馬まで戻った。真夜中だ。
「休む暇がない」とアッシュ。
意識が朦朧とする。
「気合を入れろ。グラオトレイまで戻るぞ」
「アンタは元気そうだ。異常者だよ」
馬に跨る。
「グラオトレイまでは一日半か二日か」
「なるべく早くだ」
「寿命が縮む」
「ところで、お前は気付いたか?」
「何に?」
「ジゼルだ。奴の鎧だよ」
「お洒落だったよな」
「クソ馬鹿が。あの鎧にあった刻印、十字に重なる薔薇を模したのが刻まれていたろ」
「そう言われれば――。けど、それが本当なら」とアッシュ。
十字に重なる薔薇の刻印。それが意味しているのは一つだ。
「アイツはラマ教の楽園派って事だ」
「カリオペ騎士団か」
「エドワールの家にあったチラシ。お前がやったとかいう楽園派の紙切れ、覚えてるか?」
「そんなつもりはなかったんだけどな」とアッシュ。
「偶然が一番怖い」
「デカい相手だ」
夜の平原を走り出した。
**
グラオトレイに戻った。夕方で丁度、酒場が開いた頃だった。腹を満たしに、第四門を入って直ぐのエマニ通り、『飛べない豚亭』に入った。
「注文は?」
亭主が注文を取りに来る。豚の様に丸々と太った男だった。上着のボタンが今にも弾け飛んでいきそうだ。
「ワインを一本、それにチーズと肉。ラム肉を頼む。よく焼けよ。パンとバターも欲しいな」とヴェロニカ。
「ニンニクも」
アッシュは付け加えた。
「貧乏臭い」とヴェロニカが言う。
「そんなもんよく食えるな」
周りの男達は結構な確率で、ニンニクを齧っていた。
「ラムは今ねぇな。豚ならある」
ヴェロニカの悪態のせいか、亭主の愛想も悪い。
アッシュは微笑みを浮かべて、周りの人々に悪意がない事を伝える。
「犬と猫の肉じゃなけりゃなんでもいい。ワインは水で薄めるな。直ぐに分かる。濃い奴に香辛料をたらふく入れて持って来い。その分、金は出す」
黙って亭主は去った。
**
食事を済ませて外へ。
「いつもあんな態度なのか」とアッシュ。
「問題でも?」
「多少な」
気の休まる時間じゃなかった。敵意に満ちた視線の中での食事は、気持ちの良いものじゃない。
「ワインは美味かった」
「こっちは味わう余裕なんてなかった」
「元気になったみたいだな。帰りは一言も喋らなかった」
「モリモリだよ」
「仕事を再開するぞ。ラマ教楽園派のジゼル様を引きずり出す」
「引きずり出す? ラマ教は国教で、楽園派は今一番勢いがある。暴力的じゃなくて、ただ鍵を売ればいい。欲をかかない方が身の為だ。相手は楽園派が持つカリオペ騎士団だし、それがジゼルトゥーラと繋がってたんだ。もうヤバいが過ぎる」
「引きずり出しゃ金も芋づる式だ」
平然とヴェロニカは言い放つ。
「それに、きっと正義の為にもなる」
「アンタから正義なんて言葉を聞けるとはな。それで、当てはあるのか?」
「楽園派に恨みを持っている、とっても偉い人がいる。史上初だろうな。金と正義を両立するのは」
ヴェロニカは笑っていた。
「行くぞ、役に立ちそうな奴に会いに行く」
**
エマニ通りを曲がり、キーナット通りへ。奥にある屋敷に着いた。
「知り合いなのか?」
アッシュとヴェロニカは扉の前に立っている。錠前職人を表す、鍵の飾りが提げてあった。
「これから知り合いになる」とヴェロニカ。
「そんな事だろうと思ったよ」
アッシュは溜息を吐く。ヴェロニカがノックする。
女が出てきた。枯れた黒髪、潰れた様な瞳、全体的に痩せている女だった。
「デイヴィス・オリオッドに会いたい。錠前職人組合の組合長様だ」
「組合の方ですか?」と女は言う。
アッシュはこの痩せた不健康そうな女が、デイヴィス・オリオッドという男の妻だと分かった。
「関係者だ」
「主人はそういった方とは会いませんので、お引き取り下さい」
女が扉を閉めようとする。ヴェロニカはその手を掴んだ。
「アーティバッハを失脚させる事が出来る情報を持ってる」とヴェロニカ。
「入れ」
男の怒鳴り声が奥から聞こえた。それがデイヴィス・オリオッドだった。