上流へ。
既に辺りは暗い。道なき道を進んできた。店の明かり、街灯のない都市の外は、夕方を過ぎればもう闇夜だった。
「ここからは歩こう」
ヴェロニカが言った。
「馬は目立つ」
「そろそろなのか?」とアッシュ。
「私が知るか。川が細くなってきてる」
馬を降りて、手前の木に手綱を繋げた。
「その馬の名前は何だ」とアッシュ。半分笑っていた。
「あぁ? 名前なんてない」
きっぱりとヴェロニカは言った。殺意のある瞳を向けて。
「二度と聞くな」
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暫く獣道を進むと、視界が開けた。冷たい風が通る。暗闇の中だが、人工物が並んでいるのが分かった。木造の家だ。最低限、雨風が凌げればそれでいい。その程度の質素な造りだった。
三軒から四軒でまとまっており、それが約二十メートル間隔に並んでいる。幾つかの家からは、揺らめく灯りが漏れている。釜戸の火だろう。
「やっとか」
アッシュは声を漏らした。息が白く染まる。辿り着くまで一時間近く歩いていた。足は限界に近い。
「あそこを見ろ、行くぞ」
ヴェロニカが指差した先には、小さな畑があった。丁度、家の前にある。村人らしき姿はないが、警戒して屈みながら移動する。
「これは、これは」とヴェロニカ。
畑で栽培されている青い草を撫でる。
「何だ」
アッシュは言う。
「ケシだよ」
つまり、阿片だ。
「あそこに一つ、蕾のなってるやつがある」
ケシ畑の中を移動した。青い茎の先に、丸い蕾がついていた。
「阿片だ」
ヴェロニカは蕾にナイフで切れ目を入れる。切れ目から、白い液体が垂れてきた。
「これが阿片の元か?」
アッシュは液体に触れる。粘性があった。
「このまま空気に触れさせておくと、黒くなってもっとネバネバしてくる」とヴェロニカ。
「詳しいんだな」
「理由は聞くなよ」
「講義は有料?」
「初回はタダだ」
「それを聞いて安心したよ」
「よし、次はあの家に乗り込むぞ」
ヴェロニカの視線の向こうに、この集落で最も大きい家があった。
「恐らく村長か何かの家だろう。次の講義へ進む暇はない。手っ取り早く、上の人間と話をするのがいい」
「暴力はなしだよな? 手荒なのは嫌だぞ」
「手荒な真似はしない。約束するよ」とヴェロニカの笑み。
「それを聞いて安心した。ノックもするよな?」
「コイツらは悪党だからな」
ヴェロニカはケシの茎をへし折った。
「慎重に行く。異論は?」
「ない」とアッシュ。
目的の家の戸に近付いた。ヴェロニカが耳を当てる。アッシュは周りを見て、警戒した。
「起きてるのか」
アッシュが聞いた。
「そんな感じではないな」とヴェロニカ。
「寝てると思う」
「寝息とか聞こえたのか?」
「うるさい、開けるぞ」
ヴェロニカが戸に手を掛ける。だが動かない。施錠がしてある。
「ノックは?」とアッシュ。
「黙れ、鍵が掛けてあるぞ」
「人類の文明があるって事さ」
アッシュが言った。
「ノックしろ」
「するか、クソボケ。これからは何でもアリだ」
「おい、約束が違う」
「こっからは次の約束だ。まずはコイツをゆっくりと静かに壊す」
ヴェロニカの腕に力が入る。戸が小刻みに揺れた。金属が破裂する様な音がした。ゆっくりと戸が動き出す。