目抜き通りまで戻った。酒場からも酔っ払いが出てきて、燃えているウル=ニコ商会の夜空を眺めている。煙が上がり、炎が煌々と光っていた。炭鉱町だけあって、男達は荒々しい奴らが多い。炎を見て声を上げ喜び、殴り合いをしている。
アッシュとヴェロニカは広場の隅にいた。
「アンタ知り合いなのか、さっきの奴らと」とアッシュは言った。
「知り合いにみえたのか? だとしたらお前、相当ヤバいぞ」
ヴェロニカは夜空に立ち上る煙を眺めて言った。
夜風が吹くと寒い。耳が千切れてしまいそうだった。
「アンタらしくない。隠さなくてもいいだろ」
「真実だ。私は奴らを知らない。だが奴らはそうじゃなかった、という事だ」
「有名人って事か」
「私も同じだった、それだけだよ」
「その――ジントゥーラだったのか? 黒頭巾を被って、夜討ちしてたってのか」
「命じられれば、女子供も殺してた。サウスボンスの諜報員ってのは、強く冷酷だ」
「どうせその中でもヤバい奴だったんだろ。あの黒頭巾、アンタに敬意を表してた」
「私は伝説で、ある人物の加護の元、自由になった。
向こうは、そうだな、表立って手出しは出来ない感じだ。政治の道具なんだよ、私は私でな。で、お前こそどうなんだ――首斬りのアッシュ」
「その名前で呼ばないでくれ」
「命令か」
「お願いだよ」
「人殺しだったのか」
「アンタにも知らない事があったんだな」
「さっさと話せ。人殺し」
「そういう言い方は傷つくな。仕事だったんだよ。そういう仕事だ。もう分かるだろ」
「“死刑執行人”か。お前みたいな弱々しい男が、首斬り隊長だったとはな」
「首斬りは力じゃなく儀式なんだよ。死神ハーデスと繋がり、魔導を貸してもらって対象者の動きを封じる。そうしてやっと、邪悪な魂を冥府に届ける。だから魔導の文法は長くてとても実戦的じゃないし、とにかく面倒なんだよ。
そもそも対話法を使って罪人に術を掛けるから、罪を告白させて償いを口にしてもらわなくちゃいけない、ってまぁこんなの話してもしょうがない」
「じゃお前、魔導の才能があるのか?」
「適正はある。訓練を積んだのはハーデスと罪人と俺の三者で行う、儀式魔導だけだよ。もういいだろ。それで、これからどうする?」
「引き下がる訳ないだろ」
「だろうな。けど、鍵の買い手は燃えてなくなった」
「ショノフに来るのは初めてじゃないと言ったろ。ジントゥーラ時代の知り合いがいる。会いに行くぞ」とヴェロニカ。
「新しい買い手を探す」
「待てよ、それ危なくないか」
歩き出したアンナを止めた。
「さっきの奴らが先回りとかしてる可能性があるだろ」
「いや、心配ない。これから会いに行く男と会うのは、七十年振りだ」
「おいおい、ちょっと待て。アンタ一体いくつなんだ?」
「当ててみろ」
「分からないな。女の歳を当てるのは苦手なんだ」
「それでいい」
広場を抜けた。
**
広場を出て、路地から更に細い路地へ。カビ臭い建物と、放置されている壊れた家具、灰色の泥水の溜まり。七十年振りだというのに、ヴェロニカの足取りは明瞭で迷いがなかった。
「本当に七十年振りなら、もう死んでるんじゃないのか」
「かもな」
アッシュの問いに、ヴェロニカは軽く答えた。
「ここだよ」
古い民家だった。木の扉。目線くらいの高さに、一部に穴が空いている。経済水準は高くなさそうだが、アッシュとヴェロニカのいる通り自体が、全てそんな感じだった。
汚い路地だが、カルジーナ地区ほど不衛生でも危険でもないのは、この町がグラオトレイ程大きくないからだろう。
「大丈夫なんだろうな」
アッシュが念を押す。
「心配するな。こいつは昔、ジントゥーラの協力者だった」
「それが新しい買い手か?」
「いや、話を聞くだけだ」
ヴェロニカは扉を三回ノック。それから三拍置いて、四回ノック。また三拍置いて、二回ノックした。
反応がない。
「誰も出てこない」とヴェロニカ。
「もういないんだよ」
「まぁ待て」
「七十年は長い、確かめてやる」
アッシュは扉に空いている穴を覗いた。
「うわっ」
穴の向こうに目があった。驚いて腰を抜かした。気味が悪い。
「どうだった?」
「誰がいた」
「だろうな」
扉が開いた。痩せ扱けた老人男性が出てきた。骨の様に細い腕と、浮き上がった鎖骨。前へ飛び出した瞳に、乾いた唇。上着は汚れていて、裸足だった。
「嘘じゃないのか。なんて事だ」
老人は言った。声は震えていた。
「これは奇跡か」
「嘘じゃない、オルド。久しぶりだな」とヴェロニカ。
「ああ……はい」と戸惑っている様だった。
「このまま立ち話か?」とヴェロニカ。
「いえ、勿論。お久しぶりです、ヴェロニカさん。さ、中へ。外は冷えますから」
オッドと呼ばれた老人に招かれて、家の中へ入った。