「指導者様とご対面だ」とヴェロニカは微笑む。
「マジかよ」
アッシュは溜息を吐いた。