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第16話 錠前職人

 馬まで戻った。真夜中だ。


「休む暇がない」とアッシュ。


 意識が朦朧とする。


「気合を入れろ。グラオトレイまで戻るぞ」

「アンタは元気そうだ。異常者だよ」


 馬に跨る。


「グラオトレイまでは一日半か二日か」

「なるべく早くだ」

「寿命が縮む」

「ところで、お前は気付いたか?」

「何に?」

「ジゼルだ。奴の鎧だよ」

「お洒落だったよな」

「クソ馬鹿が。あの鎧にあった刻印、十字に重なる薔薇を模したのが刻まれていたろ」


「そう言われれば――。けど、それが本当なら」とアッシュ。


 十字に重なる薔薇の刻印。それが意味しているのは一つだ。


「アイツはラマ教の楽園派って事だ」

「カリオペ騎士団か」

「エドワールの家にあったチラシ。お前がやったとかいう楽園派の紙切れ、覚えてるか?」


「そんなつもりはなかったんだけどな」とアッシュ。


「偶然が一番怖い」

「デカい相手だ」


 夜の平原を走り出した。


**


 グラオトレイに戻った。夕方で丁度、酒場が開いた頃だった。腹を満たしに、第四門を入って直ぐのエマニ通り、『飛べない豚亭』に入った。


「注文は?」


 亭主が注文を取りに来る。豚の様に丸々と太った男だった。上着のボタンが今にも弾け飛んでいきそうだ。


「ワインを一本、それにチーズと肉。ラム肉を頼む。よく焼けよ。パンとバターも欲しいな」とヴェロニカ。


「ニンニクも」


 アッシュは付け加えた。


「貧乏臭い」とヴェロニカが言う。


「そんなもんよく食えるな」


 周りの男達は結構な確率で、ニンニクを齧っていた。


「ラムは今ねぇな。豚ならある」


 ヴェロニカの悪態のせいか、亭主の愛想も悪い。

 アッシュは微笑みを浮かべて、周りの人々に悪意がない事を伝える。


「犬と猫の肉じゃなけりゃなんでもいい。ワインは水で薄めるな。直ぐに分かる。濃い奴に香辛料をたらふく入れて持って来い。その分、金は出す」


 黙って亭主は去った。


 **


 食事を済ませて外へ。


「いつもあんな態度なのか」とアッシュ。


「問題でも?」

「多少な」


 気の休まる時間じゃなかった。敵意に満ちた視線の中での食事は、気持ちの良いものじゃない。


「ワインは美味かった」

「こっちは味わう余裕なんてなかった」

「元気になったみたいだな。帰りは一言も喋らなかった」

「モリモリだよ」

「仕事を再開するぞ。ラマ教楽園派のジゼル様を引きずり出す」

「引きずり出す? ラマ教は国教で、楽園派は今一番勢いがある。暴力的じゃなくて、ただ鍵を売ればいい。欲をかかない方が身の為だ。相手は楽園派が持つカリオペ騎士団だし、それがジゼルトゥーラと繋がってたんだ。もうヤバいが過ぎる」

「引きずり出しゃ金も芋づる式だ」


 平然とヴェロニカは言い放つ。


「それに、きっと正義の為にもなる」

「アンタから正義なんて言葉を聞けるとはな。それで、当てはあるのか?」

「楽園派に恨みを持っている、とっても偉い人がいる。史上初だろうな。金と正義を両立するのは」


 ヴェロニカは笑っていた。


「行くぞ、役に立ちそうな奴に会いに行く」


**


 エマニ通りを曲がり、キーナット通りへ。奥にある屋敷に着いた。


「知り合いなのか?」


 アッシュとヴェロニカは扉の前に立っている。錠前職人を表す、鍵の飾りが提げてあった。


「これから知り合いになる」とヴェロニカ。


「そんな事だろうと思ったよ」


 アッシュは溜息を吐く。ヴェロニカがノックする。

 女が出てきた。枯れた黒髪、潰れた様な瞳、全体的に痩せている女だった。


「デイヴィス・オリオッドに会いたい。錠前職人組合の組合長様だ」


「組合の方ですか?」と女は言う。


 アッシュはこの痩せた不健康そうな女が、デイヴィス・オリオッドという男の妻だと分かった。


「関係者だ」

「主人はそういった方とは会いませんので、お引き取り下さい」


 女が扉を閉めようとする。ヴェロニカはその手を掴んだ。


「アーティバッハを失脚させる事が出来る情報を持ってる」とヴェロニカ。


「入れ」


 男の怒鳴り声が奥から聞こえた。それがデイヴィス・オリオッドだった。

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