オルドから貰ったメモの場所へ。町の外れ、醸造所の隣にある屋敷だった。
「腹が減った、昨日の晩からずっと動きっぱなしだ」
アッシュが下腹部をさする。空腹の音が鳴った。
「土でも食ってろ」
ヴェロニカが一蹴する。
馬小屋には何もない。屋敷の前には畑があるが、何かを育てている様子もなく荒れている。屋敷からも醸造所からも明かりは漏れておらず、人の気配はなかった。
ヴェロニカが扉をノックした。
「いきなりだな」
アッシュはヴェロニカの後ろで言った。
「押し入るとでも思ったのか」とヴェロニカ。
「アンタを誤解してた。失礼な発言だったよな」
「結果的にな」
反応なし。
「誰もいないのか」
ヴェロニカは辺りを見回す。
「寝てるんじゃないか」
寒い。アッシュは身体を震わせた。夜風が染みる。
「もう日付が変わる時間だろう」
アッシュは時計を持っていない。時間は勘と教会の鐘が全てだ。
ヴェロニカがもう一度、扉をノックした。今度は更に強く叩いた。
「開いてる――」とアッシュ。
扉が外に向かって開いた。
「無用心だな」
ヴェロニカは躊躇う事なく、扉を全開にして中へ入った。
「おい、いいのか?」
「お前はそこにいろ」
ヴェロニカに悪びれる様子はない。
「俺が悪かった」
「何だ、話し合いが必要か」
「謝ったろ。苛めないでくれ」
アッシュも中へ。
**
華麗な意匠が施された家具が並んでいる。飾られている杯や皿は、殆どが銀で出来ている。高価な物ばかりなのが直ぐに分かる。
窓から差し込む淡い月明かりだけが頼りだった。立ち上った埃が照らされ、窓から床へ斜めに延びる筋となる。
「ブラハムを探せ」とヴェロニカ。
「二階だろ、寝てるよ」
大抵、寝室は二階にある。階段を見た。シルクのローブを纏った老人が、階段をゆっくりと下りてくる最中だった。手すりを掴み、一歩一歩下がってくる。
「ブラハムか?」
ヴェロニカが言った。広い邸宅なので、声が通る。
「もっと行儀よく出来ないものか」とアッシュ。
「お前、自分の顔見た事ないんだな」
「どういう意味だよ」
「品がない」
アッシュは反論するのを止めた。
「お喋りは終わったかな」と老人。
老人が階段の中程まで来ていた。月の明かりの中に入ると、顔が露になる。白髪で肌が白い。黒目がない、白い瞳が二つあった。全盲というのは本当らしい。
「貴方がブラハムさんですか? 夜分遅くにすいません、勝手に入ってしまって」
アッシュが言った。
「そちらは?」
白いシルクのローブが月の光を浴びて、光沢を増していた。
「ヴェロニカだ。こっちの男はクソ馬鹿野郎」
「どうも」とアッシュ。
「アッシュです」
アッシュのお辞儀に合わせて、ブラハムは首を傾けた。まるで目が見えているかの様に振舞う。
「目がいいんだな」とヴェロニカ。
「生まれつきだ。慣れている」
盲目のブラハムが言った。
「強盗ではなさそうだな」
「相談事があって来たんです」
アッシュが話を切り出した。ヴェロニカに皮肉を言わせていたら、上手くいく話もダメになる、とそう思った。
「阿片について教えろ」とヴェロニカ。
不遜な態度は相変わらずだ。
アッシュは横で溜息を吐く。
「誰から聞いた」
ブラハムの声色が重くなる。月が雲で隠れたのか、光が消える。顔が闇に沈んだ。
「匿名希望だ。情報源は言えない。分かるだろ? お前もこの世界の住人なんだから」
「もう引退している」
「それを知らないで来たと思うか?」
「帰ってくれ」
「恨みがあるんだろ、阿片利権を手放すなんて正気じゃない。ブラハム、アンタは阿片を奪われたんだ。違うか?」
ブラハムはヴェロニカの言葉を聞くだけで、何も言わない。
「引退したんでな。力にはなれない」
階段を上がって行く。
「降りてこい。この世界に引退も棄権もない。分かってるだろ」
「その証拠に、君達が来たというのか」
ブラハムの足が止まった。
「一旦片足を入れたら、もう逃れられない」とブラハムが言う。
「この仕事を始めた時に言われた事があったのを、ずっと考えていた」
「やる気になったな」
「話をしよう。来なさい」
ヴェロニカとアッシュは、ブラハムに続いて階段を上がった。